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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第9話 赤色のオブリビオン
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1

 オフホワイトの天井に黒い透かしのカーテンがかかっている。いや、そうではない。長い長い黒髪が、まるですだれのようにるうかの視界を覆っているのだ。幽霊、とるうかは呟く。うん、と青く丸い瞳を持つ長身の青年が頷いた。

「起きた」

「……はい?」

「夢を見ていた」

 ぽつりぽつりと呟かれる言葉に、るうかはどう反応してよいものやらと戸惑う。しかし“夢”という単語は彼女の心にちりりと引っ掛かった。

「夢を、見ていたような気がします」

「いい夢、悪い夢。それとも現実の夢」

「いい夢……悪い夢。現実の、夢?」

 現実めいた夢、ということだろうか。たとえば学校で友達と笑い合って話をしていたり、眠い目をこすりながら通学の地下鉄に乗っていたりといったものを指しているのだろうか。少し考えて、結局るうかは答えることができなかった。これまで見ていた夢の内容を思い出すことができない。それでも黒髪の青年が言ったどれもがその夢に当てはまるようにも、また当てはまらないようにも思えた。つまりは分からないのだ。

「現実は……夢じゃないです」

「夢は現実じゃない」

「それは、なんだかよく分からないです」

「まだそう言える」

 青年の青い星のような瞳が見開かれた。るうかもまた不可思議なその青年に対して目を丸くしながら考える。いつかどこかで彼を見たことを覚えていた。それがどこでだったのか、どういう場面でだったのか、るうかの記憶はひどく曖昧だ。ただその幽霊のように現実味のない存在感と、白衣にスリッパ、しかももこもことしたうさぎの顔の形をしたスリッパという奇妙極まりない出で立ちは嫌でも印象に残っている。

「ガラスみたいな透き通った目が最後まで残っていた。神経はもう繋がっていなかったけれど、レンズを通した景色は本当に最後の瞬間まで網膜に焼き付いた。世界がるうかの眼球を見ていた。赤い世界」

青い目をした青年はベッドに横たわるるうかの顔を真上から覗き込みながら、抑揚のない声で告げる。

「人間は忘れる。世界は記録する。記憶は消える。記録は消えない」

「え? ええと」

「貴重なデータだから大切に保管してある。PMCにアクセスすればアーカイヴは常に閲覧可能だから」

 るうかは困惑しながら青年を見つめる。何やらコンピューターに関連する話をされているようだが、るうかにはその意味がまるで分からない。青年はるうかが話を理解していないことなどお構いなしの様子で続ける。

「アクセス可能なデバイスはセキュリティの都合で枠の外側にある。閲覧だけならウォム・ボランのサーバルームからでも可能。パラヒューマノイド・プログラムなら容易に開くことができる」

「おーい、兄さん。その辺にしといちゃくれませんかね? るうかちゃん、全然ついていけてないって顔してるよー」

 不意にそんな軽い口調と共に、白衣と紺色の医療用スカラブを着込んだ癖の強い黒髪に青い瞳の男性がるうかのいる部屋に入ってくる。白衣の2人を見てやっとるうかはここが病院であることを知った。しかし、一体どうして自分が病院にいるのかまでは分からなかった。癖毛の男性はるうかのそんな内心を見透かしているかのような目つきで彼女のベッドの横まで来ると、うんとひとつ満足そうに頷いた。

「顔色はいいね。痛みはどうでしょう? あ、自己紹介が先かな。俺はここの院長で、朝倉玄太郎っていいます。こっちの兄さんはうちの事務員で朝倉創一。よろしくね」

「あ……はい。お世話になります」

「るうかちゃん、どうしてここにいるか……覚えているかな?」

 院長はそうるうかに尋ね、るうかは素直に首を横に振った。何も思い出せない。ただ、左肩の辺りにガーゼが当てられているところを見ると何か怪我でもしたような様子である。戸惑いを顔に出したるうかに、院長は優しい口調で説明する。

「月曜日の学校帰りに君は最寄りの地下鉄駅近くにある“ユルリ”っていう喫茶店でお茶をしていたらしいのよね。そこで君は突然倒れて、そうしてここ朝倉医院に運ばれたの。左肩にあるリンパ節が細菌感染で炎症を起こしていてねぇ。それが胸膜にまで広がって、すごい熱が出ちゃってね。ずーっと意識がなかったのよ。でも抗生剤治療と補液で何とかもちこたえてくれた。ホント、目が覚めて良かったよ」

 流暢に語る院長に、事務員だと紹介された長い黒髪の青年が何かもの言いたげな視線を送っている。院長はそれに気付いているようだったが、敢えて彼の方を見ることなく続けた。

「あのね、舞場るうかちゃん。君は昔にもここに来たことがあるのよ、覚えてる?」

 そう言われて初めてるうかは“朝倉”という名前に聞き覚えがあることに気付いた。どこで聞いたのだったか、ゆっくりと記憶を辿っていくとそこにぽっと答えが見付かる。

「ああ、そうか。ここは私が産まれた病院なんですね」

「うん、そう。よく覚えていてくれたねぇ……先生嬉しいよ」

 院長はそう言うと本当に嬉しそうにその無精髭に覆われた頬を緩めた。同時に悲しげにも見えるその表情に、るうかは同じような視線を返す。彼女は知っていた。彼女がこの世に誕生したとき、彼女よりほんのわずかだけ先に産まれた彼女の双子の弟がいたことを。そして彼はほとんど人間の形にすらなれないままで呆気なくこの世を去ってしまったということを。るうかはふと思い付いて院長に尋ねる。

「あの、私が倒れたのが月曜日で、ずっと意識がなかったって言っていましたよね。具体的にはどれくらいの間なんですか? いえ、そうじゃなくて。あの、今日は何日ですか?」

10月24日だよ、と院長は答えた。るうかは一瞬言葉を失い、それから一度目を閉じて深い呼吸をした。何ということだろう。今日はるうかと、そして亡くなった弟・倖多(こうた)の誕生日だったのだ。

 それから院長は自らるうかの身体の状態を確認し、もう問題はないから退院してもいいと言ってくれた。院長と幽霊のような事務員が揃って病室を出て行った後で入れ替わりのように淡い青色のケーシーを着た青年がるうかの病室の掃除にやってくる。その髪は驚くほどに綺麗な銀色をしており、彼は長いそれをきっちりとまとめてネットとピンで頭の後ろに留めていた。眼鏡の奥の瞳は緑がかった淡い青であり、るうかはこの病院は青い目の職員ばかりなのだろうかと訝しく思う。改めていうまでもないことだが、日本人で青い目を持つ者は少ない。この青年に至っては髪も日本人離れした色をしており、ひょっとするとどこか外国の血を持っていたりするのかもしれない。それにしても綺麗な顔をした青年である。

 るうかが彼の仕事ぶりをぼんやりと眺めていると、やがて彼はるうかの方を見た。

「目が覚めて良かった」

 ふ、と彼が微笑む。るうかはその表情に何か不思議なものを感じ、小さく首を傾げた。どこかで彼に会ったことがあるような気がしたのだ。

「あの、以前にもお会いしたことがありますか」

 るうかがそう尋ねると銀髪の青年は何も言わずに掃除道具を手にしてもう一度だけ微笑む。

「すみません、失礼します」

 答えをくれなかった青年を見送り、るうかは寂しい気分でひとり病室に残されたのだった。


 退院の許可が下りたことを母親に知らせると、仕事帰りに迎えに来てもらえることになった。るうかは荷物をまとめ、身支度を整え、そして自分の右の小指に見慣れないリングがひとつ嵌まっていることに気付く。ピンク色のそれはとても可愛らしく、よくよく見れば青色、いや緑や紫、金色にも見えるような変わった小さな石がひとつ、ひっそりとあしらわれていた。そのリングはるうかにとっては全く覚えがないものだったが、どういうわけか気に入ってしまったので取り敢えずそのまま嵌めておくことにする。

 他に荷物といっても大したものはない。学校帰りに倒れてそのまま病院に運ばれたということだから、着替えも制服しかない。通学用の鞄の中には財布と携帯電話と教科書一式が揃っていた。弁当箱がないのは母親である順が持ち帰ったからだろう。いくら涼しくなってきたとはいえ、空になった弁当箱をいつまでも鞄に入れておくわけにもいかない。

 るうかはその鞄から赤い携帯電話を取り出すと電源ボタンを押した。しかしそれはすでに充電が切れてしまっているのか、うんともすんとも言わなかった。

 やがて女性の看護師が退院後に飲む薬だと言っていくつかの紙袋を持ってやってきた。抗生剤と解熱鎮痛剤だという説明に頷いたるうかが看護師の去った後で薬の確認をしていると、そこに先程の銀髪の青年が訪ねてくる。

「退院時処方でひとつ渡し忘れたものがあったので持ってきました」

 彼はそう言ってカプセル状の薬が3錠入った紙袋をるうかに手渡す。用法は朝1錠で、今日の分はもう飲んでいいとのことだった。るうかが彼の目の前でカプセル剤を飲むと、彼は少しだけホッとしたような顔を見せてから病室を出ていく。

 それから間もなくして、日勤の勤務を終えた順が病室に飛び込むような勢いでるうかを迎えに来た。

執筆日2014/05/10

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