神姫舞踏のイヴィルベイン
落ちこぼれ、というのはどこにでもいるもので。優劣を争う人の輪という縮図がある限り、僕のような人間は生まれてしまうのだろう。
イヴィルベイン。そう呼ばれる人々がいる。彼らは魔獣討伐を生業とした戦士であり、非力な人々の剣となり、盾となる存在。それが世に伝わる彼らの姿だ。
魔獣という人類の脅威が確認されたのは、いつだったか。跋扈する魔獣を前に人々が頼ったのは、巫女と聖獣の力だった。
巫女の血から生まれる聖獣。その姿形は千差万別であるが、イヴィルベインは彼ら聖獣の力を使役して魔獣を倒す。語り継がれる百戦錬磨のイヴィルベインといえど、肉体はただの人なのだ。故に魔獣を倒す方法は聖獣に力を借りねばならない。
魔獣が闊歩する今、人類は聖獣なくして明日を生きることは出来ない。
人は生きるために、聖獣を従える。そのために、イヴィルベインという存在は大きなものであった。そんなイヴィルベインを目指す僕らを養成しているのがここ、ラグーナ学院である。
「無理だ、絶対に無理だ。小型とはいえ、魔獣討伐の実技テスト? それも三日後? 駄目だ、合格するビジョンが全く思い浮かばない……ッ!」
ラグーナ学院の寮の一室で、僕は呻くように呟いていた。
全寮制のラグーナ学院は、僕のような人間にも部屋を与えてくれる。流石に個室、というわけではないが、それなりの生活をさせるほどの財力はあるようで、これといった不便を感じることなく勉学に励むことができた。
だが、それも終わりかもしれない。
僕――ロイド・メーティスは落ちこぼれであった。
実技。そう、実技だ。成績が物をいうラグーナ学院で、実技の成績が芳しくないのは非常によろしくない。
座学の成績ならば、僕の成績は悪くはない。しかし、ラグーナ学院が養成しているのはイヴィルベインだ。多少の座学の成績不振ならばイヴィルベインとして働くときに多少の傷がつく程度。少なくとも、在学中に何らかの不利が生じるほどではない。
だが、実技の成績となれば話は別だ。この一年で学んだ全てを使えば対処できるであろう、最低限のライン。それが三日後に迫る小型魔獣討伐の実技テストである。
内容は単純。ラグーナ学院が用意した小型魔獣を、己の聖獣を用いて倒す。それだけだ。
この実技の試験を突破できないのであれば、イヴィルベインの適正なしと退学させられることもある、とは専らの噂。恐ろしいことに、座学の成績がどれほどよくとも温情は一切ないという。
僕の脳裏で留年の二文字が踊り出した。つまり、三日後の実技に合格しなければ、僕の青春の一頁は捲られることなく閉じられてしまうのだ。
そして、僕は――否。僕の聖獣は擁護のしようがないほど、どうしようもなく弱い。まさか、このような形で最終試験という壁にぶつかるとは。入学したばかりの頃の僕は想像もできなかった。
「のぅ、ご主人。そろそろ昼餉の時間じゃと思うのじゃが」
懊悩する僕の背中を小さな手のひらが叩いた。
同居人。否、その人物は人ではなく、聖獣だ。彼女の姿形は人間のそれ。見てくれは七歳ごろの少女のように感じるだろう。極東に伝わる和服を身にまとい、栗毛の頭髪を揺らす――それだけならば、誰も彼女を聖獣とは思わないだろう。
だが、彼女が人と異なるということは一目瞭然だ。それは、尾と耳。人にあるはずもない尾と、頭頂部から生える獣の耳だ。
彼女の名前をツムギという。イヴィルベインの見習いである僕の相棒だ。――そう、彼女こそが件の最弱聖獣である。
「おーいおい。最終試験の心配よりも昼飯の心配ですか。僕は胃がキリキリして昼飯どころじゃないんですけれど」
恨みがましく僕はツムギを睨んだ。目下の悩みの種が僕よりも悠然としているのはなぜか。それが問いたい。
「なんじゃ、悩みごとかの。ご主人よ、儂も色々な人間を知っておるが、ご主人くらいの年齢の男はつまらん悩みを抱えているもんじゃよ。なぁに、大丈夫じゃ。旨い飯を食って寝れば、三日もせんうちに悩んだことも忘れているもんじゃ。だから安心して、昼餉の用意をするがよい」
「その三日後に問題の最終試験があるんだよッ!?」
古めかしい、というよりは、老人のような喋り方をする――なんでも、本人は相当な高齢らしいが、その外見から僕は全く信じていない。
見た目に性能を全部振った僕の相棒、それがツムギである。クラスメイトからは「可愛い」やら「綺麗」やら、有難い言葉を頂いたのを今でも覚えている。……まあ、相棒が褒められて悪い気はしない。
だが、性能はワースト。力も、速さも、耐久力も、どれをとっても他の聖獣に劣っているのだ。
その原因は、どこにあるのか。僕は特に考えてはいないが、世間は口々に僕の妹の名前を挙げた。
聖獣の力は巫女の能力に比例すると言われているのだ。
ツムギが応えたのは、僕の妹であるアリス・メーティス。ちょっとだけ体の弱い、僕の最愛の妹である。
つまり、彼女の能力値――最低最悪の性能は、アリスに由来するというのだ。……まあ、聖獣の性能と巫女の能力の関連性など眉唾物だが、一定数の人間は信じているわけで。
勿論、僕はこれっぽっちもアリスが誰かに劣っているとは思わないし、これからも考えないだろう。しかし、世間の目はアリスの巫女としての能力に懐疑的であった。
「どうすればいいんだよぉ。力も速さも耐久力も最弱のツムギさんや。無知蒙昧な私めに、何卒ご助力をば。具体的にいうと、この三日で無茶苦茶強くなるか、起死回生を可能とする一案を下さい」
僕のお勧めは前者だ。なにせ、相手は小型で試験用に弱体化されたとは言え、魔獣は魔獣。ツムギが殴り殺せるのであれば、それが一番安全で手っ取り早く、最も確実だ。
現実ではそれが出来ないから、僕が困っているわけだが。
「ふぅむ。ご主人の言い分も理解できるんじゃがな。そこは悲しいかな、儂とて出来ることと出来ないことがあるんじゃ」
「出来ないことの方が多すぎて悲しさ倍増だよ」
というか、出来ることがあったという事実の方が驚きである。
「じゃあ聞くけどさ。ツムギは何ができるの」
期待はしていない。彼女と出会って半年が経つが、およその性能はすでに把握している。今更、僕の把握していない隠された力があるわけでもないだろう。
しかし、その一言を聞いたツムギはニヤリと笑って二本の扇を懐から取り出した。
「やれやれ。そう無駄飯ぐらいと思われては、儂の沽券に関わるの。ご主人、これを見るがよい」
「……なにこれ」
見たところ、なんの変哲もない扇である。意味ありげに取り出すものだから、何か仕込んであるのかと思い、片方の扇を持ち上げてみるが別段重いわけでも硬いわけでもない。丁寧に扱われているのか、汚れらしいものは全く見当たらないが、年季の入った木製の――そう、ただの木製の扇である。
「おっと、ご主人。あまり乱暴に扱ってはダメじゃぞ。こう見えても結構な年代物での」
「でしょうね。どうみても骨董品の類でしょうが」
言われるまでもなく、僕は慎重に扇を開いた。現れたのは――一本の角を生やした筋骨隆々の男だろうか。見慣れない画風で描かれており、芸術方面に学の無い僕には少々コメントに困るものであった。
「どうじゃ、すごいじゃろ」
「……いや、すごいじゃろって言われても。これで魔獣を倒せるの?」
これまでの模擬戦で、ツムギが扇を使ったところなど見たこともない。
だが、僕の求めている答えは見栄えの云々という話ではなく、その扇を用いて魔獣を倒せるかどうか。その可否である。
そんな僕の問いに、ツムギは困ったように整った眉を少し曲げて、可愛そうな人を見るような目で答えた。
「ご主人よ、いくら次の試験の合否が絶望的だからといって現実逃避してはならんぞ。こんな古びた棒切れで、あんな化け物を倒せるわけなかろ」
「じゃあ、なんで勿体付けて出したんだよ……!」
小型、といえども魔獣の大きさは人間を凌駕しているのだ。個人で携行できる火器ではまるで歯が立たないことは、偉大な先人達が証明してくれている。当然、骨董品で殴って倒せるような相手ではない。
「そう慌てなさんな。言ったじゃろ? 儂とて出来ることと出来ないことがある、と」
なるほど、どうやら僕は早とちりしていたらしい。ようは魔獣の討伐が出来ればいいわけだ。何も扇で魔獣を倒せという無理難題を押し付けられたわけではない。
と、なるとここまで勿体ぶって紹介した扇にも意味があるのだろう。僕はツムギに言葉を促した。
「それじゃあ、この扇で具体的にどうやって実技のテストを合格するのさ」
「そんなもの簡単じゃ。こうやって扇を開き――」
慣れた手つきで扇を開き、ツムギは静かに立ち上がる。それは、まるで水面に浮いた花びらのごとく。ゆらり、ゆらりと鮮やかに彼女は舞う。
「儂が踊り、ご主人が魔獣を倒す。簡単じゃろ?」
――はい?
「それは、えっと、つまり僕が魔獣を倒すってことですか?」
「つまりもなにも、そう言っておるのじゃが。安心するがよいぞ。儂の舞はただの応援と違うのでな、これで万事解決じゃ。儂に応援された人間は百人力、いや千にも万にも比較にならんほど強くなるんじゃからな」
ツムギは自信満々に言うが、さて。
確認しよう。大前提として、魔獣を人間が己の力で狩ることなど、不可能。
「終わった……僕の青春、終わったぁ……!」
……僕、ロイド・メーティスの留年が決定するまで――あと三日。




