3
大神殿の地下はすでに血と死臭に満ちていた。夥しい数の黒い蝶がその役割を終えて床に散らばっている。るうかと輝名はその死骸を踏みつけながら“天敵”が残っていないか、生存者がいないかを確認していった。
「気配は……ねぇな」
「静かですね」
ここはもう終わっているのだろうか。そう感じながらもるうかは何か嫌な予感を覚えて輝名を見上げる。輝名もまた顔をしかめながら辺りを注意深く見回した。
「確かにここの神官はまだ少なかった。が、前の事件で全滅した後の急な補充で数が足りなかった分、1人に割り当てられた祝福の量が多かったせいで、“天敵”化していく速度も速かった。この半年であっという間に“天敵”化していった神官が多くいた」
そこに黒い蝶が持ち込まれたとなればここはもっとずっと酷い有様になっていてもおかしくない、そう輝名は語る。淡々とした口調の中に彼の強い憤りとやるせなさが満ちていた。
「佐保里さんがテロの指揮を執っている、って言っていましたよね。その情報はどこから?」
るうかの問い掛けに輝名は彼の私兵からだと答える。彼が地下の基地に組織していた神殿兵の部隊の中には柚橘葉の演説を聞いてもなお輝名自身に義があると感じて彼についた者がいたらしい。彼らは神殿に籍を置きながらこっそりと輝名に情報を流してくれているのだという。
「さすが輝名さんですね」
「……あいつらには感謝している。で、佐保里が指揮を執っているのが気になるか」
「はい。あの人は侑衣先輩に止めを刺しました。それに私の身体の状態にも気付いています。あの人は相当私を邪魔に思っているみたいですから、何か仕掛けてきて当然だと思うんですけど」
「……なるほどな」
輝名は頷き、口元を歪めた。
「おいるうか、確か佐保里は“天敵”の召喚と操作ができるんだったな」
「……はい。あと封印も」
「だとしたら、ここの連中を……」
輝名が何か言いかけたとき、るうか達の後方でがたんと大きな音がした。おでましか、と輝名が呟き振り向きざまに魔法銃を放つ。るうかもほとんど反射的に駆け出していた。
“天敵”化しつつある神官のための個室のひとつから湧き出すように肉塊の群れが溢れ出していた。そのひとつひとつの弱点を的確に突き、るうかはそれらの数を確実に減らしていく。彼女に迫る肉塊の攻撃は輝名が光線を放つことで阻止した。るうかの刃が“天敵”の弱点……かつて人間だった名残の部分を貫くたび、彼女の左肩の奥が再び疼き始める。肉塊の呻き声と同調するかのように痛みが強くなっていく。
るうかの身体は赤にまみれていた。ぜいぜいと息をしながら、彼女は最後の1体と思われる赤黒い肉塊の化け物をその手で屠る。ずぐん、ずぶん、と左肩の奥でうごめく何かが彼女の胸骨に触れた。それは彼女の身体の中で増殖し、移動を始めているのだ。
「……あ」
床にがくりと膝をついたるうかはいつの間にか自分が酷い傷を負っていることにやっと気付いた。右の太腿から腰の辺りにかけて噛み付かれたように肉が抉り取られている。それほどの怪我に気付かないほど無我夢中で戦っていたらしい。出血がひどく、眩暈がした。
「お疲れ様です」
柔らかな笑みを含んだ声がして、桃色の髪を揺らしながら長い杖を持った賢者の女性がるうかの前に立つ。傷だらけのるうかは彼女を見上げてにこりと笑った。
「佐保里さん、無事だったんですね」
ほんの一瞬、佐保里の顔に別の表情がよぎった。笑みがぎこちないものに変わり、その身体がぴくりと強張る。
「ありがとうございました。もしもあの時、喫茶店で佐保里さんが庇ってくれなかったら、私は本当に柚木さんに殺されていたかもしれません」
佐保里は何も言わずにるうかの言葉を聞いていた。その手が微かに震えているのは気のせいではないだろう。るうかとしては別に彼女を責めたいわけではないし、追い詰めたいわけでもない。ただ彼女の中には何らかの罪悪感があるのだろう。そういうことをするために、今彼女はるうかの前に立っているのだろう。侑衣の時には何もためらわなかったくせに、とるうかは内心に冷やりとした感情を覚える。あるいはるうかが彼女を籠絡したという阿也乃の言い草は意外と正しかったのかもしれない。
佐保里は小さく溜め息をついてから口を開く。
「落石くんと清隆くんが頑張ってくれたので、都の住民も半分くらいは助かりました。特に清隆くんは聖者の血を持っていますからね。“天敵”化しかけた人を大分救ったみたいです。あの人の信念にも感心させられます。落石くんも覚悟を決めたのか、都の人を誘導したりと随分真面目に働いていました。私からすれば、ちょっと滑稽でしたね……」
半分、とるうかは落胆とともに呟く。半分しか助からなかったんですか。そう尋ねたるうかに佐保里はええと頷き、小さく首を傾げて微笑む。
「充分だと思いますよ。あなたと有磯くんがここの“天敵”のほとんどを片付けてくれたおかげで、外に出た数そのものはとても少なかったんです。外に撒いた黒い蝶の数がそもそも多かったので、そちらの方が被害を広げていましたね。それでも、都の崩壊には程遠い。半分も生き残ったのならまだまだアッシュナークはこの世界の希望として機能するでしょう。兄もさぞ口惜しい思いをしているでしょうね。そういう意味では、今回の勝負はぎりぎりのところであなた達の勝ち、ということになります」
「そう、ですか。でも」
るうかは悔しい思いを隠さずに佐保里を睨みつける。
「でも仕上げはまだ、なんですよね。だからあなたはここで私を待っていたんですよね」
「……正直に言えば、私としたことが今迷いを感じているんですよ」
佐保里の表情に暗い影が落ちる。紫水晶の瞳が揺れ、だらりと垂れた腕の先にある力ない手に握られた杖がふるふると震えている。
「ここで止めを刺すわけにはいきませんね」
切なげに揺れる佐保里に頷きを返して、るうかはそうでしょうねと頷いた。柚橘葉の狙いがこの世界に希望などないと都の住民に思い知らせることであるのなら、勇者であるるうかがこのような人の目のないところで死ぬことに何の意味もない。それは柚橘葉の狙いにそぐわない。
「……るうかっ!」
遅れてきた輝名が部屋の中に走り込んできた。その瞬間、佐保里がぎりりと唇を噛んで転移術を使う。るうかの視界は一瞬暗く閉ざされたかと思うと、すぐに赤い世界の中に放り出された。
そこは斜陽の朱に彩られた広場だった。佐羽と湖澄の活躍によって人々の大半は避難していたが、事態が収拾し始めたためかいくらか人の気配が戻ってきている。そして輝名が指揮していた神殿兵達もまた激闘の爪痕の残る広場で身体を休めていた。そこに突然るうかと佐保里が現れたのだ。
ざわめきの中、佐保里は無造作にるうかの左肩を杖で押さえつけた。
「う、ん……っ」
るうかの中で何かが暴れている。腹部の傷からは止めどなく血が溢れている。佐保里は優しい笑みを浮かべてるうかを見下ろした。
「傷を、治してあげましょう。アッシュナークの英霊を“天敵”へと変えた魔王に追随し、その尊い魂を殴り殺した悪の勇者ルウカ」
「……あなたは神官の祝福を受けているんでしたね」
るうかは苦しい息の下で佐保里を見上げながら問い掛ける。胸骨の辺りでうごめいている何かが徐々に下に降りてきている気配が分かる。それはるうかの心臓を狙っている。残された時間は短い。
「神殿の仕組みに反対して組織されたはずのテロリストを指揮しているあなたが、祝福を受けているっていうのも変な話ですよね」
「そうですね。でも、結構多いんですよ。結局みんな、我が身は可愛いんです」
呆れた話ですよね、と佐保里はふんわりと優しく微笑んだ。杖に込められた力がほんの少しだけ緩み、るうかも苦笑を返す。辺りに人が集まってきている。その中には佐羽達の姿もあった。
「佐保里! るうかちゃんを放せ……!」
佐羽が杖を手に叫ぶが、彼にできることは何もない。彼の魔法は放たれた瞬間に佐保里だけでなくるうかをも吹き飛ばすだろう。破壊しかできない魔王ではるうかを救うことはできない。そして彼の横に立つ湖澄は真っ直ぐにるうかを見つめていた。朱く染まった夕暮れの光にその銀色の長い髪を煌めかせながら、一瞬たりとも目を逸らすまいとするかのようにその鋭い瞳をるうかへと向けていた。
最早力を使い果たしかけている輝名が、大神殿の方角から這いずるような足取りで駆けてくる。役者は揃いましたね、と佐保里が小さく呟いた。
「るうかさん……喫茶店であなたが私にした質問の解答は導き出せましたか?」
「勇者のこと、ですね」
たくさんの視線に囲まれ、左肩から胸にかけての違和感と腹部の傷の痛みに苛まれながら、るうかは言葉を絞り出す。はい、と強い声で答える。
「勇者は封印された“天敵”から作られる、元の人間のクローン。クローンについては私はあんまりよく分からないですけど、普通の人間の身体とは何か違うところがあるんですよね、きっと。多分、寿命が長くないとか……不具合が起こりやすいとか。侑衣先輩の記録にそんなことが書いてありました。ちゃんと調べる時間がなくて……悔しいです」
「そこまでは正解です。続きは?」
「私じゃなくて侑衣先輩のくれた答えです。先輩は治癒術が勇者の身体に与える影響を心配していました。ただでさえ勇者は前線に出て戦う機会が多いから、怪我も多いです。何度も治癒術をかけてもらうことになります。その術は祝福や呪いによって逸らされますけど、勇者の身体の細胞はその影響から完全には逃れられない……侑衣先輩はそう推測していました」
侑衣の遺したノートには彼女が半年程前から自分の身体に異常を感じ始めていたことが記述されていた。彼女の場合は左腕からだったらしい。左腕の肘の辺りに違和感を覚え始めたのが今年の春で、それが少しずつ腕全体に広がっていった。治癒術による治療を受ける度に違和感を覚える箇所が増えていき、やがて“天敵”と戦うときにその部分に不気味な鼓動を感じるようになったのだという。まるで“天敵”の動きに呼応するかのように胎動を始めたそれが何なのか、侑衣は最期まで答えを記すことなく、しかしその正体には気付いていた様子でるうかのためにヒントを遺してくれていた。
“勇者の体細胞はまるで時限装置を仕掛けられているかのように速い速度で老化していくようだ。そこに治癒術による新陳代謝の促進が加わることで細胞の異形化の可能性も高くなる。治癒術の効果そのものによる異形化は祝福・呪いにより別の対象へと移されるが、細胞そのものが持つ異形化の可能性の増大は止めることができない。それにより、治癒術を引き金として勇者は”
「治癒術を引き金として勇者は再び“天敵”になる」
るうかは侑衣は記すことのできなかった答えをはっきりと口にした。侑衣はノートに書けなかったそれを自らの身体を以て、その最期の姿を以てはっきりとるうかに教えたのだ。
彼女の目の前で赤黒く醜い肉塊と化した侑衣の姿をるうかはその目でしっかりと見ていた。それがやがて自分の身にも起こるのだと、そのときから覚悟していた。
るうかの答えに、佐保里がにこやかに頷きを返した。
執筆日2014/05/05




