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 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◇


 翌日の朝。


 ようやく泣き終えたアイラはほとんど小石程度のサイズになっていた象の滑り台に手を付きながら、きっと東京タワーよりも大きくなっていたに違いないはずの巨体をゆっくりゆっくりと立ち上がらせると、周りの風景というかおそらくは方角を確かめたあと、南へと向かって歩き始めた。


 そのアイラのあとを編隊を組んだ自衛隊のヘリコプターと武器を搭載した十数台の大型車両、そしてマスコミの車とヘリ数台が待ちかまえていたように付いていった。直にマスコミのヘリがアイラの前方と列の最後尾に別れ、アイラの正面と後ろ姿を随時報道してくれたおかげで、ぼくらはアイラが移動するさまをバッチリと知ることができた。


 そしてもう言うまでもなく、TVやネット上ではまたしてもさまざまな憶測が過熱して入り乱れ、再びお祭り状態となった。


 そんな騒動をつゆとも知らないアイラは一歩一歩慎重に、都度足元を確かめながら何もない場所を選んでは慎重に足を進めていた。明らかに建物をできるだけ壊さないよう、振動を発生させないように気づかって歩いているようだった。


 でも一度だけ地面の色とシンクロしていたとある古民家をうっかりと踏んでしまいそうになって、寸前でなんとかそうせずに済んだものの、その際にその古民家の脇の空き地へ強力に足を着いてしまい、それが原因で、鹿児島県全域に震度三強の地震が発生した。足を着いた地面の半径数十メートルに関しては震度五弱の大揺れだった。


 途端にアイラはやってしまったという顔で慌てながらもそろそろと身を屈めて古民家の中を覗き込んだのだけど、運よく空き家だったことを知るとふうと立ち上がってにっこりと目をつむり、どこかのアニメキャラのごとくに真っ白い歯の隙間から一度だけぺろっと桃色の舌を出して小首を傾げたあとで、気を取り直したようにまた南へと向かって歩き始めた。


 ちなみにそのときのアイラの映像はすぐに編集されて音楽が付けられたのちネット上にアップされ、日本国内だけでわずか数時間のうちに故・キングオブポップマイケルジャクソンの一千万回以上にも及ぶ動画再生回数を軽々と突破した。むろんその間もアイラの身体は大きくなり続けていた。


 さておきTVに出演する専門家や文化人たちの間では、アイラの目的地は海で、その目的は入水自殺することだとや、重力を和らげるために海上で生活するのだとや、海を渡ってオーストラリア等の広大な大陸を目指すのだとや、挙げ句の果てには途中で潜水して海底に沈んだ幻のアトランティス大陸を目指すのだとや、おむもろに飛び立ってM78星雲に還るのだとや、太平洋の真ん中に泳ぎ着いた瞬間一気に地球レベルまで巨大化して人類にとって事実上のセカンドインパクトを起こすのだとやいう何だか冗談のような説までもが割りに本気で交わされていたのだけど、アイラが目指しているのは多くの専門家が予想した通り、桜島だった。ただしその理由までを説明できる者はいなかった。

 

 やがてアイラは桜島にたどり着くと、足元に人がいないのを確認したあと、その斜面へとなるべく振動が起きないようにして、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、と、やっぱり女の子座りで腰を下ろした。


 そしてその頃にはアイラの身体は今とほぼ同じ、桜島がちょうど座布団くらいの小ささに見えるまでに大きくなっていた。島の住人は既に全員が避難したあとだった。


 しかしそこはかとない皆の期待とは裏腹に、それから数日の間、何も起こらなかった。


 やがて二学期が始まったけれど、そのときになってもアイラは桜島の斜面に女の子座りをしたままで、簡単に顔文字化できそうなくらいにっこりとしている笑みを浮かべつつじっとしているだけだった。その様子が特別に作られた専用のTVチャンネルで二十四時間常にライブ中継され続けた。


 微動だにしないまま、トイレにも行かず、食べ物はおろか水さえも口にしないことから、既に死んでいるのではないのかという説がまことしやかに流れたが、でも、アイラが生きていることは明白な事実だった。だってアイラの鼻で呼吸する音が、ほんの微かではあるものの、聞こえ続けていたからだ。加えて以前アイラに質問をしたあの命知らずの女性リポーターとカメラマンが取材用のヘリから垂らしたとんでもなく長い【吹き流し】を使って、アイラが鼻で呼吸をしている証拠映像をカメラに収めたのでそれが決定的な証拠になった。


 さらに加えて、各放送局のマスコミが競い合うように結成した科学チームらによるさまざまな調査によってもそのことが証明された。記憶にあるのは、その中のとあるチームが解析したサーモグラフィーの映像により、アイラの頭部と四肢と皮膚に近い部分の温度は約二十度前後の超低体温ではあるものの、心臓に近い部分のそれは、標準的な人間の体温と同じ三十六度前後で安定しているということだ。


 そうしてアイラは、桜島の斜面に座り続けたままで、一時評判になった深海生物のように何も口にすることなくにっこりと微笑みながら、静かに静かに生き続けていた。


 ただ、何も起こらないとは言え、人々がアイラの存在を忘れてしまうようなことは決してなかった。逆に何も起こらないからこそますますアイラの謎は深まってゆき、人々はそれを解明しようと、いよいよ熱心になった。


 アイラ自身はもちろんのこと、一体なぜ着ている服までもが巨大化してしまったのか、なぜ飲まず食わずでも平気でいられるのか。ワイドショーでは日替わりで色々な分野からのゲストが招待されて、多様な議論が交わされていた。次元の変容や遺伝子の疾患などの科学に基づいた仮説を初め、神や悪魔の降臨などという神秘的な仮説や、人類全体が何ものかによって催眠術をかけられて幻を見せられているのではないのだろうかというとんでもないような仮説までもが真剣に出る始末だったけれど、どの説をもってしても、アイラのことを完全に解明するには至らなかった。


 とは言えそうした議論だけでなく、政府公認の自衛隊を引き連れた科学捜査班によって実際に採取されたアイラの毛髪を用いての遺伝子検査も行われたのだけど、なんとアイラは、人間そのものということだった。細胞の大きさを司る部分をはじめとしたその他の部分の遺伝子も普通の人間とまったく変わらないとのことだった。


 その際アイラの着ている服の方も科学的に調査されたのだけど、ただの繊維に過ぎないということだった。


 つまりアイラの存在は、科学的にありえないことだった。


 にもかかわらず、ゴスロリファッションに身を包んだ巨大なアイラは桜島の斜面に女の子座りをして存在し、微笑みを浮かべたまま、死んだようにして生き続けていた。

 

 世間のアイラに対する関心がなくなることはなかったものの、時間が過ぎるごとに、人々の暮らしは徐々に以前のものへと戻り始めていた。島を追い出された住人が県に対して抗議を起こし始め、休日になると、アイラと同じか、同じようなロリータファッションに身を包んだ女子たちが、アイラ邸とアイラのいた公園とを聖地と崇めて全国からやって来るようになった。


 そう言えばアイラが着ているゴスロリ服のブランドは、アイラが巨大化したのを機に飛躍的に売り上げと知名度を上げ、ほどなくのちに、一部上場を成し遂げた。デザインを担当したデザイナーは一躍有名人になり、ぼくも一度その人が、TVのインタビューに応えているのを見たことがあるほどだ。


 一般の人たちも、アイラを見に鹿児島まで何人もやって来た。それに目を付けた自治体の連中はアイラに関する大規模なキャンペーンを展開して無数の商品を作り出し、さらに人を呼ぼうと躍起になった。


 その甲斐あってか、特に正月には今でも毎年大勢の人間が他県どころか、全世界からやって来る。


 そしてそのだいたいの人間の片手には、端がフリルっぽくデザインされた紙ナプキンに包まっていて、デフォルメされたアイラのイラストが片面に焼印されただけの回転饅頭──関東で言う今川焼きだ──に過ぎない【アイラ焼き】なるものが握られている。心底馬鹿げているとは思うのだけど、味はまあ悪くない。


 そんな感じで桜島の前に座ってから今までの七年間アイラ自身に関してはまったく何も起こっていないのだけど、しいていうならば、二つだけ変化があった。


 その一つは髪の毛の長さや肉付きなどの見た目を含めてのアイラの大きさがまったく変わらなくなったということと、もう一つは、その原因が科学的に解き明かされることは遂になかったとは言え、アイラが桜島の斜面に座るようになってから、どういうわけか、桜島の活動が不活発になり始めたことだった。


 それまでは月に一度くらいの頻度だった噴火が、アイラがその場所に座るようになってから、三ヶ月に二回になったとかいうレベルではあるけれど、確実に少なくなったのだ。


 それが功を奏してか、多数の人間がアイラを鹿児島の守り神として崇めるようになった。


 と言っても噴火がなくなったわけではないから、アイラの全身は当然のようにびらびらの赤ちゃん布に覆われている顔までも含め、桜島が噴火する度に、徐々に徐々に火山灰によって満遍なく覆われていった。


 ときには激しい雨が降ったり台風がやって来たりしてその灰を洗い落としたが、またしばらくすると噴火して、少しだけ余計に灰が積もり、その二つの現象を繰り返すことによってアイラに積もる灰はその厚みと堅硬さを増していった。そんな感じだから、噴火が数十回に達した五年間が過ぎた頃には、アイラに積もった火山灰はどんな大雨に降られても剥がれなくなった。そしてアイラは今のような石像のごとく状態になった。


 でだいたいその辺りからだと思う。人々の関心が、急速にアイラから遠ざかっていったのは。


 もちろん完全になくなることは今でもないのだけど、以前のようなお祭り状態になったことはこれまでのところ一度もない。一部の信者と言っていいほどのアイラに熱烈な関心を寄せる人々の中には、アイラの再始動と菊花に続く第三番目の巨大少女の出現を待ちわびているという話を耳にしたこともあるけれど、アイラが再始動することも第三の巨大少女が現れることも、やはりこれまでのところという条件付ではあるのだけど、ない。


 そのようにして毎日は、アイラが巨大化する以前の状態へと戻りつつあった。


 それにしてもまったく慣れとは恐ろしいもので、なんと避難していた島のふもとの住民の半数以上までもが家に帰り、普通に生活をし始めたほどだ。そしてそれは妹のミロとぼくに関しても同じことが言えたりする。


 ミロとぼくは──いや、少なくともぼくの方は、巨大なアイラを常に目の前に見ながらも、忘れている時間が少しずつではあるとは言え、確実に多くなっていったのだ。


 でもなんだかそれじゃいけないような気がして、時折り思い出したようにアイラのことについて何かを考えようと試みてはみるものの、うまくそうすることができないままにして現在に至る。

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