エピソード4.(彼視点)
ありがとうございます!
国の統治とボードゲームは全く違う。
それ故に、己に何が不足していて何を補えば良いのかという点を常に留意しておくべきだ。
元々、睡眠時間はあってないようなものだったが、クルサードに帰ってきてからは更に寝る暇はない。 だからといって、完全に睡眠時間をなくす事など出来ない事は分かっているので、確実に信頼の出来る衛兵がいる時にだけ眠るようにしている。
そうすると、自然と目覚めの時間は誰よりも早く。まだ、朝日が昇る前に起床する。
そんな僅かだが、何者も動かないこの静謐な時間がとても好きだ。それを味わいながら、静かに考えを巡らせる。
――様々な案件について、そしてこの国の行く末について。
そうして思案していれば、廊下の方からしばらくして給仕する者達が一人、二人とどんどん忙しくなく動き出す音が増えていく。そろそろかと頃合いを見て衣服を着替えたところで、トーマス特有の癖があるノックで扉を開けて。
「おはようございまっす!」
「……」
「えっ!いや、閉めないで下さいよ!?」
という批難の声に、呆れてもう一度扉を開けば。
「……これは、一体何の真似ですか?」
呆れるのも無理はない。静かに怒りを含んだ声音で吐いた私の視界に、何故かトーマス以外の頭が映っているのだから。
「す、すまない!どうか、ロプンス殿を責めないでやってくれ!」
「申し訳ありません、お兄様!」
今すぐ立ち去れ、と言いたい所だったが、トリエンジェの姫だけではなく我が妹までいるので口を閉じた。
衛兵たちの報告によれば、特使殿とアメリアが昨日たまたま出会って意気投合したという事でしたが。 ――まさか、結託するほどまで親しくなるとは。
朝から煩わしい事、この上ない。
「――で?どういったご用件で?」
そもそも、私は私室に誰かが近寄るのも嫌いなのだ。それを、トーマスとアメリアはよくわきまえているからこそ、その一言で顔を青白く染めあげる。
だが、そんな事もおかまいなしで空気すら読めない女は勢いを付けて頭を下げた。
「たっ、頼む!どうか、私に学校見学をさせてはくれまいか!!」
さて、これは一体?
「この度は、我が国の姫が軽率な行動を取ってしまい、大変申し訳ございません。実は、エトワール様は星読みとしての資質を高められる為に教育施設には行かず、元老院に所属していた者に教えを受けておられるのです」
やはり、トーマスにこの者の爪の垢でも煎じて飲ませたい。そう思えるぐらい、朝っぱらだというのにシルヴィオの佇まいは綺麗だった。
「お前に面倒はかけないつもりだ。だから、許可をくれないだろうか」
「朝から、お兄様にご面倒をおかけして申し訳ありません。……でも、少しでもこの方に学びの舎を見せてあげたくなってしまって」
どうしようもない苦笑いから、アメリアが彼女にどれだけ心を砕いているのかが導き出せる。学園の制服を着ている事から、どうやらアメリアはどちらにしても学園に行く予定だったのだろう。
――さて。
「アメリア、食事は?」
「あ、ま、まだです」
「そうですか」
どうやら、食事よりもこちらの方に重きがいっているようだ。そこまでして、彼女に何の価値があるのかは分からないが、アメリアも頑なな性格なのでこうして部屋まで訪れたということか。
普段は、朝食をとっていないけれども。
「分かりました。話は、食事の席で聞きます」
「あ、ありがとうございます」
ここで押し問答をしていても埒があかないのは目に見えている。敢えて、わざと息を吐いて廊下に出ればアメリアが子犬のようについてきた。
横で嬉しそうな笑みを浮かべている所をみるに、私がとりあえず受け入れた事に安心しているのだろう。それに、いつも食事の場では家族が揃うことなどなく、アメリアとも一緒に食べる事もないので舞い上がっている状態か。
何にせよ、妹への体裁はこれでいい。容易に流されやすい性格は、いずれ矯正しなければならないが。
そこで、ようやく足を止める。
「……どうしました?」
ここまで散々無視をしてきたのは、ちょっとした嫌がらせだと分かるように。振り返った先には、やはり悔しそうな顔がそこにあった。
「あっ、朝餉ならご家族で食すのだろう?わたしは、そこに入るわけにはいくまいて」
「……」
どうやら、この女にこういった行いは全く効果がないようだ。
嫌味も嫌がらせも効かないとなると、後は何を推し進めていくべきか。思わず、真剣に考えそうになっているとアメリアが袖を引っ張った。
「お兄様。この方には、何をしても無駄ですわ」
と言うことは、アメリアも一通り試してみたという事なのか。はあ、と今にもため息が出そうな表情を見るに、そういう事なのだろう。
「な、何なのだ、二人で話して!」
「ああ、いえ。うちは常に自由ですので、貴女も一緒に食べたいのなら構いませんよ」
「えっ!?皆で一緒に食さないのか?」
「集まる事自体、あり得ませんね」
「……そんな」
これは、隣国に留学している時にも思ったが、何故、時間は限られているというのに、全員で食事をしなければならないのか。そういう習慣があるならばいざ知らず、我が国では急な用件にも対処出来るよう何よりも迅速さを求められる為、そういった行いは非効率的過ぎるのだ。そもそも、朝食は各自室で摂っている。
そういう文化の違いがあることを、この姫君は知らないのだろう。
「行くのか行かないのか、どちらですか」
とにもかくにも、ショックを受ける前に早くどちらか決めて欲しい。
「あっ、い、行く!」
ダイニングルームは、案の定、誰もおらず、不安げな特使殿には適当に席についてもらう。
先にトーマスが話を済ませているはずだったのに、現れた私がアメリアと異国の客人を連れてきた事に待っていた女官の顔に動揺が走っていたが、そんなものはおかまいなしで自分の席へと腰を下ろした。
「特使殿は、苦手な食べ物などありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。トリエンジェとクルサードは、食の文化も違うが今まで出してもらったものは全て美味しく頂いている」
それは、残念。食べ物が口に合わなければ、それを口実に早々に帰って頂けた事でしょうに。
「そうですか」
「強いていえば、辛いものだな。トリエンジェは、煮込み料理が多いがスパイスのきいた香辛料を使うものはあまりなくてな」
「わたくしも、辛い料理は苦手だわ」
「おお!気が合うな」
「ふふっ」
どうやら、親しくなったという話は本当らしい。こうして、にこにこと楽しげに微笑むアメリアが何よりの証拠といえる。私以外の家族の前では、あまり見せた事のない笑みをこうして異国人に向けているのだから。
本当はここで喜ぶべきなのだろうが、相手が相手なだけにどうしても歓迎できない。
そうこうしている内に、食事の準備は整えられて。目の前には、トーストとバター、そしてスープとメインディッシュが並べられた。
それでも、まだ会話を弾ませる女性陣を放っておいて、湯気の立つ温かいスープにスプーンをいれる。
こうして、食事の場で食事をするのは久しぶりの事だった。目の前にある『朝食』を見下ろしながら過去の記憶と共に思い出されるのは、たった一つの事実のみで。
――期待など、枯れ果てた。
ただ、現実を受け入れるのみだ。
そうして、淡々と口に含んだスープにやはり、という思いが先に浮かび、ため息が零れでる。舌先がわずかにピリリと痺れるのを感じながら、妹たちが手を付けていない事を確認する。
「アメリア、特使殿、申し訳ないのですが、朝食は別の場所で再度作り直させるので、これらには一切手を付けないように」
「え?」
「ま、まさかっ!」
夜が溶けたような色の髪をさらりと揺らしながら首を捻る異国の姫君と血相を変えて立ち上がるアメリア。その違いは、この王宮の事をよく知っているかどうかだろう。
「お兄様!」
慌てて私の傍へと駆け寄ってきたアメリアに、大丈夫だと手で制す。その一連の行動が理解出来ない異国の女の元に、彼女の騎士が歩み寄って食事から遠ざけた。さすがは王族付きといえる。
「な、何が」
「このような状況で考えられるのは、……毒、ですね?」
「っ!?」
戸惑いの声を上げる主を引き寄せながら、険しい顔のシルヴィオが導き出した答えに自然と笑いがこみ上げてくる。しかし、答えるより先に軽く咳き込んでしまって、アメリアが躊躇いながらも私の背中を優しく擦った。
「……お兄様」
「大丈夫です、アメリア。今回使われた毒は慣れている物だったようなので、たいしたことはありません」
「でも」
「お前が気に病む必要などないですよ」
そう言って笑ってやれば、幾分か安心を取り戻したようで、アメリアは見るからにホッとした。
……相変わらずですね。
そう思えてしまうのは、幼すぎて妹は覚えていないだろうが、私が正式に王位を継ぐ事が決まった日の事だった。アメリアが私を祝いたいと言って、夕食を一緒にとっていたところ、私の食事にだけ毒が混入されていて途中で倒れてしまったのだ。
気付けば自室のベッドの上で、トーマスに聞いた所によると三日三晩私は寝込んでいたらしい。
私が目覚めた事を知ったアメリアは、女官達の制止もきかず私のベッドに飛びつくとぼろぼろと大きな粒の涙を流しながら謝ってきた。
そういえば、あれ以来アメリアから食事に誘われるような事は一切無くなった。
けれど、この子の記憶にはないものの、肉親を失う恐怖はしっかり根付いているのだろう。何より、アメリアには幼い頃から私以外に縋るものが全くない。
アメリアにとって、私という存在は母よりも、そして国王である父よりも重要で妄執している。
そんな私が、毒で倒れでもしたらどうなる事か――それは、容易く想像を絶する。
「ほ、本当に、大丈夫なのか!?薬師に診てもらった方が、いやっ!その前に誰が、一体」
……面倒な。
どうやら、文化の違いなのかこういった事は不慣れなようで、彼女はまだ一人取り乱していた。そこへ――
「実行犯の一人はちゃんと捕まえたっスよ。混入したと思しきコックは、自害してましたけど」
そう言いながら、片手に先程の女官を拘束して戻ってきたトーマスに異国の二人が驚いて目を見開く。
「どこへ行っているのかと思っていたら!」
「まさか、こうなると先に読んでいたのですか!?」
主従とは、息もぴったりしてくるものなのですかね。
やはり、これは自分達の行動ももう一度考えてみた方が良いのだろうか。
「いや、俺ではなくて殿下からの指示で」
「そうなのか!?分かっていて、どうして!」
こいつは、また面倒くさがって。
本当は、トーマスも私と同時に気が付いていたからこそ、食事が並んだと同時に油断している相手を捕らえに行っていたはずなのに……その説明を主に丸投げするとは。
「毒を口にしたのか、ですか?確証がありませんでしたし、ある程度の毒であれば慣れていますので」
「慣れの問題じゃないだろう!?」
「そうですわ!お兄様は、この国で父上の次に尊ばれるお方ですのよ!」
そうは言っても、この王宮ではよくある事なのだ。……いや、それよりもいつの間にアメリアまでもが私を批難する側に回って?
「ご様子から判断させて頂きますが、このような事態は初めてではございませんね?」
まあ、その通りだけれども。
この男、勘が良いのか悪いのか。しかも、こんな時になにも女性陣の火に油を注ぎにいかなくても良いのではないだろうか。
うちの従者は、ちゃっかり楽しんでいるようだし。
「否定はしません」
どうせ、長居されていればいつかは分かる事なのだ。
一人、椅子に腰掛けながら頬杖を突いて全員の顔を見渡せば、トーマス以外は不満そうにこちらを見返す。
どうやら、それで聞き流してくれないらしい。
「……はあ。分かりました、お話しましょう。その前に、場所を移動しましょうか」
女官や武官たちが慌ただしく部屋へ入ってくるのがちょうど目に入ってきたので、立ち上がる。
朝からゆっくり紅茶も飲めないとは、なかなか辛い。
「で?さっそくだが、聞かせてもらおうか」
移動先は、他に落ち着ける場所もなく執務室になってしまった。客室は油断ならないし、他の部屋も然りで、ここには重要な書類などは置いていないので仕方なく部屋へ招き入れる形となった。
とりあえず、毒を薄める為にもまずは水分が欲しくて、トーマスのお茶を待っていたのだが。
「昨日のご兄妹達のアメリアへの行いといい、ここはおかしい」
「い、いけませんってば!そのように、他国の王族を貶めては」
ばっさりと言ってくれる。
むしろ、それでも主には情けない顔をさらしながらも嗜めるシルヴィオに感心すらしてしまう。
「いえ、構いませんよ。私も、隣国へ留学を経験した際にそのような事を思いましたので」
そう、まるで隣国ではそれが当然だと言わんばかりに、王族は揃って食事をとるのが慣わしだった。私も入国して一週間ほど彼らと食事をする機会があったが、その誰もが心からの笑顔を浮かべて楽しんでいたのを覚えている。
この国とはまるっきり違って――
「わたしは、回りくどいのが苦手なのでな。悪いがストレートに聞かせてもらおう。お前は、一体誰に命を狙われておるのだ?」
執務室という密閉された空間だからか、今の彼女は伝統のヴェールを取り去っており、その下に隠していた美貌を無防備に晒していた。
忌まわしい黄金の瞳が、私を捕らえる。
それはまるで、死刑を宣告された囚人を見下ろす女神のようで冷たく優しい。我が国の真下にある小さな宗教国家のシンボルのような。
「……お兄様」
特使殿一人であれば、このまま黙秘を続ける事が出来た。けれども、アメリアの表情からするに、どうやらおざなりには出来なさそうだ。
「アメリアには、これ以上余計な苦労を与えたくはないのですが」
「そんなっ!わたくしは、もっとお兄様に頼られたい!……もう後悔したくありません」
これは、何を言っても無駄だろう。アメリアにとっての後悔とは、彼女が一生涯の秘密として打ち明けた暴露話に私が野心を抱いて起きた悲劇によるものが大きい。
今でも時折、妹は自分が悪いと悩んでいるのは知っている。当時は、私以外に頼る者がおらず、私の関心を引きたいという思いと、私の将来にも関わることだったのでそれが自分に出来る最大のお返しだと考えていたのだという。
「もうこの際、ぶっちゃけましょうよ」
見るからに、この状況を楽しんでいるのはトーマスだろう。お茶を淹れながらも、今にも鼻歌を歌い出しそうな顔がそれを物語っている。
……この男は、私を主人だと全く思っていませんね。
そんなトーマスに怒りが湧きながらも、こうなることは予想がついていたので大きく息を吐き出した。
「アメリア、まずこの土地の歴史を特使殿にお教えしなさい」
「は、はい。簡単に説明します。ここ、クルサードは元々フェルデンという国が支配していた土地でした。そこへ、初代コールフィールド王が現れ、戦の末にフェルデンの土地の三分の二を奪いクルサードと名付けたのです。そして、クルサードは現在まで時には戦を起こして土地を少しずつ拡大していきました」
さすがは、短期留学生に選ばれるだけの事はある。余計な史実を省き、誰にでも分かる言い回しは、とても素晴らしいものだろう。
だから、私の狙い通りに言えたかどうか心配になって、ちらりとこちらをのぞき見た事は問わないでおきましょう。私が王宮教師だったら減点ものです。
「お前達の国が、奪い合いを好むのは知っておる」
「ひっ、姫殿下っ!」
それが何だ、と言いたそうな特使殿にシルヴィオが批難の声を上げたが構わない。
そう言われる事は、最初から分かっていたのだ。
だからこそ、の前振りが必要だっただけなのだから。つまりは、そう。
「それが全て、です」
「なに?」
ここまで言わせて、彼女は分かっていないらしい。訝しむ異国の姫の疑問には直ぐ答えず、トーマスが淹れてくれたお茶をまずはストレートで味わうために口を付ける。
これが、あの方だったらきっと直ぐに思い当たるはずなのに。
これが、彼女との違いなのだ。
思いの外、舌触りが良くてしかも渋味も少なく飲みやすい。この茶葉はミュールズからの輸入品ともあって懐かしさに気分が良くなる。
先程の毒騒ぎも、これで解消されそうです。
全く、自分はいまだにミュールズという言葉に弱い。たった一人、そのたった一人を彷彿とさせてくれるものならば、マイナスだった気分もプラスに変わってしまうのだから。
「全てとは、どういう意味だ?」
ああ、すっかり忘れてました。
「全ては全てですよ。貴女が言い当てた通りです、この国は奪い合いを好んでいる、と」
「……では、ご家族の内のどなたかという事でしょうか?」
「さっすがシルヴィオさん!」
「トーマス」
「ふあーい、すんません」
この男は、本当に。
主よりも先に正解を見つけた彼の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいほどだ。呆然としている異国の姫の心など知った事ではないので、一瞥した後、喉を潤ませ口を開く。
「現在、我が国には陛下の后が四人います。私とアメリアは、第一夫人。そして、第二夫人には、レメディオスという名の第二王子とオードリーという第二王女が。第三夫人には、私の異母姉であるカミーユがいますが、彼女は他国へ嫁いでいます。それから、ティアナは第三王女。特使殿が昨日目撃したというアメリアへの嫌がらせを積極的に行っているのが、このティアナ、それからオードリーですね。後は、第四夫人ですが彼女は十年ほど前に嫁いできた新入りで、ドラクロワという末の弟を産みました」
「クルサードは、一夫多妻制なのか!?」
驚くべきどころは、そこなのか。
いまいち、この姫君の感性が理解出来ず思わず眉間に皺が寄る。
「お姫さんって、ほんと面白いっスねぇ」
こっちはこっちで感心しているようだし。朝だというのに、頭が痛い。
「あなた、ちゃんとお兄様のお話を聞いてました?というか、そもそも兄を亡き者にしようとした人物のお話をしていた事をお忘れになっていらっしゃらないでしょうね?」
「むむ、分かっておる。ただ、一夫多妻制であれば、そこに、その色々と押し込める事も出来るのだなとかなん……」
「ごにょごにょと何をおっしゃっているのかは分かりませんけれど、そのお話は別の機会にして下さらないかしら」
「ああ、すまん。それもそうだ」
本来、内気なアメリアがここまで他人に容赦がないのは珍しい。
「つまり、だ。お前に死んで欲しい人間はその内の何人だ?」
そこでアメリアに引き戻されて、ようやく話の本筋に戻った特使殿の金色と目が合った。
嘘を見抜く気高き黄金の瞳、と。
「私が死んで喜ぶのはこの子以外の全てでしょうね」
彼女がそうとは限らない。が、私にとっ黄金色の瞳はそれだけトラウマになってしまっているようだ。
だから、今まで黙っていた事実を口にする。
この十八年間で集めた事実を。
「なっ!!」
「ですが、陛下は惜しいとは思って下さるかもしれません。母は、私が死ねば慌てふためく事でしょう、自分の威厳を支える要が消えるので。後は――」
「ちょっ!ちょっと待ってくれ!こっ、この国は、そこまで物騒なのか!?」
愚問過ぎる。これも、国同士の違いだろうに。
「お兄様、あたくしもそこはこの方と同意見ですわ。……そもそも、どうしてもっと早くおっしゃって下さらなかったの?あたくしは、てっきりお姉様達はあたくしだけが疎ましいのだと思っておりましたわ。だって、いつも家族が集まればお兄様の周りに集まりますわよね?ですから、お兄様は皆に愛されているのだと」
思っていたのに……、と呟くアメリアの瞳に涙が浮かぶ。
それもそのはずだろう。なにせ、私は王位継承、つまりは次期国王の座を正式に拝命されているのだから。私以外頼る者がいない母はもちろんの事、次の国王となる私に刃向かおうという者はいない。
――けれども。
この事実を知ればこうなる事は分かっていただけに、このタイミングで言わざる得なくなった事は少なからず悔やまれるかもしれない。
「わたくしの……全ては、わたくしの思い違いでしたのね」
アメリアの瞳から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちる。
愚鈍な妹ではあるが、こういった感情は私より起伏が激しい。ここにいるのが、二人きりであるならば、私も多少は慰めようとしただろう。
しかし、そこは予想通りに異国の客人がしゃしゃり出た。
「これ、どうぞ」
そう言って、胸ポケットから取り出したハンカチをアメリアへ手渡したのはシルヴィオで。異国の姫を守る騎士らしく、何でもそつなくこなして手際が良い。いまだに彼がどういう容姿なのかも分かっていないが、特使殿の美貌を鑑みれば多少なりとも見目はきっと良いに違いない。
体格といい、姿勢といい、頭の回転も守るべき相手よりも速い。これで家柄も良いなら、是非ともアメリアの婿として来てもらいたいぐらいだが。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ」
アメリアには、その気がない。これは、昔からそうだったが。
「しかし、本当に全員なのか?話しぶりからするに、末の王子はまだ幼いのだろう?」
「そっ、そうよ!ドラクロワは、心根が優しい子だもの。第四夫人も、どこか気の弱そうなご婦人だったわ!」
だからこそ、一番厄介だと言わざるを得ない。
第四夫人は普段から外に出るようなタイプではないから本性を掴めていないが、その息子は相手によって態度を変えているという報告が上がっているのだ。
しかも、より性質が悪いのは、何よりアメリアが私以外の兄弟の中で唯一褒めるのがドラクロワだという事だろう。所詮は、アメリアの心を支えていた私の留学中の繋ぎという存在でしかなかったが、今でもたまに一緒に本を読んだりしているらしい。
「そう思うのは、お前の勝手です」
「……そうですが」
「深入りして、私まで巻き込むことだけは止めるように。これは、他でもない私からの忠告です」
そう、アメリアが誰と親しくなろうが私には心底どうでもいい話なのだ。薄情に見えるかもしれないけれど。それで酷い目に遭ったとしても、それはアメリアの自己責任であるのだから。
しかし、『私』の妹であるという立場をよく理解してもらわなくては困る。次期国王の私に関する情報を簡単に流されでもしたら、そこから何か企てをする者は絶対に出てくる。
「はい、申し訳ありません」
アメリアは、決して思考を止める事はない。幼い頃は、変化する事に酷く臆病だったが、一年前にミュールズへと行ってから、妹は変化を受け入れ始めた。
だからこそ、こうして言い含めると分かってくれる。
「お前達は、いつもこうか?冷たくないか?」
それを分からないようでは、私の隣りに立つことは出来ない。
「クルサードは、貴女が求めるような温かな場所ではありません。嫌なら、さっさとトリエンジェにお帰り下さい」
「なっ!そこまで言わなくたっていいだろう!?だいたい、わたしは……あっ!!」
今度は一体、何なんだ?これ以上、他人に振り回されるのはまっぴらごめんだ。
「アメリア!ガッコウ!ほら、時間が!」
「……そういえば、すっかり忘れておりましたわね」
腕にはめた時計を見れば、通学にはまだもう少しだけ余裕があるけれど。
「見学と言いましたが、具体的にはどうするつもりですか?」
「学園長には、もう既に話を通してありますわ。主に、わたくしの受ける授業に参加してもらう予定です。ですが、エトワールさんは特別大使としていらしております。ですから、お兄様に許可を頂くためにお部屋へ行ってしまいましたの。申し訳ありません」
という事は、昨日の時点で根回しが済んでいたということか。
そこまで計画が出来ているなら、何故昨夜の内に話を通そうと思いつかなかったのでしょうね、この子は。
「……分かりました、許可しましょう」
他人との深入りは禁物だと伝えた先から、どうやら二人はかなり意気投合しているようだと分かってしまった。
喜び合う二人を見ながら、半ば諦め混じりに息をつく。
「そうと決まれば、さっそく準備をしなければ!」
「あっ、ひ、ひめ殿下ぁ、お、お待ちをっ!」
善は急げとソファーから駆け足で出て行こうとする特使殿と彼女に腕を引っ張られたアメリアを追いかけようと、シルヴィオが慌ててお茶のソーサーを机に置く。話をしている時も常に彼女の後ろに立っていたので、トーマスがお茶をソーサーごと手渡していたらしい。
どこかの図々しい家臣とは全く違って、彼こそ従者の鑑のような男だ。
「ひ、ひめで」
「待て、シルヴィオ」
ただ、主に対してのみ向けられる情けない態度には、内心で苦笑いを浮かべてしまうが。
主人である女に続こうとして、片手で制され素直に待つ姿勢にも。
というか、犬ですか。
何故か、待てと言われて疑問に思いながらも大人しく従ってしまうようで。ただ、どうして止めたのかは私も不思議に思う所だ。
「んー、ゴホン!あー、その、わたしの代わりと言えばお前にとって比較する方があり得んだろうが、こいつは置いていくから好きなように使ってくれて構わない。そ……その、なんだ、青少年としてあるまじき破廉恥行為も、この男はそれなりに嗜んでいるはずだろうからな」
「「「は?」」」
いきなり、何を言い出したかと思えば。
しかも、あまりにも突然過ぎて、珍しくここにいる全員の返事が一致したほど。その破壊力は計り知れない。
……ああ、ですが。アメリアは、どうやら事前に知らされていたみたいですね。
一人だけ平然としているので、驚かされたのはどうやら男ばかりのようだった。
「特使ど」
「そんなぁっ!?ひ、ひめでんかぁぁああっ!」
「ふっ。分かっている、シルヴィオ。だから、わたしからも一言だけ頼むとしよう。あまり無理強いはしてくれるなよ、こいつは見かけだけの男だからな。それじゃあ、行ってくる!!」
「……あ、ああう」
どうして、あそこまで勢いだけで生きていけるのかが分からない。
ここまで、自分と相反する存在は容易に動かせる事など出来ないと、今は痛感するしかなかった。簡単にいえば、頭が痛い。