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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第2話 託されたもの
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 るうかに託したいものがある。そう言った侑衣が鞄から取り出したのは1通の手紙と1冊のノートだった。ノートはビニル袋で包まれており、それを剥がさなければ中身を読むことができないようになっている。どこでも売られているような大学ノートだが、一体何が書かれているというのだろうか。

 侑衣はそれらをテーブルの上に置き、少しだけ考える素振りを見せてからゆっくりと口を開いた。

「君にこれを預かっていてもらいたい。そして、私の身に何かがあったときにこの手紙を有磯(ありいそ)さんに届けてほしい。君ならできるよね?」

 侑衣の瞳に懇願の色が宿る。るうかは少々驚きながらも、その真剣な眼差しに気圧されるように頷いた。

「分かりました……でも、何かがあったときって」

「もうじきアッシュナークでは祭りがある。この間もテロまがいの事件があったんだ。今回も祭りの賑わいに乗じて何かが起こらないとは限らない。ただでさえ、黒い蝶なんていうものが世界を脅かしている。あの世界では、この世界で生きているよりずっと命を落とす確率が高い」

 澱みない口振りでそう言うと、侑衣はさらにノートを示してるうかを見つめる。

「そしてこっちは、そのときにまず君に読んでもらいたい。それから、できれば私に返してほしい」

「……読んでから、返せばいいんですか?」

「そう。それと、私が生きている間は……決して読まないでほしい」

「な」

 るうかは呆気に取られて侑衣を見る。何ということを口にするのだろうか。確かに彼女が夢の世界で危険な仕事に従事していることはるうかもよく分かっている。アッシュナークで近々開催されるという鎮魂祭についても、あの佐保里が何かを仕掛けてくる可能性があることを知っている。あるいは輝名(かぐな)辺りであれば何か事件の起こる予兆を嗅ぎ取っているということもあるかもしれない。しかし、だからといって侑衣が軽々しく自分の死の可能性を口に出すということはるうかには理解できなかった。

「どうして、そんなことを」

「君も勇者だからね。知っておいた方がいいことがある。でも、今それを知れば君はきっと」

 そこで侑衣は言葉を切り、ふふっと困ったように笑う。

「余計なことを言うところだった。今のは忘れてほしい」

「余計に気になります」

「先輩の命令だよ。忘れなさい、るうか。そして黙ってその手紙とノートを預かってほしい」

「どうして」

「君も頑固だね」

 ふう、と呆れた様子で侑衣は深く息を吐き出す。それからついと右腕を伸ばしてるうかの左肩に触れた。

「無茶を言っているのは私自身も分かっているよ。だけれど、これを託せるのは君をおいて他にいない。色々考えたんだ。例えば日付を指定して自宅と有磯さんの家にそれぞれ送りつけるとか。けれどやっぱり確実じゃあない。今のうちに有磯さんに預けてもよかったけれど、それは私にとって荷が重かった」

 肩をすくめ、侑衣はわずかに照れたように微笑む。なんでも彼女は1週間ほど前に輝名の自宅マンションを訪ねたらしい。そのときにこれらの手紙とノートも持っていったのだが、結局渡すことができずに持ち帰ったのだという。侑衣の瞳が切なげに揺れる。

「お願いだ、るうか。今日君とこちらの世界で出会えたことが、きっと私にとって最後のチャンスなんだ」

「侑衣先輩……」

 るうかは困惑しながらも、侑衣のあまりに真剣な様子に断ることなどできないと感じていた。しかし疑問は消えない。疑問を抱えたままただこれらを預かるというのも気が引ける。かと言って、侑衣はこれ以上自分からそれらについて語ることはないだろう。ならば、とるうかは思い切ってこう問い掛けた。

「先輩、何か隠しているんですね?」

 ぴくり、と侑衣の方が震える。彼女の切れ長の黒瞳がひたとるうかを見据え、そして薄い唇が吐息混じりの言葉を紡ぐ。

「いい度胸だね」

「預かること自体はいいんです。でも、先輩が何を隠しているのか……それを知らないままは気持ちが悪いです」

 もっとはっきりと言うべきかどうか、るうかは迷っていた。つまり、侑衣はまるで自分の死期が近いと悟っているかのような口振りで話を進めており、それが非常に気にかかるということだ。しかしそれを口にすれば侑衣をひどく傷付けてしまう気がして、るうかはそれ以上の言葉を発することができない。傷付くのは侑衣の中のどんな感情だろうか。

「君がそう言うのはもっともだよ」

 侑衣はすっかり氷の溶けきったレモンスカッシュをごくりごくりと飲み、空になったグラスをとんとテーブルに置く。その眼差しは透明なグラスの縁をなぞるようにゆらゆらと落ち着きなく揺れる。

「でも……ごめん。私の口からは言えそうにない」

「輝名さんにも言えなかったんですか」

「名前で呼んでいるんだね」

 話の流れを遮るように言って、侑衣は少しだけ意味ありげな視線をるうかへと向ける。確かにるうかは輝名を名前で呼んでいるが、それは彼自身がそうしてくれと言ったからだ。向こうの世界には苗字という概念がない。だから彼は名前で呼ばれることを望んだ。侑衣にしても向こうの世界では彼を“カグナ様”と名前の下に敬称までつけて呼んでいたはずだ。だというのに、どうもこちらの世界では彼女は彼を苗字で呼んでいるらしい。

「こっちとあっちで呼び方を変えたら、なんだかややこしくないですか?」

「まさかこっちで“輝名様”とは呼べないだろう。それに彼は私より1つ年上だ。年長者を軽々しく名前で呼べるものでもないよ」

 その感覚はるうかにも分かる。だからるうかもつい1ヵ月半ほど前までは恋人である頼成のことを苗字で呼んでいた。しかし輝名については初めから名前で呼ぶように言われてしまったため、こちらの世界で顔を合わせてからも結局名前で呼び続けている。

「まぁいい。呼び方なんて自由だからね」

 侑衣はどういうわけか自分に言い聞かせるようにそう言うと、改めてテーブルの上の手紙とノートを指し示した。

「とにかくこれを預かって、そして時が来たら手紙は有磯さんに渡してもらいたい。ノートはまず君が読んで、それから私に返しにきてほしい。その時私がどんな風に対応するかは分からないけれど、きっと笑顔で受け取ると約束しよう。それが私の、君への信頼の証だ」

 黒髪の勇者ユイは力強い声音で言い、るうかも今度こそ何も言わずに大きく頷いた。やはり侑衣は何かを覚悟している。それがいつどのような形で訪れる何であるのかまではるうかには分からない。それでも、彼女がその来るべき日のために何かをしようと必死になっているということだけは伝わってきた。

 侑衣にはこれまでに何度も助けられている。こうして出会えたことも何かの縁だったのだろう。頼まれた事柄にしても何も大変なことではない。本当は初めから断る理由などなかったのだ。

 ただるうかも、それを大人しく受け取ってしまうことが怖かっただけで。

 手紙は真っ白な封筒の中に収められていた。宛名は流れるような文字で小さく“有磯輝名様”と綴られている。差出人の名前はない。しっかりと糊付けされた封筒には封印を施すかのように小さな花の形をしたシールが貼られていた。和紙でできた洒落たシールだ。星のような五角形をした紫色の花は桔梗だろうか。

 一方ノートの方は表紙にもどこにも何も書かれていない。ただその紙の様子を見るに最初から最後までほとんど全てのページを使って何かが書き込まれているのは間違いないだろう。中身が気になるところだが、ビニル袋による梱包がるうかの好奇心を阻む。

 頼んだよ、と侑衣は念を押すように言った。分かりました、とるうかは神妙な顔で答えて2つの品物を受け取った。するとその瞬間、侑衣が花の咲いたような笑顔を見せる。

「ああ、良かった」

 憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした笑みを浮かべた彼女はまるでただの女子高生のようだった。そう、たとえば憂鬱な試験期間が開けた後の解放感に酔いしれるごく普通の学生と変わらない、無邪気でやや幼い表情で彼女は笑ったのだ。凛とした風情も、さらりと流れる綺麗な黒髪も、切れ長の瞳も、今は全てがただただ愛らしい。

 どうしてだろうか。るうかは今この時の侑衣の顔を輝名に見せたいと強く思った。そしてそれが不可能なことだろうとも分かっていた。

 そう、きっとるうかも頼成の前でこんな風には笑えないのだろう。理屈ではなく感覚で、彼女はそれを理解した。だからやはり何も言わずに手紙とノートを自分の鞄の中へと大切にしまい込んだのだった。

執筆日2014/03/28

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