おっさん、社交界に君臨する1
「あら、ご覧になってあのドレス」
「まあ! どこの工房かしら。わたくしも頼みたいわ」
「綺麗な色ね、あんな青見たことないわ」
久しぶりの夜会に訪れた俺は、ハザール商会に仕立ててもらったドレスを身に纏い、来客の視線を全て釘付けにしていた。
あるひとは俺のドレスを見ては切望の眼差しを向け、ある人はエスコート無しの哀れなご夫人を同情し、ある人はこんなにいいドレスを着るなんて、領民からむしり取っているに違いないと憤る。
(そうだ、もっと俺を見ろ)
気分はさながら「俺の歌を聞け!」だ。
俺は給仕から差し出されたウェルカムドリンクを口に含み辺りを見渡す。
いや、うまいなこの酒。
この世界でこんなうまい酒があるのが驚きだ。
グイッと行きたいところを我慢し、こちらを見るギャラリーにニコリと微笑みかける。
殿方はポッと顔をだらしなく染め、興味津々のご令嬢たちはバツの悪そうに顔を逸らした。
いつの間にか俺の周りには不自然な空間があき、妙な沈黙が漂った。
もうそろそろだな、そう思い空になったグラスを給仕に渡したタイミングで、聞きなれた声が近づいてきた。
「素敵なドレスのご夫人がいると聞いて気になっていたのですが……まさかお姉様だったなんて!」
俺は声のする方向へ、くるりと身を翻した。
Aラインに広がる濃紺のドレスの裾がふわりと広がり、辺りから控えめに感嘆の声が響いた。
従来のフリルやレースなどといった装飾を極限に抑え、生地の質で勝負したドレスだ。
胸元はコーラルピンクで夕焼け空をイメージし、徐々に夜が混じり淡く優しい青から静かな濃い青へ変化する。
髪飾りには公爵家の色、イエローダイアモンドが散りばめられたバレッタで髪をふんわりとまとめたセットにしている。
対して妹は、あいも変わらず薄桃色の甘いドレス。ふんわりとボリュームたっぷりなドレスに、胸元が強調されるようにガッツリとあいたオフショルダー。
谷間には大ぶりのラメが仕込まれていて、周囲の殿方の視線が釘付けだ。
俺か? 俺は大して胸に興味はそそられない。
俺はどちらかというと、女性の手首の細さにくらっときちまうね。
「エミリア、久しぶりね」
俺が微笑むと、エミリアはニコリと無邪気な笑顔で隣の殿方に抱きついた。
「お姉さま、輿入れなさってから夜会に参加なさったの一度だけだったんですもの。わたくし、とても寂しくて寂しくて。オルガー、わたくしとても嬉しいわ!」
「エミリア、良かったじゃないか大好きなお姉さまにお会いできて。エリス、久しぶりだね」
エミリアに抱きつかれていた殿方、オルガーが人好きのする爽やかな笑顔で微笑んだ。
「ええ、『モルフォスター侯爵』ご機嫌麗しゅう」
「イヤだな、そんな堅苦しい挨拶。俺たちの仲なのだから、もう少し肩の力抜いて楽しまないかい?」
オルガーは少し困ったように首を傾げる。
困っているのはこっちだが。
扇子を持つ手に力が入る。
なんせこの2人、エリスが心を閉ざしたきっかけとなる張本人なのだ。
「冗談およしになって、どの口がそんなつまらないことを仰るの? あなた、自身のお家柄を理解していて?」
俺の貴族として発した言葉に、オルガーは信じられないものを見るように首を振った。
「エリス、確かに僕たちは君の嫁いだ公爵家には遠く及ばないだろう。でも、モルフォスターは君の実家じゃないか」
「わたくしの実家ではありますが、いまわたくしはカーネリアンコート家を代表してこの場におります。この意味がわからないなんてこと、ありませんわよね」
「お姉さま、どうしてしまったの? なんだか怖いわ……」
「ああ、可哀想なエミリー。大丈夫だ、僕がいるからね、君のお姉さまは少し虫の居所が悪いみたいだ」
全く話の通じない2人に頭を抱えそうになるも、俺はエミリアがオルガーの腕の中で不敵に笑みを浮かべたのを見過ごさなかった。
エミリアはオルガーにわざとらしく抱きつき、さめざめと涙を流した。
「お姉さま、怒っていらっしゃるのね。わたくしがオルガーと結婚したから。お姉さまの婚約者を好きになってしまったから。ごめんなさい、でもわたくし、お姉さまの厳しい叱咤に苦しく怯えていた日々を救ってくれたのはオルガーだったの。どうか許してお姉さま、怒るならわたくしを叱ってくださいいつものように!」
「エミリア、違うよ、君はなにも悪くないじゃないか。悪いのは僕だ、イリスの心の闇に気付いてあげられなかった僕の責任なんだ。エミリー、ごめんよ苦しい思いをさせて」
「ああ、オルガー!」
抱き合う2人になぜか拍手喝采のオーディエンス。
なぜなら、俺ことイリスは半年前、エミリアを虐げていたところを看過できなくなったオルガーにより婚約破棄、オルガーは新たに妹であるエミリアと婚約を結ぶ騒動に発展した。
婚約破棄はこともあろうことが夜会の最中に行われたため、多くの人にイリスは恥を晒した。
元々優しい性格のイリスは、心の拠り所であった婚約者にも裏切られ、妹には婚約者を取られ、社交界では根も歯もない噂を流され、心が擦り切れていた。
輿入れ前夜、両親にすら冷たく当たられたイリスは自室で自害することを決意するも、なんの因果か俺がこの体に入り、イリスは俺の奥底で深い眠りについた。
つまり、この2人をなんとかしない限りは社交界で俺の居場所、いや、イリスが安心できる場所はない。
貴族にとって社交界がどれだけ重要な場か、俺はよく理解している。
何かが始まるのは、決まってこの場所なのだ。
ならば、俺がこの場を制圧するしかない。
「おかしいですわ、まるでわたくしが悪者みたいに。オルガー・モルフォスター侯爵、本当に悪いのは誰かしら? 元婚約者のオルガーさん」
俺が挑戦的に問いかけると、オルガーはバツの悪そうに視線を逸らした。
社交界に広まった噂や嘲笑はもう仕方がない。いずれ消えるのを待つだけだ。
しかし、令嬢にとって一方的な婚約破棄がいかに侮辱的で屈辱か。
これをわからないご令嬢はいないだろう。
俺の一言によりギャラリーの空気が変わった。
さあて、おじさん、暴れちゃいますか。