死の天使
俺はビルの屋上の、その縁の上に立って、下の道路を見下ろしていた。ここからあと一歩を踏み出せば、あとは重力に従って落下していき……そして人生が終わる。
恐ろしいことではあるけれど、しかし何かを得ようと思うなら、それでも思い切って一歩を踏み出さねばならないのだ。あと一歩……あと一歩……
そう思いながらも、なお心の内でためらいを感じていると、突然前から声がした。
「おい、お前」
「え?」
目を上げて前を見ると、空中に人が立っていた。ビルの縁からあと三歩踏み出したくらいの距離の空中に、アラブの民族衣装のガラビーヤを着た若い男が立っていた。俺は言った。
「何だ、お前は……?」
彼は言った。
「私はアズラーイールだ。お前は今死のうとしているのだろう?」
「そうだが……」
「自殺するのはおすすめできない行為だ。だが、そんなお前に朗報がある。このビルの一階に衣料品店が入っているのはお前も知っているだろう。
あと七分後に、黒い服を着て髭をはやした、白い帽子の男がその店に自爆攻撃をしにやって来ることになっている。
そこで、もしお前が、その男が店に入るのを阻止するなら……そこでお前は自爆攻撃で死ぬことになり、来世での善行の報酬を期待しつつ死ぬことができるだろう。お前にとっては願ってもない話ではないか?」
「そうだな……」
「まぁ、どうするかはお前次第だがな」
そう言うと、彼の姿は見えなくなった。
俺は踵を返して、もと来た道を戻り、階段を降り始めた。本当にあと七分なら、急がないといけない……
確かに、ただ自殺するよりは、そうやって死ぬほうが来世で幸福になれるのだろう。だが多分、その自爆攻撃をしに来る男のほうも、その行為で来世で幸福になれると思っているのだろうな。
そしてもし、本当に両者ともそれで幸福になれるのだとしたら……それはそれで相互に利益のある、win-winの関係なのかも知れないな。
そんなことを考えて、俺は階段を降りながら、口の端をつり上げて笑っていた。
※自殺を奨めるものではありません。生きよう。