吸血鬼を復活させたが、意外と…
俺と処女の乙女はマイケル・四郎衛門の身の上話に引き込まれてじっと話を聞いていた。
「コーヒーのお代りをもう一杯頂けるかな?
それと腹が減っているんだが、われの話が終わったら後で食事をふるまってもらいたい。」
俺はコクコクと顔を頷かせてコーヒーを淹れた。
お代りのコーヒーを飲んでいるマイケル・四郎衛門に処女の乙女が訪ねた。
「その大富豪ポールさんは何故そんなに傷を負ったんですか?
いったい彼は夜に何をしていたのですか?
マイケル・四郎衛門を助手にって…」
処女の乙女の言葉に俺も同意してコクコクと頷いた。
マイケル・四郎衛門はコーヒーを飲み干して、遥か遠くを見つめる目つきになった。
大富豪ポールはその日の晩に自分の部屋に来るようにマイケル・四郎衛門に命じるとソファから立ち上がり部屋を出て行った。
昼前に大富豪ポールは朝に着ていた血だらけ傷だらけの服が入った袋をマイケル・四郎衛門に渡し、誰にも見られぬように焼却するように命じた。
そして夜、執事としての仕事を終え、他の召使も皆寝てしまうとマイケル・四郎衛門は静かに大富豪ポールの部屋を訪れた。
大富豪ポールは寝室のソファに腰かけて静かに赤ワインを飲んでいた。
テーブルの燭台のろうそくが弱々しく室内を照らしている。
「やぁ、来たな。
私の横に座りなさい。」
ソファの端に腰かけたマイケル・四郎衛門に大富豪ポールは微笑んだ。
「今日の朝方はさぞ驚いたろうな。
お前はあの事を誰にも言わずに居た事は判っている。
まぁ、ワインでも飲め。
これは私が特別の時にだけ飲むワインだ。」
マイケル・四郎衛門は恐縮しながら注がれたワインを飲んだ。
少し酸味が強いワインだったがマイケル・四郎衛門は飲んだ。
その様子を大富豪ポールはじっと見ていた。
「さて、私は前々からお前の事を見込んでいた。
お前は利発さと勤勉さ、そして善良でしかも悪、理不尽なことを憎む正義の心を持っている。」
マイケル・四郎衛門は大富豪ポールの言葉にますます恐縮しながらワインを飲んだ。
その様子を見て大富豪ポールは微笑んだ。
「お前の好きな所はそう言う所だ。
お前は謙虚で少しも威張らず下働きの奴隷にも優しい気配りをする。
昨日の私の姿を見て私が少々厄介な敵と戦っていることは想像がつくだろう、そう、私一人ではそろそろ限界があるほど強い敵なのだ。」
「その敵と何者ですか?」
大富豪ポールはワインを揺らしてしばし沈黙したが、ワイングラスを置いてマイケル・四郎衛門をじっと見た。
「一つは凶悪な心を持った人間だ。
盗み強盗殺人、悪に手を染める人間だ。
私の農園とその近くは平安で静かでいないといけないのでな…」
「それで保安官が度々ご主人の所にお出でになるのですね?」
「その通り、私の農園の近辺で怪しい流れ者や悪人が引き起こす事件の情報を知らせてもらっているのだ。」
「それなら保安官に頼んで自警団を作るとか、わざわざ旦那様が一人で危険な目に遭うような…朝方のような目に遭う必要は無いのではないですか?」
大富豪ポールが微笑んだ。
「そう、相手が人間である限りは保安官たちで対処が可能だが…」
「だが…」
「…相手が人間でない時もあるのだ。
私でないと倒せない、私でさえ倒すのが難しい存在もこの世には存在している…マイケル、悪鬼や悪魔の事は知っているか?」
「ええ、オオカミ人間とか魔女とか吸血鬼とか…でもそれは農民たちの迷信ではないのですか?
仕事終わりに恐ろしい話を楽しんだり子供たちを怖がらせるような…」
「いや、悪鬼の類は実在するのだ。
皆が皆人間に悪さをする者では無いがな…中には人間の守護者のようなものもいるのだ…」
「え…悪鬼が実在する?」
大富豪ポールがマイケル・四郎衛門に体を寄せた。
「私のように人間の悪しき者や悪鬼から善良な人間を守護する者もいるのだ、まぁ、それが私自身を守るためなのだが。」
大富豪ポールは牙を剝き恐ろしい悪鬼の形相に変わるとマイケル・四郎衛門の肩と頭を掴んでのどに牙を立てた。
生き血を吸われて声も上げられずに意識が遠のくマイケル・四郎衛門の耳に大富豪ポールは囁いた。
「マイケル、私の助手に、相棒に、無二の友になってくれ。」
力なく頷いたマイケル・四郎衛門に大富豪ポールは満足げにハンケチで首を拭ってやり身を離した。
どういう訳か判らないがマイケルの喉の傷はすぐに塞がり出血も収まった。
大富豪ポールの顔は常人のそれに戻ってマイケル・四郎衛門にワイングラスを持たせた。
「儀式は終了した。
さあ、マイケル、ワインを飲みなさい。」
言われるがままにマイケルがワインを口に含んだ。
先ほどの酸味が強い感じだったワインはふくよかで芳醇な最上等なワインの味がした。
「どうだ?ワインの味が変わっただろう?」
「は…はい、すごくおいしいワインになっています。」
「そうだろうな、私の血を少しだけ混ぜておいたのだ。
これでお前と私の血液の交換が完了したと言う事だ。
いささか強引で説明不足かも知れないが…これでお前も人々の言う『吸血鬼』となったのだ。」
大富豪ポールの宣告にマイケル・四郎衛門はひどく狼狽をしたが、その後のポールの時間をかけた丁寧な説明にマイケル・四郎衛門は落ち着きを取り戻し、大富豪ポールの助手となることを改めて承諾した。
「では、血を吸われただけでは吸われた人間も吸血鬼になると言う事は…」
俺の問いにマイケル・四郎衛門は手をひらひらと振った。
「無いぞそんな事。
血を多く吸われたら死ぬが、たいていの吸血鬼はコップ1~2杯くらいの血で満足する。
それ以上吸うと胸焼けして苦しくなる。
大抵は血を吸われた人間はぐったりするが数時間程度で回復するよ。
また人間を吸血鬼にするには体液を交換しないといけないのだ。」
「でも、人間の血を吸わないと生きて行けなくなるんじゃないんですか?」
処女の乙女の質問にマイケル・四郎衛門は苦笑いを浮かべた。
「そんな事は無い。
吸血鬼にとって血は、何と言うか、たばこや酒のような嗜好品に近いな。
血を求めて人間を襲いまくるなんてことは気でも狂った吸血鬼くらいだ。」
「でも、吸血鬼になると言う事はかなりショックを受けたのじゃないの?」
処女の乙女が尋ねるとマイケル・四郎衛門はクスリとした。
「でもまぁ、伝承にあるような吸血鬼とポール様は全然違うからな。
伝承だと吸血鬼は昼間は棺の中で眠っているとか十字架やニンニクが苦手とか日の光で燃えてしまうとか人間の食事を摂らないとかそういう事が全然無かった。
日曜の礼拝にだって普通に出ていたんだよ。
それを見ていたから、われは自分がポール様のようになったからと言ってさほどショックは受けなかった…ただ…」
「ただ…ただ何ですか?」
「不老不死となり年をとらなくなった事とひどく大食いになった事、そして…悪鬼の類がわれの体臭か精神の波長かに引き寄せられて集まりやすくなった事だな。
そんなに頻繁ではないがな…奴らは最初から上等な餌だと襲い掛かってくる者もいれば同類と思って近づいてくるが、われとポール様が奴らと違う考えを持っていると気が付くと態度を豹変してきたり…今までポール様が体験した事がわれにも降りかかってきて少し忙しくなった事だ。
またわれとポール様が吸血鬼であることを周りの者に隠すことに神経質になった。
まぁ、普通に生活をしていればさほどばれる危険は無いのだが、一度でもばれてしまうと人間達が大挙して押し寄せ残虐非道な方法でわれとポール様を滅ぼそうとするのは確実だからな。
怪異な事件が起きてわれとポール様が疑われないように近辺に現れる質が悪い悪鬼や人間を可能な限り静かに排除して平穏を保つ必要があるんだ。
結果としてポール様は周りの人間を守護して平安である事が自分の身も守るという考えであったし、われもその考えに賛成だ。」
そしてマイケル・四郎衛門は吸血鬼となった後、大富豪ポールとともに近辺に姿を現す悪鬼、そして質が悪い人間、悪鬼に操られて凶悪になった人間を排除する仕事にとりかかったと言う事だ。
人間の守護をする吸血鬼…今までの吸血鬼の概念が壊されてしまい、混乱しながらも、俺と処女の乙女はマイケル・四郎衛門が語る様々な怪異な戦いの事を時間を忘れるほどに聞き入った。
「凄い人生ですね…ところで何故そんなあなたが棺に封印されてアルゼンチンの修道院に隠されてしまったのですか?」
俺が訪ねるとマイケル・四郎衛門は苦笑いを浮かべた。
「その話まで話すともう少し時間がかかる…われは…お腹が空いてしまった、何か食事をふるまってほしいのだが…」
「今さっと作れるのがペペロンチーノとパンくらいですが…」
「ペペロンチーノ?」
「イタリアのパスタ料理です…ニンニクが入りますけど大丈夫ですか?」
「普通に料理に入っていれば問題ない。
ぜひ頼みたい。」
「はい、しばらく待ってください。」
俺が食事の準備をしている間、処女の乙女は自分の事をマイケル・四郎衛門に話し始めていた。
俺と処女の乙女はもう、マイケル・四郎衛門に対する恐怖はすっかり薄らいでいた。
少なくともいきなり襲われて生き血を吸われると言う事は無いだろう。
処女の乙女はマイケル・四郎衛門にここに来るまでの経緯を話し始めた。
「私の名前は咲田真鈴と言います。
今は大学の3年生で法律の勉強をしています。
これと言った彼氏はいません。
私は魔法とか心霊とか…いわゆるオカルトな事が好きで色々調べたりするんですけど、大人数でワイワイガヤガヤするのが苦手で皆で心霊スポットに行ったりオカルトサークルに入ったりとかが苦手で本やネットで色々調べたりしていました。
高校時代の友人に誘われてマッチングアプリに入ったらあの人(俺を指さした)がオカルトなことに関して色々資料を持っているとアプリで結構レアな資料の写真とかを見せられてついついお家に(ここの床を指さした)来ちゃって。
ハーブティーを飲まされたら、睡眠薬か何かが入っていて寝てしまって気が付いたらこんな格好で(自分の服を指さした)あの部屋のベッドに寝かされていたんです。」
マイケル・四郎衛門が処女の乙女の真鈴の服の袖を遠慮がちに摘まんだ。
「ふぅむ、しかしこれはずいぶん仕立てが良いな、東欧当たりの民族衣装だとは思うが腕の良い縫子が祭礼用に特別に作ったものと見える。
良い品だ、南部の舞踏会に出ても褒められる出来だと思うぞ。」
「でしょう?
これは唯一このうちに来て手に入れた貴重な物だと思うんですよね!
今回のお詫びにあの人(俺を指さした)から頂くことにしました!」
「それは良かったじゃないか!」
真鈴とマイケル・四郎衛門はお互いにあははと笑った。
なんか二人は打ち解けているようだと俺は少しほっとした。
マイケル・四郎衛門が吸血鬼となるまでの話を聞いたからなのだろう。
パスタを茹でている間にニンニクとオリーブオイルを絡めて弱火に火をかけ、ニンニクの匂いがキッチンからダイニング流れたが、マイケル・四郎衛門はまったく気にしていないようだ。
やはりニンニクが嫌いと言うのは迷信のようだ。
いやしかし、吸血鬼と言う存在自身が迷信の塊のような物なのだが、現に目の前に吸血鬼としか言いようのない存在がいる…それを考えると俺の頭の中で様々な考えが堂々巡りをして混乱してきた。
その考えを頭から振り払い、俺はパスタをフライパンにあけてペペロンチーノを作り上げ、セロリキュウリレタスにオリーブの実を混ぜたサラダを作り、テーブルに並べた。
「おお、これは旨そうだ。」
「もう深夜で太りそうだけど私もお腹すいちゃった。」
マイケル・四郎衛門と真鈴は料理にとりかかる、がマイケル・四郎衛門が顔を上げて俺を見た。
「彩斗くん、すまないけど何か頭を覆うものが無いかな?
長年の埃がまだ髪の毛に残っていてね…」
俺は赤と青のバンダナを渡し、マイケル・四郎衛門がそれを頭に巻いた。
「うん、これで大丈夫、あと食事の後でバスを使わせてもらえんかな?
どうもかなり長い事冬眠していたようでな…」
俺はどうぞ、お構いなしで使ってくださいと答え、マイケル・四郎衛門は嬉しそうに笑い、料理にかぶりついた。
やはりアメリカ南部の上流階級に触れていたようでマイケル・四郎衛門はものすごい勢いでパスタとサラダを平らげながらもそのしぐさは上品で気品を感じた。
当時アメリカ上流階級で執事をするくらいだからその辺りの作法など身に着けていたのだろう。
「しかし、昔はその、悪鬼の類は沢山いたのですね。
かなり質の悪い悪党以外に悪鬼も退治していたようで…」
俺が尋ねるとマイケル・四郎衛門はふふんと笑った。
「じゃあ、今は悪鬼はいないと?」
「ええ、科学も進んでいますしテレビやラジオ…新聞マスコミの事なんですが悪鬼が出たなんて事も言われないですし…」
「彩斗君、あの壁にかかっているのはカレンダーだろう?」
「そうです。」
「すると…上に大きく書かれている数字がおそらく西暦だな?」
「はい、その通りです。
今は西暦2022年の5月10日です」
マイケル・四郎衛門はふぅんと声を上げた。
「私があの棺に身を隠して冬眠に入ったのが1862年の頃だ。
いまから160年前だな…人類の科学や社会がどれだけ進歩したか判らないが、悪鬼は決して絶滅なぞしていないと思うぞ。」
「…」
「普通の人間よりも悪鬼には頭が良くてずる賢い者も沢山いるし悪鬼は基本的に進歩的な新しいものが好きだ。
昔、われが生きてきた頃でさえ悪鬼は結構巧妙に身を隠していた。
頭の弱い悪鬼はすぐにその存在を知られて人間に存在を暴かれて退治されたかも知れないが、生き残った悪鬼達はより巧妙にその存在を隠し、己の欲望の為に人殺しや人を堕落させてきていると思うぞ。
悪鬼は人の集中や混乱、まぁ大都市が出来る事や戦乱が大好きだが…今の時代はどうかね?」
「確かに人間はどんどん増えて大都市をいくつも作っていますね、ここは東京と言うところですが狭いところに1000万人以上が住んでいます。
世界のあちこちで何百万人も住んでいる大都市は幾つも存在しています。」
「戦乱にしても今も世界中で起きているし、最近ヨーロッパでは大々的な侵略戦争が起きているわね。」
「ふぅん、やはりな。
大都市になると近所に住む人間や隣を歩く人間の素性などに無関心になる。
悪鬼としては隠れやすいし欲に駆られて悪事を働く操りやすい人間も多い。
また戦乱が起きるとどさくさに紛れて悪鬼どもはやりたい放題だ。
侵略をしたり戦争を仕掛ける権力者の側近には大抵かなり質が悪い悪鬼がいるのだ。
品性下劣で欲が深い人間と波長が合うのだろうな。
そう言う輩は大抵顔に出ているぞ。
いずれその権力者も悪鬼と同化して手が付けられない災厄を引き起こす。
われの生きている頃より悪鬼どもは増えているしより巧妙で手強いものになっているかもな。」
「今の日本でもですか?
それはちょっと考え辛いですけど…」
「そうかな?この国では行方が知れなくなる人間がどのくらいいる?」
「それはちょっと判りませんけど…」
俺がそう答えると真鈴がサラダをフォークで取りながら答えた。
「年間8万人が失踪…行方不明になっています、届け出があるだけで。」
「真鈴さん詳しいね。」
「大学で法科ですから。」
マイケル・四郎衛門が頷いた。
「ほらな、判っているだけで8万人、実際は行方知れずになっている人間はもっともっと多いだろう。
そのうち5パーセントが、実際に届け出がされた行方知れずの少なく見積もって5パーセント、4000人が悪鬼に食われたとしても相当な数字だと思うがな。
その他不可解な自殺事故犯人が不明な殺人など加えたら…」
「…」
「…」
マイケル・四郎衛門の言葉に俺と真鈴はショックを受けて黙り込んだ。
会話が途切れ、黙々と俺たちは食事をした。
実際に存在する悪鬼の一人からこんな事を、具体的な数字を挙げて筋の通った説明をされたら…
「ふぅ、ごちそうさまだった。
バスを使わせてもらって良いかな?」
マイケル・四郎衛門そう言い俺たちの顔を見つめた。
「色々聞きたい話があるだろうが、まずはさっぱりさせてくれ。
160年分の垢を落とさねば。」
時計は午前1時を回っていたが俺達の目はますます冴えてしまった。
続く