おっさん、買い物は慎重に2
「わたくし、これでも公爵夫人ですの」
シンと静まり返った応接間に、ベトギトラーに対し2度目となる自己紹介をする。
俺にまっすぐ視線を向けられたベトギトラーは、ハッとしたように充血した目を伏せた。
自分に分が悪いことはわかっているらしい。
「あの……夫人」
「黙りなさい、無礼者。わたくしがいつ発言の許可をしました」
ピシャリと言い放つと、ベトギトラーが慌てたように口を閉じて背筋を伸ばした。
こめかみにはダラダラと脂汗が滴っている。
わー! 床に汗が垂れた! ああ、次から次へと!!
同じ中年として生理現象なのは仕方がないしわかるが、ダメだろう、取引先でボタボタ汚いおっさんの汗を流しちゃあ!
あとで使用人には念入りに掃除を命じようと、心に刻み込む。
心なしか、後ろに控えている商人たちがざわめいた気がしたが、まあ気のせいだろう。
「あなたはわたくしに言いましたね、俺が良いものだと言ったら良いものなのだと。ベトギトラー。では問いましょう、良い商品とはなんです」
ベトギトラーは視線を泳がせどもりながらも唾を飛ばして反論する。
「そ、それは、最高級の素材で、最高の工房で最高の職人で作り上げ、そして我が商会が扱う品のことです!! うちの商会で扱う商品は、良い商品しかない!!」
うわ、マジかこいつ。
俺は俺の中に鎮座するエリスの心がさあっとドン引きしたことを察した。
エリスぴょんゴメンよ、こんな見苦しいものを見せて。
今綺麗にお掃除しますからね。
俺は辛うじて上げていた口角を一文字にし、勢いよくソファーから立ち上がった。
「その汚い口を閉じなさいベトギトラー! お前など商人の風上にもおけんわ! いいですか、よくお聞きなさい。商品の良し悪しは商会が決めるものではありません。それを決めるのは顧客である、このわたくしです! わたくしがいいと思えばそれが最高の品であり、わたくしが求めていたものなのです。それを商会長ごときが「俺が良いと言ったら良い商品」ですって? バカも休み休みに言いなさいこのド三流! 商会長とは商品の良さを理解せず、顧客にも寄り添えず、自分の利益しかものを考えぬ人間が腰を据えていい場所ではありません恥を知りなさい!」
ベトギトラーは怒りのあまり赤から紫へ変色させた顔を梅干しより皺くちゃに歪ませ、獣のように歯を食いしばっていた。
俺は胸に添え、胸を張って勢いよく叫んだ。
効果音ならドギャーンとでも出ていそうだ。
「黙っていればクソガキャぁ……!」
ベトギトラーは立場をもうどこかに置いてきたようだ。
ついに拳を振り上げ迫ってきた。
さすがにまずいと思った見習いたちが、大勢でベトギトラーを羽交い締めにして止めている。
そう、この時を待っていたのだ。
こいつは「公爵夫人」に手を上げたのだ。
「衛兵を呼びなさい」
意外にも冷静な声が出た。
か弱いご令嬢のメンタルが心配だったが、そんなの杞憂だったみたいだ。
そりゃそうだ、こんな可憐なお嬢様だが、中身は42歳のおっさんだ。
こういうイレギュラーな対応はよくあった。
使用人が1人部屋から出ると、数秒後にはどこに待機していたのかゾロゾロと衛兵がなだれ込んできた。
これにはベトギトラーもギョッとし、「ふざけるな! これぐらいで、これぐらいで!」と喚き立て、その場から立ち去ろうとする。
逃げ場なんてないのにな。
「あなたは3つ罪を犯しました。1つ、自分の取り扱う商品の特性を活かせなかったこと。2つ、公爵夫人に粗悪品を買わせようと虚偽の申告をしたこと」
「は、はあ?! なんでそれを、いや、おまえ如きがわかるものじゃない! おまえら貴族連中なんてどうせ値段が張ってハデならなんでも良いんだろう!!」
おっと、これは余罪確定だ。他の家でも同様の手口でボロ儲けしたに違いない。
そもそも粗悪品かどうかなんて、実家が侯爵家のエリスの目にかかれば息を吸うのと同じくらい簡単だ。
例えるなら、蒲焼風味の駄菓子と料亭で出される鰻の蒲焼くらい一目瞭然なのだ。
どちらも顧客のニーズに合わせたもので、どっちに優劣があるなんてものはない。
俺、駄菓子大好きだもんね。
サラリーマン時代はコンビニで買ったハイボールと一緒に駄菓子を摘んだものだ。
余談だが、あれにぱらりと山椒をかけるとキマる。
はあ、こいつは叩けば叩くほど出てきそうだな。
しかも開き直ってボロクソ言ってくるじゃねえか。
こんなやつが二代目に据え置いた先代がわからんよ。
まだまだ喚き足りなそうなベトギトラーにシィッと窘める。
「そして最大の過ち、それは顧客を馬鹿にしたこと。商人として終わりよ、己の罪をしっかり考えなさい」
衛兵に両脇を抱えられ、周囲をぐるっと囲まれると、シンバルを持った猿のおもちゃみたいに喚き立てていたベトギトラーはやっと電池が切れたように静まり返った。
「……」
何やらぶつぶつと文句を言っているらしい。
衛兵たちは気持ち悪そうに自分らが拘束した対象に目を配った。
「最後に一言だけなら聞きましょう」
なんて優しいんだろうエリス。もう俺はこのままバイバイのつもりだったが、エリスに心の奥で「公爵家夫人は民に寄り添わないといけない」と思考の奥でギャンギャン言われまくった。
衛兵と衛兵の間から燃えるような怒りを瞳に燃やすベトギトラーは、ハッキリと言い放った。
「悪女め、おまえはすぐ離縁される」
おいおいおいおい!! 離縁されるされない今全く関係ないだろう!!
もう我慢できずカチンときた俺は思うがままに喚き立ててやろうとしたが、それがこの貴族社会では悪手だということを”先日の一件“で重々理解した。
ふう、と一息つくと、エリスが「そうです」とでも言っているような気がした。
俺は扇子で顔を隠し、声音をできる限り落として眉をひそませた。
「そのピーピー鳴くのをおやめなさい、耳障りです。豚でももっと利口ですわ」
聞くとは言ったけど許すとは一言も言ってないもんね。
俺が言い返すなんて想定外だったのだろう。ベトギトラーは一瞬目を開いて、またすぐ激情に揉まれていた。
「このくそがぁ!!」
また暴れ出そうとしたベトギトラーを衛兵が取り押さえ、今度こそ屋敷から追い出された。
大暴れするおじが書きたかったお話なので、もっと今後も大暴れさせます。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ()
本日の更新はこれまで!
お付き合いいただきありがとうございました。
また次話でお会いしましょう。