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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第7話 ロストラストメモリー
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2

 有磯輝名(ありいそかぐな)は常人にはできないことをやってのける人間である。それはるうかも知っていた。何しろ後ろ盾もない高校生の身分で高級マンションの最上階に居を構え、向こうの世界では“二世”という特殊な立場のせいでもあるものの大神官代行という重責を担い職務をこなしていたのである。才能も努力も人並ではないのだろうし、行動力という意味でもずば抜けているのは事実だろう。しかしまさかここまで常識外れの行動に出るとは思っていなかった。

「おい、月岡侑衣はいるか!」

 るうかの案内で侑衣の教室に着くなり、彼はそう言いながら黒板横の扉を景気よく開け放った。授業中の教師があんぐりと口を開けて輝名を見ている。るうかは扉の陰に隠れながら息を殺し、事態を見守ることに集中した。どう頑張っても今の輝名を止められそうにないためだ。

 しんと静まり返った教室の中で眼鏡をかけた黒髪の少女が思いきり顔をしかめて輝名を見つめている。輝名はその視線に気付いているのだろう。それでも敢えて教卓の前まで進み出ると、教師を押しやってその高みから教室全体を見回した。

 目立つ白銀の髪に鋭い青色の瞳。整った顔立ちと特徴的な姿が否が応にも生徒達の注目を集める。その視線の焦点に立ち、彼はとても綺麗な表情で微笑んだ。

 普段の輝名からは想像もつかないような笑顔で、そしてひどく甘く優しい声で、彼は教室にいる約40人の生徒のうちのただ1人だけを見つめて告げる。

「来てやったぜ、侑衣」

「誰だ。いや、そうか。あなたが“カグナ”か」

 侑衣はそう言いながら手元に置いてあったノートのページをめくる。それは今行われていた授業のノートではなかった。先程の休み時間にるうかが彼女に返したそれを、彼女は授業中にこっそりと読んでいたのだ。

 ノートには輝名についての記述も多い。何しろ向こうの世界での侑衣はあの世界についての事柄のほとんどを彼から教わり、そして彼の“左腕”として頻繁に行動を共にしていたのだ。そのノートには彼女と彼の間にあった絆が綴られていると言っても過言ではない。

「ほう、俺の名前が呼べるのか。さすがだな」

「どういう意味ですか」

「その勇気がいつも俺を助けてくれていた。だから、こんな紙切れで終わらせることなんざできやしねぇんだ」

 輝名はそう言って、ずかずかと侑衣の座る席まで歩いていく。そんな彼のあまりにも堂々とした立ち居振る舞いに気圧されたのか、数人の生徒が床に置いてあった鞄を避け、また椅子ごと身を引いた。そうして彼はすぐに侑衣の目の前に立って彼女を見下ろし、その顔に向けて2枚の便箋を突きつける。

「何、これは」

「お前が俺に宛てた手紙だ。最後の一文はこうだ。“どうか私のことは忘れ、自分の役目に集中してください”……侑衣、ふざけるのも大概にしろよ?」

 輝名の声は相変わらず優しいままだったが、その背中には煮え立つような怒りも垣間見える。そして彼は侑衣が手紙に手を伸ばすより早く、それを自分の歯で食い破った。

 左手を使うことのできない彼が鬼気迫る表情で手紙を噛み千切り、ばらばらになった紙片が床に散らばる。それを侑衣を始めとした生徒達は呆気に取られて凝視する。やがて誰より早く立ち直った侑衣が輝名を睨んだ。

「私がそう頼んだのに、あなたはここに来た。そういうことでいいんですね」

 ゆっくりとした口調の中に憤りが滲んでいる。彼女がどれだけの思いでその手紙を書いたのか、分からない輝名ではないだろう。しかし輝名にもまた譲れない想いがあった。そうして彼はここにいる。

「たとえお前が俺を忘れても、俺は決してお前を忘れやしねぇ」

 情熱的な程に甘く、切なく、輝名は侑衣に顔を近付けて囁く。

「侑衣、お前は俺だけのものだ。他の誰にもくれてやらねぇ。……愛している」

 時間の止まった教室の中で、輝名はそっと右手を侑衣の頬に添える。その白い肌を慈しむように撫でた彼は柔らかく微笑みながらそのまま彼女の顎を引き寄せ、彼女の赤く薄い唇にそっと口付けた。

 あまりにもありえない光景に誰もがただぽかんと口を開けている。るうかはといえば、同じく呆れてものも言えないままにどういうわけか廊下にぺたりと座り込んでいた。腰が抜けたのだ。

 侑衣は大人しくされるがままになっている。彼女の性格からして、嫌なことは嫌だとはっきり言うことだろう。そして知らない男にキスをされて黙っていられる程か弱くも従順でもないだろう。彼女は突然この場に現れた輝名を受け容れたのだ。彼のことを思い出せないまでも、おそらくはノートに綴られた記述を手掛かりにかつての彼と自分との関係にある程度予測をつけたのだろう。それにしても、これはない。

「とんでもないことをしてくれたものですね」

 唇を離した輝名に対して侑衣は肩をすくめてそう言った。輝名は右手を侑衣の頬に添えたまま穏やかな笑みを浮かべている。机を挟んだ2人の間にはいくらかの距離があった。輝名が少し身を乗り出すと、その身体がぐらりと傾く。左腕の麻痺した彼では斜めになった姿勢を支えることは難しい。危ない、とるうかは思わず声を出しそうになった。しかしそんな彼を侑衣の両腕がしっかりと抱き留める。

「無茶をしないでください。あと、あまり突飛なことをしないでください」

「させたのはお前だぜ」

「勝手な男ですね」

「男なんざそんなもんさ。それで、返事は?」

「何について返事をしろと言うんですか。私はあなたに何かを問いかけられた覚えはありません」

「ああ、それもそうか」

 くくっ、と輝名はやっといつものように笑う。その楽しそうな笑みを見て侑衣がほんの少しだけ表情を緩めた。るうかは廊下に座り込んだままじっと2人の世界を見守る。輝名が侑衣の両腕に支えられながら口を開いた。

「侑衣、俺と付き合ってくれ」

 輝名にしてはとても単純で、明快で、そして真摯なその言葉に侑衣は少しの間沈黙した。彼女のクラスメイトや教卓から追いやられた教師が息を呑む中、侑衣は一度目を閉じ、そして開く。

「今すぐに返事はできない。“カグナ”さん、私はあなたを知っていたんだろうけれど、すっかり忘れてしまっているようです。思い出すだけの時間をください」

「思い出す必要はねぇ。ただ俺の傍にいてくれればそれでいい。そしてまた一から俺のことを知って、返事はそれからでも構わねぇよ」

「これだけ大胆なことをした割には随分と譲歩したものですね」

「俺がお前を信頼し、愛しているのと同じくらいお前にも俺のことを理解してもらいたい。ただそれだけだ」

 どこまでも、どこまでも輝名は情熱的だった。侑衣は悲しいのか腹立たしいのか嬉しいのかよく分からない表情を見せて、しばらくの間輝名の顔を睨むように見る。そしてやがて諦めたように小さく頷いた。

「分かった。あなたの気持ちは受け取りました。今すぐに付き合うことはできませんけれども、連絡先の交換程度のことには応じましょう。私もあなたに聞きたいことがたくさんあります」

 手元のノートを指して言う侑衣に、輝名も頷く。2人の周囲の生徒がやっと呼吸を取り戻した様子で一斉に溜め息をついた。そして緊張の糸がほぐれた瞬間に教室中が騒然とする。その中で輝名は声を立てて笑い、さらに侑衣を困らせた。呆れ返るるうかの視界の中、彼は侑衣に身体を支えられたままその右手を自分の羽織った上着の胸ポケットに入れた。そして中から取り出した小さな箱を侑衣の目の前に差し出す。

「本当はもう少し馴染んでから渡すつもりだったんだが、我慢できそうにねぇ。今は開けなくていい。いつかその気になったら開いて、中身を受け取ってくれ」

 真四角に近い箱を前に侑衣は明らかに狼狽えた。しかし最後には輝名の左肩を支えたまま、左手でそっと箱を受け取る。また周囲の生徒が沸いた。

「……輝名さん、とんでもない……」

 廊下にへたり込んだまま呟いたるうかの後ろで「本当にね」と深く同意する声があった。振り返ればそこにはるうかの友人である静稀(しずき)が立っていて、心底呆れた様子で教室の中を窺っている。るうかは驚いて飛び上がった。

「静稀ちゃん、なんでここに?」

「るかりんがサボるからでしょうが。心配したんだよ? なんだか朝から元気ないみたいだったし」

「あ……」

 やはり彼女には見抜かれていたらしい。眉尻を下げて視線を横に逸らするうかを見て静稀は小さく溜め息をつく。

「ま、詮索するつもりはないけど。何か問題抱えてるなら、できれば相談してよ」

「うん……ありがとう、静稀ちゃん」

「それにしても、あの人は一体何なのさ? こんなことやってのけるなんて馬鹿かって思うけど……」

 静稀は輝名の背中を見ながら盛大に溜め息をつく。彼女は以前、喫茶店で彼に会ったことがあった。一度きりの邂逅ではあったが、彼女にとってその印象はとても強いものだったはずだ。何しろ輝名は彼女のこの世界における兄である湖澄(こずみ)の双子の兄弟であり、その顔立ちは湖澄に瓜二つなのだから。

「馬鹿、なんだよきっと」

 るうかは苦笑しながら静稀の言葉に答える。

「でもそれだけ必死だったんだよ。侑衣先輩のことが好きで好きで、諦められなかったんだよ」

 確かに美人な先輩だね、と静稀は言う。彼女は侑衣のことを知らない様子だったが、るうかの意見には概ね賛成してくれた。

「でも何も学校に乗り込んできてまで告白しなくても」

「うん……あれはいくら何でもやめてほしいよね……」

「るかりんも、槍昔さんが学校に乗り込んできたらどうする?」

「蹴り出す」

 るうかは即答し、静稀は腹を抱えて笑った。るかりんらしいね、という彼女に笑みを返しながらるうかは胸の奥にずきずきとした痛みを感じていた。

執筆日2014/05/01

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