3
◇ ◆ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アイラが大きくなり始めていることを知ったのは、中二の一学期をどうにか乗り切って、ようやく夏休みに入ってからちょうど十日後のことだった。
他の夏はもうろくに思い出すことができないのだけれど、その夏のことだけは細部まではっきりと覚えている。もちろんそれは、その夏にアイラが大きくなったからということもあるのだけど、その他にもちょうどその年の春から夏にかけて、東京を中心とした関東地方で、ぼくやミロと同い年くらいの女子たちが担任教師の首をコンパスで突き刺したり、いじめていた同級生を校舎の三階の窓から突き落としたり、寝ている両親に灯油をかけて焼き殺そうとしたりするという痛ましい事件が相次いで起こっていて、ワイドショーをやたらと賑わせていたせいもあると思う。
その日、ベッドに寝転びながらベジータのフィギュアをただひたすらに眺めていたときだった。珍しくぼくの部屋にやって来たTシャツ&ショーパン姿のミロが、「これからアイ姉の家に遊びに行くんやっけど、ニジ兄もちょっと一緒に来てくれんけ?」と開きっぱなしのドア越しに言った。
いやーだべんじょ、とぼくは寝転んだままで答えたのだけど、直後にズカズカと不法侵入してきたミロがいともあっさりとベジータを裏拳で壁に叩き付けたあと、「じゃったら貸してた五千円今日中に返しっくれやほあ、早お」と、ぼくのことを見下ろしながら、まるで取り立て屋のような口調で誘うというよりは脅すから、ちょっと、というかかなり照れくさかったけれど、その日はたまたま何も予定がなくてそのままフィギュアを眺めるかクリアしたロープレのレベル上げをするかくらいしかなかったし、当然返すお金もまったくなかったということもあって、仕方なく誘われるままにミロと二人でアイラの家に遊びに行った。アイラの家に行くのは、小三のとき以来だった。
久しぶりに会ったアイラは、ついさっき窓から見たのとほぼ同じ格好だった。
全身のいたるところに、何本ものリボンやフリルがまるであみだくじみたいに縫われたり結ばれたりしている上着とスカートを身に着けていて、フリルで縁取られた太ももまでの長さの黒いストッキングを履いていた。長めで直毛&黒髪の前髪を眉の上で丸くなるように切っていて、外国の赤ちゃんが被るようなびらびらで黒白の布をラッパのように頭に巻きつけていた。そしてそこから伸びている紐を顎の下で蝶々結びに結んでいて、爪には黒いマニキュアを塗っていて、指にはアゲハ蝶の指輪をはめていて、顔には化粧品ではなく絵の具とフェルトペンを使ったようなどぎついメイクを施していた。──でも、アイラはその全身から発する雰囲気とはまったくの逆の、にこにことしたすこぶる上機嫌な笑顔でぼくたち兄妹を二階にある八畳間の自分の部屋に招き入れた。
アイラはミロとぼくをベッドに座らせると、隠しきれない上気した顔で服の感想を尋ねてきたにもかかわらず、ぼくらが答えるよりも前にキキとララの勉強机の上に置いていたそっち系のファッション雑誌を手に取って目の前に跪き、一枚一枚宝石でも扱うがごとく丁寧にページを捲りながら、これまでずっと内に秘めていたらしきゴスロリファッションに対する想いを熱っぽく語り始めた。そして遂に今日の午前中、今自分の着ている服が届いたのだということをものすごーく嬉しそうにしゃべったのち、一方的に話を締めくくった。と思ったらほとんど似たような内容の話をもう一度繰り返し始め、その途中でアイラのおばさんが困ったような、引きつったような笑顔でお盆に載せたジュースとかすたどんを持ってきてくれたけれど、そのことにさえまったく気が付いていない様子に見えた。
ぼくはその初めて見るテンションの高めのアイラとアイラのファッションに圧倒されていて、アイラが大きくなり始めていることに、すぐには気付かなかった。そのことに気が付いたのはようやくアイラに解放されて家に帰る途中で、「ねえ、ニジ兄はどう思うけ?」とミロに尋ねられてからのことだ。
え? とぼくは答えた。
「すごかったが。初めて見たがよあんなの。でもま、いんじゃねえのけ、なかなか似合っちょったし、ちょー嬉しそうやったし」
実際ゴスロリファッションのアイラはけっこういい感じだった。テンションが高めなのも初めて見たせいかものすごく新鮮で、ぶっちゃけちょっとだけ萌えてしまったほどだ。いやほんとはかなり。
じゃなくてよ、と、またチンピラのような目つきと口調でミロが言った。
「アイ姉の身体よ」
「身体? 身体ってなんよ」
その頃のアイラの胸はもう既に大人並みのサイズだったから、思わず淫らな想像をしてしまったぼくは真っ赤になった。そのぼくの顔を一転インテリヤクザのような醒めた目で見やりながら、ミロが開いた携帯の画面を見せる。
そこには、アイラとミロが並んで立って写っていた。にこにこ顏でゴスロリ姿のアイラとTシャツにショーパン姿という何の面白みもない格好のミロが。ちなみにミロの髪型は小生意気にも美容室に行っているくせにどう見ても床屋で切ったようにしか思えない刈り上げ交じりの超ベリーショートだったりする。
なんよ、さっき撮ったやつかよ、と妙にガッカリしているぼくに向かって、大きいやろうがアイ姉の身体、とそっけない口調でミロが言った。それでようやく気が付いたぼくは、画面をえっと見つめ直す。
画面の中のアイラは、確かに大きかった。ちょっと前までは間違いなくミロと同じくらいの身長だったのに、明らかに十センチほど大きくなっていた。ただ大きいのなら何も問題はないのだが、そうではなく、全体がちょうど拡大コピーでもしているかのように、不自然な感じの大きさだった。
ぼくはアイラの部屋にいた最中何とはなしに抱き続けていた違和感の原因のほとんどがその奇抜な服装と高めのテンションのせいではなく、身体の大きさの方にあったのだということに初めて気付く。
ぼくは、ミロの顔を見た。ミロは何も言わないままに閉じた携帯をショーパンの前ポケットに突き差すと、さっきとは打って変わった切実な目でぼくの顔を見つめながら、「ねえ、アイ姉これ以上おっきくなったりせんよね?」と尋ねてきた。「ま、まさかあ」とその馬鹿げた質問に思わず笑いながらぼくは答えたけれど、ミロは不安そうな顔のままで何も答えなかった。
と、そのときのぼくはアイラのことを気に留めはしたものの、すぐに忘れた。
確かにアイラのような服を着ている女子は、ぼくの田舎ではものすごく珍しいことだったけれど、TVやネットの世界ではけっこう普通だったりもしたし、テンションが高めだったのもぼくだって発売を待ち望んでいたゲームを手にした瞬間には似たような状態になるし、それに何より、アイラがまさに文字通り一回り大きくなったとはいえ、それはまだまだ常識の範囲内での大きさだったからだ。
というかぶっちゃけるとミロの手前ちょっと大げさに驚いて見せただけで、本当は単なる偶然が積み重なった何かの感違いだとそのときから考えていた。だからぼくはすぐにアイラのことを忘れて、日に日に少なくなってゆく夏休みをここぞとばかりに満喫し続けた。中学二年生の夏休みが思いっ切り遊べる最後の夏休みなのだと、自分でもわかっていたからだ。
でもその十日後、次にアイラに会ったとき、ミロの心配が的中していたのをぼくは思い知ることになる。