モンティア・ブローブ
エマリルは今日も密かに城下街まで足を運んでいた。
相変わらず変装用のローブが暑くてしょうがなかったが、お忍びで散策するのはスリルがあって好きだった。
「さて、今日は裏路地に行くんだった。何か掘り出し物があるといいけど。」
マテリアル随一の商店街を南西に抜け人通りが少なくなってきた路地のさらに奥、薄暗い細道に入ると急に湿気が増し独特の腐敗臭が鼻を刺激した。
「人除け用の嫌悪魔法か〜。随分と雰囲気だしてますね。」
嫌悪魔法は、これ以上進むと危険だよ、殺されても文句は言えないよという合図である。
一昔前まではこうやって一般世界と魔法世界は意図的に住み分けをしていた。
「まあ未熟な魔法は暴走して身を滅ぼすから素人はみだりに手を出すなという合図なんだけどね。」
エマリルはコツコツと響く足音を楽しみながら奥に進んだ。
路地の交差点に差しかかると、怪しげな老婆が通行人を遮るように椅子に座りキセルをふかしていた。
エマリルはその老婆の近くまで寄ると頭を下げ挨拶をした。
「こんにちはお婆ちゃん。この辺にブローブっていう魔道具のお店があると聞いたのだけれども、ご存知ですか?」
エマリルのローブには魔法がかけられていて、絶妙なところで顔の判別が出来なくなっている。
「ふん。また若い女の客かい。モンティアの仕入れたシールってのはそんなに人気があるのかい?」
「シール?シールってあのギュンター卿が開発した使い捨て呪符のことですか?」
「おや、孫の知り合いじゃないのかい?あたしゃてっきりあの学園の生徒かと思ったよ。今は孫が店番をしているんだけどまだまだ半人前でね。こうして変な客が来ないか見張っているのさ。」
「そうなんですね。・・・なるほど、確かに私、怪しいですね。」
エマリルは自分の恰好を見ながらクスクスと笑った。
「まあ知りたいのは中身さね。この世界じゃ視覚的にせよ世間的にせよ顔が見せられないっていうのはよくある話さ。詮索はしないよ。」
そう言うと老婆は氷の上を滑るように椅子ごと道の端に移動した。
「別に大した理由で顔を隠しているわけじゃないんですけどね。ありがとうお婆ちゃん。」
ローブの裾を持ち丁寧にお辞儀をすると、老婆の脇を抜けさらに奥へと歩き出す。
道は二人通るには狭い幅で、緩やかにカーブしていた。
しばらく歩き見つけたブローブという看板のお店はこじんまりとはしていたが品揃えは豊富で、所狭しと並んだ店先の商品は路上の石畳まで進出していた。
ぱっと見実用性重視の魔道具が多い中で、ショーウィンドにあるネックレスだけがオシャレを意識した装飾品で異彩を放っていた。
「魔石に属性を付与することで好きな模様を作ることができるネックレスか~。これはなかなかオシャレかも。」
エマリルはうんうんと頷き入り口の戸に手をかけようとした。
そのとき、
「その話はまた今度で!」
中から学生服を着た少女が慌てた様子で飛び出してきた。
「おっとっと。」
「ごめんなさい〜!」
学生は軽く頭を下げると落ちそうな三角頭巾を支えながら走っていった。
「まったく。あの子は。」
さらに中から出てきたのは同じ制服の上にエプロンをかけた少女。
腰に手を当て走り去る少女を見た後、肩を一度竦ませエマリルに声をかけてきた。
「お客さんごめんね。怪我は無かった?」
「大丈夫です。ご学友ですか?」
「そう。ってその声、女の子だね?待ってました!ささ、中に入って。お茶位なら出すよ。」
「ありがとう、お邪魔するね。」
ごちゃごちゃしたお店の外と比べると中はすっきりしていて、狭いながらも椅子とテーブルも置いてあった。
空調と照明には流行りの魔道具が使われており、お茶を沸かす魔道ポットからはハーブのいい香りが漂っていた。
「どう?中は結構いい感じでしょ?婆ちゃん説得するの苦労したけど、最近はこれくらいやらないと繁盛しないんだ。本当は薄暗い路地裏っていうのも嫌なんだけど、さすがに大通りに店を構えるとか金銭的にむりだからね。まずは内装からってわけ。はいお茶ね。」
「ありがとう。素敵なお店だね。」
そう言いながらお茶をすするエマリルの所作が想像以上に綺麗だったため少し気になる店員だったが、お構いなしに話を続けた。
「私はモンティア。モンティア・ブローブよ。もしかしてあなた恋のおまじないをご所望かしら?ローブで顔を隠して来るなんていじらしい!でも安心して、お客さんの個人情報は誓って漏らさないわ。で、どうなの?恋に悩める乙女なの?」
モンティアはぐいぐいと迫ってくる。
エマリルもなんだか面白いものを見つけたと目を輝かせ始めた。
「その話、もっと詳しく聞かせて。」
「やっぱりそうなのね。もしかしてシールの噂を聞きつけてきたのかしら?我ながら情報の流布は完璧ね。あなたエネミーアラートシールってご存知かしら?」
モンティアは呪文の書かれたシールの束を机の上に出した。
「20年前ルーシーダ共和国のキグリュス・ギュンター卿が発明した対夜襲用の使い捨ての呪符ですね。発売初期こそ有用でしたが、僅かに魔力反応が出てしまうことから対策を取られると逆に危ないと言われています。現在はあまり使われていないはずですが。」
「・・・なんかやたら詳しいわね。それで安くなってしまったシールを大量に買って新しい使い道に利用しているってわけ。」
「新しい使い道?」
「そう。エネミーアラートは憎悪や殺意といった感情を色で表す魔法でしょ?そして実は好意や愛情も見ることができると言われているわ。」
「え?」
「そこで好きな相手にシールを貼り付け、肝試しに連れていく。脅かし役によって危険を感じた相手は無意識にシールを発動させ近くの人間の色を見てしまう。その瞬間あなたが相手のことを強く思えば、あなたは相手からピンク色に見え自分の好意が相手に伝わるって寸法よ。どう?興味ある?」
「いやぁ、あはは・・・」
エマリルは頬を指でかいた。
エネミーアラートの本質を知っている彼女としては突っ込みたくなる話だった。
闇と血の複合魔法であるエネミーアラートは、基本的に殺意のオーラと相手の鼓動を視覚で感知するものである。
人は殺意を抱いていると闇の精霊が纏わりつく。それに加え血の魔法で人の鼓動を察知し緊張の度合いや行動を起こすタイミングなどを事前に見ることができるのだ。
ピンク色というのは血魔法上、単に鼓動が激しい状態であって好意があるかないかという見分けにはならない。
うーん・・・
まあいいか!
効果を勘違いしていたとしても本人たちが楽しんでいるのであれば敢えて口にすることもない。
シールは通常の詠唱魔法と違い失敗による暴走もないし。
それにギュンター卿とお会いした時、シールの赤字で首が回らないと皿洗いをしながら嘆いていたのを思い出した。白髪が増えてないといいけど。
「面白そうな話だけど、私は遠慮しておくわ。」
「あらそう。残念。」
「それよりもショーウインドにあるネックレスが見たいのだけれども、出してもらってもいいかな?」
「ええっ!?あれ婆ちゃんが仕入れた全然売れないやつだけど、いいの?おまけに結構値がするよあれ。」
「だって面白いじゃない。注魔の濁りをあえて模様にしようだなんて斬新だわ。」
「確かに発想は面白いけど実用性がねー。この辺の魔法使いが使ったって風属性の緑のグラデーションくらいしか作れないでしょ?お金払って他の属性持ちの魔法使いに注魔してもらっても小型の魔石だから1週間くらいしかもたないだろうし、コスパが悪すぎるわ。」
素直すぎるのか店員としてはアウトな発言をぶつくさ言いながらも、ネックレスを取り出しエマリルの前に差し出す。
ネックレスはまだ注魔されておらず透明な魔石が胸元で広がるように無数に連なっている。
「注魔してもいい?」
「いいわよ。前はこれが売れるように友達に注魔してもらったってんだけど、実際やるとグラデーションすら上手く出来ないし売れる気が全くしないわ。むしろあなたが注魔した中身を純粋な魔力として有効活用させてもらうわ。」
「ふふふ、何色にしようかな?」
そのエマリルの発言にモンティアは首を傾げた。
個人が使える魔法の属性は通常1つか2つ。賢者級になれば3つ使える者もいるがそれも稀な話、何色にしようかななど属性選びに迷うほど選択肢はないのが普通である。
エマリルはふむと意を決すると魔石一つ一つに指で触れ、まるでピアノを奏でるように色を付けていく。
やがてネックレスは虹色の輝きを放ちエマリルの胸元へと収まっていく。
「えへへ、どうかな?似合う?」
「え?ええ?なになにどうなってるのこれ?何色あるのよ!というか何で六大属性に無い色まで付いているの?わけわかんない!」
モンティアは頭を抱え右往左往した後、思い出したかように扉を開け店の外に飛び出した。
「婆ちゃん、婆ちゃん!こっち来て、今すぐ!」
「なんじゃい騒々しい!お前さんはどうしてそう落ち着きがないんじゃ!」
「いいから早く来て!」
「いたた、腰が。これ引っ張るでない。」
モンティアに文字通り引っ張られ店まで連れてこられた老婆は、エマリルの胸元の虹色の輝きに目を見開く。
「こ、これは・・・!」
それを見るや否や、老婆はその場に跪き深々と頭を下げた。
「ば、婆ちゃん何してるの・・・?」
「モンティア、お前も頭を下げるじゃ!」
ものすごい力で地面に押し付けられたモンティアは、ゴツンとすごい音を立てて頭をぶつけた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「知らぬこととはいえ、数々の無礼お許しください。姫様。」
深々と首を垂れる祖母を見たモンティアは、ある意味虹色のネックレスよりも珍しいものを見た気分だった。
「魔石を虹色に輝かせることができるのは、すべての属性魔法を使用できる我らが姫様、エマリル様しかおられませぬ。」
大英雄エマリル。二度も世界を救ったこの世で最も偉大で尊いお姫様。それはモンティアも十分知っていることであった。
エマリル・イリュース・ヴァリアルロウ・マテリアルという名前は、もうすでに学校の教科書にも登場している。言わば生ける伝説。
通っている学園の校舎にも銅像が建てられており、ほとんどの生徒が毎日手を合わせてお祈りを捧げている。それはもはや神と等しい扱いであった。
「あはは、ネックレスに夢中で属性のことをすっかり忘れていたよ。」
エマリルがパチンと指を鳴らすと羽織っていたローブは消え、ドレス姿のお姫様が現れる。
透き通るような銀髪が舞い宝石のような碧眼が優しく光る。
エマリルは見つかった時のために中は王族として恥ずかしくない服装をしていた。ローブが暑かったのはそういった理由もある。
「やはり似合うておられる。そのネックレスを初めて見たときより、着こなせるのは姫様以外におられぬと確信しておりました。」
「うふふ、ありがとう。というと、お婆ちゃん私に何か用事があったの?」
売れないネックレスにショーウインドの目立つ配置。そして注魔できる人間の存在。
それらを考え、これは自分を呼び込むための仕掛けだったのではないかとエマリルは思った。
「はい。2年前の大戦のとき、大けがを負った息子の命を姫様はお救い下さいました。そのお礼を直接言いたく、無礼だとは思いましたがネックレスを出汁にお待ちしておりました。お忍びで街を散策しておられるのは知っておりましたゆえ。」
エマリルは顎に人差し指を当てる。
「確か姓はブローブでしたよね。もしかして息子さんはマドル・ブローブさんですか?」
「左様にございますが姫様。なぜ一志願兵に過ぎない息子の名前を・・・」
「志願兵リストは全部目を通しましたので。」
「なるほど、姫様にとってそれが当たり前のことなのでございますね。」
2人のやり取りをモンティアはぶった頭を摩りながら唖然と見ていた。目の前にいる綺麗なお姫様もそうだが、普段から考えると奇行としか思えない祖母の行動も、まるで現実味がなかった。
ただ一つはっきりしてることは、学校にある姫様の銅像は似てないなということだった。
「姫様、息子を助けていただきありがとうございます。おかげでこうして孫もグレずに元気にしております。せめてもの感謝の印に、そのネックレスを献上させていただきます。」
「うーん。その様子だと買うといっても聞き入れてくれないのでしょうね。」
「そりゃもう。あたしゃ頑固ババアですから。」
老婆は顔を上げると、しわくしゃな笑顔をエマリルに向ける。
「分かりました。それでは有り難く頂戴致します。そのかわりと言ってはなんですが、一つ頼み事をしても宜しいでしょうか?」
「はい、何なりと。」
「お二人とも、中央で商売をしたくはありませんか?」
エマリルは満面の笑みを浮かべた。