祈りの魔法
ファーストダンスの時間になり、ようやくリズは令嬢たちの輪から抜け出すことに成功した。約束を覚えていたヴェートルが彼女を迎えに来てくれたからだ。
遠目から彼の珍しい月光色の髪を見つけて、リズは内心ほっと息を吐いてしまったほどだった。
(私にこういう場は向いていないのかも。早く帰りたーい)
帰ったらまず兄に今日のことを吐き出してストレスは解消させてもらうことにしよう。リズがそう算段を立てていると、ヴェートルが彼女の前に立ち、リズと目が合ったほんの一瞬、ふっと気のせいかと思うほど薄い笑みを浮かべた。
(わ……)
さっとヴェートルが、紺のサーコートの裾が床に広がるのも構わず膝をついた。彼は左手を胸に、右手をリズに差し出した。
「お相手願えますでしょうか。リズレイン・リーズリー公爵令嬢」
「喜んで」
彼の手を取るとぐっと引き寄せられて、距離が近くなる。彼とこんな近い距離で話すことなど滅多になく、それだけでリズはドキドキとするし顔が赤くなる。つい無言になってしまう彼女に、ちらと遠目に視線を向けたヴェートルがつぶやくように言った。
「緊張していますね」
「わ、わかるの?」
「ええ、手が少し震えています」
彼に握られた手は、自分でも分かるくらい震え、狼狽えているようだ。とはいえ、リズは決して貴族たちの前でダンスを行うことに緊張しているのではない。
リズは恥ずかしさのあまり頬を真っ赤に染めながら、すこしだけくちびるを尖らせた。
「……だって、こんなに近いんだもの。緊張してしまうわ」
リズのその言葉に、ヴェートルは驚いたようだった。切れ長の瞳はを見開いてリズを見た彼はなにか言おうと口を開き──だけど言葉が見つからなかったようで、苦笑した。
ちょうどその時、楽曲団が音楽を奏で始めた。ファーストダンスは初心者でも踊りやすいメヌエットだ。
ヴェートルは、ダンスは慣れていないと口にしたものの彼のリードはとても上手で踊りやすかった。リズはダンスが得意だが、仮に彼女が得手でなかったとしてもひどい失態は犯さなかっただろうと思われるほどだ。
ダンスは性格が現れやすいと言われるだけあって、ヴェートルのリードは穏やかで、強引ではない。こちらを連れていってくれるような丁寧さがある。
リズは彼と踊っていてわくわくした。
夢のようなファーストダンスはあっという間に終わり、リズは彼に連れられてホールから離れた。
喉が渇いたリズは、近くを通った従僕に声をかけ飲み物を受け取った。口をつければ、さっぱりとしたスパークリングワインが喉をいやした。
「お疲れ様でした、疲れましたか?」
グラスを傾けているとヴェートルが労わるようにリズを見た。彼女は勝気な微笑みを浮かべて彼を見る。
「ぜんぜん。もっと踊りたいくらいだわ。私、あなたとダンスを踊るの、好きだわ」
「それは良かったです。ダンスの相性が悪いとやりにくいと聞きましたので。ですが、無理は禁物です。女性の靴は足を痛めやすいのですから、休憩はじゅうぶん取ってくださいね」
「……あなた、なんだか詳しいのね」
今日のリズの靴は、たしかにヴェートルが言う通り踵が鋭く高いものだ。うっかり足を踏もうものなら少なくない打撃を与えるだろう。
女性に詳しい様子のヴェートルにリズが納得いかない顔をしていると、彼はため息を吐いた。
「リーズリー公爵やあなたに仕えるメイドから言われていますので」
「え、そうなの?なんて?」
「それはお伝え出来ませんが」
「ええー……」
不満そうにリズがくちびるを尖らせる。
そんな彼女に、彼は吐息だけで笑って見せた。
「今日は珍しく参加している、と聞いて来てみれば……お前が令嬢のエスコートとはな」
リズの背後から聞こえてきた声に、彼女はとんでもなく驚いた。あやうくグラスを落としそうになったリズの手を、さっとヴェートルが支える。バランスを崩して転倒すると思われたのか、もう片方の手で腰も引かれ、リズは息が出来なくなる。
「殿下も、こういった場にいらっしゃるのは珍しいですね」
(……殿下!?)
その単語にびっくりしたリズがぱっと振り向くと、そこにはクリーム色の髪をつんつんと跳ねさせた青年がつまらなそうにリズとヴェートルを見ていた。その顔の半分は黒の仮面で覆われている。
(殿下……って、王族の方?でも王族には王子がふたりいらっしゃってひとりは黒髪の方で)
式典でリズも目にしたことがある。
しかし、いつも王子はひとりで、第二王子が姿を現すことはめったになかった。リズが忙しなく瞬きを繰り返していると、そんなリズの様子に気がついたのだろう。彼がにやりと口端を持ち上げて笑った。




