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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第8話 終の刻
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4

 正解です、と佐保里(さおり)が言う。広場にどよめきが走り、その中央でるうかは小さく項垂れた。左肩から胸にかけて、服の上からでも分かるほどのうごめきが今まさにるうかの皮膚を食い破ろうとしている。そこから産まれようとしているのは彼女の細胞から変化した“天敵”だ。そして彼女の腹部からはその生命を奪いかねないだけの夥しい血が流れている。

 あの時の侑衣もそうだった。だから彼女は言ったのだ。治癒術を使うなと。傷によって死ぬのならば彼女は“天敵”にならず、人間のまま勇者のままで逝くことができた。誇らしい最期を迎えることができたのだ。それを佐保里は笑顔で踏みにじった。るうかもまた、殺してくれという侑衣の懇願の意味を悟ることができなかった。彼女の誇りを守ることができなかった。

 るうかは広場に出上がりつつある群衆の輪の一番前で唇をわななかせている佐羽を見やった。彼に頼めば自分を殺してくれるだろうか。それとも湖澄(こずみ)に頼むべきだろうか。輝名(かぐな)には頼めそうもない。侑衣を喪った彼にそれほど辛い思いをさせたくはない。そして佐羽も湖澄も、自分の手でるうかを殺すという選択をできるか、どうか。

 やがてるうかは覚悟を決めた。

「佐保里さん、お願いします。私に治癒術を使ってください」

「……何もしなくても、あなたの勇者としての生命はもう終わります」

「あなたにそんな慈悲があるんですか?」

「あっても、いいとは思わないですか」

 佐保里の揺れる視線がるうかのそれと交錯する。るうかは笑顔で彼女を睨んだ。

「そんな逃げ方、許しません」

 侑衣をこの世界で殺した佐保里を。佐羽を向こうの世界で陥れた彼女を。頼成に黒い蝶の開発を手伝わせ、彼の信念を踏みにじった彼女を。るうかは決して許さないと決めていた。だからこそ、その手を汚せと佐保里に視線の刃を突きつける。

「やりたいことをやってくださいよ。あなたは鼠色の大神官の妹なんでしょう」

「……なんて目をするんですか。私は、きっとあなたのその目を忘れられない」

 呻くように言った佐保里が杖をるうかへとかざし、治癒術の呪文を口にする。それはるうかの目にも見える青い光の帯となって彼女の身体を包んだ。たまりかねた佐羽がるうかの元へと駆け寄ろうとするのを湖澄がその首根っこを押さえて引き止める。

「駄目だ、佐羽」

「なんで!? このままじゃ、るうかちゃんは侑衣ちゃんみたいに……!」

「だから駄目だと言っている!」

 湖澄が怒鳴った。佐羽は彼の手を振り払おうともがくが、湖澄も必死に佐羽を押しとどめた。そんな彼らのちょうど向かい側で、輝名が全てを見届けるような瞳でるうかを見ている。気付いたるうかは彼に向かって少しだけ笑ってみせた。ごめんなさい。そう小さく告げたるうかの言葉は彼に届いただろうか。

「本当は……勇者が“天敵”になるまでには4・5年はかかるはずなんです」

 佐保里がそう言いながら杖を下ろす。るうかの腹部の傷はすっかり塞がっていたが、そこに新たな胎動が生まれていた。るうかの鼓動とはまったく異なるリズムでずぐんずぐんと脈打つ肉の塊が腹部から内臓を貫いて胸骨の付近にあったもうひとつの塊と融合する。るうかの口から大量の血が吐き出された。佐保里が1歩後ろへと下がる。

「……に、げた、ほうが」

 るうかは言いかけて苦笑した。自分に止めを刺した相手に対して何を言っているのだろうか。むしろ“天敵”となって彼女を食い殺してしまえばそれなりに気も晴れるのかもしれない。しかし“天敵”の本能は彼女を捕食対象として認識しないということがすでに知れている。きっと彼女は普通の人間ではないのだろう。

 るうかの心臓が“天敵”に内から食い破られる。“天敵”の細胞がるうかの細胞のひとつひとつを取り込み、溶かして潰して自分の栄養へと変えて増殖していく。ぼこりぼこりと脈打つ細胞の塊がるうかの身体の表面へと現れる。変貌していくるうかの身体を、広場に集まった人々は声ひとつ上げられずに凝視していた。るうかとしてはそのあまりにおぞましい姿を見られたくはなかったが、それが浅海柚橘葉(ゆきは)の狙いであることも分かっていた。

 “天敵”を倒すための切り札、希望である勇者が“天敵”になる。その様子を人々に見せつけるのだ。人々は嫌でも理解することだろう。自分達がこの世界に抱いている希望がいかに脆く、幻想のようなそれであるのか。それで彼らがこの世界を捨てるなら、それはそのまま柚橘葉の勝利へと繋がる。悪夢のようなこの光景を人々が本当に悪夢だと信じて切り捨てれば、彼の目的は成就する。

 さて、果たして柚木阿也乃はこの事態をどう見ているのだろうか。

 そうは言っても、るうかにはもうそれ以上のことを考えるだけの脳は残されていなかった。辛うじて残っている感覚神経が猛烈な苦痛だけを伝えてくるが、それを吐き出すための発声器官が失われているために叫ぶこともままならない。腕だった部分が歪な肉塊に変わっている。それを振り回し、痛みを散らそうともがく。塞がったはずの腹部の傷から新しい血が吹き出し、その奥から芽吹くようにして鮮烈な赤色の肉塊が躍り出た。まるで内臓が飛び出したかのようなその様子に群衆が呻く。中には嘔吐している者もいる。佐羽が何かを叫んでいる。るうかにはもう彼の声を聞くための耳もなかった。顔のほとんどがぼこぼこと煮立つような赤色に覆われて、少女のそれは見る影もない。どういうわけかその黒い瞳だけは残され、じっと辺りの光景を映している。るうかの脳は最早それだけを認識する器官となっていた。音のない映像が最後まで彼女に辺りの光景を教えてくれる。

 群衆が割れた。びりり、と空気が震えて肉塊の表面さえもぶるるうと震える。何かが突進してくる。空気を震わせて、つまり何かを大声で叫びながら。るうかは目を閉じようとした。見たくなかった。

 しかし彼女には閉じるための瞼さえも残されていなかった。それでいて無情にも残った網膜が、そこに投影された映像を視神経を介して脳へと伝える。早く、早くおぞましい肉塊がその大脳を侵食して何もかも分からないようにしてくれればいいのに。るうかの願いは虚しく、激しく空気を震わせながら駆けてきた黒髪の青年が佐保里を体当たりで突き飛ばしてるうかの身体をかき抱く。るうかはそれを見てしまう、理解してしまう。

「   !    !!」

 聞こえない声に、るうかは視線を向けることしかできない。灰色の瞳から溢れている大粒の涙を、その唇が紡ぐ怒号のような振動を、自分を揺さぶるそのたくましい腕を、感じることすらできなくなっていく。

「るうかぁあああ!」

 びりっ、と一瞬。奇跡のようにその声がるうかの中に届いた。いや、違う。るうかの中に新たに音を認識するための器官が形成されたのだ。それはすでに人間のものではなく、“天敵”として生存するための器官である。そしてるうかの全身は肉塊の化け物と化して、彼を。

「頼成、離れろ!」

 湖澄の声が響いて、向かい側から輝名が駆け出す。るうかを抱く頼成の身体に、彼女だった肉塊から飛び出した肉の触手が深々と突き刺さった。

「ん、ぐがっ」

 板金鎧を貫いて頼成の胴へと食い込んだ触手を、駆け付けた輝名の魔法銃から放たれた光線が焼き切る。やめろ、と頼成は叫んだ。るうかに手を出すな、と。

「馬鹿野郎! 死にてぇのか!」

「どういうことなんだよ! どうしてるうかがこんな……何だってんだよ!!」

「いいから離れろ! 説明は後でしてやる!」

「そんなもん要らねぇ! るうか、るうか……今助けるから、辛抱してくれ……!」

「馬鹿、頼成やめろ!」

 輝名の制止に耳を貸すことなく、頼成はより強くるうかを、るうかだった“天敵”を抱き締める。その身に次々と触手が突き刺さり、そこから溢れた赤い血が見る間に青緑色の粘性を持った液体へと変わってるうかの身体に降りかかる。

 聖者の血を受けた“天敵”の表面が少女の皮膚の色を取り戻す。しかしそれは一瞬のことで、すぐさま内側から赤黒い肉塊が皮膚を食い破って新たな“天敵”の姿を晒す。それを幾度も繰り返し、“天敵”はどんどんと大きくなり頼成はどんどんと衰弱していった。輝名が血を吐くような叫び声と共に光線を放つ。

「いい加減にしろ頼成ぃいい!!」

 “天敵”に残されたるうかの目は片方だけになっていた。それは頼成の身体が赤と青緑の血にまみれていく様子をしっかりと捉えていて、それが全く無駄な血であることにも気付いていた。“天敵”として機能する脳がるうかに伝える。食えるぞ、と。

 聖者の血は確かに“天敵”の細胞を殺して、残っている人間の細胞の増殖を促す効果を持っている。そのために幾度となくるうかの細胞は再生され、しかしその度に再びの異形化によってその細胞もまた“天敵”のそれへと変わってしまうのだ。異形化の速度が速く、再生が追い付かないのである。頼成がこの場で流す血では“天敵”に成り果てつつあるるうかを人間に戻すことなどできやしないのである。それは頼成も気付いているのだろう。しかし、だからこそ輝名がどれだけ怒鳴りつけたところで彼はるうかを離そうとしない。涙に濡れた瞳がじっとるうかの目を見つめている。

「るうか……」

 るうかの意識はすでにほとんど“天敵”としてのそれに成り代わっていて、呼ばれる自分の名前にも何の痛痒も覚えない。ただ音として、記号としてそれを認識する脳が微かな怖気を彼女の全身に伝える。早く食ってしまおう。これは何か、とても嫌なものだ。るうかだった“天敵”はそう判断して肉のひだを大きく広げた。

「……俺を食えば、生きられるのか?」

 ぼそり、と頼成が“天敵”に尋ねた。その彼の目の前で異変は起こる。

 赤黒い肉塊の表面が少しずつどす黒い色へと変わっていき、ぼろぼろと表面から剥がれ落ちていく。伸ばされた触手が途中から千切れてぼとりと地面に落ちた。ぐしゃり、と潰れたそれは断面から黒い液体を垂れ流しながらぼろりと崩れる。頼成が思考を失ったような表情でそれを見る。

 ころり。

 彼の足元に黒い虹彩を持つ目玉が転がった。ブーツの爪先に触れたそれを見下ろして頼成は。

「……え?」

 ただただきょとんとして、目の前で起きている状況についていけずにいた。そして彼のかき抱いていた“天敵”は完全にその姿を失ってただの腐った細切れ肉の山と化す。ふらり、と頼成はその場に崩れ落ちた。


 朱く染め上げられた広場の真ん中に黒と青緑の汚泥のような染みが広がっている。その中心で頼成は転がったひとつきりの目玉と、腐り落ちた肉の隙間から拾い上げた赤い鳥の羽根をそれぞれの手に持ち、人目をはばかることもなく声を限りに慟哭した。

執筆日2014/05/05

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