おっさん、買い物は慎重に1
以前、もとい日本で暮らしていた頃は娯楽という娯楽が死ぬほどあった。
都心に出れば映画館があるし、映画館に行かなくてもサブスクリプションで多くの作品がスマホで観れる。小説も、漫画もそうだ。テレビをつければ何かしら面白い番組があるし、SNSが普及した時代だったから人との繋がりも手短にあった。
チョチョイとスマホの画面をフリクションすれば、なんでも手に入った。
しかし、異世界は違う。
貴族の娯楽なんてものは噂話に舞台観劇、お茶会、舞踏会、夜会エトセトラ。聞いてわかるように、どれもこれもマウント合戦だ。時はまさにマウント戦国時代。
マウントを制するものが社交を制す。
そんな世界なのだ。
こんなマウントしかない社交界では迂闊な行動は取れない。買い物も一流で名のある商会をわざわざ呼び立てるのがステータスなのだ。
街に出るなんて、もってのほか。
俺はペラペラと語り続ける商会長の話を脳死で聞いていた。右から左へ流しているため、内容はもうサッパリ。
ハッキリ言ってつまらん。
顧客に寄り添わない接客の時点でもう俺の心は閉店ガラガラ。
唾を飛ばしながらひとしきり熱く語ったベトベルトは満足そうに上気した表情で、テーブルに並べた品物の数々をずいっと差し出した。
「奥様、いかがでしょうか? どれもこれも一級品ですぞ」
なるほど、わかった。
この商会一押し商品のPRしてたんだな。
使用人に冷めた紅茶を差し替えさせ、一口含む。
うーん、美味い。いい茶葉なんだろうな、香りが違うわ香りが。こういう家の茶葉はファーストフラッシュなんだろうな。
アールグレイのフレッシュな香りを堪能しつつ、ベトギトラーの用意した商品にようやく目を向ける。
帽子に対して馬鹿でかい羽根が七色1枚1枚縫い付けられた趣味の悪い帽子に、これまたデザイン性皆無な宝石をとりあえず取ってつけたような指輪、グネグネと謎のうねりをしている大きな花瓶。海外から取り寄せた埃を被ったヴィンテージであろう書物や地図、大きな絵画やドレスまでありとあらゆるものをアピールする。
「奥様、こちらなんてどうです。王都で流行りのドレスです!」
「検討しますわ」
暗にいらねえよとお伝えし、まるでファッションショーのようにサクサクと次の品が目の前に出される。
それにしても、ないわー。
この世界がこうなの? センスが終わっちゃってるのかい? おじさんでも、これはないなって思うよ。
平民や家督が低い貴族なら、自らの足で町にある店に行き、商品を選ぶことができる。
しかし、公爵にまでなると、血が高貴すぎるのだ。
基本商人を家に招くことしかない。
そのため、センスが悪い商人にあたるとその日のお買い物は全滅になるのだ。
おっさんでもわかるほど趣味の悪いフリフリのドレスを紹介しつつ、「これを着て舞踏会に出れば注目の的間違いなしでございます」と自信満々なベトギトラー。
そりゃ注目の的にぐらいなるだろう! こんなフリフリでぶくぶくに膨れたデザインも何もないドレスを着て公爵夫人として舞踏会に出たら!
馬鹿にしてるのか!!
怒りでどうにかなりそうな気持ちを穏やかに保とうと、周囲にバレないように息を多く吸って心を落ち着かせる。
「奥さんにとっても、お似合いですよ」
ベトギトラーが含みを持たせて、俺を頭の先から足元まで視線を動かした。
お、やるか? 俺の頭の中でゴングがカーンと鳴った。
間違いない、こいつは俺、エリス・カーネリアンコートを馬鹿にしているのだ。
世間体ばかり気にして、センスのかけらもなく、わがまま放題で世間知らずなお嬢様にはこれがお似合いだ、と。
しかし、その世間が貼ったレッテルを自身の目で確かめようとしなかった、こいつ、商人として終わりだ。
残念だよ、君には期待していたのに(大嘘)。
よし、売られたケンカは買わせて頂こうじゃあないか。
「ベトギトラー、と言いましたか?」
「はい、奥様」
馬鹿な小娘が餌に食いついたと期待し、ニコニコで手を揉みながら猫撫で声を出すベトベト。もう名前すら呼びたくないわ。
俺は手にしていたティーカップをテーブルに置き、シュッと素早く扇子で口と鼻を覆った。
ついでにこれでもかというほど顔を歪ませる。
「なんです、このドブみたいなものは。臭くて臭くてかないません。早くしまいなさい」
「は? え、奥様なにを……」
もう一押しだ。ベトギトラーを強く睨みつけ、有無を言わさない声音で言い切る。
「2度も言わせるのですか、学習能力が皆無ですのね。商人とは思えませんわ、先代が浮かばれませんね」
先代の方がよかったと仄めかすと、わかりやすいくらい顔を真っ赤に染め、表情を怒りで歪ませた。
おお怖い怖い。こんな小娘の挑発に乗っちゃうなんて。
乗っていいのは部下の相談と成功したビジネスモデルだけだよ。ナンチャッテ。
ベトギトラーがブルブル大きく震えたと思えば、次の瞬間勢いよく立ち上がって唾を撒き散らしながら怒鳴り声を上げた。
「黙っていりゃあ小娘の分際で! お前に商品の何がわかる、ええ!? 俺は王都一の商会を束ねる商会長だぞ!! 俺が良いものだと言えば良いものなんだよ、世間知らずのお嬢様は俺が勧めた物を素直に購入なさればいいのさ!!」
バンッと勢い任せでテーブルを叩きつけた衝撃で、商品の一つ、花瓶がガラリと傾きガシャンと大きな音を立てて割れた。
商会長の突然のヒステリーに、商会の見習いたちは顔を真っ青にしその場に貼り付けられたように動けないでいる。
上司の高圧的な態度、ヒステリー、手のひら返し。わかるよ君たち、萎縮して動けなくなってしまうよね。怖くて怖くて仕方がないよね。
大丈夫だよ、おじさんが君たちの恨みを晴らしてあげるからネ。
俺は手に持つセンスを勢いよくパチンと閉じた。