↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/30

魔術師の弟子

 麓の村から離れた山の中腹にある山小屋でも朝食の支度が始まる。十二歳のリーナは父と二人暮らしだが、父は留守にすることが多いので朝食の準備も手慣れたものだ。両耳の後ろで結った淡い金髪を揺らしながら地下室の食料品庫へ軋む階段を下りて、リーナは大きな魔術具の箱を開ける。




「あ、ベリーだ」




 どうやら父の採集は好調のようだ。魔術具の調合に関係のない物を転移陣の刻まれた箱に送ってくるのは帰宅が近い印だ。自然と笑顔になって、リーナはベリーを一つ残さず籠に入れていく。今日は美味しいジャムを作りながら父の帰宅を待つことにしよう。




 ベリーを蜂蜜に浸したリーナは山羊の放牧に出かけた。その後、昼食を摂りながらコトコトグツグツと弱火でゆっくり蜂蜜とベリーを煮詰め、丁寧に灰汁を取り除いていく。しばらくすると、甘い匂いが家中に漂い、煮詰まったジャムがとろとろになってきた。水に一滴落として、丸くなるくらいまで煮詰めたら完成だ。


 甘い匂いに頬を緩めたリーナが火から下ろして瓶に詰めていると、居間の方でパリンと硬質なガラスが砕けるような音が響いた。




「お父様っ!?」




 手に持っていた木べらを放り出して、リーナは居間のキャビネットへ駆け寄った。腰くらいの高さの簡素な木製キャビネットの上には装飾品に見せかけた魔術具が幾つも置かれている。魔術具の一つである護符の片割れが粉々に砕けていた。




 血の気が引いた。リーナの全身が恐怖に固まった。これは一度だけ敵からの攻撃を無効にしてくれる身代わりの護符だ。帰宅途中の父が何かに襲われている。リーナは震える手を伸ばしてガラスのような鉱石のような小さい破片に触れた。




 直後、家がわずかに揺れるような大きな爆発音が響いた。沈みゆく太陽とは全く違う青白い光の柱が家の裏手の山中に立ち上るのが窓から見える。家からそれほど遠いところではない。




 父が素材を採りに行って魔術具の箱に荷物を放り込むのは、いつだってこれ以上は魔力が必要ないと判断した帰宅間際。大量のベリーを送った父の魔力はもう残り少ない。何かに襲われているとすれば、最悪の状況だ。一瞬逡巡したけれど、リーナはキャビネットの上の魔術具を手当たり次第に掴んで家を飛び出した。




(この魔術具を届けることができれば、魔力の補充だけでもできるはず!)




 ハァハァと荒い息を吐き、足をもつれさせそうになりながらリーナは光の柱が見えた方へ山の小道を直走る。自分の足の遅さ、体力のなさが恨めしい。麓の村にいる十二歳の子供達は体格も大人にかなり近く、常に農業に携わっている肉体は頑強で、大人の八割くらいの仕事をこなしている。彼等とリーナが並ぶと同じ歳には全く見えない。リーナは小さめの十歳くらいだ。体格が違えば、体力や腕力、脚力も全然足りない。今日はそれが非常に歯痒い。




(お父様、どこ!?)




 不意にザザザッと何かが坂を滑り降りてくる音が響いた。体が竦み上がってリーナの足が止まる。怖々と右手の坂を見上げると同時に、何かに腕を掴まれた。リーナが咄嗟に腕を振り払おうとすれば、バサリと布のずれる音と共に父の顔だけが浮かび上がる。魔力を織り込んだ姿隠しのローブだ。父とわかってリーナが体から力を抜くのと、父が焦げ茶の目を険しく尖らせて叱責するのは同時だった。




「何故外に出た!?」




 即座にリーナは手に握っていた魔術具を見せる。父の余裕がない表情からも敵が近くにいることは確実だ。父は「助かった」と呟き、手早く魔術具を受け取るとリーナを抱えて走り出した。


 リーナが一人で必死になって走った道程を、父はリーナという決して軽くないお荷物を抱えたまま軽々と走っていく。揺れる父の肩でリーナはできるだけ邪魔にならないように息を潜めた。




(家に着けば大丈夫。魔術具がたくさんあるし、防御のための結界も張ってある。もうちょっとの辛抱よ)




 リーナが自分に言い聞かせて緊張に早鐘を打つ心臓をなだめていると、シュッと何かがリーナの腕を掠めた。服の袖がパクリと口を開き、冷たい外気が入ってくる。腕に赤い線が浮かび上がり、滴となって一筋伝った。だが、感じたのは痛みよりも恐怖。




「ひゃははははははっ! 見つけたぞ! こいつだ! こいつが緑の娘だ!」




 狂ったような甲高い笑い声を上げながら、男が斜面を駆け下りてくる。びくりとしてリーナは自分の右目を押さえた。この場にいる娘はリーナだけだ。緑はリーナの右目の色をさしているに違いない。狙われているのは父ではなく、リーナだ。




「……どうして?」




 突然知らない男に狙われる理由がわからず、リーナは小さく呟いた。左目が金色、右目が緑色という色彩は珍しい。けれど、目の色が理由で狙われるものなのだろうか。小刻みに震え始めたリーナを抱える父の逞しい腕に力がこもる。「心配するな」と言う代わりにこめられた力を感じてリーナはしがみつく手に力をこめた。




 男は父よりずっと身体能力が高いらしい。追いつくのは時間の問題だ。リーナにもそう判断できるくらいの速さで斜面を駆け降りている。




「くそっ、間に合わないな。リーナ、しっかり掴まれ」




 舌打ちしながら父が腰につけたポーチの中から魔術具を一つ取り出して背後に向かって放り投げる。リーナは父の首に腕を回して、片腕だけで支えられている自分の体を安定させるためにしっかりとしがみついた。




 リーナが固く目を閉じた途端、魔術具が爆発した。父はリーナをローブで守りつつ、その爆風に乗るように軽い足取りで大きく跳躍する。予測不可能な父の動きに、リーナは思わず上がりそうになった悲鳴を噛み潰した。




「何だと!?」




 跳躍した父がリーナを抱えたまま草の多い斜面を滑り降りていくせいで、焦ったような追っ手の声が遠くなっていく。


 やや平らになった細い獣道に着地した途端、父はリーナを下ろして斜め下を指差した。




「リーナ、全力で家に帰れ。俺は陣を強化する。絶対に、何があっても、陣から出るな!」


「わかっ……お父様!」




 斜面を駆け降りてくる男が三人、それから、自分達を目がけて何かが降ってくるのを見つけたリーナは悲鳴を上げた。父の手にあるのを何度か見たことがある攻撃用の魔術具だ。そうわかった時には父がバサリとローブを広げて、魔術具の爆発からリーナを守っていた。リーナを守ることを優先して自分の防御がおざなりになっていた父は、小さく呻きながらリーナが運んだ回復薬を一気飲みする。




「俺はクレメンティアにお前を守ると約束した。行け!」




 父は自分が持っていた護符をリーナの手に握らせると、リーナの背中を押し出した。その手に抗って一緒にいたい衝動に駆られたが、リーナは歯を食いしばって走り出す。自分がここにいても足手まといにしかならない。




「娘をとっ捕まえろ!」




 背後の争う音と男のだみ声に心臓が縮み上がるのを感じつつ、リーナは一目散に家を目指す。しかし、リーナの足は同年代の子供に比べても遅い。すぐに背後へ草を蹴る足音が近付いてきた。




「きゃっ!?」


「リーナに触るな!」




 追いかけてきた男に腕を掴まれて捕らえられたかと思った瞬間、父の怒声と、ドンという衝撃と、人の肉が焼ける匂いと、リーナが握りしめていた護符の割れる音が同時にした。




「リーナ、走れ! 止まるな!」




 父が自分達に攻撃用の魔術具が投げたらしい。男がその場に崩れ落ちる瞬間を逃さず、リーナは父の言葉通り死に物狂いでその場から逃げ出した。リーナにできることは一刻も早く家に逃げ込むことだけだ。




「逃がすな! 追え!」




 自分を標的にした野太い声に、リーナの目には恐怖で涙がこみ上げてきた。家の敷地を示す木の柵に手が届くかというところで、後ろから追ってきた男が「待て、こら!」と凶悪な声を発しながら手を伸ばす。間近で聞こえた声に喉を引きつらせながらリーナは柵の内に転がり込んだ。地面を転がりながら見たのは、視界に大きく広がる無骨な男の手。思わず目を閉じてリーナは体を固くさせる。




 だが、少し経っても何の衝撃もない。そろそろと目を開けてみると、男は透明の壁に押し戻されていた。野獣や魔物などの侵入者を防ぐために父が家の敷地に張った防御陣が光っている。




「まずはあいつか!」




 リーナを捕らえることができないとわかるや否や、舌打ちしながら男は父の方へ取って返す。去っていく男の背を見て、リーナはホッと安堵の息を吐いた。どうやら無事に安全地帯に逃げ込めたらしい。ガクガクと震える足を叱咤して立ち上がり、リーナは更に強固な結界に守られた家の中へ入る。




 窓から父のいる方を見つめた。いつの間にか父の回りにいる人影が五人に増えている。ぎゅっと手を握って父の無事を願うリーナの視界に複雑な文様が紫の光になって現れた。家を守る陣にも護符にもある文様だ。防御の陣を強化する魔術に違いない。すっとリーナの中から力が抜けて行く。父が大きな魔術を使う時にリーナの魔力を利用する感覚は、馴染みがあるものだ。




(これで大丈夫)




 父の魔術師としての腕を信じている。安堵の息を吐いた瞬間、リーナは信じられないものを見た。襲いかかってきた男達と一緒に、まるで溶けるように父の輪郭が崩れて光の陣の中に消えていく。




「……お、父様?」




 リーナの口から小さな呟きが漏れた瞬間、突然大きな雷鳴が鳴り始めた。雷雲など全く見当たらない夕暮れの空を割り、突然巨大な稲妻が落ちる。山が割れるような轟音と家が崩れるような揺れにリーナは飛び上がり、耳を強く押さえてその場にうずくまった。




 ズズズズ、と長く残る振動がやっとおさまった窓の外には一つの人影もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。