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「改めまして、月岡侑衣です。よろしく」
学校の中庭に設置された花壇の端に並んで腰を下ろしながら、侑衣はそう言ってるうかに握手を求めた。るうかもまた名乗りながら差し出されたその手を握り返す。
「舞場るうかです。よろしくお願いします。……でも、びっくりしました」
「そうだね、まさかこんな風に会えるだなんて。穂香くんに感謝かな」
るうかの挨拶に対して侑衣はそう言うと、まずどうしてるうかが暁人について知っているのかと尋ねた。るうかは朝のうちに祝に対して説明したのとほとんど同じ内容を侑衣に伝える。すると彼女は一瞬“勇者”の顔つきに戻って顔をしかめたものの、すぐにまた元の女子高生らしい様子に戻った。向こうの世界では鎧姿に大剣を携えて勇ましく戦う彼女だが、こちらの世界ではそういった雰囲気は見られない。言葉を交わせば紛れもなく彼女だと分かるものの、一目見たときには全く気付くことができなかった。髪型の違いや眼鏡の有無だけではなく、まとう気迫や物腰が向こうとこちらとでは随分異なるのだ。
鼠色の大神官の本拠地であるアッシュナークの大神殿。そこに勤める勇者ユイはまさに百戦錬磨の強者だった。戦いに不慣れなるうかを助けてくれたこともあれば、るうかの危機に輝名共々現れて救ってくれたこともある。るうかにとっては頼りになる先輩勇者であり、命の恩人ともいえた。
そして今るうかの隣に座っている制服姿の女子生徒はいかにもたおやかで、それでいて凛とした佇まいを持つ和風美人といった風情である。良家の令嬢なのではないかと思わせる程に洗練された所作と振る舞いがるうかをわずかに戸惑わせる。るうかのそんな内心を見抜いてか、侑衣はくすくすと楽しそうに笑った。
「まだびっくりしているね」
「あ……はい、すみません。なんだか夢の中のユイさんとイメージが違って」
「女の顔はひとつじゃない、っていうところかな」
「じゃあこっちでは月岡先輩って呼びましょうか」
「はは、名前でいいよ。私もるうかって呼ばせてもらうから」
良家の令嬢にしては気さくな口調で言う侑衣に、るうかもこくりと頷いて「侑衣先輩」と改めて呼び直す。侑衣は満足そうにうんうんと頷いた。
「本当に会えて嬉しいよ、るうか。実は、同じ学校だっていうことも知らなかった」
「私もです。まさか侑衣先輩までこの学校にいたなんて」
「世間は狭いね」
「本当に、そうですね」
先程祝と交わしたものと同じような会話を繰り返す。そう、どういうわけか世間は随分と狭いようで、るうかがこれまで関わってきた夢の世界の住人の多くはこちらの世界ではこの高校に在籍している、もしくはしていた経緯を持っているようだ。例外は輝名と湖澄くらいだろうか。年長者に関してはさすがに分からないが、調べてみればもっと出てくるのかもしれない。
予鈴が鳴り、侑衣が「む」と顔をしかめる。
「時間か。るうか、今日の放課後時間はあるかい?」
話し足りないんだ、と侑衣は悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。るうかに断る理由はなく、快諾すると彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。そんな表情もまた向こうの世界では見られないものだった。
「じゃあ放課後、またここに来てほしい。それからどこかでお茶でもしながら話そう」
「はい、楽しみにしています」
「うん。じゃあ授業頑張って」
「はい」
るうかに軽く手を振って、侑衣は颯爽と去っていく。その後ろ姿になびいた黒髪が唯一、向こうの世界での彼女の姿を彷彿させたのだった。
つつがなく授業を終えて、るうかは待ち合わせの中庭へとやってくる。そうは言っても2年生と3年生とでは時間割の編成が異なり、どうやら3年生はもう1時間授業が入っているようだった。だからるうかは花壇に腰を落ち着けながら2つの携帯電話を取り出す。赤い方のそれには母親である順からのメールが1通届いていた。何でも急な手術が入ったために残業が確実になったとのことで、夕食のための買い物を任せると書かれていた。大きな病院で助産師として勤める順は多忙である。るうかは快諾の旨を記した文面を返信し、次に紫がかった黒い携帯電話を取り出した。
期待はあまりしていなかった。頼成は用がない限りはあまり積極的にメールや電話をしてくる方ではない。るうかの身の安全の確保に気を配っているというよりも、元がそうそうまめな性質ではないのだろう。るうかは今となってはもうそんな彼の性格にも慣れていて、そのことに対して文句をつけるつもりもない。むしろ変に世慣れてまめな男より好感が持てる、というのが彼女の感覚である。
しかし、驚いたことに携帯電話にはメールが届いていた。それも2通もである。るうかは喜ぶよりも不審に思いながら、少しばかり慌ててメールを開いた。まさか頼成の身に何かあったのではないだろうか。そんな不安が頭をよぎり、メール画面が開くまでの数秒すらひどく長く感じられる。
さて、頼成からのメールにはこんな内容が書かれていた。
『変わりないか?
昨夜ニアトパクの神殿で神官が
1人行方不明になった
浅海佐保里が関わっている
念のため、警戒してくれ』
ほとんど業務連絡に近い文面に、わずかながらるうかへの気遣いが滲んでいる。これはこれで実に頼成らしい文面だった。るうかはその警告がすでに遅かったことを心の中だけで彼に訴えつつ、もう1通のメールを開く。
『ところでちょっと聞いても
いいか?
今更聞くのも変な話だが、
あんたの誕生日っていつ?』
は? とるうかは思わずぽかんと口を開けて声を出した。いきなりどうしてそのような話題が出てきたのだろうか。というよりも今まで知らなかったということにも呆れるやら納得するやら不思議な心持ちである。頼成のことだからそもそもあまり興味がなかったのだろう。ちなみにるうかはというと、お節介な佐羽を通じてすでに頼成の誕生日が5月5日のこどもの日であることを認識している。
るうかはどうしたものかと少し迷った後、素直に日付を書いたメールを返信した。どうせ返事はすぐには来ないだろうと思っていたのだが、返信して1分も経たない内に携帯電話が震える。
『今月!?
もう少しじゃねぇか
危なかった、うっかり逃す
ところだった
何かプレゼント考えるが、
リクエストとかあるか?』
慌てて打ったらしい文面に頼成の顔が透けて見えるようだった。るうかは苦笑しながらも彼の立場を思い遣り、気持ちだけで充分だと返信メールを綴る。そしてそれだけでは少し物足りないなと思い直して、こう付け加えた。
『欲しい物はありません
でも、当日は頼成さんの
声が聞きたいです
都合のいい時間でいいので
電話をしてください』
折角の誕生日なのだから、それくらいのプレゼントは欲しいところだ。頼成からの返信は少しばかり不服そうながらも了承を伝えるものだった。るうかは少しだけ頬を緩め、片手に収まる携帯電話をきゅっと握り締める。本当に、これがあって良かったと心から思う。
るうかの安全と引き換えに浅海柚橘葉の側へ寝返った頼成の立場は非常に危うい。それ故に彼はるうか達の前から姿を消した。そうと知っていてなお彼を捜し当てたるうかに、頼成はこの携帯電話を託した。
彼が今どこでどのように生活しているのか、るうかには分からない。もう捜そうというつもりもない。この危うい均衡と安全を崩すわけにはいかないのだ。それはるうか自身のためであり、また頼成のためでもあった。信じて待つにも限界はあるが、頼成のこういった不器用ながらも優しい気遣いがいつもるうかを宥めてくれていた。
会話の途切れた携帯電話を手の中で弄びながら、るうかは軽く鼻唄などを歌いながら侑衣が来るのを待つ。彼女の座る花壇にはコスモスが植えられていた。あまり手入れされていないのか、植えられているというよりも繁茂しているといった方が合っているような有様だが、それはそれでまたいいものだ。細い茎にも関わらず凛と立ち、赤紫と白の可憐な花を揺らすコスモスの群れはたくましく、綺麗だ。
るうかが上機嫌でコスモスを眺めながら時間を潰していると、やがて最後の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。それからしばらくして侑衣が鞄の他に何やら長い筒状の袋を肩に掛けて中庭に姿を現す。るうかは彼女を見付けると立ち上がって一度頭を下げた。
「お疲れ様です」
「待たせて悪かったね。とりあえず、どこか落ち着ける場所に行こうか」
侑衣はそう言ってるうかの先に立って歩き出す。その足さばきやピンと伸びた背筋はやはり美しい。そんな彼女の後ろ姿を見ながらついて歩いていたるうかは、ふと気付いて侑衣に問い掛けた。
「それって、もしかして剣道の?」
「ん?」
るうかの言葉に振り返った侑衣は「よく分かったね」と言って楽しそうに微笑んだ。筒状の袋はどうやら竹刀袋だったらしい。
「小さい頃からずっとやっていてね。高校でも部活でずっと」
「そうだったんですか。どうりで剣の扱いが巧いわけですね」
「向こうの世界の剣とは随分違うけれど、まぁ慣れてはいたかもしれないね」
校舎を出て道を歩きながら、侑衣はそんなことを語っていく。
「本当はもう3年生は引退なんだけれど、今月末に県代表の強化選手を集めた合宿があるとかで……選ばれたから引退が先延ばしになった」
「そうなんですか? すごいですね」
「受験勉強もしなきゃならないのに、どうしたものかとは思うけどね。でも折角の機会だから、自分の剣がどこまで通用するのか試してみたい」
そう言って侑衣は口元にニッとした笑みを浮かべてみせる。試す、などと言ってはいるが彼女は相当に本気で挑むつもりであるようだ。その楽しそうな様子にるうかも自然と笑顔で応援の言葉を口にする。
「侑衣先輩なら負けませんよ。先輩の力はよく知っています」
「ありがとう。精一杯頑張るよ」
侑衣はふふっと笑いながら竹刀袋を掲げてみせる。そんな姿は年齢相応の少女のようであり、勇ましさとのギャップに不思議な魅力を感じさせるものでもあった。やがて彼女はるうかをある1軒の建物へと案内する。
黒塗りの壁に派手な電飾。“平日昼間30分50円”“学生ドリンク割引!”と書かれた看板が目立つように掲げられたそこはこの近辺の学生がこぞって利用するカラオケ店だった。侑衣のイメージとは掛け離れた選択にるうかはしばし茫然と店の入り口を見つめる。そんなるうかを尻目に侑衣は慣れた様子で店に入っていき、るうかも慌ててその後を追ったのだった。
執筆日2014/03/28