エピソード5.(彼女視点)
ありがとうございます!
星に問うても答えは出ない。
ああ、自由!そして、この得がたい解放感!なんだろう、この国へ来た当初を思い出してしまうものだな。国では自由とはいっても、常にシルヴィオに見張られていた感じは否めず務めもあったのだから本当の自由とは言えるはずもなかったし。だからこそ、ここでは好きに出来ると思っていれば、部屋に閉じ込められる日々。
……しかし。しかし、だ!多少は制限がかかっているとはいえ、こうして上手くいくとは思わなんだ。フフフ!シルヴィオには悪いが、これも婚約者殿を喜ばせる捨て身の策だ。まあ、捨て身といってもわたしではないのだが。今にも腰に手を当てて笑いたくなるのを我慢していれば。
「ね、ねぇ!本当に、これはお兄様のためになりますの!?」
アメリアに、袖を思いっきり引っ張られてしまい、弾みで壁へぶつかってしまった。
「っつう!」
「ふざけないで下さいな」
いや、決して遊んでいる訳ではないんだがな。
しかし、自由に動き回る為とは言え、婚約者殿を騙すのは心が痛い。いやいや。その代わりにあいつを売ったのだから対価は支払ったと思えば良いか。
というわけで、わたし達が今いるのはアメリアが通うステラ学園などではない。ふふん。誰に説明しているのか分からないのだがな!
そう、ここはあの憎き悪の巣窟、両替商の店の前である!あの悪人面した連中の悪事を暴いてやるのだ!タイムリミットは、今日の夕刻。それまで、何としてでも成果を出さなくては。
そして、婚約者殿にわたしを認めてもらうのだ!
「ねぇ、まさか、ずっとここで様子を窺うつもりですの?」
「相変わらず、繁盛しているようだな。うーん……正面だと、やはり分かりづらいか」
わたしが訪れた時のように列が出来ているところを見るに、ここで金を替える者は後を絶たないようだ。
「こういった機関は、画期的だろうしな。各国にあれば、要らぬ手間が省けるというもの。わたしの国にも是非導入したいぐらいだ」
「……あ、ありがとう」
「うん?どうして、お前が礼を言う?」
確か、これは婚約者殿が考案したと聞いたはずだが?
「ちっ、ちがっ!これは、そのっ、お兄様の代わりに言いましたのよ!」
「そうか」
そこまで、真っ赤になって怒らなくてもよいのに。
アメリアは、あの婚約者殿の妹でありながらとても素直で優しく話の分かるおなごだった。言うなれば、ドムクの次に打ち解けやすい。妹がいれば、こんな子がよいと思えるぐらいに、わたしはアメリアを気に入ってしまっていた。たまに、怒るのは解せぬが。
「それで?何か、策はありますの?」
「店舗の奥に潜り込めたら話は早いんだがな」
悪行といっても、どういった犯罪かまではわたしも聞いておらんしな。ここにドムクがいれば、詳しい話が聞けたのだが。……どうしたものか。
うーん、と悩んでいるとみぞおちの辺りから音がした。
「そういえば、朝食を食べ損ねておりましたわね」
「朝餉は、一日の始めを補う活力となるからな。腹が減っては何とやらだ、どこかで気軽に食せる所はないのか?」
「この辺りでしたら、えーっと」
アメリアは、わたしの空腹の音色を笑いもしない。それどころか、逆に申し訳なさそうな顔をするぐらいなのだから、……全く。自然と嬉しさに笑みが零れてにやけてしまう。
「なんですの?だらしのないお顔ですわね」
「すまん」
そういえば、今はヴェールをしておらなんだ。あれは、目立つからといってアメリアに取り上げられてしまったんだったな。しかし、代わりに帽子というものを被っているが唾という笠のような部分が広いとはいえ何とも心許ないものだ。
おかげで、アメリアにはわたしが今何を考えているのかバレてしまうのだからな。
そこで、再び催促の音が響き、アメリアと思わず顔を見合わせた。
「……」
「……」
余程、わたしのお腹様は何やら食事をご所望されておるのだろう。今度は、どちらからといわず笑い合う。
「確か、あちらの通りに出店がありますわ。ひとまず、そこでお腹をこしらえると致しましょうか」
「ああ、助かる」
少し歩くと、建物の間に広場があって出店もあった。砂漠地帯では考えられない噴水という水辺の近くにあるベンチに腰かけて、ようやく朝餉にありついた。
数ある食べ物から選んだのは、トマトや野菜、それとチーズにハムをバケットで挟んだものである。トリエンジェには、こういった手軽に食べられるようなものがないから珍しい。それに、匂いや見た目からして美味そうだ。こういう文化がもっと広がれば良いのだがな。
やっと食にありつけるし、他人の目も気にしなくてもよいから大口を開けて食べていると、アメリアがじっとわたしの顔を見ていることに気が付いた。
「ん?どうした、食べないのか?」
「え……あ、いいえ」
目の前には、数羽の鳥が寄ってきて餌をせがむように辺りをうろつく。初めてここに来た時は、国全体が灰色に見えていたのに、不思議なもので今は所々に色づいて見えてきていた。
「わたしに何か聞きたい事でも?」
そんな自分の感情の変化を感じながら、アメリアの返答を待つついでにバケットをちぎって鳥達へと放り投げる。
「……不躾だけれど、その、貴女のその瞳は特殊なものが見えますの?」
ん?
「目?特殊……?」
「あっ、わ、分からなければ今の発言は忘れて下さいな。その……以前、貴女と同じ黄金色の瞳の方がいて、そういった珍しい能力をお持ちでいらしたので」
そう言いながら、何故かアメリアの顔はいたく辛そうだ。どうやら、何か事情があるとみて間違いないが。――ふむ。
「アメリアは、確か学舎に通っているのだったな」
「ええ、そうよ」
「わたしは、物心がつく頃から毎夜星を見て育ったのだ」
それこそ、雲に隠された曇りの日でも雨の日でも、何も見えなくとも。泣きたい時も楽しい時も――どんな時でも。
常に空だけを毎日見ていた。
「だから、わたしが学を教わるのはアルテミオという耄碌した年寄り一人だ、今も昔も。そのアルテミオ御師が言っていた。『黄金色の瞳を持つ者は、運命に縛られる』とな。そういう運命の下に生まれてきたのだと」
ある意味、それは正しいと今のわたしは実感している。トリエンジェの王女として生まれ、星読みとして育ったわたしが今ここに居るという事。
星は何でも知っている、故にわたしはここに来た――自らの意思で。
「そう、ですの。……運命。けれど、運命で片付けられるものかしら?あたくしがこの世界に生まれた意味を、アメリア・フェアフィールドという名で生まれた意味を」
「難しい事を言う。そういう繊細さは、こ、ヒューバート王子とそっくりだ」
――本当に。話していく内にあの男がそんじょそこらの独裁者なんかではないのが分かる。周囲を警戒するのは、己と大事な者を守るため。敢えて突き放したり嫌味を言うのは、優しさの裏返し。少し潔癖が入っているが、懐に入れたものには情が深い。常に己の保身よりも国の最善だけを考えて、自らはひたすら孤独を選んで前へと進む。
婚約者殿の顔に一目惚れしたのは真だが、一つずつ知っていくにつれてこの胸の中で温かい感情が沸き立っていった。
だから。
わたしは、この男が安心できる場所になりたい――そう願わずにはおれんのだ。
「お兄様と?」
むう。半信半疑といった顔だな。まあ、それも理解出来るが。アメリアは、婚約者殿を尊敬して止まないようだし、同じだと指摘された事などないのだろうな。
「ああ。それこそ、血の証しだろうに」
「……」
むしろ、今のわたしにとってはひどく羨ましいと思える証しだ。
なのに、アメリアの顔はまだすぐれないようで。……まあな。そりゃあそうか、こういった問題は、己自身で解決せねばならんものだろうからな。運命にせよ、証しにせよ。
――されど。
そこで、思い立って背筋を伸ばしながら立ち上がる。その勢いで、鳥が音を立てて一斉に飛び立っていくが構わない。視界にばさばさと慌ただしい鳥達を映しながらも、アメリアの正面に立って手を差し出した。
「お前は生きている、ここにいる。その理由は簡単だ。この世に生まれたのは、お前が好きな者達やわたしに会う為なのだから」
そうだろう?と問えば、アメリアはひどく驚いた顔をしてからクスクスと笑い出した。なんなんだ、人がせっかく格好つけてみたというのに。もしかして、見当違いの意見だったか?
「思い上がりにもほどがありますわよ。……けれど、それも一つの解釈なのね」
よほど可笑しかったのか、いまだに笑いながらアメリアがわたしの手のひらにちょんと指先だけを乗せてきた。
「えらく中途半端なのだな」
「あら?今は、これだけで満足しておくべきだと思うけれど?」
「なにゆえに?」
首を傾げて見下ろせば、月の雫と謂われる純白の鳥、ハクリの美しい羽根のような微笑みを湛えて見つめられる。
婚約者殿と同じアマデウスの色合いの輝く瞳で。
「わたくしが貴女にこの手を預ける日がくるとすれば、それは貴女を『義姉』だと認めた時だからよ」
「……っ、そ、それならば仕方ない」
不意打ちとはまさにこのような事を言うのだろう。年下とは思えない鮮やかさだ。むしろ、わたしよりもアメリアの方が格好よい。
「さっ。照れていないで、さっさと食べて戻りますわよ」
……誰の所為だ。
「変わりなし、のようですわね」
視線の先には、相変わらず両替を待つ人の列。並んでいるのも多種多様で、不審な者は見あたらない。同じような者が出入りしている様子もないし。
「……どうすべきか」
このまま、ここに居ても収穫は無さそうだ。
「そういえば、ここには裏口はあるのかしら?」
「裏口?」
「ええ。あそこで働いている方々も、あそこから出入りしているのなら扉は一カ所だけという事になるけれど」
そうじゃなければ――
「行ってみるか」
「ええ」
裏口とは盲点だったな、アメリアが一緒で良かった。巻き込んでいるという自覚はあるが、今は彼女の存在がありがたい。店の合間にある通れそうな筋を進み、裏道に出る。そこは、アルテミオ御師には、くれぐれも通らないようにと口を酸っぱくして言われていた陰気な空気の塊が集まる、裏路地という名の通りだった。
「確か、両替商の店は」
少し進めば、店の真裏に行き当たる。だが、そこで立ち止まるのは危険なので、通り過ぎてやや離れた位置に進み、ちょうど死角になる場所に隠れた。
「どうやら、アメリアの言う通りだったな」
顔を少しだけ出して見つめる先には、従業員用の出入り口がある。もっと早く気付いていればと悔やまれるが、そこはもう致し方ない。
「とにかく、今日はここで一日待っているしか」
「しっ!」
アメリアが人差し指を口元にあてて動きを止めたのと同時に、中から一人の男が大きな鞄を大事そうに抱えながら出てきたのが目に入った。
あれは確か……王宮で婚約者殿に話かけてきていたこの業務を委託されているという民間企業の会長か。会長ならば、ここから出てきてもおかしい点はどこにもない。ただ、一目に付かない路地裏であるにも関わらず、しきりに辺りを見渡しているのが気になるが。
「おい、まだか!」
しかも、妙に気を揉んでいるような?
「……っ!?」
訝しんでいると、例の大木のように背の高い如何にも悪人面した男も中から出てきたのだが、それよりも共に出てきた者達を見て目を見張る。いや、彼ら全員という訳ではない。
その中の、紅一点。
会長同様に何かを警戒して険しい顔をしている他の連中とはまるで違う。どこか、ここではない場所に魂を飛ばしているかのように呆けた顔の女性に驚きを隠せない。
「どうしましたの?」
「……あ、すまない。あの女なんだが、わたしは以前ここに来た時に会っているのだ」
そう。思い出すのは、ドムクと共に悪事を暴くと息巻いて並んでいた時のこと。後ろの客が、あまりの進み具合の遅さに怒って投げつけたものにぶつかったのが彼女だった。あの亜麻色の髪は、間違いない。
「あの時は一般の客かと思っていたものだが。まさか、客を装っていただけだったとは」
だから、あの時わたしの事を無視したという訳だ――店側の人間であると下手に勘繰られぬように。何か事情があるのだろうとは思っていたが。
「それは、とても怪しいですわ。……あら?どこかへ行くようですわね、わたくし達は」
「追いかけよう!」
全員で六人か。見るからに、緊張した面持ちの彼らは、何度も周囲に気を配りながら歩き出した。
「もう!貴女って人は。……分かりましたわ」
後ろで何やらため息をはき出されたような気が。いや。とにかく、今はあの連中がどこに行くのかが気になって仕方ない。これは、好機ととるべきだろう。
くどいぐらいに辺りを見ながら移動する集団を、後ろから追いかける。初めての国で初めて来た場所ばかりだが、彼らが人目に付かぬよう移動している事はわたしでも理解出来る。
両替商とは、シンプルに考えれば金のやり取りをする商人のこと。つまりは、その元手もかなり必要となるのだが、それは管理元である国から資金援助なり融資なりを受けているはず。――とくれば、当然彼らが行くべきは王宮であるはず、なのだが。
「まさか、保税倉庫に向かっていますの?」
「保税倉庫?」
「通関前の貨物倉庫ですわ。両替所のジョアン会長は、元は貿易商だったとは聞いておりましたけれど」
そう考えると、不自然ではないのだろうな。
だが、きな臭いのは気のせいではないはずだ。何故なら、わたしの五感がそのように訴えているからだ。これは、決してふざけている訳ではない。
わたしの『星詠み』としての勘がそのように示しているのだ。
「……二人で来たのは間違いだったかもしれませんわね」
言いながら、片手で己の片腕をさするアメリアを振り返る。つい今し方までは、市街地の路地裏とはいえまだ何かあれば助けを呼べそうな通りだったはずなのに、いつの間にか空気が変わって倉庫なのか殺伐とした小路に来ていた。しかも、裏通りであるからかどれも同じような建物ばかりに見えて仕方ない。
そんな物騒な場所に、アメリアを連れてきたのは失敗だったかもしれない。
砂漠の民ならば、己がどこに居るのかさえも分からない砂の海に漂っている恐怖を誰しもが一度は味わっている。かくいうわたしも、幼き頃に一度だけそういった体験をしたからこそ、まだこのような場所でも不安はない。
だが、アメリアは違う。
彼女は、想像でしかないがまだそういった真の恐怖を味わった事などないだろう。箱入りのお姫様にはハード過ぎたか。
だいぶ、歩いてきたとはいえ、行き着いた先はいくつもの資材がコンテナに積まれて囲まれた置き場所となっていた。
……仕方ない。ここで詮索は諦めよう。アメリアを不安がらせても、何の特にもならんしな。と、アメリアにその事を伝えようとした、その時。
「本当に来るんだろうな!?」
その場に響くほど苛ついた声の主はジョアンという名の男なのだが、対する相手はいまだ緊張感の欠片もないあの例の女だった。
「……」
「くそっ!奴隷を寄越しやがって、舐められたもんだ!」
――『奴隷』だと?
まさか、この国にはまだそのような因習が残っているというのか?人を人として扱わない、『奴隷制度』というものが。
だが、次の瞬間、自然と眉間に皺が寄ってしまったわたしの隣りから、ひょっこりと顔を覗かせたアメリアの憤る声がその思いを打ち消した。
「奴隷ですって?」
「アメリア。じゃなくて、あまり顔を出すな」
「分かっておりますわよ。……奴隷なんて、物騒な言葉を聞いたから、つい反応してしまいましたの」
小さく口を尖らすアメリアは可愛いが、話が不穏過ぎて一気に緊張感が増してくる。
「クルサードにはいないのか?」
「おりません。この国は軍国主義で、土地を拡げる為にはどんな手段も問いません。ですが、人に対しては国の資産という見方ですの。奴隷として扱っていつか反逆の狼煙を上げられるよりか、一人の人間として扱って取り込んでいく方が何かと便利、というのが理由ですけれど」
そういえば、そんな話をアルテミオ御師からも聞いていた。クルサードは、領土拡大を狙っていても命までは奪らない、と。あくまで、決定権は本人に委ねられる。そして、傘下に下れば、身分問わず能力によって振り分けられるというものだった。
「あの女性は、奴隷でしたのね」
「……ああ」
だから、この場にそぐわぬ態度でずっと突っ立っているのだろう。
「助ける、なんて事は」
「無理だ」
アメリアの言葉を即座に否定してから、ふと思う。
「クルサード国の姫が、そんな事を言うなんて珍しいな」
アメリアとはまだ昨日出会ったばかりだが、総体的にここの国の人間は不幸な他人に対しては追い打ちをかけるが如くに酷く冷たい。この国で最初に出会ったのがドムクだっただけに、人助けをしてくれるのは国民性だと錯覚してしまうのだがドムクも彼女が物を当てられた時は見過ごしていたのだ。……婚約者殿なんて、その最たる者だろうしな。
「こ、ヒューバート様も、お前のそういう純朴な所が可愛いのかもしれんな」
「こっ、これは!ちょっと……あ、あの人達のお人好しが、う、うつっただけよ」
よほど恥ずかしかったのか、アメリアがまるで猫のしっぽのような己の髪の毛先に指を絡めながらしどろもどろに答えてくれたが。
「ん?」
『あの人達』――とは?
一体、誰の話をしている事やら?それよりも、隠れているとはいえ、そこまで取り乱していると、いつかバレ――
「そこにいるのは誰だ!?」
って。しまったか、やはり!
「くっ!」
せめて、アメリアだけでも逃がさないと!それだけは何としてでも、と後ろへ振り返ろうとした。
――瞬間。
「……んっ!?」
背後から伸びた手が、わたしの口を覆った。