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エピソード3.

 エトワール・アルフ・ワ・ライラが目を覚ますと、視界に飛び込んできたのは見知らぬ天井だった。

 そこで、そういえば自分はクルサードに着いた途端、何者かに連れ去られたのだったかと思い出した。どうやら、ベッドに寝かせられていたようで、ごろんと何気なく横向きになると体は彼女の命令通り自由に傾く。誘拐されたが拘束はされておらず、手も足にも枷がない事にホッとする。

 ――ここは、どこだろう?

 縛られていないので、当然、次に気になるのはそこだった。

 祖国トリエンジェからの長旅で少し疲れていたとはいえ、眠っていたぶん元気は既に取り戻している。ただ、どれだけ眠っていたか分からないが。そんな彼女が起き上がって足を下ろした反動でベッドが軋んだ。

 キョロキョロと見渡してみると、この部屋はよくあるカントリーハウスの一室のようで、備え付けられてあるのはベッドと机、それから小さなクローゼットだ。ベッドにある布団も古くさいものではなく、太陽の匂いがするのだから本当に自分は誘拐されたのかと錯覚してしまうほどだ。ただし、窓に二枚のベニヤ板が交差して取り付けられて、これでもかと光を塞いでしまっている点を除けば。

「まあ、そうだろうな」

 窓なんて、一番の逃げ道なのだから。

 目蓋を開いた際に、やけに部屋の中が薄暗かったのはこの所為でもあるのか、と頭を掻いてエトワールは徐に扉へと近付いた。

 当然、そうなると出入り口はこの扉だけとなる。

 ここも外側から閉められているだろうとは理解しつつも、彼女は確認する為にノブへと手を掛け――それはカチャという扉本来の音がした。

 

「……え?」


 彼女が驚くのも無理はない。

 いくらエトワールが枠組みから外れた人間であったとしても、檻に捕らえている者をわざわざ逃がす者などいない事ぐらい知っている。それなのに――

「開いた。開いてしまったぞ、何なんだ?」

 ただのうっかりでは済まされんぞ、と呆れながらも、もしやこれは罠であるかもしれないなと身を引き締めて扉をゆっくり開けてみた。

「むむ。……誰もおらぬとは」

 扉が開くというのならば、見張りの一人や二人でも居るに違いない。と、今度は自分にそう言い聞かせながら、エトワールは廊下へと顔を覗かせる。

「……あ」

 思わず声を漏らしてしまったのは、こちらに背中を向けて、まるで迷い子のように立ち尽くしている自分よりも年若い少年を見つけてしまったからだった。後ろ姿だけなのに、どうしてなのか庇護欲をそそられる不安げな雰囲気が気に掛かる。

 そんなエトワールの声がきちんとその少年にも聞こえたようで。

「……え?」

 驚きに満ちた顔で振り返られて、疚しい事はないはずなのに不安げな顔に居たたまれず扉からスルリと飛び出した。

「誰?」

「誰、だって?お前こそ、誰だ?わたしをここへ連れてきた奴の仲間じゃないのか?」

 見た目は頼りなさそうでも警戒はすべきである。

 しかも、見張りがいなかったとはいえ、屋敷内を自由にうろついているのだから敵という可能性は高い。

 ――だが。

「え?連れてきた、って……ま、まさかあなたも?」

 エトワールの意に反して、少年は目を丸めて驚いた。

「その様子だと――もしかして、お前も……なのか?」

「ええ」

 まさか、と思って問い返せば、少年はやや沈んだ表情で肯定しながらコクリと頷く。という事は、この少年も目が覚めて扉から出られる事を知ってうろうろしていた所か、と想像出来た。

 自分以外にも攫われた者が居るとは驚いたが、理由がさっぱり分からない。

 自分一人ならトリエンジェ皇国に仇成す者かとも考えられたが、目の前の少年を見る限り『国』絡みではなさそうだ。

「お前、名前は何という?あ、いや、その前にわたしが名乗るべきだな。わたしの事はエトワールと呼んでくれ」

 本名を名乗るのはあまりよくないと分かっていながらも、エトワールは他に思いつく名前もなかったので素直に名乗った。ついでに、同志という意味で仲良くしていきたいという気持ちを込めて片手を出せば、彼は戸惑いながらもそれに応えてくれて。

「エトワールさんですね、分かりました。僕の事はイオと呼んで下さい」

 まだ少しだけ緊張感を貼り付けながらも僅かに微笑んだ。

 ああ、話しやすそうな者が一緒で良かった、と内心で胸をなで下ろしながら、エトワールもニコリと笑う。少しだけ気が休まる時間を与えられて喜んだのも束の間。

 イオがその流れで口にした言葉で、エトワールの心は一瞬にして凍り付いてしまった。


「それにしても、エトワールさんの髪って珍しい色合いですね」


「……えっ」

 そこから、自分が今、どのような状態であるのかエトワールは気が付いた。

「わ、わたしのヴェール!」

 ――どうりで、こんなにも視界が拓けているはずだ!

 拐かされた事ばかりに気を取られて、今まで国の規律であるヴェールを忘れていたのだ。

「もしかして、僕、いけない事聞きました?」

「いや!イオは悪くないんだ。……すまない。実は、わたしの国では常にヴェールを被らねばならないと決まっておってな」

 トリエンジェ皇国では、男女問わず人前では常にヴェールを被るのが慣わしである。イオがトリエンジェ皇国を知っているのならば、エトワールがトリエンジェ皇国の人間だとバレてしまっただろうが、この人の良さそうな少年なら構わないと直ぐに彼女は決断づけた。

「そうだったんですね」

「ああ。だが、よく考えれば囚われた時は襤褸を被っていて、ヴェールは荷物に入れておったわ」

 だから、襤褸を纏っていないのであれば、髪も顔も曝け出していて当たり前だろう。

「せめて、襤褸さえ見つかれば」

 もし、己が寝かされていた部屋に置いてあったのなら、当然目に付くはずだ。なのに、ここまで忘れていたとなると、ここへ連れてこられた際に脱がされてどこかに隠されていると思わなくもない。

「よし!手っ取り早く襤褸を探そう」

「えぇっ?」

 そんな彼女の我が道を行く強引さに、イオが驚きの声を上げる。

 彼には彼女の思考は予測不可能だったようで。

「ちょっ、待ってくださ……って、もう!」

 だからこそ、ひとまず落ち着いてもらいたいという彼の制止の声も聞かず、エトワールが近くの部屋の扉を開けてしまう。

「よっぽど切羽詰まってるって事は分かりましたけど、そんな気軽に開けたらっ」

「ここもあの部屋と同じ仕様か……うん?どうした?」

「どうした、じゃなくって」

 焦った表情のイオに服を引っ張られたが、エトワールは理解出来ず首を捻る。

「僕たちを攫った犯人たちが居たらどうするんですか!?」

 イオの言う事はもっともである。

 それは、エトワールも理解している、が。

「どういった輩かは分からんが、それなら部屋の扉が開いているのはおかしいと思わんか?」

「そ、そうですけど」

 鍵を閉めていない方が悪い、と言いきったエトワールに、今度こそイオが脱力して肩を落としてしまったのはもはや当然で。なのに、エトワールはそんな彼の態度に何を感じ取ったのか、仕方ないな、と言わんばかりに肩の上に手を乗せて。

「お前の事はわたしが出来る限り守るから。だから、弱気になるな」

 あまりにも論点がズレた言葉を自信満々にのたまった。

「……そうじゃなくて。いえ、もういいです」

 もはや、あ、これはもう何を言っても無駄かも、と途中から諦めたイオは苦笑いするしかない。それを同意したと思い込んで、エトワールが次の扉に手を掛ける。

「さて、と。じゃあ、次はこの部屋を開け」


「――たら、お前らの頭が吹っ飛ぶ事になるだろうが構わんか?」


「っ!」

「……なっ!?あ、……あなたは!」

 全く気配も音すらもなく大男の出現に、二人が息を飲んで一歩後退った。エトワールは悲鳴こそ出さなかったものの、動揺で心臓が激しく音を奏でる。

 褐色の肌に黒髪という大陸外の人種にも驚いたが、それよりも図体が大きい為に頭上から赤い瞳で見下ろされるだけでも恐ろしかった。エトワールは咄嗟にイオを自分の後ろへと庇ったが、どうやら彼はこの大男を知っているらしい。

「何者だ?」

「観光していたら、突然あの人に話しかけれて……そこから意識を失ったんです」

 確認してみるも、それは十中八九、誘拐犯であるとみて間違いない。後ろからエトワールの袖を握りしめたイオの手が心なし震えているのは気のせいではないだろう。その時の恐怖を思い出しているのかもしれない。

 ――わたしが、守らなければ。

 己の従者と同じ白金色という透き通るような金色の髪を持ちながらも、従者とは反して華奢な見た目であるこの少年の力になりたいという思いが募る。

 王族は民を守る為にあるのだと、常々、国王である母から言われているエトワールにとって、イオは異国の民に当たるのだろうが守るべき対象だった。何の因果か、こんな同じ縁の下で出会った者なのだから。そう思えばこそ、自分がここでしっかり対処しなければならないと奮起する。

「お前は……お前たちは何者だ?わたしとこの子をどうするつもりだ?」

 まるで大きな獣と対峙していると錯覚してくる。

 それでも、エトワールはキッと睨み付けて威嚇した。

「……オレ達が何者でお前達をどうしたいのか、は別の奴が説明をする……から、ついてこい。後、死にたくなきゃそこは絶対に近寄らない事だな」

「何故だ?」

「そこは、オレ達のボスが使ってる部屋だ。覗いたら怪我をし……頭にでっかい風穴が開くと思え」

 無表情であるからこそ、余計に恐怖心が煽られる。エトワールはここまで肉体改造をしている人間とは滅多に会った事がなかったので、震えそうになる自分をどうにか抑えながらも唇をかみ締めて頷いた。




 大男に連れてこられた場所は、屋敷の一階にある一室だった。

 元は居間パーラーだったようで、陽の光を取り入れる為に大きな窓があるが、やはりここもエトワールのいた部屋と同様に何枚もの板で塞がれている。そして、それを背後にドンと主張する大きな食卓机の上には書類が並び、その部屋の主らしき人物がちょうどそこから一枚の紙を取り出していた。

「入るぞ」という言葉と共に部屋へと侵入してきた大男とエトワールたちを視界に映し、部屋にいた若い細身の男がスッと目を細めたのが男の眼鏡越しでも分かってしまった。

 一見して柔らかそうな亜麻色の髪と僅かに垂れた碧い瞳が優しげな印象を作っている。だが、そんな穏やかそうな気質を、黒を基調にしたスーツと眼鏡が台無しにしていた。

「……起きたか」

「ああ。ちょっと元気が有り余っているようでな、ボスの部屋を開けようとしてた所を回収してきた」

 大男がそう言うと、男は明らかに大袈裟なため息をはき出した。そして、カチャ、と左手で眼鏡のフレームを押し上げると。

「勘弁してくれ」

 面倒臭いという表情を隠しもせず、愚痴をこぼした。

「まあ、そう言うな、大将。一応、忠告はしておいた」

「何かあっても責任は取らんから、そのつもりでいるように」

 その言葉が、どうやら自分たちに言い聞かせているのだとエトワールが理解するのに数秒はかかった。それぐらい、男の外見と中身のギャップに珍しくエトワールは気圧されていたのである。

 しかし、このままでは駄目だ、と直ぐに気持ちを立て直して。

「お、お前達は何者なんだ?どうして、わたし達を拐かした?」

 訊くべき事を口にする。

 それは、一国の姫としての威厳でもあるし、この場にいる同じ処遇の少年の為でもあるからだ。

 傍にいた彼女の騎士であるシルヴィオの目を盗んでまで、彼らはエトワールを連れ去ったのだ。当然、彼女が何者であるのか分かっていて行ったのだろう。一国の姫を誘拐するという事は、大国を敵にすると同意義である。

 安易な理由ではあるまい、とエトワールですら分かる。細身の男は、もう一度眼鏡のフレームを指で押し上げ――


「貴様らをここへ連れてきたのは、とある人物との交渉に役立ってもらう為だ」


 エトワールを見つめながら、淡々と言葉を紡いだ。

 そこには、一切の感情は見当たらない。まるで、彼にとっては仕事の一つでしかないような。

「とある人物?」

 けれど、今のエトワールにはそんな事は些細な問題にもならず。それよりも、内容の方が気に掛かった。

 とある人物、なんて勿体ぶった言い方だが、エトワールにとってこの国で唯一繋がりがある者など一人しかいないからだ。

 そう、それは――――



「その名は、ヒューバート・コールフィールド」



 星詠みで、彼女が将来の運命を共にする男として選ばれた者。

 そして、嫁として押しかけた際に、一瞬で彼女を虜にした男だった。


「ヒューバート殿だと!?」

「そ、んな」

 エトワールの憤りと同じくしてイオからも動揺が漏れる。

 その声にイオもヒューバートを知っているのか、と分かってどういった関係なのか訊ねたい衝動に駆られたが、今は目の前の問題の方が重要である。エトワールは、事務机と化した食卓机へと一歩近付いた。

「お前達は、一体何者なんだ!?」

 エトワールとヒューバートの関係を知る者は、クルサード国内でも王宮の限られた一部の人間のみだろう。以前クルサードに来た際に、彼の食事に毒が盛られていた事実。そして、何よりヒューバートが発言した『周りは敵しかいない』という言葉は、今もエトワールの心に深く刻まれている。

 もし、自分がヒューバートを害する思惑に利用されるのだとしたら――

「場合によっては、トリエンジェを敵に回すと思え」

 そんな事、絶対にさせない。させたくない。


 ――何より、ヒューバート殿の足手まといになどなりたくはない。


 相手の返答次第では、舌でも噛み切ってやろうかという勢いで詰め寄ったエトワールだったが、細身の男は微塵も表情を崩さない。

 それどころか、非常に面倒だという顔になってため息をはき出した。

「これだから嫌だったんだ」

 は?とエトワールは一瞬、呆気にとられる。

「国家政変、国家転覆、国際問題、世界戦争」

「え?お前は何を言って」

「そんなものに興味は無い」

「興味って」

 そのどれもが国の一大事であるのに、男はまるで唾棄すべきものだと言っているかのようだった。その嫌悪感むき出しの顔に、エトワールの方が困惑してしまう。

「二日寝てないみたいだから、気にしないでやってくれ」

 そこへ、大男のフォローが入ったが、エトワールにしてみれば戸惑うばかりである。悪い連中とは常に悪事を働いているものであるはずなのにこんな血の通った話をされてもな、と思う。

 思わず眉間に皺がいったエトワールを、細身の男はもう一度見て今度は盛大にため息をはき出した。

「っ、お前いい加減に」

「私達が何者かはいずれ分かる。今、言えるのは交渉によってどちらかが解放されるという事だ」

 そして、眼鏡の位置を正しながら、彼女たちの現状を告げるのであった。


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