エピソード4.
クルサードは、軍国主義といっても拷問などの刑は行わない。
それは、クルサードという国を作った始祖たる最初の国王によって定められた決まりだった。この慣わしによって、クルサードは領土拡大を目的とする戦の度に優秀な人材を取り入れて大国へとのし上がったのだ。
また、クルサードの王城の牢獄は他の国とは違って少し贅沢な作りとなっている。
例えば、牢の場所にしても普通であれば囚人を精神的に追い込む理由で地下を掘って造られていたり下水近くに造られていたりする。だが、クルサードの場合は王城には無く、強固に造られた神殿のような建物自体が監獄となっていた。
建物自体を監獄にしたのには、監視の目が行き届きやすいのと脱獄しようものなら幾つもの伝統で守られてきた強靱な扉と、その間に配置されている何十人もの警備兵を倒していかなくてはならない構造にするという狙いがある。
そんなクルサードの監獄の特有さは、限られた時間内に囚人は一斉に中庭に解放されて、ストレスを感じさせないよう配慮されているという部分だろう。牢屋も『牢』というよりかはどこかの安い宿屋の一室のようで、最低限の暮らしが保証されているのだ。
――ごく一部の囚人を除いては。
重罪人と称されるその限られた者たちは、滅多に日の目を見る事はない。
いや、そもそも狭い独居房から出る事も叶わず、静寂が支配する暗闇の中を正気と狂気の狭間を漂いながら過ごしているのだ。監獄の中でもとりわけ厳重に管理されている最奥で。
その一室の分厚い扉がゆっくりと鈍い音を奏でながらゴトゴトと開いていく。まるで、中にいる者の瞳への配慮とばかりに一筋だった明かりがどんどんと拡がりを見せて。
「あら、ようやく話をする気になったのかしら?」
溢れる光を背に立って表情の見えない男に、中にいた女性はにっこりと愉しそうに笑いかけた。
「茶番はもう結構です。あなた方の望みは何ですか?」
対して、彼女と相対するこの国の次代の権力者であるヒューバートは硬質な表情でそれに応える。
「ふふっ。望みだなんて……そんなのは一つしかないって賢い貴方ならもう分かっているのでしょう?」
一年ほど前の事、トリエンジェ皇国で珍しい資源が発見されたのをクルサードは他国よりもいち早くそれに目を付けた。その指揮を執っていたのがヒューバートで、トリエンジェの姫エトワールがクルサードから戦を仕掛けられる前に、嫁として押しかけてきたのが発端だった。
そこへ、ちょうどヒューバートを蹴落としたい違腹の弟の思惑もあってエトワールとヒューバートは両替商の不正を知った。その不正の取引き先というのが、ここにいる女性を使役する者である事が分かったのだが。
「もう忘れられてしまったのかと思っていたのは本当よ?」
「あなたから得られる情報は無いと判断しましたので」
彼女は、いわゆる奴隷という立場の人間だった。当然、クルサードに奴隷制度はないので彼女は他国で売買された者である。言うなれば、代替のきく消耗品。だからこそ、相手はヒューバートを下に見ていると判断したのだ。
プライドの高いヒューバートが、それを許せるはずはない。
彼女を捕らえてから尋問を行うのを側近に任せて、ヒューバートはいくつかの情報網を使って既に彼女が所属している団体について情報を得た。
それによれば、彼女は貿易商『エンデ商会』の従業員という肩書きを持っていた。エンデ商会は、大陸の各地に小さな支店を構える老舗で拠点はクルサードの前にある広大な土地を持つ国、セレスティア共和国内にあるという。しかし、拠点は数年おきに各地を転々と移動しているので定まっているとはいえない。
また、どれだけ調べても創始者や現在の代表者の名前は不明で、ずっと代理人が努めているという事までは分かった。
そして、その実態は裏の世界で『死の商人』と称されており、人身売買や危険な薬物の売買、戦に使う武器までも売買するといった犯罪の巣窟だったのだ。
軍国として名高いクルサードとなんとか取引きをしようと企むのは当然といえるだろう。
だからこそ、ヒューバートは全く相手にしなかった――のだが。
「人質を取るなんて、あまりにも姑息な手段を使うものですね」
過去にそれと全く同じ事をした自分の事は棚に上げて、奴隷の女を睨め付ける。
「そうでもしないと貴方は会ってくれないでしょう?」
だが、女は軽薄な笑みを浮かべて小首を傾げた。
「……予定調和、ですか」
毎年必ずどこかで戦を起こしているクルサードの次期国王として、人の行動を読む事には長けているはずなのに、どうやらエンデ商会の代表者は更にそれすらも読んでいたらしい。
暗い独房の中で数ヶ月、男でも発狂する者が出るというのに女はこうなる事をあらかじめ聞かされていたのだろう。こんなに余裕の笑みを浮かべているのだから。
嫌な人物に目を付けられたものだ、と内心でため息をはき出して、ヒューバートは手を差しだした。
「まずは身を綺麗に清めてきてください」
「あら、どうも」
目の前の女は奴隷でも、女は女だ。彼女の手を取るのは、紳士として当然の義務である。
それに――
「別の部屋に食事を用意させておきます。人質との交換の際に、あなたが死にかけだと困りますので」
「さすがはクルサードの王子様。話が早くて助かるわぁ」
そう言いながら彼女がクスクスと笑い出す。
イエリオスとエトワールが同時に誘拐されている事を知って、ヒューバートは相手の意図を理解した。
恐らく、
一人は、エンデ商会との契約交渉に。
そして、もう一人はこの奴隷を回収する為だけに。
だが、最悪を想定するのなら解放されるのは二人ではなく―――――――
奴隷という消耗品を甘く見ていたのは自分自身だったと、詰めが甘い自分に苛立ちが募る。きっと、内心ではずっとあざ笑っていたに違いない女にこれ以上舐められない為にも、これ以上の失態は許されないと身を引き締めた。
しかし、その結果に落胆したのは言うまでもない。
女との密会を終えたヒューバートが向かったのは、王宮内でもとりわけ絢爛な絵画や装飾品が溢れかえる大広間で行われている夜会だった。今日も今日とて、ミュールズ国の王太子を歓待する宴と称して開催されているが、初日の勢いと比べれば収束しつつあるようだ。
ヒューバートは、クルサードの王太子と繋がりを持ちたい各国の外交官からの挨拶を受け流しながらも、視界にはオーガスト王子の隣りの人物を収める。求めている人物と顔は全く同じであるというのに、似ても似つかない少女に憂いながら。
手に持ったグラスを傾けて思うのは、奴隷の女との話し合いで何の成果も得られなかったという事だった。
二人の監禁場所や商会の代表者の氏名など、またそれに付属する様々な問いを投げかけても、彼女はニタリと笑ってそれらを躱す。そんな彼女が自ら話す事といえば、自社の商品の事ばかり。特に、売り込みたいのは『銃』と呼ばれる筒状の形をした画期的で殺傷能力の高い火器だった。
自国を思えば、その『銃』という武器の利便性や性能の高さは惹かれるものがある。
何より、こちらが動くまでもなく相手を確実に仕留められる優れた殺傷能力には目を見張ることがあるのは確かだった。戦争を起こせば、必ずこちらの兵も死傷者が増えていく。それを少しでも減らすには遠くにいる敵のトップを射止めれば良いだけのこと。たったそれだけであるのに、そこに行き着くまで大量に兵士は死んでいくのだ。
だからこそ、エンデ商会の扱う『銃』は飛躍的な武器と言えよう。
きっと、ヒューバートが国王陛下に進言すれば、直ぐにでもエンデ商会との取引きは成立するに違いない。しかも、次期国王という地盤固めにもなるだろう。
――だが。
何か、裏がある気がしてなりません。
それは、一抹の不安だった。
なのに、あまりにも漠然としていて、どうしてそんな感情が湧くのか分からない。けれども、それが本能だというのならヒューバートは慎重にならざるを得なかった。
例え、大切な人の命を手玉に取られていたとしても。
少しばかりアルコールを内蔵に染みこませて、軽くため息をはき出した所でちょうど挨拶にも区切りがつき休息に入る。その時、ずっとオーガスト王子の傍から離れなかった人物が突然動き出したので、ヒューバートの視線も自ずとそれを辿ってしまう。
……ああ、なるほど。
と、少女の行き着く先のあまり目立たない壁際で、アメリアが自国の若者数人に絡まれていたようだ。
見た目は可憐なアメリアとて、軍国クルサードの王族の一員である。か弱そうに見えていても意外と芯が太く、気の強さはヒューバートが認めるほどである。そんな彼女が上手く切り抜けられないはずがない。何か理由があるはずだ、とヒューバートは黙って見守っていたのだが。
「……」
彼と同じ顔をした少女が彼らに話しかけたかと思えば、数分後にはキラキラとした笑みを浮かべてアメリアと共にヒューバートの下へとやってきた。
「……いつの間に、そんなに親しくなったのですか?」
どうやらこれは二人の謀だったらしい。
今日の夜会では、兄のイエリオスとして参加しているアルミネラが大袈裟に胸に手を当て頭を垂れる。周りから見れば、妹を愛するヒューバートの為にイエリオスが一枚脱いだように見えるだろう。
「あら。私はこの方をここへお連れするように、お姉さ、ではなくミルウッド様にお願いをされたのですわ」
そういえば、ヒューバートがミュールズに留学中、アメリアが短期留学でやってきた際に指示とは言えイエリオスの婚約者、エルフローラ・ミルウッド嬢に懐いていたな、という事を思い出した。
その繋がりで彼女の父であるクロード・ミルウッド公爵に上手く使われたのだ。――となると。
「もしや、脅されましたか?」
イエリオスを自国へ連れて帰ろうと目論んでいた事を突かれたのか、とヒューバートが目を細める。
「いいえ。ただ……お姉様にお手紙を書いても良いと許可を下さいましたの」
「そうですか」
まさかそうくるとは思ってもみなかったので、ヒューバートは良かったですね、と言いながら内心で舌打ちをする。アメリアは、王族としてプライドも高いし他の妹たちと違って学業も優秀な成績を収めているのだ。だから、脅迫や強制には屈しないし躱せるぐらいの頭脳はある、が。
上から抑えつけるより、餌をちらつかせた方が取り込みやすいという弱点があるのだ。
さすがは元外交官、いや、元諜報部のトップでしたか。
トーマスにミルウッド公爵には注意しろ、と何度も言っているのはその男がただの外交官だったからではない。ミュールズ国の現宰相の威圧感のある無口さとは違って、ミルウッド公爵は巧みな話術で情報を引き出す事に長けている。しかも、面倒な事に彼は人の関心事を引き出すのが上手い。
まんまと利用されている妹を咎めるのは簡単な事だが、アルミネラの存在も忘れてはならない。
「それで?そちらは、無駄なパフォーマンスをしてまで何のご用件ですか?」
アメリアの窮地を救い、ヒューバートに送り届けるという紳士としての行動を敢えてパフォーマンスだと嫌味を浴びせる。また、彼女の用件など一つしか無いという事も既に理解しての上だった。
「パフォーマンス?そんなの、これが兄の評価に繋がるからに決まってるでしょ」
「そうでしたか」
ミュールズに留学中の時からこの双子はどちらも兄妹愛がとても深い。それはもう、ヒューバートが嫉妬してしまうほどに。
「で?そっちの進捗状況は?」
周囲の人間には仲良く談笑しているようにしか見えない笑みを浮かべながら、アルミネラがヒューバートを睨み付ける。彼女に嫌われているのは分かっているが、意外と器用な真似をする。
「そちらが公にはしたくないという事でしたので、私の使える手で調べさせている最中ですよ」
あくまでも誘拐は己と何ら関わりはないのだ、という事を強調しておく。それは、相手に見え見えの嘘だとしても、一種の防衛にはなるからだ。
「そう」
案の定、アルミネラはあっさりと引き下がった。これも、ミルウッド公爵の指示に違いない。
「そちらはどうですか?確か、元暗殺者を飼っていましたよね?」
そのついでに、ヒューバートも探りの手を入れてみる。アルミネラが元暗殺者という手札を持っているのは知っているのだ。
「似たようなもんだよ」
「そうですか」
お互いに手の内は見せないという事は理解している。だから、ヒューバートもそれ以上の追求はしないようにした。
――が。
「トリエンジェ皇国の騎士、」
「……」
「と、あなたの側近が一緒にいるのを見たようだけど。何かあったの?」
「いいえ?我が国には各国の要人が来られますので、何とも答えようがありません」
知能でいえば下に見ていたアルミネラからの問いにどきりとしてしまったのは事実だった。一体、いつの間に見られていたのかが分からない。
しかし、駆け引きの一つ覚えでヒューバートは困ったという表情を作ってとぼけた顔をしてみせた。これは後で二人とも説教しなければ、と思いながら。
アルミネラはしばらくジッとヒューバートを観察していたようだったが、チラリとアメリアの表情も確認してから明らかに落胆した顔を見せた。
「そ。まあ、いいけど」
残念でしたね、と口には出さず心中で呟いたヒューバートに、つい先程まで行われていた奴隷の女との会話が頭を過ぎった。
「それで、あなたはどちらの解放を望むのかしら?」
そう言った女は、実に愉しそうな笑みを浮かべた。
「国を思うのならば、トリエンジェのお姫様。けれど、自分を優先するのなら、あなたはもう一人を選ぶでしょう?軍国の王子様が果たしてどちらを取るのか、とっても興味深いものだわぁ」
「悪趣味ですね」
散々、自社製品について語り食事に満足した女にとって次の楽しみは、ヒューバートをいたぶる事だった。どうやら、ずっと放置されていた事に相当腹を立てていたらしい。無表情を取り繕って相手にしなくとも彼女には全く効かない。
「どちらを失っても、あなたの手腕が問われることは間違いないもの。こんな楽しい事は無いわよ」
「失えば、ですがね」
「あら?自信がおありですこと」
そして、まるでヒューバートの意思を見透かすように、その瞳を細めて。
「一日だけ猶予をあげる。それまでに決めておいて」
命令するかのように選択肢を突きつけたのだ。
「一日、という事はあなたのお仲間から連絡がくるという事でしょうか?」
「ええ。そう理解してくれて構わないわ」
果たして、どのような手段でエンデ商会から連絡があるのかは分からないが、猶予はたったの一日しかない。それまでにやるべき事をしなければ、とヒューバートは思い人と全く同じ顔の少女を見つめながら心に誓った。




