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エピソード7.

申し訳ありません、今回が最終話と言っておきながらもう一話だけ続きます!

 エトワールの指示の下、馬車を走らせること約一時間。クルサード国特有の赤い煉瓦建築が並ぶ城下町の外れにその小さな屋敷はあった。二人も誘拐した上に監禁もしている状態なので、てっきり都心部から離れた場所にでもあるのかと思っていたが、それは住宅街の中の一軒家だった。


 大胆というべきか、それとも木の葉を隠すなら森の中、といった所ですね。


「本当にここに?」

 周辺を慎重に確認したところ、ダンテたちはまだ戻ってきていないようでヒューバートはその建物の風貌を下から仰ぎ見ていた。

「ああ。ほら、窓を板で塞いでいるのが分かるだろう?あれのおかげで、飛び降りる事など出来なかったのだ」

 飛び降りる、という不穏な単語に一瞬だけ柳眉を寄せたが、ヒューバートはざっと全ての窓を流し見る。

「空き家であればよく見る光景ですので、違和感はありませんでした」

 それに、もし屋敷へ入っていくのを人に見られても、まだ入居して間もないだの強盗対策だのと言い訳をすれば誤魔化せる。常に戦争をしているクルサードの国民性を考えれば、特に気に留める事でもなかった。

 だからこその盲点だった、と言えるだろう。

 おかげで、本当にまだこの中にイエリオスが囚われているのかも分からないほど静かだ。

「どうする?このままだと埒が明かんぞ、皆で一斉に押し入ってみるか?」

「いやいやー。お姫さん、それは駄目っスよ」

 トーマスのいう事は尤もで、夜更けも過ぎて他の住民が寝静まっているから屋敷へ強引に突入して騒ぎを起こす訳にはいかない。

 それに、いつダンテたちが帰ってくるとも限らないのだ。相手の戦力も分からず、押し入った所を後ろから挟み込まれてしまえばその時点でアウトだろう。その為、ヒューバートは連れてきた衛兵たちには数班に分かれて隠れながらいつでも動けるようには待機させてある。それでも、十に満たない人数しか引き連れてきていないのだから不安は残る。

「だったら、どうすれば良いのだ」

 エトワールの性格上、ヒューバートのようにじっくり考え込むのは苦手だった。彼女からすれば、この時間がひどくもどかしい。

 それなのに、ヒューバートはエトワールのことを無視する。

 これはさすがに腹が立つな、と思考の海に潜っているヒューバートに詰め寄ろうとした瞬間、彼女の耳に轍が回る音と馬の蹄の音が聞こえた。

「……馬車か?」

「どうやら、あいつらが帰ってきたみたいっスね」

 部下からの報告を受けたトーマスからも声が上がり、三人は物陰に隠れてその様子を窺うことにした。

「先程と変わらんな」

 馬車はヒューバートが目立たないように私用で使う系統のよくあるタイプである。その御者台には、ホルストと呼ばれる大男がいて、キャビンの中にはダンテと奴隷の女ジェナが乗っており、エトワールの言うように三人の他には誰もいなかった。


 人質の交換に二人だけで来ていたとは。


 その事実に驚くと同時に、たった二人でもこちらの戦力に勝てるという勝算があった事の方が信じられない。もし、人質交換が決裂していたとしたら、と想像していまだ詰めの甘い己に苛立った。

「あれ?でも、帰ってきたという事でもない感じじゃないっスか?」

「静かに」

 三人が見守る中、キャビンから出てきたのはダンテだけでそのまま誰も待たずに屋敷へと入っていく。ホルストもジェナも動かないので、ヒューバートたちもただ物音を立てずに見ているしか出来ないのだが。

 ヒューバートも本音を語れば、今すぐにでもあの中へ入ってイエリオス助けたかった。だが、自分には立場というものがあって、無鉄砲な行動を起こして連れてきている部下たちを負傷させる訳にはいかないのだ。

 トーマスと二人だけであれば、と無意識に唇をかみ締めた。

「……なあ、お前はやっぱりイオを選んだのだろう?」

 そこへ、エトワールが意を決した顔で問いかけてきた。

「どうしてそう思うのですか?」

 ヒューバートにとっては今更でしかないので首を捻る。

「あの女装男に、どういう事かと問いただしていたではないか」

 そうですが、と言うヒューバートの傍らで、トーマスが何故あの怒りを目にした上でそれを蒸し返すのかと驚いている事などエトワールは気付いていない。

「あれは、二人ではなくあなた一人だったからですよ」

「でも、スーツの男がお前はわたしを選んだと」

「いいえ、私は誰も選んでなどいません。それはあなた方をわざと煽るように仕向けたとみて間違いないですね」

 どうして、そんな真似をしたのかは不明だが、気持ちの良いものではない。

「……だったら」

「はい?」

「だったら、もし選ぶとすればお前はやはりイオを選んだのであろう?」

「……」

 しばらく、ヒューバートの森のように深い緑色の瞳とエトワールの黄金色の瞳と交差する。

 エトワールの言わんとしてる事は当然、ヒューバートにとって本望と言っても過言では無かった。

「はい」

「……やっぱり、そうなのだな」


 ――――だが。


「彼は、あなたと違ってここへはオーガスト、ミュールズの王子の側近として公的に滞在していますからね。今は妹君の機転で上手く誤魔化せていますが、我が国内で拉致されていると知られたらクルサードとしては困るんですよ」

 それこそ、和平条約などという平等を謳ったクルサード有利の特権が、本当に対等なものになりかねないのだ。そうなれば、国益に繋がる大問題となってしまう。だだでさえ、元外交官のミルウッドという厄介な相手に目を付けられている状態だというのに、これ以上国に負荷が掛かるような事は避けたい。

 今回の場合は、クルサードを継ぐ者としてそこが一番大きかった。

「もちろん、あなたが怪我をされでもしたら女王が黙っているはずはありませんからね。なるべく私の指示に従っていただきますよ」

「……わ、分かった!分かったから、そうシルヴィオみたいにくどくど言うな」

 後半部分に力を込めて言った所為か、エトワールがわっと耳を塞いで何度も頷く。たまにはこういうやり方も効果があるのかと思いながら、ヒューバートが視線を屋敷へ戻す、と。


「あれは!」


 屋敷の扉から勢いよく細身の男が飛び出してきたかと思えば、開いたままのエントランスで短剣を握りしめた影が二つ現れた。

「何だ!?い、一体、どういう状況なんだ?」

 二人は争っているように見えるが、片方の人物はただひたすら攻撃を躱しているだけのようにも見える。だが、どちらの顔付きも真剣で演技をしているようには全く見えない。

 金属のぶつかり合う音が、この静かな夜の住宅地で異様さを放っていた――その時。広さを求めるかのように庭へと移動した事によって、争う二人が雲間から伸びる一筋の月の明かりを浴びる。

「あ、あれは……イオ!?」

 そう呟いたエトワールの隣りで、ヒューバートは声に出さずとも息を飲む。

 動作も遅く拙い剣術で悪戦苦闘している様が見てとれて、劣勢に陥っている事に焦燥感が募る。エトワールの言うように、今すぐ助けにいけたら、という思いに何度も駆られて、その度にグッと拳を作って己を縛めなくてはいけなかった。

「ああ!あいつ……っ、そこだ!いや、危ない!……よしっ!」

 というエトワールの野次をうるさく感じながらも、内心ではヒューバートもそれに劣らずハラハラしていた。


 しかし、どうして剣を?


 屋敷の中で何が起きたのかは想像も付かないが、剣技が苦手なイエリオスが誘拐犯の仲間と思しき少年と争っている事が今は何よりも心配だった。暴力的な事が一切苦手な彼が、逃げる為なのかこのような方法を取ったという事が信じられない。


 ――ああ、ですが。

 本当に、あなたはクルサード(ここ)に居るんですね。


 遠目から見ても、ヒューバートには妹のアルミネラではなく本物のイエリオス自身だと断定できる。

 何より、彼の人は一年の時を経てもなお、ヒューバートの心の中の思い出と変わらず美しいままだった。いや、それよりも更に磨きが掛かっているかもしれない。月の明かりを受ける透き通った白い肌と煌めく白金色の髪の下で苦悩の色を隠せない貌は、彼が母国で喩えられる夜の妖精のようにも見えた。

 まだまともに顔を合わした訳でもないのに、たったこれだけで胸が焦がれる。

 彼がクルサードの地に立つ事は、ヒューバートの夢でもあったのだ。ミュールズでのはかりごとが上手くいっていれば、今頃、彼は既に己の所有物としてこの地で隣りに立っていたはずなのに、という悔しさは今も残っている。

「頑張れ!っ、あー!」

 内心はどうであれ黙ったまま彼らを見つめるヒューバートと違って、エトワールは無意識に声が漏れていた。

 イオとはたった二日ほどの付き合いだったが、敵の陣営の中を共に過ごしてきただけあって思い入れは深いほどある。それは、ヒューバートの思い人だという事を省いても、その気持ちに変わりはなかった。それほど、この数日はエトワールにとって濃厚な体験だったのだ。

 別れ際、イオは「生きてまた会いたい」と言ってくれた。

 だからこそ、エトワールはイオを救うために危険を冒してまでヒューバートに付いて来た。

「いけっ、そこだ!……あっ!!」

 と、その時エトワールの視界の中で、相手の少年にいなされてイオが短剣を落として尻餅をつく。肩で息をしながらふらつく少年を見上げるイオの顔が絶望を滲ませていて。


「イオ!」


 気が付けば、エトワールは感情に突き動かされるままその場から飛び出していた。



『これは、彼らが取り扱っている物です。危険性はありませんが、一通り使い方をお教えしておきますね』と言って、イオから手渡された凶器をその手に持って。



「止めなさい!」

 彼女が手にしているものを見て、ヒューバートとトーマスが慌てて追いかけるも、その俊敏な行動には間に合わない。

「ちっ!もうすこ……っ!」

 安全装置を外して、照準を合わせるエトワールにトーマスの手が触れるかという刹那――――



 煌々と月が支配する暗闇を、一つの、耳をつんざく破裂音が切り裂いた。



 そのあまりにも大きな音に、近くにあった木々で寝静まっていた鳥たちが次々と羽根を拡げて飛び立っていく。それが過ぎれば、再びこの住宅街には静寂が支配権を取り戻しており、ヒューバートは己の足音がやけに大きいと感じてしまった。

「……そんな」

 そう呟いたのは、エトワールの方だった。

 危険ではないと言われたはずが、その火器から放たれた威力は持っていたエトワールですら後ろ手に倒れたのだ。そんな彼女を上手く抱き込んで助けたのがトーマスで、彼がいなければ今頃エトワールは勢いのまま地面に頭を強く打っていたかもしれない。

「お怪我はありませんか?」

「……ヒューバート殿」

 そこに、数歩遅れてようやくヒューバートが辿り着き、ぺたりとしゃがみこんでしまった彼女へと手を差し伸べる。

「あ……、イオは」

 銃のあまりにも強い威力に、後からじわりと恐怖が滲んで手が震えてしまう。だが、それよりもエトワールにとってイオの窮地を救えたかどうかという方が気になった。

「あの方は、大丈夫ですよ。寸でのところで助けられましたので」

 ヒューバートがちらりと視線を向ければ、気を失ったイエリオスを抱きかかえる妹の番犬ノアと目が合った。その様子に、さすが凄腕の元暗殺者だと感心する。

 彼は、エトワールが銃口をイエリオスに向けたのと同時に現れて、見事にその場から連れ去ってくれたのだから。その鮮やかな手腕に、内心で拍手を送るほどだった。

「え?ちがっ、そっちはあいつらのボスなんだろう?」

「……」

 だから撃ったのだ、と続けたエトワールの言葉に、ヒューバートはそこでようやく全てを把握した。


 ……ああ、だから。

 だから、彼女はあの方にこの殺傷能力のある火器を向けたんですね。


「……なんと悪趣味な」

 そんなヒューバートの呟きが聞こえたのかは分からないが、ずっと尻餅をついたままの少年が「ふふっ」と笑いを溢した。

「え?……イオ?」

 エトワールには、どうしてイオが笑い出したのか分からない。ただ、その笑い声はエトワールの知っているイオらしくないという事が分かるのみである。

「あはは、ふふっ、あははは、ははははははっ!あははははーーーーーっ!楽しいねっ!すっごく楽しい!あははははは!!」

「イオ」

 これは一体どういう事か、とエトワールは問いかける為にその名前を口にする。

 彼女にとって、イオとは目の前で可笑しそうに笑う少年なのだ。けれど、彼はそう呼ばれて再び笑いを濃くした。

「な、なんで」

「その者が『本物』ではないからです。あなたは騙されていたんですよ」

 いつまでたっても立ち上がらないエトワールを少し強引に立たせながら、ヒューバートは諭すように言い聞かせる。

「『本物』?」

「ええ、あなたが(それ)を向けた方が、正真正銘のイエリオス・エーヴェリー殿、つまりあなたの言う『イオ』本人なのです」

「そんな……嘘だ」

 それでも、エトワールにはまだ信じがたく当惑の表情を浮かべて首を振る。

「これは、全てそこにいる者が企てた巧妙な悪事ですよ」

 それも、悪質極まりないほどの。

 ヒューバートの言葉に煽られたのか、エトワールの見知った少年は再びクスクスと笑い出した。

「ご名答。もう見破られちゃいましたね、さすがは僕が見込んだだけの男だ」

「あなたはエンデ商会の代表、ですね」

 決して確信したわけではない。

 だが、そう考えれば全ての辻褄が合ったのだ。

「そこまで分かっていらっしゃるとは嬉しい限りですね。僕の名は、ロセ。エンデ商会の代表を務めております、以後お見知りおきを。ああ、けれどせっかく僕の名乗るべき大舞台を作り上げていたというのに残念だな。彼が死んでくれないと、貴方に僕という存在を刻み込めないや」

 ロセと名乗った少年は、初めににっこりと笑みを浮かべて大仰な動作でクルサードの次期国王への敬意を表した。しかし、イエリオスの殺害に失敗したのがよほどショックだったのか、直ぐにぷくっと頬を膨らませてしまう。

 まるで、幼い子供のように。

 ヒューバートが不快感を隠しもせず目を細めている横で、エトワールが意を決してロセを見据えた。

「騙したのか。……あれは全て、嘘だったのか!?」

 本当は違うんだと、誤解だと言って欲しい。それだけで、エトワールは満足出来た。

 ――だというのに。

「ごめんなさい、エトワールさん……なぁんてね!あはは!そうですよ、全てはこの日の為に僕が作り上げてきた舞台です。そして貴女は、そこの彼を殺す為に攫ってきてもらったに過ぎません」

「っ!」

 ロセにとって、エトワールの存在は軽かった。

 それ故に、ロセはいともあっさりと彼女の期待を裏切った。

「僕の演技も中々のものだったでしょう?わざと怯えたり怒ったりするのも疲れましたが、それなりに上手く出来たんじゃないかなって思うんですよ」

 しかも、当然のこと彼女に反省の色はない。

 あの二日間はロセにとってはお遊びの準備期間でしかないと暗に告げられて、エトワールが言葉を失う。

 自分だけが、この二日間を貴重だったと思っていた事がショックだったのだ。それほどまでに、エトワールはイオと名乗る少年に好感を持っていた。

 そこに、不穏な空気を変えるかのようにイエリオスを助けた白い髪の青年、ノアが口を開いた。

「おい、まさかこいつに変な薬は使っちゃいないだろうな?」

 いまだ起きる気配のないイエリオスの様子が気になったのか、ノアは不機嫌ではないものの非常に面倒だという顔付きである。

「……多分?僕が動きやすくなるように、その子には僕の自室でほとんど眠ってもらっていたので、少し影響が残るかもしれませんが数日で収まるはずですよ」

「睡眠剤系統か」

 そもそも、ロセは先程から当初からの目的はイエリオスの殺害だと明言しているのだ。裏があってしかるべきだ、と会話を聞いていたヒューバートに追い打ちをかけるようにロセはあることを口にした。

「タオ国ではよく使われている一種ですので、ご安心を」

 それは、平穏な世界を暮らす者ならば、そのままの意味で受け取っていただろう。

 だが、ヒューバートは一国の王子とはいえ裏の世界にも通じている。だから、直ぐに口を挟もうとしたのだが。

「裏社会で、だろ」

 ノアという人物も、元々タオ国で暗殺を専門とする紛れもない裏社会の人間だった。彼は、とある目的でミュールズにやってきたものの、その行き先でイエリオスの妹のアルミネラと遭遇した後、彼女を気に入ってそのまま飼い犬となったのだ。

 そういったいきさつをヒューバートが知っているという事は、ロセもその情報は掴んでいると思って良い。現に、ロセはわざと肩を落としながら息を吐いた。

「だから、貴方とは出来れば会いたくなかったんですよ」

 全く今日はツイてない、と首を振る。

 それに疑問を持ったのは、言わずもがなヒューバートで。

「どういう意味ですか?」

 イエリオス・エーヴェリーの妹にはノアという番犬がいる。それを理解した上で、彼の殺害を企てたはずなのに。

 もしまた、彼を害するようであればここで仕留めておかなければならない。という思いからの問いかけだったが。

「やだな、全て話したら面白くないでしょう?」

 そんなヒューバートをじっとりと見やり、ロセは小首を傾げながら上目遣いで笑みを浮かべた。

「……」

 ヒューバートの思い人と髪色は似ていても、全くの正反対。

 これのどこに、一老舗商店の代表者たる風格があるのかと疑うほどだ。


 全く、嘆かわしい。


 今回、エトワールはイエリオスと面識が無いために利用されたが、彼の人を真似ること自体が厭わしい行為だった。そろそろ、王宮に援軍を呼びにいった衛兵が戻ってくる頃か、とヒューバートはトーマスへと視線を投げる。

 それだけで、事前に動けるように距離を保っていたトーマスは理解した。


 捕まえて、永久にあの昏い牢獄へ閉じ込める為に――


 あの火器さえなければ、トーマスに出来ない事はない。

 己の主やエトワールたちの会話を聞きながらも、ロセの仲間たちがどうしているか常に様子は窺っていたのだ。特に警戒を強めていたあの一番手強そうな大男に動く気配はない。それに、その他のメンバーも本当にロセが大事なのかと疑うぐらいに無関心だった。

 まさか、今度はロセ自身が前回の奴隷と同じようにここへ残るつもりじゃないだろうな、とすら疑ってしまう。それはそれでトーマスの主は心労が増えるだろうが、面白い展開になりそうだと思えてしまった。――が。

「そこまでだ」

 という低い男の声に反応して、直感でロセから距離を取ると。

「賢い選択だな」

 銃を手にした神経質そうな男がトーマスを威嚇しながらも、ロセを後ろから抱き寄せた。

「ああ、シシー。もう準備は出来たのかい?」

 その声の主が誰なのか、ロセ自身も気付いたのだろう。黒いスーツ姿の男に、まるで恋人のように抱き締められても、ロセは嫌がるどころか逆に甘えるようにその腕へと手を添える。

「後はお前だけだ」

「そう、分かった。ふふっ。もう、そこまでひっつかなくたって僕は何処にも行かないよ」

 その二人の姿に、一番衝撃を受けたのは彼らを知っているエトワールに他ならない。

「お、お前たちは……一体」

 あのスーツの男シシーは、初対面からちくちくと自分たちを牽制して、他人との接触すら厭うタイプに見えたのに。

 なのに、今は一方的と思えるほどロセへの執着心を隠しもしない。

 まるでもなにも、これじゃあ本当の恋人のようじゃないか、とエトワールは信じられなかった。

「単なる僕の遊び相手だよ?ただ、シシーは僕を抱き枕にしなきゃ眠れない体質でね」

「おかげでこのここ数日間ずっと寝不足だ」

 そう言って、今にも眠ってしまいそうな男に抱かれたまま、ロセが楽しげにクスクスと笑う。

「まあ、僕がそうさせたんだけどね」

「悪質な毒婦だろう?何しろ、こいつは国を乗っ取り王になる事も世界中を戦争にする事にも興味はない。そんないつでも出来る遊び(・・・・・・・・・)なんかより、己の興味の方が大事だと抜かしやがる」

「ちょっと戯れただけじゃない?だって、あの人に興味が湧いたんだもの」

 今回の事に関して全く悪気はないとばかりに、口を尖らせたロセにシシーが舌打ちをする。エトワールはシシーとの初対面時、彼が似たような事を口にしていたのを思い出したが、それがロセの事だとは思いもしていなかったので驚きを隠せない。

 それしきの事で思考が止まっているエトワールより頭の回転が速いヒューバートは、「願い下げです」と拒絶しながらため息を浅く吐きだした。そして。


「やはり、あなたは女性でしたか」


 今までずっと、可能性の問題として放置していた性別を口にした。

 別に隠していた訳でもないだろうが、会った当初からずっと『僕』という一人称を使用していたのでヒューバートは疑うだけに留めていたのだ。だが、エトワールが彼女を責めた際、「全て嘘だった」と言った時点で推測から断定へと変化していた。

「あれ?もしかして、気付いてました?」

「初めて会った時に性別を勘違いした、という彼女の証言もありましたしね」

 もっとも、ヒューバートの思い人であるイエリオス自身も初対面の人物には少女だと勘違いされやすい。それは、彼が傾国の美女と謂われるほどの美を母親から譲り受けた為でもあるが。基本的に女性の前では紳士であろうとする毅然とした態度が、彼の魅力の一つでもあるのだ。

 今回の件は、エトワールの話を聞いて、何度も違和感を持ったのにそこに気付かなかった自分の落ち度でもある。

 もっと早く気付いていれば、彼の人を危険に晒すことなどなかったのに――そう思わずにはいられない。

 二度と同じ轍は踏まない、と誓ったヒューバートにロセがそういえば、と青い視線を彼へと寄越した。

「エンデ商会ですけど、倒産に追い込むなら徹底的にやっちゃって下さいね。あれはお祖父様に無理矢理継がされた枷だったので邪魔だったんですよね」

「……それを信じろと?」

 彼女の本心が見抜けない。

 こんな情けない話はありませんね、と明らかに今回は全て後手に回ってしまった自分への苛立ちを隠そうともせずヒューバートが低く唸る。

「貴方に嘘は付きませんよ」

 その姿を満足げに見つめながら、ロセは肩をすくめて微笑んだ。

 そして、シシーに抱きすくめられながら彼女はこう告げた。


「では、またいずれお会いしましょう」


 ――と。

 殺傷能力の高い火器の前では、誰も手は出せない。

 それを知っているからこそ、彼らはヒューバートたちの前から堂々と去って行った。


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