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大神殿の方角から響いてくる鐘は都に“天敵”が出現したことを知らせる合図だ。以前も聞いたそれをるうか達はあの時と同じ場所で聞いた。間もなく宿の主人が律義に危険を知らせに来て、それから地下室へ避難するために駆け出して行った。素早く身支度を整えながら、るうかはふと思ったことを佐羽に尋ねる。
「ここの宿の人はどうして私達を泊めてくれているんですか。私達はこの都の人達からすればとんでもない極悪人なのに」
「蛇の道は蛇、ってね。この宿は前々から俺達の定宿で……ま、言ってしまえばゆきさんの息がかかっているんだ。味方とまではいかないけど協力者には違いない」
「……そういうことだったんですか」
どうやらそれ以上込み入った話を聞くのも危険そうなのでるうかはそこで話を切り上げた。そもそも悠長に話をしているような状況でもないのだ。るうか達が支度を整えた頃、輝名と湖澄が揃って部屋に入ってきた。
「るうか、目が覚めたのか」
「舞場さん、身体の方は」
言いかけた湖澄に輝名が何やら視線を送る。咎めるようなそれに湖澄は一瞬顔をしかめたが、やがて一度目を閉じて頷いた。輝名がそれを確認してからるうか達に向かって言う。
「大神殿の地下で“天敵”が発生した。前回と同じ状況だが、手口が違う。今大神殿には例の黒い蝶が無数に放たれている」
「……っ!」
るうかは目を見開いて唇を噛み締めた。頼成が開発に携わったというその蝶の鱗粉は人間の健康な細胞を異形化させ、やがてその人を“天敵”へと変えてしまう効果を持っている。大神殿の地下にいるのは治癒術師達に祝福を授け、その身代わりとなって細胞の異形化を引き受けた神官達だ。以前の事件の際にその全てが“天敵”と化したため、現時点で大神殿にいる神官の数は以前より少ない。しかしすでに細胞の異形化が進んでいる神官達が黒い蝶の鱗粉を浴びればどうなるか、結果は明らかだ。
「テロリストの陣頭指揮を執っているのは佐保里だ。兄である大神官に反旗を翻し、祝福の仕組みに異を唱える神官や治癒術師、その他の戦士や魔術師に黒い蝶を扱わせて大神殿を占拠し、アッシュナークの制圧が目的であると宣言した。あの魔女、これまでこそこそ隠れてろくに姿も見せねぇと思ったらここで出てきやがったか」
輝名はそう言って忌々しそうに舌打ちをする。彼と瓜二つの顔をした湖澄は気遣わしげにるうかと佐羽に目をやり、わずかに迷いを見せながらも問い掛けた。
「2人共、戦えるか」
当たり前でしょう、と佐羽が答える。るうかは黙って湖澄の顔を見て、頷きを返した。輝名がちらりとるうかを見て、それからはあと大きく息を吐く。
「おいお前ら、戦う必要はねぇ。湖澄は勝手にこの都を守りたがる。それに乗る必要はねぇんだぜ」
「そういうわけじゃないよ。ただ俺は、俺なりにできることをしたいだけ」
「魔王が都の連中を助けたって、石を投げられることに変わりはないぜ」
「自己満足だから。別にいいよ」
だけど、と佐羽は小さく肩をすくめる。
「本音を言えば、るうかちゃんだけはここから逃がしてあげたいかな」
「……だそうだ。るうか、お前自身の意見はどうだ」
輝名はそう言ってるうかを睨んだ。佐羽は真剣な瞳で、湖澄は何か懇願するような目でそれぞれに彼女を見つめている。彼らは皆それぞれの思いでるうかの身を案じてくれているのだろう。それを踏まえた上で、るうかは答える。
「私は戦います。その結果がどうなっても、私はそのためにこの世界にいるんです」
戦わない勇者に意味などない。それがるうかの出した結論だった。他人の血を使ってまで蘇った身体で、繋ぎ止めた心で、為せることがあるのならせめてそれを為してから。
それは侑衣のノートに書かれていた彼女の遺志でもあった。単純に受け継ぐというものでもないが、るうかは彼女の思想に共感した。その思いを尊いと感じ、その遺志を継ぐことに意味を見出したのだ。侑衣は本当にるうかに色々なことを教えてくれた。
「分かった」
輝名が頷き、湖澄に視線を送る。彼は何も言わずに転移術を展開し、るうか達全員を大神殿へと連れて行った。
いつか見たような惨状がそこに広がっている。先日佐羽が開けた天井の大穴から黒い蝶が飛び立っていくのが見え、その下には夥しい数の死体とそれを食らう数体の“天敵”の姿があった。佐羽は転移を終えた瞬間に激烈な破壊魔法を放ち、大神殿の壁ごと“天敵”を木端微塵にする。その間に湖澄が全員に黒い蝶の鱗粉を避けるための防御魔法をかけ、輝名は佐羽の蛮行に対して怒声を浴びせた。
「てめぇ、神殿の建物ごとぶち壊す気か!」
「ごめんごめん、だって面倒だったから」
ちっとも悪びれずに言う佐羽は眉根を寄せた奇妙な笑顔で魔王の翼を広げる。そして愛用の杖を片手に残る“天敵”に向けて片っ端から破壊魔法を放っていった。勿論、その度に神殿の壁が派手に砕け散る。それだけの威力のある術を使わなければ魔法で“天敵”を倒すことは難しく、結局輝名の忠告は全くの無駄に終わる。
「佐羽!」
「生き埋めになっている人がいるとしてもどうせ手遅れだよ。あの蝶の数を見たでしょう」
「それでも助けられるだけ助ける。その気がねぇなら手を出すな、魔王!」
「……そういうちまちましたのって苦手なんだけどなぁ」
「うるせぇ、つべこべ言うんじゃねぇ!」
そう叫びながら輝名は魔法銃を片手に神殿の奥へと走っていく。佐羽は肩をすくめて湖澄を見た。
「湖澄、俺達は外に行こうか。あの蝶を殲滅しないとね」
「ああ。俺があれらを固める。お前は空中でそれを破壊してくれ。それなら都に被害は出ない」
「ああ、さすがに冷静……俺、都のど真ん中でやっちゃおうかと思ってた」
「それじゃあ浅海柚橘葉の目論見通りだろう」
「そうだね。どうも俺は破壊に偏っていていけないなぁ」
あはは、と軽く笑う佐羽に溜め息をひとつ送ってから、湖澄はるうかの方を振り返る。
「舞場さん、輝名のサポートを頼めるか」
侑衣という“左腕”を失い、大神官代行という肩書きをも失った彼は最早ただの魔術師に過ぎない。いくら“二世”としての権限があると言ってもその片腕が損なわれていることに変わりはなく、彼1人で事態に対処するには無理がある。るうかは迷うことなく頷いて駆け出した。
佐羽の手によって大部分が破壊された大神殿の中、瓦礫の下を潜り抜けるようにして輝名を追う。輝名は途中で出会った“天敵”を倒し、怪我人に簡単な処置を施しながら先へと進んでいた。そこにるうかが合流する。
「手伝います!」
「……っ、るうか。お前は」
「いいんです。分かっていてやるんです。だって、私は」
「もういい。何も言うな」
輝名は大きく首を横に振ると魔法銃を担いで笑みを浮かべた。
「行くぜ、勇者るうか。今はお前が俺の“左腕”だ」
「侑衣先輩に怒られませんか」
「あれを落とすには骨が折れる」
「……苦労、しているんですね」
くす、と思わずるうかは笑ってしまう。向こうの世界での月曜日、授業中の教室に乱入して告白からキスまでをやってのけた輝名にしても結局未だに侑衣との親睦を深めるまでには至っていないらしい。こちらの世界での記憶を失った彼女にとって輝名はさぞかし奇異な存在として認識されていることだろう。それを思うと悲しいのか面白いのか微妙な心境になるるうかである。
しかしどういうわけだろうか。きっと彼らなら大丈夫だと思えるのだ。そうであってほしいというるうかの願いがそう思わせているだけなのかもしれない。それでも輝名の諦めないどころか一気に攻めに転じた姿勢がるうかにも希望を与えてくれていた。
「るうか、来る!」
輝名が叫ぶ。その声に反応したかのように地下へ向かう通路の奥から身の丈2メートル程の大きめの“天敵”が姿を現した。一目見て確認できる弱点が2箇所ある。るうかはすぐに駆け出し、2本のカタールで的確にふたつの弱点を破壊した。しかし“天敵”は倒れない。
「まだです!」
「一旦避けろ、牽制する!」
るうかは輝名の声に応えて通路の脇へと跳ぶ。そのときまた彼女の左肩の奥で何かがうごめいた。一瞬動きを止めたるうかを目掛けて“天敵”がその肉の身体をがばりと広げる。
「させねぇぜ!」
輝名が魔法銃から白銀の光線を放ち、“天敵”の肉を焼き削いだ。ぶるぶるっと肉のひだを震わせて暴れる“天敵”の背中に一瞬、小さく光る弱点が見える。るうかは息を整えるとそこへカタールの先を突き入れた。その瞬間にまた左肩の奥が跳ねるように痛む。手元が狂った。
「ふ、うっ!?」
るうかの視界が白く明滅する。ぐらり、と身体が傾き彼女はそのまま床に叩きつけられた。見れば赤黒い肉の塊が焼けた身体の断面を白く煮立たせながらるうかにのしかかっている。傷に残る熱がるうかの剥き出しの腕を焼いた。
「うあ、あっ!」
「るうか!」
輝名の声が遠い。るうかはがむしゃらに腕を振り、“天敵”の身体を滅茶苦茶に殴りつける。ひるんだ肉塊の化け物が身じろぎした隙にその下から抜け出したるうかは改めてその背中にある弱点を狙った。それは小さなネックレスで、銀色に輝く台座に青い石が収められたとても綺麗なものだった。
それをるうかの真っ赤なカタールの刃が粉々に打ち砕く。割れた石の欠片がキラキラと辺りに飛び散り、ひしゃげた銀の台座がかんと硬い音を立てて床に転がった。そして肉塊は赤黒い血と肉片を撒き散らして四散する。
その様子に呼応するかのようにるうかの左肩がびくびくと脈打った。服の上からでも見えるほどの動きに輝名が顔をしかめ、るうかは襲い来る激痛に悲鳴を上げた。
「ふぁ、うぁあああ!?」
「っ、るうか、もういい! もう……」
「か、ぐな、さん……!」
るうかは涙を溜めた目で輝名を見る。このままで終わるわけにはいかないのだ。このような中途半端な終わり方はできないのだ。そして何より、ここで終わってしまってはるうかはきっと輝名を。
「無理なら、もう無理なら、逃げてください……!」
「できるか馬鹿!」
輝名は怒鳴り、るうかの左肩に向けて魔法銃の引き金を引く。収束した白い光線が彼女の皮膚を裂いて肉を貫き、その奥に潜むものを焼いた。るうかの絶叫が辺りに響き、輝名は銃を片手に強く顔をしかめて奥歯を噛み締める。
「耐えろ……てめぇは絶対に、生かす」
「……あ、う……」
るうかは焼かれた左肩を抑え、暗い視界の中に輝名の姿を捉える。焼かれた痛みはあるが、先程までのうごめくような激痛は確かに収まっていた。さすがに“二世”の力は格が違うらしい。
まだ戦える、とるうかはひっそりとした笑みを浮かべて輝名を見た。
執筆日2014/05/05




