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黄昏の救世主

 ⋯⋯ああ、ちくしょう、俺たちの負けだ。




「迷い人」は失った右足の痛みを堪えながら心の中で悪態をつく。腹には穴を開けていて、血の絡んだ喉では声を絞り出すことすらままならない。そして最後の希望は消え失せ、戦況は万事休す。




『賢者』がいた。『聖者』がいた。『剣聖』がいた。『拳王』がいた。『鷹の目』がいた⋯⋯


 しかし神からの『導き』を授かった「召喚者」の戦闘職三十四人は皆ここで『魔王』の前に膝を折った。




 そしてたった今、最後の一人、『勇者』も。




「⋯⋯楽しませてもらったぞ、召喚者たちよ⋯⋯」




 『勇者』を塵一つ残さずに消し去った『魔王』が、地に倒れ伏す「召喚者」達に向かってそう告げる。


 しかし、『魔王』のその台詞に対して声色は全く余裕が無く、ここにいる者なら、誰か一人が動けたならば彼の者を倒すことができただろうと思わせる。そして、くそったれでありながら、愛してしまったこの世界を救えた、とも。




「だが、終わりだ。安らかに眠れ」




 不吉な音を立てて漆黒の波動が『魔王』より生み出された。先程までの戦いでも『剣聖』や『拳王』の命を奪った最上級の破壊魔法だ。


 もう間もなく、抵抗のできない「召喚者」達には必然的な死が訪れる。




 状況は絶望と言い表す他にない。








 そんな中、召喚された四十名で、ただ一人『導き』を持たなかった者とされ、「迷い人」と不遇を受けた少年である渡瀬 陸は、最期まで敵愾心を燃やしていた。




 ⋯⋯お前は、必ず⋯⋯




 闇は眼前へと迫る。








『本当だったのか、じゃないよ渡瀬 陸くん。前にも言ったじゃないか、神様は嘘をつかないって』




 白の光を受けて意識が浮上してしばらく、男とも女とも老人とも子供とも取れない声で『神』と自称したモノが陸に話しかけていた。




『そんな怪訝な目で見ないでくれよ。何? その話し方からして嘘くささ満点だって? 仕方がないじゃないか人と話すのなんて三年ぶりなんだ。興奮したってしょうがないじゃないか』




 三年前もこんな感じだったなと、神格が聞いて呆れる気軽さに、陸はため息をつく。神にとっての3年など短いものではないかとも考えたが、それより先に陸には尋ねるべき質問があった。




「それで、全部本当だってことでいいんだな?」




 雑な質問という実感はあった。同時にそれで十分だということも分かっていた。


 相手は異世界の『神』だ、目の前の男の心を読むことぐらい造作もないことだろうと陸は確信している。




『ああ、全部本当だよ。君が一度クラスメイト達と異世界に行ったことも、三年間を過ごしたことも、魔界に乗り込んで『魔王』と戦ったことも、君たちが負けたことも、君が死んだことも、ね』


「あと、三年前にお前が言ったこともだろう?」


『もちろんさ』




 ニンマリと笑った気がした『神』の声を聞いて、意識だけの状態で白の空間にいる陸は次を促した。




 じゃあ、とっと俺を転生させてくれ、と。




 陸は神からの力、『導き』を得られなかったとして「迷い人」なる蔑称で呼ばれていたが、何も『神』から見捨てられていたわけではない。




『転生の導き』、三年前に陸が『神』から与えられたのは異世界で二度目の人生を歩む権利だったのだ。




『ふふ、そんなに『魔王』が憎いかい?』


「そりゃあな」




 笑う『神』の問いは愚問であった。




 共に召喚され、共に戦ったクラスメイト達の中には、陸の、自分以上に大切な人達がいた。彼らは陸が「迷い人」と蔑まれる苦悩する中で、常に寄り添い支えてくれた。最期を迎えた戦いに陸が共に参加できていたのも彼らのおかげだったと陸は本気で思っている。それだけでなくあの日まで生きていたことも⋯⋯。




 彼らを殺した『魔王』に復讐しないければ、陸の気は済まない。




『そう、それはよかったよ。けど、焦ったところで無駄だよ。君が目覚めるのは十数年後だ』


「何?」




 予想だにしていなかった『神』の言葉に、陸は低い声で聞き返す。『神』は滑稽を演じたのか、大げさなリアクションをもってそれに答えた。




『当たり前じゃないか! 今の君がそのまま赤ん坊に転生して育ってみろ、君は幼児のままでも魔王のところに行くつもりだろう? そんなの、お⋯⋯無意味じゃないか』




 最後に『神』が何を言い直したのかは陸には分かりかねたが、その内容は全て図星突いていた。


 無謀でも無茶でも、どうせ一人では『魔王』に敵わない。ならば少し早く魔王の所へ向かい、一矢だけでも報いる。そう、死ぬ前から決めていた。




『だから君が目覚めるのは君の次の体がもっと成長してからだよ。分かった?』


「ああ、じゃあ早くしてくれ」


『全く、人間とはなんて浅はかなことか。ここでちょっと焦ったからって何も変わらないのに⋯⋯』




 ぶつぶつと文句を言いながらも『神』が何かしらの作業を始めたことを感じ取って、陸は自らの持つ情報を整理し、転生後に何をすべきか順序立てていく。




「迷い人」であり、特殊な何かを持たなかった陸が厳しい異世界で生き抜くために培ったのが思考だった。生前からこれなら転生後も役に立つかなんて漠然と考えていたりもしたものであった。




『はい、準備完了っと。うん、結構いい感じになったんじゃないかな? そっちの準備はどう?』


「いつでもいいに決まってる」


『じゃあ、行ってらっしゃい。君が目覚める時までの安全は『神』たる僕が保証しよう。そうそうそれと、「助っ人」もいつかやって来るからお楽しみに。ああ、君と君たち、そして彼ら、一体どんな物語を見せてくれるのかな』




 徐々に遠のく意識の中で聞いた、愉悦を含んだ『神』の声が彼の、渡瀬陸としての最後の記憶だった。








 そうして太陽の高く登った、西の街へ向かう街道を一人で歩いていた赤い髪に赤い瞳の少年は全てを思い出す。


 彼の身体の中に渡瀬陸の存在が溶け出していた。地球で過ごした十五年間、こちらで過ごした三年間、それから『神』と話した幾らかの時間。


 頭の中から四肢の末端まで、十二年目を迎えたばかりの新たな身体にそれは巡る。彼にとって今まで思い出さなかったことが不思議なくらいだった。




 ⋯⋯いや、不自然が当たり前か、『神』の力だ。




 足を止め、その少年、カインは手を一度握りまた開く。彼はそれだけで今の身体の全てが分かった気がしていた。




「おい! 邪魔だ!!」


「っ! ⋯⋯ごめんなさい!!!」




 街道の真ん中で足を止めるのは本来自殺行為であり、2頭引きの荷馬車がカインのすぐ横を通り過ぎる。


 これまでの彼には無かった類稀な反射で危険は回避したが、もしぶつかっていればひとたまりもなかっただろう。




 真紅の頭を下げたカインに、御者は一瞥をくれて、鼻を鳴らしてから走り去っていった。




 ⋯⋯油断大敵、か。




 陸の時であれば、カインは馬車が通る数十秒前にその気配に気づいていただろう。どうやら、彼の中で全てが蘇ったという訳では無いらしい。




 まさか、自らの生まれた理由を知ったその瞬間に死ぬ訳にはいかない。




 ⋯⋯それなら尚更、死なないためにも早く次の街に行かないと。




 歩みを進めて少しすると、思い出す前まで感じていた強烈な空腹が再びカインを襲っていた。




 十二になったその日に生まれ育った孤児院を放りだされていたカインは、自らの手で食い扶持を稼ぐために冒険者ギルドのある隣街を目指している途中だった。


 まず順調とは言えない幕開けだと彼は嘲う。




 ⋯⋯それでも、早く、西へ




 次の街のある西へ、旧友の住まう西へ、宿敵の待つ西へ。カインは足に力を込めて進んでいく。








 さて、カインが十二歳になっているように、『魔王』と『勇者』の戦いからも十二年が過ぎていた。『勇者』と「召喚者」達の敗北は既に全世界の知るところである。




 カインの中で陸が眠っていた間、一度は世界に混沌が訪れていた。


 人類に仇なす『魔王』の勝利を知り、明日への希望は既に絶たれたと身を投げる者、ヤケになって酒や薬に溺れる者、全てに悲観し精神を壊す者、それぞれがそれぞれ終末を予期した。


 だが『勇者』達が残したダメージによるものか、『魔王』とその眷属である魔族はこの十二年間一切の活動を見せず、それまで不毛の土地に溢れていたはずの魔物の数は年が経つにつれ減少し、枯れていたはずの土地には再び緑が芽吹いていた。




 人類が数十年近く待ち望まれていた平和は、『勇者』達のあずかり知らぬところで、世界には訪れていたのだ。




 そのうちに余裕の生まれた人々の生活には少しずつ活力が戻り、争いを知らぬ世代も生まれていった。


 悲嘆にくれていた者達は吟遊詩人と共に勇者を称える歌を歌い、世界を厭い酒と薬に溺れていた者達は世界の未来のために愛に溺れる。




 人々の多くは世界の終末の存在を忘れかけていた。




 しかしカインはこの世に生まれ、つい先程陸と一つになった。


 復讐の色に染まったその双眸で、生まれた目的を全うするために、世界の日が沈む時を見つめ始めたのだ。








 全てはまた、この瞬間から交錯し始めた。




 残された「召喚者」達の、世界との戦いが。


 未来の「召喚者」達の、理不尽との戦いが。


 この世界の住人達の、運命との戦いが。


『魔王』と魔族達の、この世界に生きるための戦いが。




 そして孤独な少年の、過去との戦いが。






 カインは一歩一歩力強く街道を踏みしめ進んでいく。少しでも早く辿り着くために。




 天中から世界を照らす太陽は、既に少しずつ傾き始めている。

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