影王子
白い靄が立ち込めて視界の悪い鬱蒼とした林の中を真っ黒な服を着た華奢な体格の男が一人、後ろを気にしながら走り抜けていく。男が通過してしばらくすると、完全装備の騎士達が5~6人の集団で追いかけていった。
黒い服を着た華奢な体格の男の名は、白銀武文という。日本生まれの日本育ち、生粋の日本人だが、母親がイギリス人ということで金色の髪と蒼い目をしていた。武文はこの容姿のせいで小さい頃から散々にイジメられてきていたが、持ち前の負けん気の強さを発揮して同級生達のイジメを乗り越え、日本でついさきほどまで穏やかな学生生活を送っていたのだ。
さきほどまでというのは、昼食を友達と食べ終えて校内の林の中で五時限目に備えて昼寝をしていた時までのことで、昼寝をしていたはずの武文が次に目覚めた時には、靄の立ち込める林の中で中世の騎士の恰好をした男に誰何されていた。しかも、騎士の男は武文の顔を見るなり、腰の剣を抜いて喚き散らし始め、驚いた武文が逃げ出したことで騎士の男達との追いかけっこが始まっていた。
「だからっ! 僕はエルウィン・エル・クラインなんて名前じゃないよ! 白銀武文という両親からもらった大事な名前があるんだ。絶対にオジサン達の見間違いだってっ!」
「はぁ、はぁ、ならば、なぜ逃げるのだ! 今一度、風体をあらためさせろ。はぁ、はぁ、そうすれば、貴様がエルィン王子でないかすぐにハッキリとする」
逃げる武文を追いかけている騎士達も三〇キロ近い鎧を着込んだ完全装備をしているため、激しく疲労をしているようで、追いかける足取りはかなり重たそうに見えた。その点、武文は学生服で若干動きにくいものの、騎士達に比べればかなり動きやすい恰好をしている。そのため騎士達と次第に距離が開いてきていた。
(マジでしつこいぜ。校内の林の中で寝ていたはずなのに、起きたら訳の分からん騎士のおっさん共に追いかけ回されるなんて、僕は悪夢でも見てうなされているんだろうか? それにしても、この霧では自分が学校の敷地内にいるのか、別のどこにいるのか皆目見当がつかないな)
武文が騎士達の追跡を振り切ろうと懸命に走っていると、上手にある林から声が聴こえてきていた。
「エルウィン兄様! 今お助けいたします! ヘイガン、兄様を助けなさい!」
声の主は武文と同じ金髪で蒼い目をしている中学生くらいの背をした小柄な少女であった。金色の髪を後ろで束ね、乗馬服を身に纏っている。少女は隣にいた長身で黒髪の眼光鋭い剣士風の男に何やら指示を出すと、黒髪の男が疾風のように坂を駆け下り、武文の背後に迫っていた騎士達に向かい剣を抜いていた。
「悪いが、お前等にはエルウィン王子を渡すわけにはいかぬ。それにこれ以上、追跡されるのも困るのでここで消えてもらうことにするぞ」
「ひぃい、その剣は……お、お前は黒旋風か!」
武文を追っていた騎士の男達が、黒髪の剣士の抜いた真っ黒な刀身の剣を見ると、怯えた表情を浮かべて足を止めていた。
「黒旋風……そういえば、そのような異名をつけられていたような気がするが……俺は一介の剣士に過ぎんよ」
黒髪の剣士がニヤリと笑うと、一足飛びに騎士達との間合いを詰めて、一番前にいた騎士の首を一刀で斬り飛ばしていた。首を失った騎士の身体は切り口から血を吹き上げていたが、しばらくは倒れずに立ったままであった。
「ひぃいいっ! やっぱり、黒旋風だ! あの千人斬りの黒旋風ヘイガンに違いねぇ。えぇ……ぞ!?」
黒旋風と呼ばれた男に怯えて逃げようとした騎士の身体が鎧ごと両断されて、上半身と下半身が別の方向に倒れ込んでいった。
「騎士の癖に逃げるのか。所詮、騎士と言ってもゴルディアスの犬どもか。不甲斐ない奴等め」
黒旋風と呼ばれたヘイガンが怯えて逃げる騎士達を次々に斬り伏せていく。騎士達は黒髪の剣士が振るう黒い刀身の剣が背を見せて逃げていく、騎士達の鎧を紙の如く切り裂き血しぶきが次々と噴き上がる。
その姿を茫然と見ていた武文が現実に引き戻され、死体となった騎士の臓物をまき散らした死に姿を見て嘔吐していた。
(マジかよ! 絶対死んでるよな。ウップ。ダメだ。そんな恨めしそうな目で僕を見るなよ。僕は手を下していないぞ。全部、あの男がやったことだからな。だから、そんな目で僕を見ないでくれ)
「これで、全部片付いたな。エルウィン王子……救出が遅れたことは、いかような罰もお受けいたしますので、まずは安全なローエンス卿の領地まで落ち延びるのを優先致しましょう。必ず再起できる時はやってまいります」
ヘイガンは騎士を斬り殺した剣の血振りをすると、武文に対して膝を突いて拝礼を取り、この場を早く逃げ出そうと提案していた。だが、拝礼を受けている当の本人である武文は未だに死体を見ては嘔吐を続けていた。その様子を心配した小柄な少女が坂を駆け下りてくる。
「エルウィン兄様! 大丈夫ですか。どこか病気でもされておられるのですか……熱はないように思いますが……」
武文は金髪の少女が、自分の額に手を当てて心配そうな顔をしているのを見てドギマギとしていた。少女は幼い顔つきであるものの、死に別れたイギリス人の母親に似た雰囲気を微かに含んでいるように武文には思えていた。
(そういえば、母さんの顔ってこんな感じの優しい雰囲気を持っていたよな……)
「本当に大丈夫ですか? エルィン兄様? お気を確かにお持ちください。さきほども申した通り、今やこの地はゴルディアスの手の者で溢れ帰っております。一刻も早く我が父の領地であるローエンス領まで落ち延びるのが先決でございます」
自分をエルウィンだと勘違いして真剣に話しかけている少女に対して、武文は未だにヘイガンによって斬り伏せられた凄惨な死体を見たショックを引きずり嘔吐を続けていた。その様子を見守っていたヘイガンの顔に武文を怪しむ表情が浮かび始める。
「アリエス嬢……この者、エルウィン王子ではなのではありませんか……王子がたかが死体程度を見たくらいで吐くなど……あの王子からは想像できぬ」
「ですが、この顔はエルウィン兄様です。十年以上、側にいた私が見間違うわけが……」
アリエスと呼ばれた少女が武文を怪しんだヘイガンを窘めていた。胃の中の物を出し切った武文が口元を拭ってアリエス達に答えた。
「僕はエルウィン王子じゃないです。こんななりをしてますけど、白銀武文という日本人ですよ。学校の敷地で昼寝して起きたら、さっきの男達に急に追いかけられて逃げていたんだ。一体、僕が何をしたと言うんだよ。もう、わけが分からないよ」
「まさか、本当に兄様じゃ。嘘、この顔は兄様としか……」
アリエスは武文の顔に両手を当てて、顔を近づけるとマジマジと武文の顔の観察を始めた。
(うわっ、近い。こんな綺麗な子に顔を近づけられるとドキマギしちゃう。それにしてもアリエスちゃんは綺麗な眼をしてるなぁ)
武文が間近に迫ったアリエスの碧眼の美しさに吸い込まれてそうになっていると、それを見ていたヘイガンが咳払いをした。その咳で我に返った武文が慌ててアリエスから身体を離していた。
「とりあえず。エルウィン王子であろうが、なかろうが、この場に残れば、貴殿の命は保証できぬ。ゴルディアスの連中がエルウィン王子の命を狙って走り回っておるからな。我等と共にアリエス嬢の父上の領地であるローエンス領まで落ち延びた方が貴殿のためだ」
武文は何か知らぬ間に不思議な世界に放り込まれて、自分が騎士達に追われる理由が分からずに頭が混乱していた。話を整理しようと一応の味方らしいヘイガンに次々と質問をしていく。
「そのエルウィン王子って何者なんです? 僕に顔がそっくりだと言われるが、なぜ追われるのです。その方は悪人なのですか? それにここはどこです?」
武文の言葉にヘイガンとアリエスが困惑した顔を浮かべていた。二人とも武文の言葉を聞いて、目の前の人物が探しているエルウィン王子ではないと確信をもったようだった。
「……貴方は本当に、白銀武文様なのですね……。お兄様そっくりなので。ああぁ、そうでした。ご質問の件に答えねばなりませんね。エルウィン王子はクライン神聖王国の現国王ロレンス陛下の第三王子でエルウィン・エル・クライン様です。ですが、今は元王子となりました」
「元王子?」
「その話は私から致しましょう。エルウィン王子はゴルディアス第一王子からの讒言で、陛下への謀反の疑いをかけられ王城を逃れられました。そして、アリエス嬢の父上であるユースフ・ローエンス卿の元へ身を寄せる途上で、追手を撒くために我らと別れた次第です。そこに貴殿が騎士達に追われて出てきたので、王子と間違えたのだ」
「騎士達も僕のことをエルウィン王子と言っていましたからね。ああ、なるほどこれで話が繋がった。僕はその謀反人になった王子にそっくりなんで、騎士達が目の色を変えて追いかけていたんですね。なるほど……」
「お兄様は謀反人なんかじゃないです。ロレンス陛下の容体が怪しくなってきて、王位をお兄様に譲られては困るゴルディアスが悪辣な手を使って、お兄様を陥れたのです」
「ご、ごめん。別に悪気はなかったんだ」
「私が言うのもおこがましいが、王子は若くして王族としての責務を果たし立派な人格者で、よく村々を巡視して国民と交わり、気さくな人柄に国民は慕っており人気は高い御方だ」
武文はヘイガンとアリエスが語るエルウィンという人物に対して、ドンドンと興味が湧いてきていた。