青の流れる先
「おまえは忌み子だ。母親はお前を産むと同時に死に、父親は不治の病に侵され死んでしまった」
六歳の時、老婆はそうしわがれた声であたしに告げた。
どうりで周りの態度が違うと小さな頃から思ってた。いいんだ。どうせここにいる限り、死ぬまでずぅっとあたしは忌み子だ。そうして無駄に肩身の狭い思いをしながら5年過ごした。
この村の人はあたしを嫌ってる割には優しい方だろう、朝起きると食料が玄関先においてある。これ以上あたしに寄ってくるなと言うことだとは思うが、おかげで死なずにすんでいる。山奥の沢の近くに村人がこしらえた簡素な家があたしの居場所だ。あたしを隔離するために家まで作ってくれるなんて、なんて優しい人たちだろう。服は季節が変わるごとに三着くらい届く。まったく、至れり尽くせりだ。
毎日、山菜採りや狩りなんか楽しみながらあたしは暮らしてきた。特にやることもなかったからね、なにか村人たちにお返しした方が良いかとも考えたんだけど、あたしからは何も貰いたくないだろうから止めた。
そうしてまた春が過ぎようとした頃だった。
ある朝、玄関先の扉を控えめに叩く音が聞こえ、何事かと飛び起きた。
旅の者だろう、村の人が私と進んで関わろうなどと考えるはずがない。
そう思いながら、眠たい目をこすり、ガラガラと引き戸を開けた。
「どちら様でしょうか?」
あたしが年に似合わないか細い声しか出ないのは普段会話をしていないせい。そこには綺麗な服を着た同い年くらいの子が柔らかい笑顔で立っていた。
「こんにちは、忌み子さん。私は村で水と豊穣の神の巫女をやっている者です」
「そんなお偉いさんがなんのご用ですか、あと忌み子はあたしの名前じゃないです」
「あら?そうだったの?私、貴方のことをそう聞いていたからてっきりそれお名前なのかと」
どこにそんな縁起の悪い名前をつける親がいるかっ!
「まぁ、確かにあたしには名前がないけどさ」
父親も母親も幼い頃に死んでいるし、何より六歳まで育ててくれたお婆ちゃんは、「おまえ」とか「おい」とかばっかで名前があったのか定かではない。なにより、お婆ちゃんが私が忌み子であることを告げた夜、急死してしまった。
「…それじゃあイヨさん」
「は?」
「いま、名前をつけて差し上げました。私の名前がキヨなので」
いやいやいや、わからない。なんでこの人勝手に人の名前つけてるの?
「イヨさん、貴方にお話があるんです」
そう真剣な顔をされても困る。さっきからずいぶんと自分勝手な巫女さんだ。
あたりを伺いながら内緒話をするように声を潜めてキヨは話す。
「近々、大きな水災が起こります。ここは山奥ですし、気をつけてくださいね」
そう一言言うと丁寧にお辞儀をして彼女は踵を返して歩き出した。
えっ?それだけ?それだけのためにあたしのところにきたの?
「ちょ、まって!!」
呼び止めた時には彼女の姿はない。本当に一瞬の出来事で、私は知らせてくれたお礼すら言えなかった。
それから数日間、梅雨だというのに日差しが照りつける日が続いた。沢の水の勢いがなくなるほど、干上がり始めたとき疑問に思った。
おかしい。キヨは水災と言ったはずだ。これでは真逆じゃないか。
なにか変だと思ったあたしはキヨに聞くため、5年ぶりに村へ降りた。
「忌み子だ!忌み子が降りてきた!」
あたしを見た村人はゆがんだ顔をして、大騒ぎをして逃げていった。
「あいつか?あいつのせいか!」
「忌み子のせいで干ばつが起こったんじゃ」
あぁ、やっぱりそうなってしまうか。覚悟はしていたけど、あたしが何をしたわけでもないのにこの言われようは少し悲しい。
「我らは巫女様の教え道理、供物を与えてきたぞ?」
あの食料はキヨの仕業だったんだね。じゃあお礼をしなきゃ。
「だったら何故降りてきたんだ?」
「とにかく捕らえろ!巫女様にご相談を!」
捕らえられてキヨに会えるならそれでかまわない。そう思った私は村人たちに捕らえられ、土手の砂利に正座をさせられて彼女を待った。
現れたキヨはよくわからない服を着た人を連れ歩き、あたしをちらりと見た瞬間驚いた表情をその重たそうな衣装でかくしてしまった。
「……これは私のせいです」
堂々とキヨはそう言った。
「私が、干ばつを防げなかったばかりに忌み子が降りてきてしまった。ならば私がどうにかいたしましょう」
そう言って彼女は私のそばまで来て、飾りの多い刀を抜いた。
「覚悟はよろしいですか?イヨ」
この状況下で笑顔のキヨはあたしにそう告げた。きっと殺されるのだろう。そうしたらあたしは…忌み子ではなく、ただのイヨになれるのだろうか。この期に及んでなにをくだらないことを考えているんだろう。呆れるようにあたしは笑った。
しょうがないじゃないか、両手両足を身動きがとれなくて、膝はもう血がにじみ始めて痛くてどうしようもない。村へ降りる前からこうなることぐらいわかっていたけど、イヨにもう一度だけ会いたかった。それが叶ったからもういいかな。
あたしは笑顔でうなずいた。
イヨは細い手に力を込めるとその刀を振り下ろした。
カキン!と甲高い音が河原全体に響く。
彼女はその刃を地面に突き立てていた。その拍子にあたしの縄が一部切れる。とたんにざわざわつく民衆の声を消すように鋭く彼女は告げた。
「さぁ、皆様の望み通り水を呼びました。無理に呼んだので神は怒るでしょう。今すぐ逃げなさい!!」
その言葉を言い終わると、彼女はあたしを抱いて下流に走った。いや、遅すぎて歩いてるくらいか。
「ちょ、キヨ!あたし走るから下ろして!!」
「申し訳ありません、つい。ここから貴方をいち早く逃がさなければ」
走りながら私に告げるキヨは息が上がり始めている。さすが巫女様、走ったことなんてほとんどないのだろう。
「いまからこの村に大水災が襲います。それを沈めるために貴方は確実に生け贄にされてしまうでしょう。それを避けるためにはこれに乗じて逃げるしかありません」
「水災ってキヨのせいで起こるの!?そういうこと早く言ってよ!」
「貴方に言おうと思って家に伺ったのに村に降りてて居なかったのは誰ですか!」
キヨってこんな怒ることあるんだ。一回しか会ったことないのにもう友達みたいにふざけた喧嘩して、そんな場合じゃないのに。
「なに、笑ってるんですか、もう来ますよ!」
後ろには激流が見えていた。これって、間に合わないんじゃないか?
「上に逃げよう!」
土手を指してあたしは叫んだが、彼女は首を振った。
「私を信じて下さい、このまま水に身を任せて!」
でも、あのときは正直どう逃げても間に合わないと思った。そして、二人が激流に飲み込まれ、行き着いた先は海辺の集落だった。
あたしたちを引き上げた彼らにあたしが忌み子だとかいうことは関係なかった。だけどキヨは容態が良くない。ろくに喋った事もないあたしがたどたどしくしていると、皆は快く手をさしのべてくれた。
未だに具合が良くならないキヨがあたしに告げた真実は驚きを隠せないものだった。
キヨはあたしと誕生日が同じ日だった。
共に難産なのに彼女の母親は巫女という高い身分にもかかわらず、あたしの母親に産婆をつけるように言い渡し、キヨが生まれると同時亡くなったそうだ。だからイヨは本当は忌み子ではないと。
「ごめんね、キヨ。私のせいで……」
そう言うとキヨは弱々しく首を振った。
「イヨのせいじゃないわ、お母様は当然のことをしたと思うし。私はイヨが生まれてきてくれて嬉しかったもの」
「ありがとうキヨ、貴方のおかげで今まで生きてこられた。それに名前も貰ったし。別に忌み子だったとしてもかまわなかったのだけれど……これからもよろしくね」
そうして満面の笑顔で、病弱なキヨと少し恥ずかしがり屋なイヨは余生を送った。
どこまでも続く青い地平線の見える家で。