吾輩はハゲである
ネコではないです。
吾輩はハゲである。
髪ならもう無い。
いつから最終絶対防衛ラインが後退しはじめたのかは分からぬ。
しかし小学生の頃にはもうその兆候は確かにあった。
まったくもって遺憾な話ではあるが、幸薄い子ならぬ髪薄い子であったと記憶している。
髪を切ることを、バクチ打ちは、神を切ると呼んで忌み嫌う。
縁起ものなのだろう。
そういう意味では、吾輩もまたツイていなかったのかもしれぬ。
子供の頃に初めて会った祖母が、祖父にそっくりだという台詞からして許せない。
仏壇に飾られた祖父の写真は、確かに眩く、その姿は煌々とひかり輝いていた。
不思議なことに吾輩の父はハゲておらぬ。
しかし吾輩はハゲておる故、隔世遺伝というやつなのだろう。
まったくもって許せぬ話である。
思い返せば髪がないが故に碌な人生ではなかった。
会う人はまず頭頂部を見る。
人間は顔はじゃない、人間は心だ、なんて言う奴は死ねばよい。
顔も心もどうでもいいが、髪がない奴はどうしたらいいのだ。
考えてもみよ。
好きな人ができたとしても、まず、悩みが常人よりもひとつ多い。
己の髪のなさを現すのか隠すのか。
ハゲを理由に断られたのでは堪らぬ。
しかしハゲを晒して相手に会えばいい返事が貰えるとは思えぬ。
さりとてハゲを隠して相手から色よい返事が貰えたとしよう。
果たしていつまで隠し通せると言うのだ。
帽子くらい取りなさい、という台詞に延々と怯えることになる。
そもそも言葉と字面が悪い。
吾輩は禿である。
禿。
禿だぞ。
秀ではない。
禿。
こんな字はまず尋常小学校でも教わらぬ。
教えれば陰湿な所業の餌食になる。
神なき者への僅かな優しさも、生きていくには必要である。
この字を吹聴するやつがいたら吾輩に教えよ。
即刻ブチのめしにいってやる。
しかし日本語が便利とは言え、ひらがな、カタカナ、漢字に英語、これも多すぎる。
はげ。
ハゲ。
禿。
HAGE。
読みようによっては英字でヘイジと読めぬこともない。
ハイジではないぞ。
アルプスの少女の爺はふさふさであった。
HAGE。
しかしとどのつまりは髪がないことにすぎず、HAGEていることにも変わりはない。
まったくもって度し難し。
また吾輩も困ったもので、禿を武器にするものを何一つ身に着けておらぬ。
少林拳の名手ではないし、亀仙人の如き実力もない。
その上、逆境を笑いに変えるだけの度胸もない。
ないないづくしの吾輩である。
おまけにこれから毛が生えてくる予兆もない。
となると、もうどうしようもないのである。
酒を飲めども天に祈ろうとも。
はたまた育毛増毛をうたう商売に身を任せようとも。
毛は抜け落ちて、二度と戻らぬ。
カツラなどというものには頼らぬぞ。
あれは言わば見せ毛であり、似せ毛である。
つまりは偽毛。
嘘偽りは吾輩の嫌うところである故、あれだけは受け付けぬ。
いやかつらを悪く言うつもりはない。
ただ吾輩はあれを手にして安寧に浸るつもりがないだけだ。
考えてみれば不毛な話だ。
不毛という言葉もハゲほど似合うものはない。
さりとてバーコードやカッパなどというものになれるわけでもない。
あれはまだ毛が残っているものの嗜みだ。
吾輩にはもうそこまで残っておらぬ。
近頃ではスキンヘッドというものが流行っているらしい。
若者であればいいかもしれぬ。
しかし老人であれば只の禿。
禿爺などと呼ばれては、吾輩は殴り込まずにはおれぬ性質である。
そもそもスキンヘッドは髪のあるものが髪を剃り上げてつくるもの。
髪のない吾輩のスキンヘッドも、また只のハゲなのではなかろうか。
くどいようだが、吾輩はハゲである。
毛はもう無い。
南無阿弥陀仏と唱えようが、あでらんすなるものに金を費やそうが、
あーとねいちゃーなるものを神仏の如く拝もうが、なくなった毛は戻らなんだ。
いくら足掻けど毛は生えぬ。
いくら藻掻けど髪は帰らぬ。
いくつになろうと爪は伸びる。
細胞は生ある限り分かれ続ける。
しかし禿の頭髪だけは違うぞ。
髪は神にしてふたつとない神聖なもの。
ひょっとしたら吾輩の頭には神が宿っていなかったのやもしれぬな。
伽藍洞とは言うたもの。
開けてみれば何があるか分かるというもの。
ざっくばらんと切り開いてみるか。
どうせ碌なものなど入ってはおらぬ。
色と、食と、寝か。
情緒と論もいくらかあるの。
さてはてどうしたものか。
あとは生きた年月ぶんの質量しかない。
しかし存外に重たいものだ。
思えば吾輩も長く生きた。
いくつもの山を越えて、いくつもの河を渡り、いくつもの谷を歩いてきた。
苦労などするものじゃないの。
若いうちの苦労は買ってでもしろ、というのは嘘。
老人が若者をこき使うだけの理屈よ。
阿呆でなければ必要な苦労は、その身相応に背負うておろう。
吾輩もまたそうであった。
生来の神経質ゆえに大変な思いもしたが、あれを苦労とはいまでも呼ばぬ。
ここまでの道のりは必要なこと。
玄人になるまでには山野を駆けて谷へ下ることもある。
禿を禿と馬鹿にするではない。
好き好んで毛を失う者などおらぬ。
皆、泣く泣く手放したのだ。
きっとそれを守れば、他の何かが守れなかったに過ぎぬ。
まだ毛のあるものは、己の幸運を嚙みしめるがよい。
まだ幸運の逃げていかないうちに、大切なものを守りきるがよい。
吾輩は禿である。
長く生きた。
神はもういない。
愛した人も、信じた友も、誇るべき矜持も、守るべき約束もない。
もう大地に立つことも叶わぬ。
ただ胴の上に首があり、そこに禿散らかした頭が乗っているだけ。
不愉快に思った方がいたらすみません。