エピソード7
戦ばかり続ける国に生まれて十九年。
当人の意思も聞かず、公爵家が権力でもぎ取った第一王子の側近という地位はトーマスには荷が重すぎた。だからといって離れる訳にはいかず、色々あって現在に至る。とまあ、何が言いたいのかというと、トーマス・ロプンスは軍事国家クルサード国の王子の側近なのだからそれなりに数多くの経験をこなしているという事だ。
――だったはずだった。
「……いやいや、ぶっちゃけ無理っスね」
時には諦めも肝心である。という言葉は、トーマスの主は一度も口にした事がない。だが、トーマスは違った。
幼少の頃に一度、運命に抗ってみたものの結局、元の鞘に戻ってしまった時に悟ったものだ。時に諦めなければ生きていけない、と。
そう。
そして、今現在、再びそういう思いが募った。
「阿呆、早々に諦めるな!」
しんみりしていた所に野次が飛び、トーマスの意識が現実に戻る。
「いや、そう言いつつあんたも距離を取ってますよね!?」
ふわっと風が薙いで砂が舞う。シシーに駄目出しをしながらも、トーマスはその風から距離を取る。すると、避けた先にあった壁に亀裂が入った。
――こっわ!
「お前、馬鹿か!俺にあんな化け物の相手をしろと言うのか!?」
「いやいやいや!俺は!?ねぇ、俺は!?」
避けてなければ明らかに一巻の終わりだった。トーマスが冷や汗を拭いながらあの砂の刃に裂かれて死ぬのはちょっとな、と思い直してシシーを批難するも。
「何を言ってるんだ。俺たちは最初から敵同士じゃないか」
「ぎゃーっ!都合が悪くなった途端にそれーっ!てか、ね、ねぇ、シシーさんっ!」
ばっさりと線引きがされる。
しかも、この短時間だけの付き合いだがあまり表情がなかったシシーが満面の笑みを浮かべていたりするのだ。あの主にしてこの従者、と思うのは当然だろう。
「なんだ?」
「えっと、あの方、俺だけじゃなくて俺たち二人を狙ってますよ。ほら、あのつぶらな瞳を見てあげてください。あそこに映ってるの、俺とあんた」
ちょいちょいとシシーを呼んで、対峙しているものを指さす。
「つぶらな瞳?お前はどこを見て――」
すると、意外と素直に寄ってきたシシーとトーマスの間をシュッと一陣の風が通り過ぎた。瞬間、ドスッと固いはずの壁にまるで刃が刺さったかのような音がする。
「……よし、何か手を考えるからお前は時間を作れ」
「えっ、えっ!?作れって!?いや、無理ですって!」
明らかに人間技ではないのに、シシーがそそくさとトーマスから離れていく。
「クルサード一の剣術遣いの家系のお前ならやれる。というか、やれ。俺の為にやれ」
「あ、あんたの為にはやりませんよ!――けど、そうですねぇ……、っと!せめて、殿下の無事を確認しない事には――っ!っしょ、と!死ねませんね!」
ブツブツ文句を言いながらも攻撃を受け流したり回避するトーマスにシシーが半目になったがトーマスは知るよしもない。
「何でもいい」
「ちょっ、俺、今、すっげぇかっこいい事言ったのに!」
何でもいい、はさすがにどうかとトーマスが口を尖らせる。だが、その間も相手からの追撃は続いておりそれらを全て軽やかに避けていた。
「俺だってあの毒婦を見つけるまでは死ねん」
「ははっ、そうですか」
俺より面倒そう、と思ったのは二人同じだった。互いを不憫に思いながら、それぞれの役割を果たすべく沈黙が生まれる。
洞窟という狭い空間でも縦横無尽に動き回れるのはトーマスの努力の賜物だろう。ヒューバートの護衛を担ってからトーマスは決して鍛錬を怠らなかった。
全ては、一生を捧げた主の為に――――
線のようだと評判のトーマスの灰色の瞳に映るのは異様な動きを見せる骸骨だった。
――多分、女。
そう思うのは骨であるのに古めかしいドレスをその身に纏っているからだ。だが、本当に女かどうかも怪しいものだ。
何せ、その骸骨には首がなかったのだから。
そう、本来ならばあるはずの頭蓋骨が見当たらない。それは現れた当初から首から上が無かったのだ。
冷静にそのようなものを相手に戦えるトーマス・ロプンスという男はやはりただ者ではないと言えよう。だからこそ、シシーには勝機が見えた。
「シシーさん!まだっスか!?」
攻撃が止む事は無く、トーマス自身、段々疲労が溜まってきているのが自分でもよく分かる。これはいつ攻撃を食らってもおかしくないと思い始めて、ようやく焦りが芽生えた。
まだか。
まだ、策は思いつかないのか。
シシーよりも動けるから囮になって動き回っているが、このままでは身が持たない。
「……」
けれど、彼は依然と隅の方で頭上を見上げているだけだった。
こうなった時のシシーは何を聞かれても返事をしない。周囲にロセたちがいればそんな答えが返ってきただろうが、ここにいるのは生憎と二人きりだ。つい数時間前に会ったばかりのトーマスはそんな内情など知るよしも無い。
「……」
「……」
もしも、トーマスの立場がエトワールだったとしたら直ぐに憤っていた事だろう。もしくはシルヴィオであっても業を煮やしている所である。
――だが。
たまに不機嫌な主から無視される事に慣れてしまったトーマスは素直に諦めて終わった。
“そもそも他人に期待するというのが間違いです”
トーマスの主ならば、そう言うに違いない。だからこそ、トーマス自身もそういう考えを持っていた。
「こんな事なら、ヴィルフレオ教に入信しておけば良かったのかなぁ」
首のない死人と戦うなど、本来想像すらつかない出来事だ。
不可思議な現象に遭遇するのは当たり前だと噂される宗教国家、聖ヴィルフ国の人間ならばこのように手をこまねいてなどいないだろう。
……多分。きっと。…………と思いたい。
心の中で縋り付くように願いながら、トーマスはため息をはき出しながら飛んできた砂で出来た刃を躱した。
「あそこの人たちならコレの対処法知ってそうなんだよなぁ」
特に慣れていそうなのが国の要である教皇に選ばれた枢機卿たちだろうか。つい最近まで聖ヴィルフ国は五十年ほど鎖国していたが女神の降臨より千年を迎えて開国するに至った。
しかし、枢機卿たちは鎖国中でも密かに各国に訪れていたのをクルサードの密偵たちは掴んでいた。
当然、次期国王ヒューバートの側近であるトーマスもその情報は知らされている。
彼らが“聖遺物”と呼ばれる代物を探しているという事を――――
「聖遺物っていうのがあるぐらいだし、色々と知っていそうな気がするんスけどね」
ここに突然、枢機卿がやって来ないかなと思っていると、後方でパチンと指が鳴らされた。
「それだ」
「それ?」
「聖遺物」
「まさか、シシーさんはヴィルフレオ教の信者なんっスか?」
世界に女神崇拝者は多い。この世界の基礎を創ったとされる女神ヴィルティーナを崇めるヴィルフレオ教の信者はどこの国にも一定数いる。
だから、敵であるシシーがヴィルフレオ教の信者でもおかしくはない。
「まさか」
だが、瞬時に否定の言葉が返ってきた。
「ですよねー」
言ってみただけですし、と呟いたのは負け惜しみだったが特にがっかりもしていない。
「じゃなくて、聖遺物。すっかり忘れていたが俺が持っていたんだ」
「へぇ、そうなんっスか……って、それは――っ!」
シシーの懐から出されたものに驚きを隠せない。
何故ならば――
「『銃』だ。これがオリジナルだ」
思えば、この火器から彼らとの因縁は始まったといえるだろう。タイミングの問題か、はたまたそれが運命だったのか、トリエンジェ皇国の女王の娘エトワールがクルサードにお忍びでやってきたのがきっかけだった。
彼女は砂漠の国トリエンジェ皇国の姫でありながら星詠みの巫女である。そんな彼女が星詠みで『運命の相手』として選んだのがクルサードの次期国王ヒューバート・コールフィールドであった。
エトワールと関わってからトーマスは、否、ヒューバートは様々な事件に巻き込まれる事となった。その全てがシシーの主――ロセが関わっており、相対する度に交戦することになったのは当然の結果といえよう。
各国に支店を持つ貿易商“エンデ商会”。現在、セレスティア共和国を拠点としているが、各支店長は有能ぞろいと聞いている。――だが、それは表の顔で。
裏では人身売買や武器売買、薬物にも手を出しているという情報があがっていた。
――――通称『死の商人』
それがエンデ商会の裏社会の通り名で、経営を一任されているのがロセという白金色の髪の美少女だった。
そして、彼らが各国の要人に売り込んでいるのが『銃』と呼ばれる携帯しやすい小型の火器である。
「……オリジナル」
以前、トーマスはシシーの仲間の一人である奴隷の女から押収しており、シシーの持っているものはそれと全く同じ形だった。
――原型。
つまり、彼らは既に『銃』の複製に成功しているということだろう。
……そこまで進んでいたとはね。
トーマスは数時間前に別れた主と再会するまでに、ある程度の情報は仕入れておこうと思っていたがここまでくると情報過多だ。――けれど。多すぎても、あの主の事だ。きっと「これだけですか?」と冷めた目でトーマスを見てくるのだろう。そこまで予想出来る自分に笑いがこみ上げてくる。
ふふっと笑ったトーマスにシシーが少し眉根を寄せて首を傾げたが、二人の間に砂刃が飛んできて気が逸れた。
「シシーさん」
「誘導しろ、こいつで仕留める」
「了解っス」
カチリ、とシシーによって安全装置が外される。トーマスも『銃』の使用方法とその威力は既に把握している。
彼女――と呼べるかどうか分からないが、どういう仕組みで動いているのか今もまだ分かっていないドレス姿の骸がトーマスを追う。
彼女の手から生み出される砂刃は速く、実はトーマスでも全てを躱しきれてはいなかった。シシーが思案している間、足や腕などに裂傷が出来ていて今もドクドクと鈍い痛みが伝わってきている。
――まあ、殿下にやられた時よりも痛くなんてないっスけどね。
ヒューバートに奪われた右目を塞ぐ傷跡に触れる。
今も思い出すのは己を見下ろす深緑の瞳だ。その瞳に映っているのは幼い頃のトーマス・ロプンス――つまりは自分自身。凍てつくような冷めた目に宿る、僅かな悲しみをトーマスは見逃さなかった。
あの日は雪がちらついていてとても寒かった事を覚えている。
寒さのおかげでヒューバートに切られた瞼の傷は大事に至らず、けれども地面を覆っている真っ白な雪に真っ赤な沁みが拡がっていった。
己の瞼を切り裂いた短剣を手に持ったまま己を見下ろすヒューバートに誓った言葉は今でも鮮明に覚えている。口にはしないが、きっとヒューバートも覚えているだろう。
俺の身体も精神も全て、――俺の一生はヒューバート様のものだ。
だから、必ず生きてヒューバートの下へ戻らねばならない。何をしてでも。
骸骨の手から生まれる砂の刃を避けて、わざと相手の懐に飛び込む。すると、相手が一瞬だけ怯んだ所でトーマスが叫んだ。
「今っス!」
流れ弾に当たらないよう、今度は姿勢を低くして向かいの壁へとスライディングする。その瞬間、大きな破裂音が洞窟内に轟いた。――と。
僅かな光を宿した銀の玉が骸骨の胸元を貫通していった。
トーマスが振り返ったと同時に、古びたドレス姿の骸骨が静かに倒れ込んでいく。
あまりにも一瞬の出来事だった。
「……やった、か?」
しばし、二人が警戒を解かず骸を見つめる。
「そうだと良いっスけど」
微動だにしなくなった骸骨から距離を取ったままのシシーとは逆に、トーマスは恐る恐る彼女に近付いていく。
「うーん。やっぱ、これってクラールク王国の伝記にある『首なしマリー』になぞらえたものなんっスかね」
「本物かもしれんぞ」
骸骨が身に纏っているドレスはかなりの年代物と言っていい。もうほぼボロボロで当時の色合いは残していないが、上等な布であつらえたものであるは素人目でも見て分かる。
「ここって王家の墓場って言われてるんでしたっけ」
「古代の遺跡を墓場にする人間の気が知れんな。だが、まあ、墓場泥棒を退かせるには効果的であるといえる」
「確かに」
こんな恐ろしいものが彷徨いているのだ。敵同士であっても、お互いの見解が一致する瞬間だった。
「動かないようだし、それはもう放っておいて良いだろう」
「っスね」
でも、どうせなら骨は粉々になって欲しかったな、と思いながらトーマスはようやく安堵の息をこぼした。
「先を進もう」
「了解っス」
シシーが仄かな灯りを宿すランタンを持ち直す。せめて、この灯が消えないうちにお互いの主と合流したい。そう願いながら再び歩き出そうとしたその時、洞窟の暗がりから声が聞こえた。




