珈琲女神と紅茶男~喫茶M&M活動記録~
深い茶色で統一した内装。窓の無い、オレンジ色のシャンデリアが照らす店内。
マホガニー製のカウンターに席が六つと、その奥に四人掛けのテーブル席が二つ。
カウンターの隅には、時代遅れの公衆電話と陶製の猫の置物。
壁一面を埋め尽くす巨大な戸棚。
規則正しく立方体のスペースが縦に七と、横に十五。
その一つ一つには、一抱えほどのサイズの缶がぴったりと収まっている。
"昔ながら"という言葉が似合う喫茶店――紅茶専門店M&M。
多嘉男は軽く背伸びして、上から二段目、右から二つ目の戸棚から缶を取り出すと、その蓋を開いて匂いを嗅いだ。柑橘系のフルーティなフレーバー。さらさらと中身の茶葉をゆすれば、その香りは一層引き立っていて心地いい。
「……まだ美味しく飲めるな」
「へいマスター! 今日の紅茶はー?」
「マスターじゃねえっての。舐めんな弘毅」
多嘉男が一人茶葉の具合に頷いていると、カウンター越しに声がかかる。席に座るのは、真新しいブレザーに身を包んだ、多嘉男の中学時代の後輩だった。
「いいじゃないっすか、この時間はずっと一人で店番してるんですし」
「それも秘密だ。というかお前らが居座るから親父が怖くて逃げだすんだろうが」
「そりゃないっすよー」
刈り上げた金髪は明らかに校則違反のはずだし、ブレザーも高校入学初日から着崩している辺り始末におえない。けれどそれでいて、舌の肥え方はそこそこ以上という奇妙な存在がこの一個下の後輩だった。
「っつーか茶葉男先輩のケーキと紅茶の方が親父さんのそれよりも美味いんすけど」
「ケーキには手つけてねえよ。あと茶葉男言うな」
相変わらず舐めた態度の後輩に嘆息しつつ、多嘉男は薬缶で沸かした湯を軽く回してカップに注いでいく。丁寧にカップの温度をあげながら、今度は茶葉を入れたポットにまだ熱い湯を入れる。軽く躍らせながら蓋を閉じて、この茶葉はだいたい三分ほど蒸らせば完成だ。
「手慣れてるっすねえ」
「マスターって呼ばれて否定しないで済むことを目指してるからな」
「あの先輩が……更生したもんだ」
「不良に言われたくない……」
その間に、保温器からケーキを取り出す。フレーバーティーと合わせるなら、味は主張するようなタイプのものが良いはずだ。きいちごのタルトをカットして皿に載せ、フォークと合わせてカウンターに出す。
「きいちごのタルトと、それから地中海のボレロティー。合わせて楽しんでくれ」
「きたきたきたー! やー、先輩の店来てるとスイーツ食べ放題とか行けなくなりますわマジで」
「俺の店じゃなくて親父の店な。あと紅茶入れるのは親父のが上手いから。お前らにびびって手順ミスるだけだからあのひと」
「それ接客業としてどうなんすか……」
温めたカップにフレーバーの紅茶を注いでいく。湯気と共に仄かに鼻腔をくすぐる柑橘の香りに、多嘉男は八十点と自己採点した。百点には、まだまだ遠い。
ソーサーに載せたカップを差し出すと、弘毅は喜び勇んで紅茶とケーキにかぶりつく。
「うめえええええ!」
「他に客が居たら追い出してた」
「やっぱり美味いっすね! きいちごの酸味とタルトの甘味が合わさって、これ生地に紅茶使ってますよね。そのふんわりした美味しさが混ざり合ったところに、別のフルーツ系の風味がする紅茶で整えたこの口の中の爽やかさ! 甘酸っぱくてまろやかなのに口んなかに無駄なものが一切残らない! それどころかフルーツフレーバーの優しい爽快感が幸福感を満たしてくれる! 最高っす!」
「相変わらず無駄に舌の肥えたヤツ」
と、弘毅は一頻り舌鼓を打ったところでカップを置くと顔を上げた。
「そういえば先輩、入学式さぼったんすか?」
「委員会にでも入ってない限り在校生に出席義務はねえよ。見ての通り店があるしな」
「そうっすかー。いや、入学式に全員居たんすよ! その話がしたくて!」
「……なんの話だ?」
「なんの話って、ほら、五大女神の話っすよ!」
「……知らん」
「うっそぉ!?」
私立日高高校。
この喫茶店から二駅ほど離れたところにある、比較的自由な校風の高校だ。目の前の弘毅もつい最近入学してきたばかり。
「ほんとに紅茶のことばっかで学校の情報とか何も知らないんすね。だから茶葉男って呼ばれるんすよ」
「そんな呼び方を高校でする奴は皆無だ馬鹿が」
五大女神などと聞いても、聞いたことがないのだから仕方がない。そもそも多嘉男自身、高校に親しくしている友人など殆ど居ないのだから情報が回ってくるはずもなかった。
「五大女神っつーのは、あれです。学校で一番可愛い五人の女の子! ミス日高高校みたいなもんっす!」
「そんな大会があったのか」
「食いつくべきはそこじゃねえしそんな大会はねえっすよ! 非公式!」
バンバンとカウンターを叩いて抗議する弘毅だが、騒がしくするなら出入り禁止にすると言われて押し黙る。多嘉男とて高校二年生だ。異性に興味がないかと言えばウソになる。だが、弘毅やその他後輩勢に比べれば全くと言っていいほどがっつかず、それが故に一つ謎があった。
「というか、なんで俺にそんな話を振ったんだよ」
「そりゃ先輩が先輩だからっすよ。五大女神のうち四人は二年生なんっすから」
「へえ、同い年にそんな可愛い子が居るのか」
「一年居りゃふつうはそういう情報くらい共有されるもんでは……?」
「興味がないと言えばウソになるが……いま恋愛したいかと言われると微妙」
「高校生の台詞じゃねえ!」
ダメだこの紅茶狂。と、小ばかにしたように首を振って嘆息する弘毅。
「紅茶狂とは失礼な。うちには青茶も緑茶も白茶もある」
「そういうこと言ってるんじゃねえっすよ。今日日珈琲の一つもメニューにない店の癖して」
「はっ、あんなもの泥水と変わらん」
「謝れ! 珈琲好きの皆さんに謝れ!!」
ぎゃーぎゃー騒ぐ弘毅。
こうなると彼は面倒臭いので、多嘉男は自分用に一杯紅茶を入れることにした。
マルコポーロのルージュ。ノンカフェインの、甘いフラワー系の香りが引き立つフレーバー。ルイボスティーに合った、薫り付けの優しいまろやかなもの。
「……はぁあ、せっかく先輩を通じてお近づきになれると思ったのになあ」
「なんだ、好きな子でも出来たのか」
「親父くせえ台詞! いやさっきの流れから察してくださいよ! その五大女神の二年生が超可愛かったって話っすよ!」
「お前そんなにミーハーじゃなかったはずなんだがなあ」
「そんな俺でも可愛いと思うってことっす! そんな俺の推しは指扇さしおうぎ瑠璃奈ちゃんって子なんすけどね、すっげえ強気そうな目してんのに滅茶滅茶自然な笑顔でもう……!」
「知らん奴の知らん話をされるってこんなに苦痛なんだな」
「あんたいい加減にしろよ!?」
蒸らし終えた紅茶をカップに注ぎ、一口飲んで多嘉男は言った。明らかに会話を無碍にされていることと、どんなに言っても興味がそぞろな先輩に対して弘毅は思わず叫ぶ。
昔はもっとこう、同じようにゲラゲラ笑っていたはずなのに。いや、今の多嘉男は今の多嘉男で良い兄貴分ではあったのだが、それでもなんだか寂しい気持ちがした。
洗い終えた別のカップを拭いながら、多嘉男はそんな弘毅に目を向ける。どこか慈愛を孕んだその瞳に、なんだか自分が一番荒れていた頃を思い出して、弘毅は嘆息した。
「ああ、瑠璃奈ちゃんがこの店でバイトでもしてくれたら、俺は毎日でも通うのに。いや、俺だけじゃなくて女神のファンたちは皆来るでしょうに。ここバイト募集してんだし、ワンチャンワンチャン!」
「お前はともかく、味も満足に知らない金も大して落とさない学生がわんさか来たって邪魔なだけだ。確かにホールに女の子一人欲しいとか親父が言ってた気がするけど、それ以前にうちの高校が原則バイト禁止」
「そんなっ……先輩が校則を守るなんてっ」
「破るのは俺じゃなくてその女の子なんだよなぁ……」
自分がどんな目で見られているのか把握して多嘉男は肩を落とした。
しかし、なんというかそれ以前に。目の前の男は大前提を見落としている。
「そもそも学校から二駅も離れたこんな小さな店に、その子が、バイトをさせてくれなんて駆けこんでくる偶然があるわけないだろうが」
雑誌掲載の依頼も軒並み断るほどに、多嘉男の父親は徹底して露出を嫌っている。口コミで紅茶とケーキが抜群に美味しいことは伝わっていても、昼は目の前の高校一年生のような不良がたむろしているせいで人が寄り付かない。ここはそういう店だ。
「それはそうですけど、そうすると瑠璃奈ちゃん来ないし」
「どうやっても来ねえから安心しろ。っつか諦めろ」
「ちぇー、雇ってくれたら多分俺たちみんな来ますよ? 五大女神が居る店なんて聞いたらもう……あ、メイド服とかどうっすか? いかがわしいのじゃなくて、クラシックな雰囲気が非常にグッド! もう最高!」
「却下。つか俺にどうこう出来る案件じゃねえし」
「ブーブー」
ブーイングを背に受けて、紅茶の入った缶を戸棚に戻しながら。
しかしこれだけぐいぐい押されると、多嘉男といえど可愛い女の子がバイトとして入ってくることを想像して。
「まあでも、そうだな。もし、万が一、0.000001%でも、面接にでも来ようものなら――」
「も、ものなら!?」
食い気味に前のめりになる弘毅に対して、多嘉男はにこやかに言い放つのだった。
「是が非でも落とすことにするわ」
――その日の夜、一人の少女がこの店に「雇ってくれ」と駆けこんでくることになるなどとは知らずに。




