壱
鷗通り3丁目の映画館のすぐ近く、一際目を惹くカフェーの隣にある華やかなカフェーとは対照的に古ぼけた2階建てのモダンな建物がある。
閑古堂と呼ばれる写真館だ。
写真館の本当の名前は『うぐいす堂』だが、客は滅多におらず常に閑古鳥が鳴いている様子からそう呼ばれている。
1階は写真館になっており、2階は居住空間のようでよく洗濯物を干してあるのが見える。
隣のカフェーを真似たように窓際には喫茶スペースのようなテーブルと向かい合ったソファーがあり、その後ろには定時に閑古鳥が鳴く大きな古時計がある。
この店の主人は祖父から譲り受けたカメラを握りしめ、両親の夢だった写真館を開いた。
だが、人影はなく経営は厳しそうだ。
昼飯時を過ぎた頃このうぐいす堂の主人・入間 泉太朗が帰宅する。
写真館の稼ぎでは食べて行けず定食屋や料亭で日雇いで働いているようだ。写真館の稼ぎより日雇いの賃金の方がいいためそちらが本業なのではないかとも言われている。
見てくれは痩せ型でややくせのある髪と古びた服。清潔感はあまりない。
とある昼下がりのこと。
日中はほぼ開けっ放しのうぐいす堂にいつもの声が響く。
無邪気にも取れる良く通る大きな声だ。
泉太朗が1階へ下りると昼時によく来る男がいる。
藤園と言う男だ。
「いりませんさーん」
声の主は深く考えたようすのない声をしている。
「は?」
「あれ?お客はいりません、と言う名前だと伺いましたけど」
明らかにぶすっとした顔の泉太朗をよそに、藤園はケロッとした顔で微笑む。
この藤園と言う男。職業が何かはわからないが、背も高く洋装もよく似合う女性に非常にちやほやされる爽やかな男前である。
入間はそこが気に食わない。
「おい、俺の名前はーー」
「そんなことより太朗さん」
すかさず藤園は泉太朗の言葉を遮り本題を切り出す。
「太朗さん暇ですよね?今度舞台女優の三崎美咲の主催するパーティがあるんですけど、記者ってことにして行きませんか?」
「暇扱いするなよ。そもそもお前だって招待されてないだろ?」
勝手に来客用の椅子に腰掛ける藤園をよそに、泉太朗は呆れた顔で湯を沸かす。
藤園は不敵な笑みのまま話す。
「俺は正式に招待されてますよ。でもほら、変わった人がいたほうが面白いじゃないですか」
「……」
何処までも失礼な奴だと思いながら泉太朗は無言で藤園を睨む。
「まぁまぁ、娘さんが可愛いんで会うの楽しみにしてて下さいよ!色が白くてサラサラの黒髪でぱっちりした瞳で」
「ふぅん」
「初めて会ったのは7歳だから…」
顎に手を当てて珍しく考える顔をする藤園に、泉太朗はちょっと期待した自分を恥ずかしく思う。
「そんな小さいやつに興味ねえから!」
「今は17歳ですね。まぁ、美味い料理もたくさん用意されているでしょうし、楽しみにしてて下さい。では、3日後に!」
嵐のように去って行った藤園の後ろ姿を見送る。
当日になると文句を言いつつ、泉太朗は藤園の車に大人しく乗る。
タキシードを纏った藤園はまるで何処かの俳優のようだ。
泉太朗は記者としての参加なのでハンチングを被りベストを着用しそれらしいステレオタイプにも思える格好をしている。
泉太朗は車を持っていないため、三崎邸へ行く手段がない。
何をするかもわからずぶつくさ言いつつもしっかりご馳走になるつもりでいる。
ふと後部座席に無造作に置かれた新聞が目に入り、泉太朗は新聞を手に取る。
「これ、今日の朝刊だろ?」
「はい」
「お前、新聞なんか読むのか」
「そりゃあ読みますよ。注目すべき話題ら一般常識を頭に入れておけば会話の幅が広がりますしスムーズになりますからね」
「ふーん。またこの事件か」
「またって?」
新聞に目を通す泉太朗はこの事件について軽く説明をする。
「眼球がえぐられた死体の話だよ。もう3件目だろ。怖ぇよな」
「そうですね」
藤園の横顔から笑みが薄れる。
「?」
泉太朗は少し疑問に思ったが、すぐに四方山話を聞かされ藤園の横顔のことは記憶の彼方に消える。
「もうすぐですよ」
鴎通りを離れて暫く走った頃、豪邸が見えて来た。
会場である三崎邸に着くと名だたる企業の重役や有名人など誰しも一度は見たことがあるであろう顔ぶれが並ぶ。
三崎美咲は主役に相応しく、誰よりも美しく誰よりも傲慢さを秘めている。
またそこが彼女の魅力でもあるのだろう。
パーティ会場へ通され、名札の置かれた席へと近付く。
泉太朗はさっさと席に着き、つまらなそうに頬杖を付き暇を潰す。
「さーて、波津子ちゃんいるかなー」
藤園は爽やかな顔面を崩すことなく、品良く会場を見渡す。
「波津子は私よ」
振り返った少女は綺麗とは程遠く思う。
15,6歳ほどだろうか。
なんとも言えぬ雰囲気を醸し出している。
泉太朗は彼女に馬子にも衣装と言う言葉を贈りたいと思った。
「ひ、久しぶり」
藤園と波津子は一言二言言葉を交わし、すぐ藤園はこちらへ戻って来た。
席に着くやいなやさっきまでの取ってつけたような爽やかな笑顔は消え去り、苦虫を噛み潰したような顔になっている。
その背を見ていた波津子が前を向き直した直後。
「おい」
泉太朗は藤園の足を踏み付けひそひそと小声で話す。
「いてっ」
「不細工じゃないか!!」
「駄目ですよ、女の子にそんなこと言ったら。女の子はみんなお姫様なんですから」
「お前だって変な顔してたぞ。それは失礼に当たらないのか?」
「それは…」
ふと、会場の隅にいる一人の執事に目が行った。
この絢爛豪華な会場や着飾った来賓、質素そうな衣装だが清潔感のある使用人たちとは違う、この会場に似つかわしくない執事。
痩せ型で髪は目を隠すほど伸び、清潔感のあまり感じられない暗さがあり、どこか不安要素に感じる。
褒めるべき点と言えば背格好が良いことくらいか。
「泉太朗さん、どうかしました?」
「いや」
泉太朗がぼんやりしていると、背後から声がした。
「あら。藤園」
煌びやかなドレスを纏った三崎美咲が近くに来ていた。
藤園はすぐに席を立ち、笑顔になって握手を求める。
「どうも!お久しぶりです。こんな素敵な場に呼んでいただきありがとうございます」
「そう。そこの貧相な人は?」
「ヒンッ…」
「同僚です」
泉太朗は会釈をしたが、三崎はさも興味無さそうに「ふぅん」と言った。
「ところで貴方まだそんなことやってるの」
「えぇ、生き甲斐ですので」
三崎の顔は少し厳しい顔をしている。
泉太朗はいつも通りの口調で話す藤園の背中を頬杖をついて見ている。
「なんの話だよ」
「ただの世間話ですよ」
「はー…。キッツいな」
「優しい人なんですけどね」
さして興味もない祝辞や手品や演奏などの催し物など全く気にせず黙々と食べ続ける。
提供される料理のなんと美味なことか。
和洋折衷のご馳走が次々と運ばれて来る。
泉太朗はそれ以外はよく覚えていない。