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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第1話 魔女のくれる徴
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2

 眠りは異世界同士を繋ぐ扉となる。しかし必ずしも毎回そうであるというわけでもなく、ごく当たり前に自分だけの夢を見ることもある。長く深く眠ればそれだけ世界の間を行き来しやすくなるようで、夜の眠りはいつも世界と世界を繋いでいた。そして今、るうかは自分だけの夢を見る。


 るうかは高校指定のジャージを着て広い体育館のような場所にいた。目に鮮やかなウルトラマリンのジャージ上下をきっちりと着込んで、さてこれから何が始まるのだったか。

 だむだむだむ、とボールを突く音がする。音は二重奏、ボールは2つ。

 だむだむだむ。顔の見えない男子生徒が1人ずつ、バスケットボールをドリブルしながらるうかへと向かってくる。1対2とは卑怯な、とるうかはそれぞれのボールを睨む。生憎球技の方はあまり得意ではないが、脚力にはそこそこの自信がある。駆け出し、まずは片方のボールを追う。するともう片方のボールを持った男子が追い掛けてきた。そのままるうかに体当たりでもしそうな速度で追い掛けてくる。これはそういう競技だっただろうか? 仕方なく、るうかは迫り来る男子をかわして再びもう1つのボールを目指した。するとまたもう1つのボールを持った男子が追い掛けてくる。

 なるほど、ならばこういうのはどうだろうか。2つのボールを一度に奪い取る作戦である。

 るうかの身体はするすると動いて2人の男子生徒から同時に2つのボールを奪う。真っ青で綺麗なボールだ。るうかはいささかぎこちない手つきでそれらを両手にドリブルしながらゴールを目指す。それはいいが、片手でゴールを決めなくてはならないというのは素人には少々荷が勝ちすぎているのではないだろうか?

 男子生徒はもう追ってこない。ゴールを決めるのはるうかの役目だ。それで勝敗は決する。しかしるうかはゴールの目前で立ち止まっていた。

 だむだむだむ。ボールを突くことはやめられない。左右のボールを交互に床に落とし、跳ね返ってきたそれを一瞬掴むようにしてまた落とす。だむだむだむ。ひたすらにボールは床とるうかの手の間で跳ね続ける。

 真っ青だったボールが腐った藻のような色へと変わっていく。完璧な球体をしていたそれから空気が抜けてぺしゃんこになっていく。突いても跳ね返らなくなる。

 板張りの床に落ちたくにゃくにゃのボールから、どろり、と青緑色をした粘液が流れ出た。

 あーあ、とるうかは溜め息をつく。失敗しちゃったなぁ。バスケって難しいなぁ。

 どっちも選べなかったから。と誰かの声が言った。どっちかを選んでいればゴールできた。

「そうかもしれないですね」

 答えてるうかはゴールを見上げる。青いリングと青いネット。あの青の間を潜れば、どちらかのボールは得点となったのだろう。1つだけでよかったのだ。しかし、るうかはどちらのボールも手放せなかった。

「そうかもしれないけど、じゃあきっと私には無理だったんです」

 るうかがそう言うと、周囲の光景がすぅっと遠ざかるように消えていった。


 微睡みから目覚めたるうかは宿屋の天井を見上げながら思わず呟く。何故、バスケ。昨日の体育の授業はマラソンだった。だからきっとこの夢とは関係ない。しかもあれほど真っ青なバスケットボールなど見たこともないし、指定ジャージの色と被っているから授業で使えば大変見づらくて困る。

 そんなどうでもいい感想を抱きながら夢の余韻に浸っていたるうかだったが、肝心の身体の不調の方はどうやら治まっているようだった。左肩の奥には相変わらず鈍痛が居座っているが、動くのに支障が出るほどのものではない。るうかはホッと一息ついてベッドから降りようとした。

 その瞬間、ぞくりとした寒気が背中を這い上がり、彼女は思わず背後にある窓を見る。するとそこには例の黒い蝶が5匹程ひらひらと舞いながら、今まさに銀色をした鱗粉を撒き散らしている様子がはっきりと見て取れた。るうかはすぐさま荷物の中から青緑色の液体が入った小瓶を取り出すと、窓を開けてそれを宙に放る。そしてそこに自らの勇者の拳を突き入れた。

 小さなガラス製の小瓶はいともたやすく割れて、中の液体を空中にぶちまける。それは黒い蝶の翅にぼたぼたと降りかかり、銀色の粉を粘液で固めて地面に落とした。黒い蝶が液体の重みに耐えかねて地面に落下し、絶命したのを見届けてやっとるうかはホッと息を吐いて窓を閉める。

 あれを放っておけばまた変異原による被害者が出かねない。だからるうか達はいつも、あの鱗粉を無毒化することのできる特殊な液体……と言っても何のことはない、いわゆる聖者の血を小分けにして持ち歩いているのだった。血の提供者は湖澄だったり、あるいは頼成だったりした。彼はるうか達と別行動を取りながらも立ち寄った町や村にるうか達宛の荷物を預けていることがあるのだ。そしてその中には大抵この黒い蝶の鱗粉を無毒化するための小分けの血液や、細胞異形化の特効薬になる調合された血液の小瓶が入っていた。それは微かな繋がりだったが、彼の志が今でもるうか達と共にあることを信じさせてくれるには充分な贈り物だった。

 るうかは頼成に感謝しながら窓から離れ、反対側にある扉の方へと振り返る。そこで彼女は思わず息を呑んだ。

 一瞬の後、彼女の口はいつの間にか部屋に侵入していた桃色の髪の女性……浅海佐保里(さおり)によって塞がれる。佐保里はその紫水晶の瞳を柔らかく細めながら「怯えなくても大丈夫ですよ」とるうかの耳元で囁いた。

「落石くんに見付かると面倒ですから、静かにしていてもらえますね?」

「……この距離だと、私の拳の方が速いと思います」

「でもそうすると今度は槍昔くんの身に何が起こることやら。意味、分かりますよね」

 るうかはぎりりと奥歯を噛み締める。相変わらずこの女性は笑顔で卑劣な脅し文句を口にする。鼠色の大神官の妹にしてある意味もっとも重要な手駒であろう彼女は、向こうの世界では佐羽と同じ大学の同じ学部で机を並べる同級生である。それでいて向こうの世界の暴力団と何やら繋がりがあったり、こうしてこちらの世界では色々とよからぬ暗躍をしていたりと随分忙しない日々を送っているようだ。るうかは取り敢えず抵抗を諦め、「何の用ですか」と佐保里に尋ねた。

「ちょっと様子を見に来たんですよ。黒い蝶を撒くついでに、勇者一行がこの町に逗留していると聞いたもので」

「だったら普通に訪ねてきてください。勝手に人の部屋に入らないでください」

「そんなことをしたら落石くんにばれてしまうでしょう? 彼のことです。私を見たらお話どころじゃないですよ、きっと」

「そうでしょうね」

 佐羽は佐保里を非常に嫌っている。いや、本人を相手にしているときはそうでもないのだが、時折彼女に関してものすごい形相で悪態をつくことがある。常に笑顔で人を煙に巻く彼にしては珍しい程に激情を顕わにすることがあるのだ。

「まぁ、落石くんに嫌われるのは仕方のないことです。私も彼が大嫌いですから、お互い様ですね」

 佐保里はそう言って先程までるうかが眠っていたベッドに腰掛けた。そして「あら、汗をかいていたみたいですね」と呟くように言う。血痕については特に言及せずに汗の方を気にするというのは妙な話だが、佐保里ならそう不思議でもない。何しろ彼女も血を見ることには随分と慣れているのだろうから。

「悪い夢でも見ましたか」

 るうかは部屋にひとつだけある椅子を引いてそこに腰を下ろしながら、「そんなことないですよ」と答える。

「夢は見ましたけど、悪い夢じゃなかったです。変な夢でしたけど」

「そうですか。悪夢じゃないのなら良かったです。これでも私、あなたのことは色々と心配しているんですよ? 勇者としてのあなたは邪魔で邪魔で仕方がないですけれど、あなたという女の子のことは決して嫌いじゃないですからね」

 佐保里は少しだけ複雑な表情で微笑んだ。以前には見せたことのないその表情を前に、るうかは少しだけ戸惑う。彼女と佐羽はある意味でとてもよく似ており、その整った容姿と笑顔を武器にして人心をうまく掴み、操ろうとする節がある。そんな彼女がまるで本心からの言葉を言ったような顔で笑っているのだ。るうかはむしろそのことにこそ疑問を覚え、彼女の顔を凝視した。

「今のは、本当のことですか」

「え?」

 一瞬佐保里が虚を衝かれたように動揺したのは気のせいだろうか。

「本当? ええ、本当ですよ。付け加えておくと、私は今日ここに来てからあなたに一度も嘘をついていないです。信じてくれるかどうかはあなた次第ですけれどね」

 そう言うと佐保里はいつものように底意を隠した綺麗な笑顔で笑ってみせた。結局彼女の発言の真偽は分からないままだが、それでもるうかはひとまず今の彼女の言葉を信じることにする。

「黒い蝶は、まだあちこちに撒き続けるんですか」

 ふと思い付いて尋ねてみると、佐保里はうーんと小さく唸ってから首を傾げた。

「今のところ、まだ大分ストックがありますからね。しばらくは続ける予定です。でもこの蝶の難点は生殖能力を持っていないというところで、永遠に使える代物じゃあないのも確かですね」

「卵を産めないんですか」

「一応雌雄はありますし、雌の体内では卵の素が作られます。でも、産み落とした途端に自分の鱗粉によって細胞が異形化されてしまうために決して孵化しないんです。皮肉なものですね」

「そういう仕組みなんですね」

「兵器としては優秀でも、生物としては欠陥だらけです。歪だなぁ、と私だって思っていますよ」

 やはり佐保里の声音には本音の響きがあった。どういう理由かは分からないが、彼女はるうかの部屋に来て妙にくつろいでいるようである。気を許している、とでもいうのだろうか。そんな彼女はふと名案を思い付いたというようにぽんと手を打った。

「そうだ、るうかさん。もし今お時間があるなら、私の仕事を見学しませんか?」

「え?」

 どうでしょう? と笑う佐保里にるうかはひたすら疑念たっぷりの眼差しを向けるより他なかった。

執筆日2014/03/20

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