エピソード2.
何かがおかしい、と違和感に気付いたのはその時だった。それは、ヒューバートの傍にいたトーマスも同じように感じたという。
それまでアルミネラは、馬車酔いから風邪をこじらせて寝込んでいるという理由で、公の場ではそのアルミネラが兄のイエリオスに変装して出席していたのだが留学中もそれが当たり前だった為に取り留めて気にはしていなかったのだ。それに、ヒューバートを敵視する彼女には相当警戒されているのだろうという思いもあった。
だが、ヒューバートとてそこで諦めていた訳ではない。
ここまで徹底して兄をヒューバートから守ろうとする妹の存在は疎ましいものであったし、せめて一目だけでもと思うのは疚しい思いなどではないからだ。だからという訳ではないが、それならば国賓としてアルミネラを引きずり出してやろうと画策した。当然、イエリオスにも出て貰うように友人としてオーガストにお願いをしてまで。
そうすれば、出席せざるを得ないだろう、と思ったのに――顔を出したのは妹の方だけで、兄は病欠で彼女は彼女として登場を果たしたのであった。
ここまできたら、もう忌々しくもなるというもの。
人間とは皮肉なもので、そこでどす黒い感情が渦巻いてしまうのは当然の結果ではないだろうか。
こんな所で諦めてたまるか、とそれらをバネにしたヒューバートが次に取った行動は、和睦の道を歩む両国にとって今後の課題となりそうな問題を話し合いたい、という提案だった。
これまでヒューバートが認識している双子の差異とは、妹のアルミネラは兄のイエリオスより知性がない、という部分が大きい。実際、留学中に何度も目にしたアルミネラの行動は、慎重に行動する兄よりも自由奔放であるとしか思えなかった。はっきり言えば、野蛮そのもの。
であれば、このような国政においての腹の探り合いなど、彼女には到底手も足も出ないはず。
ああ、今度こそやっと、とヒューバートが思ったのは無理もない。
――なのに、その場に現れたのはイエリオスの変装をしたアルミネラだった。
この時の衝撃は、言葉では言い表せないだろう。
しかし、もっとヒューバートを驚かせたのは、婚約者であるはずのオーガストがそれに全く気が付いていないという事だった。
確かに、外見はまるで鏡越しに見た時のようにそっくりなのは否定しない。けれども、アルミネラにはない柔らかな物腰や気品ある穏やかな笑顔など、数え上げればきりがないほどイエリオスの長所は多すぎる。
短気そうな彼女にしては珍しくそこを上手く誤魔化せてはいても、やはり物事の捉え方だとか相手に対しての敬意や気遣い方がまるで違う。
それでも、そちらがそこまで慎重になるのなら、とヒューバートも素知らぬふりで注意深く観察を続けてみれば、どうやら彼女の立ち居振る舞いや発言はミルウッド公爵のもと行われているようだった。
ああ、なるほど、とヒューバートは理解した。
事前に調べた情報によれば、ミルウッド公爵は過去に外交官をしていたが今は彼女たち双子の父であるエーヴェリー公爵、つまりは現国王の現宰相の補佐官をしているという。それに、ミルウッド公爵の娘はイエリオスの婚約者でもあるのだ。
そういう点を踏まえれば、彼らの手助けをする充分な理由になるだろう。なにせ、間近で双子を見ているのだから。
どうりでこの単純な娘がボロを出さない訳だ、と納得がいった。
だが、同時にさすがにここまで隠し通すのはおかしいのでは?とも思ったのは確かである。
「さぁて、どうしますー?」
オーガスト一行がクルサードに滞在して早二日目も過ぎようとしていた。
大人数での慣れない会食からようやく解放されたヒューバートにお茶を淹れながら、トーマスが問いかける。その質問の内容は、当然、ここ数日ヒューバートを悩ませている問題で。
「あそこまで頑なに勿体ぶられると、どうしても暴きたくなってしまいますよね」
「お前は全く。底意地の悪い」
しかし、トーマスの言う通りでもあったりするのだ。
たかだが顔を合わせるぐらいでそこまで忌避する事もないだろうに。
それとも、顔を出さないのは彼の本意で、そこまで彼の中でヒューバートへの期待は幻滅するほどまで落ちたのか、と思うと少しどころか本気でショックだと言える。そんな悪い想像をしてしまい、思わず大きな息をついていたら執務室の扉が開いた。
「あ、お兄様。ただいま戻りましたわ」
「おかえり、アメリア。心なし気を落としているようですが、もしや何かあったのですか?」
普段であれば、例え唯一同腹から生まれた妹であっても、ヒューバートは顔色など気にもしない。なのに、どうしてそのような問いかけをしたかといえば。
「何も、ありませんでしたわ。ええ、本当に何も。あの方が妹君であるのは確かですけれど」
最終手段として、イエリオス・エーヴェリーの部屋へアメリアに行ってもらったのだ。要は、どちらが出るのか確認をしてもらいたかっただけなのだが。
それにしては、酷くしょんぼりと顔を俯かせて帰ってきたので気に掛かった。――それに。
「何も、とは?」
そう、何もない、というのはどういう意味なのか。
ヒューバートにしては珍しくわざわざアメリアを労って、己の座っていたソファーの隣りに彼女を優しくエスコートしながら座らせて問いかける。
「……手紙が、ありませんでしたの」
「え?」
と、首を傾げてトーマスを見れば目が合った。
「手紙、とは?」
「あ、ああ!ひょっとして、ミュールズのセラフィナ・フェアフィールド嬢との文通の件っスか?」
そういえば、セラフィナ嬢とは大きな繋がりがありましね、とヒューバートが呟いたところで、アメリアは両手で顔を覆ってわっと泣き出してしまった。
「何も約束などしてはおりませんのよ。ですけど、セラフィナさんとイエリオスさんは仲が宜しいもの。ですから、先日のお手紙で、いずれ送りますから、と書かれていた物を絶対持ってきて下さると思っていましたのに!」
「そうでしたか。それは残念でしたね」
もはや、そんな事なら適当に慰める他ない。
こちらが欲しかった情報しかないのであれば尚更だろう。これなら、別の人間に行かせても良かったかもしれない、と思い直していたヒューバートだったが、ふと疑問が浮かんだ。
「……アメリア、妹君は手紙の存在を知らなかったのですね?」
「え、ええ」
もし、仮にイエリオスがセラフィナの手紙を持ってきていたとしたら、彼の性格上、妹からアメリアに渡すように指示しているのではないか?
なのに、アルミネラはその存在すら知らないという。
そこで考え得られる事は――――
「本当に、彼はこの城に居るのでしょうか?」
という一点のみ。
まず、そこから考えを改めて今までの彼女の行動を思い出せばいずれもしっくりときてしまう。
そう、オーガストが双子たちを置いてきた時点からそもそもおかしかったのだ。アルミネラが馬車酔いをして、という事だったが、それは嘘で実際はイエリオスがこの時点で居なくなっていたとしたら?彼女が一人で二役をこなしていたわけは?今もなお、彼が姿を現さないわけは?
――全ては。
全ては、ここに居ないからという理由に他ならない。
なんと、私とした事が。すっかり熱に浮かされてこんな事にも気が付かないとは。
「それなら、ミルウッド卿がアルミネラ嬢に協力をしているのも納得っスね」
「ええ。ですが、オーガストには知らせていない可能性が高いでしょう」
もしかしたら、あの一行で知らないのはオーガストだけかもしれない。
なぜならば、ヒューバートとの会話が多いのはどうあってもオーガストだけであるし、何よりあの男の性格は隠し事に向いていない。
「えっ?という事は、イエリオスさんは一体どこに?」
「分かりません」
だからこそ、厄介なのだ。
オーガストをつついても彼は何も知らないのだから。
これが、ミルウッド公爵の狙いである事は確かだ。イエリオスがいないという事に気が付いたヒューバートが真っ先に取れる行動といえば限られているのだから。
となれば、もう残された道は一つしかない。
「明日の夜会は忙しくなりますね」
時には冷めてしまった紅茶も美味しい。
口内に渋味だけが拡がるお茶を飲み干した後のヒューバートの呟きに、妹と従者は何も言わず微笑んだ。
クルサードの夜会は他国より豪華さが重厚である。
それは、軍国主義であるクルサードの夜会、それも国王主催ともなると出席者も様々な国の外交官やたまたま観光で来ていたという上流階級の民が集うからだ。その誰もが派手さを競うように、上質なスーツやドレスに身を包み、さながら仮装パーティのようにその場のノリと勢いで踊り語り合う場となる。その裏では、一期一会の間にどれだけ多くの縁を結べるのかの競い合いで正に弱肉強食の世界であるのに。
しかし、今夜の夜会のメインとなるのは、ミュールズ国の王太子一行だった。
ミュールズといえば芸術の国とも呼ばれ、その王族は総じて芸術品のように美形揃いで、特有色と言われる『緋色』の髪と瞳を持つ事から各国からは『緋色の国玉』と謳われているほどである。
その緋色の宝石を、一目だけでも見てみたいと望む輩が特に今日は多く集まっていた。
「……さすがっスね」
当然、そのように仕向けたのは他でもないヒューバートである。
けれども、これは相手にとっても。
「想定内ですよ。ねぇ、アルミネラ嬢」
そうですよね?と傍へと歩み寄れば、彼女は誰も見ていないのを良い事に不機嫌丸出しの顔で思いきりヒューバートを睨み付けてきた。
ヒューバートのとった策など、誰にでも取れる手段の一つに過ぎない。
ただ、夜会に参加する彼らを個々に切り離して足止めをしただけのこと。ヒューバートが少し知恵を使った事と言えば、ミルウッド伯爵とオーガストに厄介な人物を向かわせただけだろう。
後はもう、一人になったアルミネラが壁の花になっている所に声を掛けるだけである。この国の頂点に立つのならばお手の物だ。
「あなたの相談役が戻るのは時間の問題ですので、直接お訊ねします。あの方は、今どちらにいらっしゃるのでしょう?」
どれだけ睨まれた所で、ヒューバートにとって所詮は目の前の少女など彼の劣化版に過ぎない。
例え、エーヴェリー家の特徴である白金色の髪が映える淡青色のドレス姿が彼の人を彷彿させるような儚い美しさを放っていても、ヒューバートにとっては無価値に等しいのだ。
「……はあ。結局、クロード様の言ってた通りか」
その言葉は独り言のようであったが、わざとヒューバートにも聞こえるようにも呟かれたのは幻聴ではないだろう。兄を愛する彼女にとって目の前の男は兄を害する敵でしかなく、ヒューバートを少しでも不快にさせたいのだ。
だが、そんなアルミネラが大きなため息をついた後、兄と似た蒼い瞳をヒューバートへと向けた。
「いいよ、答えてあげる」
しかも、その顔は実に含みのある笑みが浮かび、双子の違いを一つ知ったヒューバートが目を細めて先を促す。
「では?」
「答えはね、――分からない、だよ」
「は?」
何を言っているのか理解出来ず、思わず柳眉が寄ったヒューバートに、今度はアルミネラがやや不機嫌な顔で言い放った。
「だーかーら!私にも分からないの。だって、この国に入って直ぐに攫われてしまったんだもの」
むしろこっちが知りたいよ、と続けて言うアルミネラの顔は嘘をついているようには見えなかった。
彼はまだ十八年しか生きていないが、その人生において『驚く』という感情は可としない。といっても、己が相手を驚かす分には構わないのだ。むしろ、優位に立っている実感が湧くというもの。クルサード国を継ぐ者として、他者に翻弄されてはいけないからだという持論を持っている。
そんな歪んだ性格のヒューバートに魅力的な驚きを与えてくれたのが、彼だった。
本来は国土拡大の為の足がかりとして拾い集めた情報だったのに、彼に纏わる話のどれもがヒューバートを魅了した。まるで子供のように心を躍らせて歓喜して、いつしか恋へと変化していったのだ。
ただ、恋だと気付いた時にはヒューバートは自国へ帰国した後だったが。
しかし、だからといって。
「さすがに、こんな驚きは要りませんよ」
まるで、地の底から呻くように呟いたヒューバートだったが、向かいに座っていたアメリアがその独り言に頷いた。
「ええ、本当にあんまりですわ」
当然、彼女はどうしてヒューバートがここまで気が滅入っているのか、つい今し方知らされて理解している。
「まさか、拐かされていたなんて」
だが、アメリアにも予期していなかった事だけに動揺が隠せない。
「セラフィナさんのお手紙で、あの方はいつも何かしらの事件に巻き込まれては危険な目に遭うと書かれておりましたけれど、旅先でもそれは変わりませんのね」
とんだトラブルホイホイですこと、とヒューバートには分からない単語を交えて呆れた顔をする。そして、ヒューバートにジッと見つめられている事に気が付いて、彼女はサーッと血の気を引かせた。
「も、申し訳ありません、お兄様。失言をお許し下さい」
もしかしなくとも、自分の兄の思い人の悪態が漏れたのだ。慌てたアメリアに頭を下げられて、ヒューバートは微苦笑を浮かべた。
「お前が辛辣な言葉を吐く時は、本気で心配している時だと分かっています」
「そ、……そう、ですか」
しどろもどろな返事をする所からして、アメリアは自分の癖に気付いていなかったのだろう。更に顔を赤らめた妹を見ながらクスッと笑って、だいぶ心に余裕が出来た事を知った。
妹の存在、というのも悪いものではありませんね。
昔の、彼に出会う以前のヒューバートであれば、恐らくアメリアの存在は疎ましいままだっただろう。勤勉だが素直で優しく己を慕う妹というのは、時に面倒な生き物でしかない。彼を知って、彼が如何に双子の妹を愛しているのか知らなければ、彼のそういう心に触れなければ、きっとヒューバートは兄妹というもののあり方を見直す事などなかったに違いない。
だから、そんな様々な感情を己にもたらせた彼を失いたくはないのだ。
「これから、どうなさいますの?」
気を取り直して、という訳でもないだろうが、アメリアにとってもそこが一番気がかりであるようで、その顔はいつになく不安を物語っている。――しかし。
「それは当然、」
と言った所で、急にノックもなしに扉が開かれた。
「トーマス!」
決して会話を中断されたからではないが、どんどん自分に対して横柄な態度を取る従者に怒りを感じずにはいられない。だが、当のトーマスは何やら珍しく慌てているようですみません、と口にしながらヒューバートの傍へと駆け寄ってきた。
いつものへらへら笑いがないので、さすがのヒューバートも不審に思い姿勢を正す。
「何かあったのですか?」
アメリアにイエリオス・エーヴェリーが誘拐された件を話す前に、トーマスは警備兵に呼び出されて部屋から出ていっていたのだ。そんな彼が、ここまで余裕が無さそうにしているとは。
何かあったのは間違いないでしょうね。
トーマスの主な仕事は近侍のように家族にも敵が多く信頼できる者が少ないヒューバートの身の回りの世話や警護体制、食事の管理など様々な仕事を一人でこなしている。それにつけて、次期ロプンス公爵家の跡継ぎという身分もあって、ヒューバートの右腕となる為にそこそこの地位を担っているのである。ヒューバートの前では無能のように見せていても、トーマス・ロプンスという男は臣下からの信頼は厚かった。
だから、ヒューバートはトーマスが呼び出された件に何の疑問を持たなかったのだが。
「いやぁ、えっと……ですね」
滅多に見られない顔でトーマスが言いよどむ、が。
「何ですか、はっきり言いなさい!」
焦らされる事を何より厭うヒューバートの叱責で、トーマスの肩がびくっと跳ねた。
「っス!急ぎの件という事で、伝手を使って先程、トリエンジェ皇国の騎士シルヴィオ・ラフーレと会ったんですけど、エトワール皇女が拐かされたようで助けを求められました」
その瞬間、アメリアの「えー!?」という悲鳴に近い叫び声が部屋からこだまして、ヒューバートから軽いお説教を受けたのは言うまでもない。




