エピソード8.
茜色の空の下、同じく紅い小さな花が咲き乱れるクルサードが誇る大庭園。その中にある噴水の前で、エトワールは目的の人物をようやく見つける事が出来た。
小さな蕾に手を添えて微笑む姿は慈悲深い女神のようで、そこだけ切り取ってしまえば一つの芸術作品として成り立つだろう。その美しさに、エトワールは目を奪われる。中性的な顔立ちもあって、性別を先に知り得なければエトワールは誤解していたに違いない。
まさに、儚い命といわれている幻想の中の生き物、妖精と呼ばれるに相応しい人物だった。
しばらく立ち竦んでいると、彼から少し離れた位置に立つ護衛の人物に気づかれてしまい、エトワールはそこでようやく我を取り戻した。
きっと、頭のてっぺんから上半身を布で覆い隠している今の自分は相当不審に見えていたに違いない。逃げられても困るし、時間もない事からエトワールは思いきってその少年へと声を掛けた。
「すまぬが、貴殿がイエリオス・エーヴェリー殿で間違いないだろうか」
ミュールズ国内でも上位貴族の子息らしく、彼に似合う濃紺の衣服も上等な布で誂えてあるのがよく分かる。なにより、夕焼けと紅い花々を背景にした彼の白金色の髪はきらきらと淡く輝きよく映えていた。
「申し訳ありませんが、どちら様でしょうか?」
――『誰?』
振り返った少年に、ふわりと心の痛みを伴う声が甦る。
その言葉は全く同じ意図でありながら、性格が滲み出ているかのようで。
「……あ、ああ。すまぬ。わたしはトリエンジェ皇国のエトワール・アルフ・ワ・ライラという。その、ここで貴殿がヒューバート殿と会うという話を聞いてな、無理を言って少しばかり時間を譲ってもらったのだ」
その違いに、戸惑いを感じずにはいられない。だが、誠実であれと常に自分に言い聞かせているエトワールは、素直に自分のフルネームを彼に告げた。
「これは申し訳ありませんでした、トリエンジェ皇国の皇族の方とは知らず」
トリエンジェと聞いて、大抵の者は遠方のにある砂漠の国という事しか知らない。なのに、彼は直ぐにエトワールが皇族だと気がついたようで慌てて敬いの礼を取った。
「いや、堅苦しいのは苦手なのでそういうのは止してほしい。それに、わたしの方こそ貴殿に謝らなければならぬ事があるのだ」
それを慌てて止めて、エトワールは彼の律儀さに思わず苦笑する。
なるほど、これが『本物』なのか、と。
「謝る、とは?」
そんなエトワールの心など知らないイエリオスが、小首をこてんと傾けた。
「……も、申し訳なかった!敵の策に乗せられていたとはいえ、わたしは貴殿を殺めかけたのだ。この詫びは一生償う!だから、わたしに出来る事ならば何でも言ってくれ!」
彼の仲間の助けが後数秒でも遅れていれば、もしかしたら彼は死んでいたかもしれない。
そうなれば、エトワールだけでなく国同士の問題にまで進展していただろうし、クルサードも絡んでいる事から更にややこしい事態へと発展していた事だろう。せめて、女王として国を守護する母に苦労はかけまいと、エトワールは無理難題を言われても絶対にやり通すと決めていた。
「……ぼんやりとしか覚えてないのですが、あの時のあれはあなただったんですね」
彼の名を騙っていた者と彼の仲間とのやり取りから、彼はエトワールと同じ屋敷に囚われていながらずっと薬で眠らされていた事は知っている。だからこそ、あの時の彼は短剣でやり合いながらもその動きが鈍かったのだ。
「大変申し訳なかった。取り返しが付かないのは重々承知しているつもりだ。どうか、責任を取らせてくれないか」
彼を知る者は、エトワールが謝罪をしたいと言ったら一様に苦笑いを浮かべて大変だろうけど頑張って、と口々に言っていた。
どうしてそんな事を言われるのか、彼女は不思議で仕方なかったのだが。
「責任とおっしゃられますか。うーん、……でしたら、貴国の法で禁止されていないのであれば、そのヴェールを取っていただいてもよろしいでしょうか?」
なんという低姿勢。というか、エトワールにとってそれは願いでもなんでもないただのおねだりも同然だった。
つい、拍子抜けしてしまうのは致し方ない。
「え?あ、そ、そんな事で良いのか?」
それより、トリエンジェに対して要望や要求はないのか?と逆に聞き直したいほどである。しかし、下手にそれを口にするのは悪手だと分かっているのでエトワールはぐっと耐えた。
「……やはり、ご無理でしたか?」
と、明らかにしょんぼりとした顔をされて、エトワールは慌ててぶんぶんと首と手を振る。
「い、いや!」
人間だと分かっていても、この世ならざる美しい者にそんな顔をさせるのは心が苦しい。ありがとうございます、と胸に手を当てて微笑む少年につられて、エトワールはうむ、と笑顔で頷いていたほどだった。
淡い紫色をした布を慣れた手つきで取り外す。夕暮れとはいえ、夏の暑さで高潮していた肌は外気に触れて気持ちが良い。こういった要望はたまに受けるので慣れてはいるが、人形のように美しい人物からだと恥じらいが生じる。ぶっちゃけ、恐れ多いと思えてならない。
今までは、誰もが彼女の神秘的な髪を珍しいと褒め讃えてた。だから、少年も当然同じだろうとエトワールは思ったのだ。
「お前も、やはりこの髪が気に入ったのか?」
そこで、思い出すのはやはりあの偽物が放った言葉で、内心で苦笑いがこぼれてしまう。
―――『それにしても、エトワールさんの髪って珍しい色合いですね』
あの時は、自分が頭部を隠していなかった事への驚きが大きかったが、純粋に褒められて嬉しくもあったのだ。今では、それすらも演技だったと思えてしまう。二人が別人だと分かるからこそ、その思い出は深く彼女の心を切り裂いてくる。
まるで、一つの呪いのように。
だが、少しばかり憂鬱になったエトワールに気付きもせず、イエリオスはキョトンとして小首を傾げた。
「髪ですか?ああ、確かに御髪も大変魅力的ですが、私はそのままの殿下と相見えたかったのです」
「……え?」
てっきり、彼も『珍しいですね』と言うのかと思ったのだ。なのに、イエリオスの目的はこの髪ではないという。エトワールが驚いて目を丸めると、イエリオスは暁に染まる空を仰いで瞳を凪いだ。
「あの時、目が覚めて直ぐのこと、私……僕はわけも分からず無理矢理に短剣を握らされていました。そして、殺されたくなければ殺しにこいと言われて、なんとか抵抗しながら逃げたのです」
確かに、エトワールには二人が現れた際に、本物のイエリオスの方が劣勢で相手の攻撃をひたすら受け止めていただけのようにも見えていた。
「ですが、あの方は僕が攻撃しないと分かると、今度は妹を連れてくると脅してきました。妹と殺し合いをしたくないなら自分を殺せ、と」
その時の事を思い出し、イエリオスが小さく震える。
「恐い思いをさせてすまぬな」
あの時、本当はエトワールも直ぐにでも飛び出していきたかったのだ。見た目からして、今にも壊れてしまいそうな儚い存在に恐怖を味合わせてしまった自分が本気で腹立たしい。ぎゅっと力を込めた握り拳に悔しさが込められる。
しかし、イエリオスは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「殿下には感謝しかありません。今思えば、あの方はわざとこけて見せたのでしょう。朦朧としていたし異様な雰囲気もあって、あの方に刃を向けておりました。そんな僕を、殿下は止めて下さったのです」
「いや、だが」
エトワールにしてみれば、あの時叫んだのは彼女の知る『イオ』がピンチだったからだ。
誤解だ、とエトワールが言う前に、イエリオスは存じております、と先に述べた。
「けれど、僕にとってはそれが救いとなったので」
ありがとうございました、と深々とお辞儀をするイエリオスの器量の良さに圧倒される。
真っ直ぐ、こちらを見つめる美しい顔は毅然としていた。
ヒューバートが好きになるのも無理はない、と思えてしまったほどに。
『私の好みは――穏やかで誰に対しても礼儀正しく自分よりも他人を優先してしまうほど優しいのですが、きちんと芯が通っていて、ああ、それに意外と諦めの悪い所があるのですがそれすら魅力に変えてしまう人でしょうか』
まさしくその通りの人物だ、とエトワールは思わずくしゃりと笑ってしまった。
そこへ――
「だから、この方は一筋縄ではいきませんよ、と申し上げたでしょう?」
二人から少し離れた所から声がかかった。
その声の主は、つい先ほどエトワールが思い出していたその人で。
「ヒューバート殿!いや、だがな、こういう事はきちんと筋を通さねば私の気が済まぬのだ」
「そうですか」
エトワールに対して肩を竦める態度は、相変わらず手厳しい。そんな難攻不落の男に思いを寄せられる彼を不憫に思いながらも、二人の距離感が気になったのはやはりエトワールも恋をしているからだろうか。
「……ヒューバート様、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「あなたも」
たった一言ずつの挨拶なのに、言外に含まれている思いの量はあまりにも多い。
それを正しく認識する事は出来ないが、エトワールですら強く感じてしまうほどだ。そうとくれば、当然いたたまれなくなってしまって。
「あっ、じゃ、じゃあ、わたしはこれで!後は若い者で、まあ、ごゆっくりとだな!うむ、ではまたな!」
エトワールは、逃げるように急いでその場から去って行ってしまった。
残された二人は、しばらく無言で立ちすくむ。――と、ヒューバートが徐に一つため息を吐き出した事によって時間が戻る。
「とても素敵な方ですね」
足早に去っていく背中を見つめながら、イエリオスがクスクスと笑いを溢した。
「仕事でなければ関わりたくない人種です」
それに目を細めながら、ヒューバートは嘆息して答える。
「そうですか?」
「ええ、そうです。そんな事より、今回はあなたを巻き込んでしまったのは全て私の責任です。この度は危険な目に遭わせてしまって大変申し訳ありませんでした」
警護という名の監視者がいる手前、堅苦しく謝罪するという訳にはいかない。けれど、彼には、彼にだけは知っていて欲しかったのだ。今回の己の不甲斐なさを。
その罪をもって、この先も見ていて欲しいという思いを込めて。
「……」
もしかしたら、呆れるかもしれないと思っていた。
いや、それよりも無関心である事の方が恐いとも思う。
だが、イエリオスの取った態度はそのどれにも当て嵌まらなかった。
「キョトンとされているようですが、どうしましたか?」
「え、あ……正直に申し上げると、あなたとは色々とあったので少し会うのが恐かったんです。ですが、あれから随分ご立派になられたなって思って」
そう言って、浮かべられた柔らかい微笑みは、まだ会って間もない頃によく見たものと同じだった。
決して、許してもらおうなど思ってはいない。
けれども、このほんの少しの変化はヒューバートにとってとても重要で尊ぶべき前進だと実感出来た。
「……」
「あ、あの、……ヒューバート様?」
今度は珍しく固まってしまったヒューバートに、イエリオスが戸惑いの声を上げる。もしや、自分は何かしでかしてしまっただろうか、という焦りも含んでいて彼らしい一面を懐かしく思えた。
「失礼しました。あなたにそのように思われた事を誇りに思います」
「いや、あの、そんな大層な事は言っていないと思うのですが」
ヒューバートの言葉に苦笑いを浮かべて、イエリオスがヒューバートを仰ぎ見る。その雲一つない晴天のような蒼い瞳が、ヒューバートを捕らえて離さない。それは、ヒューバート自身がそう望んでいるからか。
「またいずれお会いしましょう」
約一年ほど前は、イエリオスを連れ帰る事に失敗した時は逃げるようにミュールズから離れたが、こうして穏やかな会話が出来るようになるとは思いもしていなかった。
「……ええ、必ず」
そんな思いがけない幸せの訪れに、らしくなくこの上ない喜びが溢れる。
その為にも、エンデ商会とは片を付けなければとヒューバートは心に誓った。
「さて、彼を確実に僕のものにする為には次に何をすれば良いと思う?っとと」
空は青。
眼下に広がる景色も同じく青く、潮の香りを吸い込みながら少女は、天真爛漫な笑みを浮かべて勢いよく振り返った拍子に前へとつんのめってしまった。
「危ないから気をつけろ」
その小さな体を抱きとめながら、ホルストが注意する。
「ああ、ごめんごめん」
「今日の海は穏やかであるらしいけど、気をつけてください」
高い高い空の位置から、鳥の鳴き声が降り注ぐ。彼女より先に前科を犯した女が、柱へしがみつきながら少女の体を気遣った。
「分かったよ」
それに苦笑いを浮かべて、少女はホルストの腕にしがみつく。
「アタシはヤですからね。次は裏方に回らせてもらいますよ」
あの男の顔はしばらく見たくないの、と彼女の問いかけに答えたのは、壁面に凭れながらも白い帽子の鍔を気にする女装姿の男だった。その真っ白なワンピースは、陽光を受けた波の反射で眩しいほどにキラキラとしている。
「あの執念深そうな所が最高なのに」
お姉ちゃんは分かってないなぁ、と少女がくすくすと笑ったところで、黒いスーツに身を包んだ細身の男が盛大なため息をはき出した。
「……あー」
最悪だとばかりの渋面を顔に貼り付けて。
「一つ、ある。……が、お前もタダでは済まされんぞ」
片手で口を覆いながらも、その視線は頭上の見えない鳥を探しているかのように見える。が、それは彼のいつものスタイルなのである。
「良いね、良いね!さっすが僕の最初の男」
「依存症にしただけの事はあるって?」
そこへ、先程までの心配はどこへやら少女に腕を取られた状態のホルストが皮肉を口にする――と。
「だって、逃げないようにするにはそれが一番手っ取り早いじゃない?それに、おまけで武力を補う貴方が付いてきたのだし」
少女は、とても楽しそうに微笑んだ。
そして――――
「さあ、それじゃあ今度は何して遊ぼっか」
薔薇の名を持つ白金色の髪の少女は両手をぱちんと合わせながら、この船を異国へと渡らせるこの海のような青い瞳で己の忠実なる部下たちを見渡した。
これで、第二章は終了です。
最後までお付き合い下さりありがとうございました!
しばらくお休みを頂いたあと、本編の七章に入ります。




