蘇生封じの銃弾術師
――死にたくない。
男が抱えている想いなどただそれだけだった。もとより、男は蘇生者だ。《死者蘇生》という悪魔のような所業により冥府から引き上げられた、亡者の成れの果て。それが男の現状だった。つまりは一度死んだ身であり、すでに死の恐怖をまざまざと刻みつけられている。
ゆえに男はただひたすらに死にたくなかった。もう二度と、あのような絶望に浸るのはご免だった。まるで魂が擦り切れるかのような茫洋とした地獄。あの場所に戻ることだけはどうしても嫌だった。いや、いずれ誰もが通る末路であることは分かっている。
だとしても、もう少しだけ待って欲しい。まだ生きていたい。男は確かに一度死んだ身ではあるが、まだ未練がたくさんある。残してきた家族がいた。友人がいた。恋人がいた。大切な彼らに会いたい。会って、話がしたい。せめてそれまでは生きていたい。
――男の願いはただそれだけなのに。
ただそれだけの願いを、どうして誰も認めてくれないのか――。
「……行き止まり、だな」
夜闇の下で、冷たい声音が凛と響く。それは男の背中にナイフのように届いた。入り組んだ路地裏で最も細い道に飛び込み、立ち止まざるを得なかった男に向けられた死の宣告。
カツ、と乾いた足音が嫌というほど鮮明に響いた。男がおそるおそる振り向くと、曲がり角から現れたのはパーマがかった黒髪が特徴的な青年だった。歳の頃はおよそ二十四程度だろうか。理知的な双眸に浮かぶ冷徹な眼光が淡々と男を捕捉している。スラリとした背の高い体には漆黒の喪服を纏っていて、右手には無骨な大型拳銃が握られていた。
「そこまで、蘇生者の存在が許せねえかよ……⁉」
空恐ろしい青年の雰囲気に気圧され思わず一歩退きながらも、男は毒づく。これは時間稼ぎだ。適当に話しつつ、男はこの状況を脱するために必死で思考を回していた。
「お前の行いに罪はない」
相対する青年は抑揚のない口調で言う。
「ただ、お前の存在に罪があるだけだ。恨むなら、お前を蘇生した霊術師を恨むことだな」
一歩。青年は拳銃の撃鉄を押し込みながら、男に向かって近づいてくる。
――知っている。男は生前から何度も聞いたことがあった。
曰く、《死者蘇生》という概念を封じるためだけに活動する死神が存在すると。その青年は現代兵器に頼る特異な霊術師であり、対蘇生者に特化した銃弾を持っていると。非常に優秀な殺し屋であり、蘇生者を再び埋葬することに信念を懸けていることから《蘇生封じの銃弾術師》と呼ばれていると。
その男の名は、
「黒崎竜也……!」
「へえ、俺の名前を知っているのか」
青年――黒崎竜也は、一歩ずつ滲み寄りながら薄く笑みを浮かべる。
「クソッ、このイカレ野郎が……‼」
男は舌打ちとともに、一か八か竜也に向かって突貫していく。
同時に空気中の霊素に干渉。「――術式解放」という呟きの直後、男は自己の意識を変革して世界に介入する。《霊術》という十年前に登場した新種の技術体系に望みを託していく。それは才能のある限られた人間にしか許されない魔法のような奇跡の体現。そう、男は生前から霊術師と呼ばれる稀少な存在だった。
「驚いたな。お前が霊術師だったとは知らなかった」
竜也は僅かに目を瞠ったものの対応は冷静だった。霊術で補強された肉体で加速し、おそるべき勢いで殴りかかった男の拳をひらりとかわすと、そのまま立ち位置を入れ替えるようにくるりと回転。そして流れるような動作で構えた拳銃の引き金に人差し指がかかっていた。しかし、その銃弾を撃たせるわけにはいかない。男は踏み込んだ勢いのまま前へと走り、曲がり角を即座に曲がった。拳銃の射程から転がるように外れ、また逃げると思わせて男は体を翻し、待ち構えた。逃げ切るためには、竜也に多少なりとも手傷を負わせることが最も効率的だと思ったからだ。いくらか冷静になった思考を回した結果の策。決して勝算がないわけではなかった。竜也は蘇生者専門の殺し屋だ。だが、暗殺には長けていても霊術に長けているわけではない。竜也は確かに霊術師だが、彼が扱っている《銃弾術式》は霊術の中でもひときわ格が落ちるもの。現代兵器の威力に頼るということは、竜也が霊術師としては未熟であることの証明でもあった。
対して、男が操っているのは《格闘術式》。霊術の中では最もポピュラーなものだが、それゆえに基本に忠実。隙が少ない。要するに自身の身体能力を強化し、プログラムされた格闘術に肉体を操らせるというだけの霊術なのだから。単純ゆえに強力で扱いやすい。予めインプットされているレスポンスしか返せないことが難点だが、そのパターンは数百通りは存在していて、たとえ知っていたとしても近接戦闘においては読み切れない。敵が体術の達人であったりすれば別だが、竜也の線の細い体格にそんな気配は見えなかった。
「霊域展開」
小声で呟き、男は静謐かつ速やかに空気中の霊素に干渉し、覚醒させていく。つまりは霊域を構築していた。霊域とは分かりやすく言えば《霊術が使いやすくなる領域》を意味している。霊術の効果が上がると言ったほうが現状に即しているだろうか。ともあれ、男が霊域を展開した以上、男の《格闘術式》が先ほど以上に効力を発揮することは明白だった。
「な……」
明白だった、はずなのだが。
気づけば、男は天井を見上げていた。
それはつまり、地面に倒れていることを意味する。
意味が分からない。理解ができない。
分かることは、自分が敗北したという事実だけだった。
「悪く思うなよ」
「ああ……」
これでも男はもともと警察だった。希少な霊術を扱えるのは霊術事件対策本部に所属していたからだった。いや、霊術の素養があったから所属させられたと言ったほうが正確だろう。いずれにしろ、男はその生活に不満などなかった。だから自らの死を確信したとき、どうしようもなく悲しかったとはいえ、心のどこかで満足感をも抱いていた。
これ以上、落ちぶれていく自分の姿など、何より自分が見たくなかったから。
男の視界に、黒光りする拳銃が姿を見せる。
乾いた銃声が炸裂した。
◇
少女が目を覚ましたとき、周囲の床には不可思議な円形の紋様が刻まれていた。
それはどこか神秘的な輝きを灯し、この薄暗い部屋を仄かに照らしている。
「ここ、は……?」
寝起きで曖昧な思考のまま少女はむくりと起き上がり、ぼんやりと呟いた。
妙に動きづらい強張った体を強引に動かして座り直す。そして部屋を見回すと、ちょうど少女の真後ろに老齢の男性が立ち尽くしていた。短い白髪に、皺が多く刻まれた厳格そうな顔立ち。大柄で筋肉質な体格は老いによる衰えは見受けられない。少女はその姿をよく見知っていた。
「お父さん?」
そう尋ねても彼は無言だった。少女が不思議そうにきょとんと首を傾げると、彼は何かに耐え忍ぶような表情をした後、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
――段々と、少女の思考が明確さを取り戻していく。
同時に、自らを囲むような形で作られているものが霊術陣だということに気づいた。
少女はまだ十七歳と幼いが、それでも優秀な霊術師だった。ゆえに、この陣の霊術的意味を即座に読み取ることができた。できてしまった。
――そんなはずはないと思った。
カツ、と乾いた足音が響く。振り向くと、彼は哀切を宿した瞳で少女を見下ろしていた。
「……自分が誰だか、覚えているな?」
彼は意図的に感情を消し、冷淡な調子で言う。少女はその瞬間、すべてを悟った。
――ああ。わたしは死んだのか、と。
絶望と悲嘆と諦観が同時に脳内で渦を巻いた。
やがて、しばらくの時間が経った後、少女はひどく平坦な口調で返答する。
極めて義務的に、その胸中では自分を殺した者への憎しみを強く募らせながら。
「……四ノ宮楓。十七歳の霊術師見習い、だった者です」
その言い方に対して、彼は目を細めつつ頷いた。
少女は俯き、項垂れる。立ち直るには、しばしの時間が必要だった。
「どうやら状況は理解しているようだな。ひとまずこの場から離れるぞ」
「……はい」
死者蘇生は現代日本において厳罰に処される重犯罪である。
蘇生を実行した者、蘇生された者、そこにどれだけ情状酌量の余地があろうとも、最後には両者ともに等しく死刑判決を下された。例外は一人もいない。
ゆえに蘇生者となった者は、もう一度殺されるまで犯罪者として追われ続ける。
不幸な二度目の死を約束された存在、それが蘇生者である。
「……お父さん。どうして、わたしを生き返らせたんですか?」
それでも。
絶対に犯してはならない禁忌だと分かっていたとしても。
「――不幸なまま死んでほしくなかったからだ」
人は大切な誰かにまだ生きていてほしいと願い、死者を蘇らせる。
「お前という大切な娘の結末を、悲劇で終わらせたくはなかった……!」
人は、「死にたくない」と言う。
人は人に、「生きていてほしい」と言う。
死ぬということは過去に留まるということだ。
生きるということは未来を歩いていくということだ。
『あーあ。わたし、まだ、やりたいこと、たくさんあったんだけどなぁ……』
覚えている。死に際に放った言葉を。
覚えている。似合わない涙を流して、強く抱きしめてくれた者の暖かさを。
その想いは誰にも否定できるものではなく、尊く、純粋で、狂おしいほど綺麗で――
――だからこそ、この世界の何よりも残酷で愚かしい。
先に記しておく。
この物語は、何があろうと悲劇にしかなれないと。




