氷を溶かす恋心 ⑷
「東屋が近くにありましたね。そちらに行きましょうか」
「ヴェートル様……!」
話をはぐらかされたと思ったリズが彼のチュニックの裾を掴む。今日もまた、彼は踝丈の白のチュニックに、紺のサーコートを羽織っていた。
「話はそちらで。頬が焼けて焦げてしまいますよ」
「焦……!?」
そして、ヴェートルに連れられ向かったのは、中庭にある東屋だった。長く足を運ぶうちに、ヴェートルも邸宅のどこになにがあるのか覚えたらしい。
東屋に辿り着くと、ヴェートルがエスコートして彼女を石造りのベンチに座らせた。
「それで、なぜあなたのエスコートを断ったのか、という話でしたね」
「……」
聞いてたなら、早く返事が欲しい。
落ち着かずに手を開いたり閉じたり繰り返す彼女を見て、ヴェートルは少し言葉に悩むように沈黙を選んだ。
「……あの、まだ?」
痺れを切らしてリズが彼を急かす。
急かされて、ようやくヴェートルは話す気になったのか、それとも言葉を選択し終えたのか。
顔を上げて彼女を見た。
「私が社交界で何と呼ばれているか、あなたは知っていると思います」
「知っているわ。それがどうしたというの」
それとリズのエスコートを断ったことがどう結びつくのかカノジョには分からない。むっとしてくちびるを引き結び、顔を上げてヴェートルを睨みつける彼女に、彼は少し困ったように視線を逸らした。
「私は周囲に何と言われようと既に慣れた身ですし、思うこともありません。ですがあなたは違うでしょう」
「……どういうこと?」
「あなたは、これから社交デビューし、様々なひとと関わり、新たな関係を築いていくでしょう。あなたは貴族の令嬢には珍しく……物怖じせず、恐れを知らず、真っ直ぐなひとだ」
単純なリズは褒められていると感じ、頬を赤く染めた。実際は、褒められているのか怪しい言葉だが。
「その中で、あなたの隣に私がいることはあなたの悪影響になりかねない──いえ、かならず悪い影響を及ぼすでしょう。私はそれを恐れているんですよ」
「……そんなこと?」
リズは拍子抜けした。
てっきり、もっと他に理由があるのかと思ったのだ。それが、『彼が社交界で恐れられているのが理由だから』とは。
あまりにも意外すぎる。
リズは何度も瞬きを繰り返した。納得いかないのだ。
「嘘でしょう?そんなこと気にしていたの?ほかに理由があって、私に言えないから偽りを口にしているんじゃないわよね」
疑い深い娘は、身を乗り出してヴェートルを上目に睨みつけた。それを見てヴェートルは、困ったような呆れたようなため息を吐いた。
「そんなこと、とは一概に言えないものですよ。社交界での評判がどう影響を及ぼすか、淑女ならご存知でしょう」
「子供扱いしないで。私だってそれくらい先生に聞いているわ。でも、その上で言うわ」
さらにリズはぐぐっと顔を近づけた。
こんなに顔を近づけても白磁のような肌は変わら白く、毛穴すら見当たらない。
リズはうすうす、この男は本当は人形で、何らかの方法で魂だけ入れられているのではないかとすら考え始めた。それくらい、現実味のない男だ。
「私はそんな評価なんて気にしないわ。噂話ひとつで胃を痛めるような繊細な神経じゃ、社交界ではとうていやっていけないってお兄様も仰せだもの。あなたが私を本当に思ってのことなら、逆効果よ!このままじゃ私、誰とも知らない見ず知らずのひとにデビュタントのエスコートをお願いされちゃうんだから。そんなデビュタント、私は嫌よ!」
兄は、偉ぶったところがあり自分を曲げず、跳ねっ返りな妹が、その生意気な態度を社交界で叩かれるのを見越して助言したのだろうが、リズはそれを違う意味で受け取った。
『意地悪を言われても耐えろよ』という兄の言葉を彼女は『何を言われても気にするな』と受け取ったのだ。
どこもかしこも色素の薄い彼とは対照的に、どこまでも鮮やかな深紅の瞳で彼女は見つめた。
「私は、ヴェートル様にエスコートをしてもらいたの。……だめなら、だめとおっしゃってくれていいのよ?無理強いをしたいわけではないもの」
彼女は父経由で断られたのが納得いかないのであり、彼に断られたのなら潔く諦めるつもりだった。それでも残念に思うことには変わりないが、彼に言われるのなら諦めもつく。
そう思って彼女がただひたすらに真っ直ぐ彼を見つめると、彼は少し驚いたように紅碧色の瞳を見開いた。こうして近くで見ると、彼のまつ毛も、髪同様に月光色だった。
「……ふ」
そして、ふいに彼が笑った。
あまりにも珍しい彼が笑いをこぼす姿に、リズは驚いて目を見張った。




