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エピソード6.

 藍色のローブを着た男の後ろから現れた顔を見て、ヒューバートは無表情を取り繕いながらも内心で苛立ちを抑える事が出来なかった。


 舐められましたね。


 決して、相手を侮っていた訳ではないし慎重に事を進めたにもかかわらず、相手にしてやられた事に対して何より屈辱が勝ったからだ。

 極秘案件である為に、この現場には少人数しか連れてきてはいない。それもまた、致命的ミスだったと言って良いだろう。

 目の前で、不敵に笑う女装の男を憎々しく思う。



 その男と初めて会ったのは、今朝のことだった。

 奴隷の女から、こちらが何もしなくとも『使者』がやってくると聞いていたので、ちゃんと心構えをしていたつもりだった。――が。

「……うわぁ」

 謁見室に待たせていた人物と目が合うなり、ヒューバートは声と表情に出さないだけで、驚きを隠さないトーマスと全く同じような気持ちだった。

 背丈はヒューバートと同じぐらいの中肉中背といったどこにでもいる体格で。なのに、身に纏っているのが、白色を基調とした上等な女性の正装服。しかも、化粧の施された顔はより男の切れ長の瞳を強調しており、僅かに色気を帯びていた。

 ヒューバートのよく知る思い人とは全くタイプが異なる女装だが、馴染んでいるせいか不快ではない。ただし、受け入れられるかは別であるが。

「初めまして、ヒューバート殿下。この度は、お目にかかれて光栄です。アタシはエンデ商会から来たダンテという者です」

「なるほど、正面から堂々とやってきたという訳ですか」

 というのも、ダンテは正規の手順を踏んでこうしてクルサードの王子であるヒューバートへ会いに来たのである。ヒューバートからすれば、衛兵からエンデ商会から拝謁の申し入れがありますが如何なさいますか?と訊ねられただけで、まさかこんなあくが強い人物が来るとは誰も想定していなかったのだから、当然驚くのも無理はない。

 ヒューバートの横に並ぶトーマスが、中身重視の雄々しい名前、とヒューバートにしか聞こえない範囲で呟いたので、軽口を叩ける余裕があるのならもっと仕事をさせようと心の中で決定事項に加えながら椅子へと腰掛ける。

「ヤダ、アタシは別に戦争をしに来たんじゃないもの。お返事を聞かせてもらいにきただけですよ」

 うふふ、と頬に手を添えながら微笑むダンテはまるで淑女のようだが、男である事を隠しもしていないのでやはりどこか違和感が残ってしまう。これが何の裏も無い取引き相手ならば、即座にお引き取り願っている所だろう。それが出来ないと向こうも分かっているので性質が悪い。

「アタシの部下からお話は聞いていますでしょう?うちのボスには珍しく、双方にとって利益がある

お話だからこちらと手を組むのは悪くないと思うの」

 単刀直入、という言葉もなく。それ所か、核心に迫る問題を突きつけられて、ヒューバートは鼻白む。何より、ダンテの強引さに眉をしかめた。そんなヒューバートの不機嫌な様子に気が付いたのは、やはり長年ずっと側近を務めているトーマスで。

「いやいや。姐さん、意見の押しつけは良くないっスよ。それに、決定権はうちの殿下にあると思いますけど?」

 そんな風に場を和ませながらも、会話の主導権を取り返した。

 ヒューバートは、トーマスのこういった部分は大いに評価している。いずれ国王になる身であるのだから、己一人でも交渉などいくらでも有利にする事は容易であるのだ。されど、相手に余裕という油断を与えながらにして、場の主導権を取るのはトーマスの方が断然上手い。

「アラアラ!アタシをそう呼んでくれるなんてオトコマエじゃないの!お名前はなんというのかしら?」

「知ってるくせに、野暮っスねぇ」

 ヒューバートにとって、そんな会話こそが茶番劇にしか見えない。

 はあ、とあからさまに息を吐き出し、改めて挑むような目をするダンテを見返した。

「二人を解放するというのなら、どちらも応じるとそちらの代表にお伝え下さい」

 その意味を目の前の男が理解出来ないはずはない。

 奴隷の女からは、どちらか一人だと言われていたがヒューバートにはその選択肢など初めから無い。だからこそ、この場で敢えて商会との取引きと奴隷の女の解放は全くの別の案件だとはっきり明言したのである。それをどう曲解してくるのか見定めようとしていたのだが。

「では、今宵、月が真上にきた頃にブラックフォードにある教会の裏手で」

 ヒューバートがそのように答える事は既に知っていたかのように、ダンテが淑女の礼を取りながら言葉を返した。

 雑談が好きそうなダンテが食いつかなかった事に、拍子抜けしなかったと言えば嘘になる。それに、上手く躱されたようにも思えてならない。そんな懸念を抱かずにはいられなかった。ならば、念を押しておくに越した事はない。

「分かっているでしょうが、もしも二人が戻らなければエンデ商会には国内のみならず国外でもそれなりの措置を執らせて頂きますよ」

それは、暗にクルサードは他国でもお前たちを脅かす事は容易だと仄めかした事に相違なかった。

 だが、ダンテはそれをも分かっているという風に微笑みを浮かべる。

「ええ、心得ておりますよ」

 そう言って、ダンテはあっさりと帰っていったのだが――



「約束が違うのではありませんか?」

 ヒューバートの後ろには、トーマスにしっかりと拘束されている奴隷の女。

 そして、少し離れた対面に立つのは、ダンテと図体が大きい男、そしてトリエンジェ皇国の姫、エトワールのみだった。辺りを見ても、それ以上に人はおらずヒューバートは怒りを抑えながらも冷静に問いかける。

「どういう事か、ご説明願いましょうか?」

 クルサードの王子である己との約束を反故するというのなら、エンデ商会を破滅させるまで。もはや、ヒューバート・コールフィールドに対する宣戦布告と受け取っても良いと思えるほどだった。

「あらぁ、約束ならちゃんと守りましたよ?ほら、エトワールちゃんを連れてきたもの」

 それに気付いていないのか、はたまた気付いているのか、ダンテが笑みを浮かべたままエトワールの背中を押してずずいと前に立たせる。

「え、あ……え?」

 当然、エトワールが当惑するのも無理はない。戸惑いの視線をヒューバートへ投げた後、どうすれば良いのか分からずダンテたちの方にも振り返る。

「怪我もなく、元気そのものよ。ちょっとお転婆が過ぎるぐらいだったかしら?」

「そういう事をお訊ねした訳ではありません」

 ヒューバートにとって、本音を言ってしまえばエトワールなど生きていればそれで良かった。

 何より、全てにおいて大切なのはこの場にいないもう一人の方なのだから。

「ウフフ。分かってますよ」

「でしたら」


 どうして、彼は居ないのか。


 ここにエトワールしか連れてきていない時点で、ヒューバートは焦りとの戦いに転じていた。

 だが、焦ればそれは相手の思うつぼとなる。そういった戦術をヒューバート自身も使うので、そうならないように気を配らなくてはならなくて。

 ――なのに。


「我が商会との取引きが成立すれば、ね」


 ダンテの言葉に、体から一瞬にして血の気が下がる。

 まるで、この世の全てから温度というものが消失してしまった感覚と、全身を殺気が覆う。その感覚は、ひどく懐かしいものだった。

 これはヤバイ、と本能的に感じ取ったのはその場にいたほとんどの人間だろう。

「……そうですか」

 それなのに、傍にいるトーマスにさえゾッとさせる気配を漂わせておいて、ヒューバートは至極あっさりとした返事をしながら凍り付いてしまった奴隷の女へと振り返る。

「ひっ!」

 という小さな悲鳴にすら聞き流して腕を取ると。

「さあ、どうぞ。あなたのお仲間の下へお帰り下さい」

 まるで、用済みとばかりに肩を押して奴隷の女に自由を与えた。

「……あ、あああ、ああ」

 その途端、足がすくんで動けない奴隷の女がぺたりとしゃがんで地面へと手を突く。

「……」

 それを侮蔑の色を乗せて映していたヒューバートの深緑色の瞳が、夜色の髪へと移った。

「姫君は返していただけますね?」

「えっ、ええ。も、もちろん!」

 有無を言わさぬ雰囲気に圧倒されて、少しばかり顔を青くしたダンテが慌ててエトワールを押し出す。

 それは、早くこの場から脱したいという切実な願いからだった。この計画を立てたのはエンデ商会の代表にして彼らのボスだったが、ヒューバートという男を見くびっていたとしか思えない。つまりは、目の前の男の取り扱い方を見誤ってしまったのだ。

 エトワールを解放した事でダンテも少しはホッとしたが、それでも心は怯えたままで。まるで大雨に遭ったかのように汗がしきりに背中を流れる。もう限界に近かった。

「後は任せろ」

 そんなダンテの頭をぽんぽんと叩いて驚かせた大男が、エトワールを追い越して奴隷の女に近付く。

「立てるか?」

「……っ」

 ふるふると首を横に振る奴隷の女と大男のやり取りを、ヒューバートは感情のない目で見続ける。彼の目には、先程までは確かに人として見えていた対象物が重なって移動していくように映っていた。


 それは、ヒューバートがイエリオス・エーヴェリーという少年と出会う前と視界()をしていた。


 人間とは、動く障害物でしかない。

 己が通る道を邪魔するというのならば、徹底的に潰せば良い。

 そう、イエリオスに会うまでのヒューバートには、それが『いつもの日常』だったのだ。


「……ヒューバート殿」

 ヒューバートの障害物が遠のいたと同時に、ようやくエトワールが悲しげな顔をして彼の下へと辿り着く。彼女ですら先程の彼の怒りは強く感じたようで、ここへ連れてこられたのが自分であってもう一人の人物ではなかったという罪悪感に唇をかみ締めていた。

 だが、今のヒューバートにはそんな事はどうでも良かった。己にとって、エトワールという少女に価値はないのだから。

「ご無事で何より。王宮でシルヴィオ殿が待っています」

 そう言って、まだエンデ商会が様子を窺っているというのに、ヒューバートはいとも簡単に背中を向ける。攻撃を気にするよりも、もうこれ以上の関わりは不要だとでもいうように。

 ただ、そんなヒューバートのずっと側近をしていたトーマスはこの現状をとてもよく理解していて、直ぐに彼の後ろについてエンデ商会への警戒は怠らなかった。

 そして、それは最後にトーマスが馬車に乗り込むまで続いたのであった。



 馬車の中は、まるで極寒の空の下のように冷え込んだ静寂が支配していた。

 その源になるのが言わずもがな、ヒューバート自身である。

 沈黙を守るトーマスの隣りでエトワールの自責の念が滲んだ瞳に見つめられながらも、彼は外を見ながら、頭の中で内々に進めていたエンデ商会への制裁をより苛厳なものへと転じさせていた。エンデ商会という古い歴史を持つ商会を廃業させてでも酷なる報いを。――己の邪魔をする者を徹底的に排除するために。

「ヒューバート殿」

 そこへ、意を決した顔をしたエトワールが水を差した。

「……謝罪なら不要ですが?」

 彼女ならば、必ずするであろう行動を予測して、予め拒絶する。今は、この一分一秒が勿体ない。

「分かっておる。だから、わたしにあいつを……イオを助ける手伝いをさせてくれ」

 イオ、という呼び名を聞いて、握りしめていた左手に力が入る。ヒューバートの思い人について、エトワールには名前もどこの国も人物なのかも教えていない。だというのに、彼女が『イオ』という愛称を口にするという事は――

「まさか、会ったというのですか?」

「ああ、そのまさかだ。わたしが囚われている先にイオも居た。そして、わたし達は共に行動しておったのだ」

 そして、エトワールは軟禁されていた場所での事をヒューバートとトーマスに話し出した。

 『イオ』と出会ったこと。

 彼と行動を共にして脱出の機会をずっと窺っていたこと。

 そして、そこにいた男たちとのやり取りを。

「髪が白金色で見目も良くて、お前と関係があるといえば気付くさ」

「……そうですか」

 トリエンジェ皇国とミュールズ国は現在のところ、交易があるだけで王族同士の交流は全くない。いずれはその可能性があったとしても、ヒューバートはこの一件を通して両国を互いに紹介するつもりなどなかった。

 だが、監禁場所でエトワールとイエリオスが知り合ったのならば致し方ない。


 ――ですが、それにしても。


「ハウス内を自由に動き回れるとは」

「っスねぇ」

 逃げられないようにしているとはいえ、屋敷の中で自由を与える事に引っかかりを覚える。

 そうして泳がせておいて、わざと何か偽の情報を掴ませているのでは、と思わずにはいられない。

「何か、他に感じた事などありませんか?」

「いや。……すまない」

「いいえ、構いません。こちらで情報を整理致します」

 エトワールの話とヒューバートが集めた情報を摺り合わせると、エンデ商会の重要な役割を持つ構成員で今の所ある程度分かっているのは五名だけである。

 一人は、今回の首謀者である代表者。けれども、名前や年齢、それに性別ですら分からない。

 それから、恐らくその代表の代理を務めているのが、エトワールたちに指示をした三十代ぐらいのスーツ姿の細身の男だろう。ヒューバートの密偵から、『シシー』と他の者から呼ばれていたという情報も得ている。

 その男の傍らによく立っているのが、四十代で褐色の肌に逞しい体つきの大男で。エトワールの話も総合すると、商会では武術に優れているので荒事などの担当になっていて、幹部たちの食事世話なども担当している。名前は『ホルスト』と呼ばれているようだ。

 ここで四人目として、奴隷の女は『ジェナ』と名乗っていたが本名かどうかは分からない。ただ、ヒューバートが会話した感じだと、奴隷と呼ぶには知識も教養も豊富で元は貴族の可能性もある。

 そして、今回の一件でエンデ商会から派遣されてきたまだ二十代ぐらいの若い男、『ダンテ』。

 彼らに統一性はまるっきりない。だが、エンデ商会の要ともなる重要な手足である事に違いなかった。

 エンデ商会を潰すその前に彼らの足取りを追えば、いずれイエリオスには辿り着く事は出来るだろう。 それでも――

「時間の問題ですね」

 囚われている場所を移されてしまえば、また初めからとなるのは目に見えているのだ。

 この不確定な時間差をどう詰めるのかが問題である。

 それはヒューバートにとって、ただの独り言に過ぎなかったのだが。

「だから、私にも手伝わせてくれと言っておるのだ!」

 てっきりイオの救出について呟いたのだと勘違いをしたエトワールが、己の胸にドンと手を当ててヒューバートに訴えてきた。

「いえ、そうではなく。……まあ、いいですが。彼を助ける件について、あなたに手伝っていただく事など何一つありませんよ」

 ヒューバートからすれば、そもそもエトワールは解放された以上、もう既にこの件とは関係ない。それに、この間のようにまた変に動かれて、今度こそ怪我をされたらトリエンジェ皇国の女王に良いように使われるに決まっているのだ。最悪、それこそ嫁にと言われかねない。

 そんな思いで避けられたとは思わないエトワールの次の言葉に耳を疑った。


「居場所が分かると言ってもか?」


「……どういう事ですか?」

 いくらエトワールを解放するといっても、拠点からここまでの道のりを見せるなどエンデ商会も馬鹿ではない。

「先程の場所に連れていかれる際に、初めて屋敷の全貌と煌々と輝く星を見た。それから、馬車に乗っている間も星は小窓からずっとずっと見えておったのだ」

 そこで、ああ、とヒューバートは理解した。

「わたしは、星詠みの巫女だぞ?舐めてもらっては困る」

 それが誰に向けられた言葉なのか、ヒューバートは気にも留めない。

 ただ、その事実によって光明は見いだされたのだ。

「トーマス、御者に行き先の変更を伝えなさい」

「はいはいっと!」

 先程までは冷えていた空気が一気に温まっていく。

 それを確かに感じながら、エトワールは別れ際にイオと交わした約束を守る為に意気込んだ。


「行こう!イオを助けに」


次で終わりの予定です!


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