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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第7話 ロストラストメモリー
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1

 いつの間に夢の中で眠ってしまったのか、るうかは自分の部屋で目を覚ました。見慣れたはずの天井が今はとても現実感のないもののように見える。るうかにとって最早現実は両方の世界に存在し、その間を隔てるものなどないに等しかった。ただ、それもいつまでも続くわけではない。

 目覚まし時計がけたたましい音を立てるまでにはまだ少しの時間があった。るうかは手を伸ばしてそれのスイッチを切ると、もぞもぞとベッドから這い出す。そして昨夜帰宅してから机の横に放り出してあったチェリーピンクのバッグの中から侑衣のノートを取り出し、パジャマ姿のまま椅子に座って再びそれに目を通す。

 侑衣はそれをるうかに託したとき、読み終えたら返してほしいと言っていた。自分が死んだら読み、そしてできれば自分に返してくれと。封を解いてノートの中身を読んだるうかは彼女がそれまでにどのような経験をし、どのような思いであの夢の世界を生きてきたのかを知った。ノートは侑衣が夢の世界での出来事を綴った日記だったのだ。

 初めは戸惑いからつけられた短い記録のようなものだった。自分がどうして毎晩同じ夢を見るのか、そしてその世界の仕組みは一体どうなっているのか、彼女が疑問に思ったことがメモの形で書き込まれていた。そしてそれに対して輝名(かぐな)が彼女に答えたらしい内容も付け加えられていた。

 それが半年程前から長文の日記が目立つようになってきた。ノートの半分以上はそうしてこの半年の間に書かれたものだったのだ。そこには彼女が感じていた自分の身体の変化と、その原因についての考察。そしてその結末の予測までもが書かれていた。さらにはそうして彼女が出した結論に基づいて彼女が何を決意し、どう行動したか。その全てが書き記されていたのだ。

 ノートの最後のページには1枚の便箋が挿んであった。それはるうかに宛てた手紙で、まず謝罪の言葉から始まっていた。辛いことを頼んで申し訳ない、と。るうかはその便箋をノートから抜き取ると、丁寧に3つ折りにして机の引き出しにしまう。

 そしてふと思い付いたようにその引き出しから使いかけのルーズリーフの束を取り出すと、おもむろに文字を書き付け始めた。


 休み明けの学校のどこか気怠い空気の中、黒髪の彼女は例によってピンと伸ばした背筋に凛々しさを漂わせながらとても美しい姿で文庫本に視線を落としている。明るい光の射す教室でそうしている彼女を見てるうかは小さく溜め息をついた。知らずに震える手と、熱くなる目の奥。侑衣先輩、と大声で呼び掛けそうになってるうかは思わず片手で口を覆った。

 そして近くにいた3年生を捕まえて月岡侑衣を呼んでもらう。2年の子が呼んでいるよ、と言われた侑衣は訝しげな顔をして立ち上がった。

 その瞬間、るうかと侑衣の視線が交わる。侑衣は確かに一瞬目を見開いた。るうかの胸がどきりと跳ね、わずかな希望が顔を覗かせる。ひょっとして、もしかして、彼女はるうかのことを。

「あの、申し訳ないけれど君は?」

 教室の入り口までやってきた侑衣はそう言って眼鏡の奥の瞳をわずかに細めて首を傾げる。るうかの胸には一瞬にして落胆が広がり、同時にその反応が当然であることも理解していた。るうかは何も言えないまま、大事に抱えてきたノートを彼女の前に差し出す。

「お借りしていたノートを返しに来ました」

 そう言う以外に何と告げることができただろう。淡々と真実を口にしたるうかに向かって侑衣は少し考えた後、小さく頷く。

「確かにこれは私のノートだ」

「……分かるんですか?」

「自分のノートくらい分かるさ。それで、君は」

 言いかけた侑衣が不意に言葉を切り、改めてじっとるうかの目を見つめた。吸い込まれそうな黒い瞳にるうかも思わず瞬きさえせずに見つめ返す。ああ、と侑衣がどこか切ない声で呻いた。

「ごめん。私は君をどこかで知っているけれど、思い出せない。確かに会ったことがある気がする。本当に申し訳ないのだけれど、もう一度私に君の名前を教えてくれないだろうか」

 るうかはノートを持ったまま、たまらずぽろりと1滴の涙を零した。それでも彼女は嬉しさと誇らしさを胸に侑衣に向かって名乗る。

「2年の舞場るうかです。ゆ……月岡先輩は覚えていないと思いますけど、先輩には本当にお世話になったんです。だから、ありがとうございます」

 礼の言葉と共にるうかが差し出したノートを、侑衣は頷きながら受け取った。そして優しく細めた目でるうかを見ながら彼女は静かに告げる。

「侑衣でいい。私もるうかと呼ばせてもらう。その方がしっくりくる気がするんだ。不思議なものだね、どうしてかは分からないけれど、それが自然だろうと思ったんだよ」

「……侑衣先輩」

「ありがとう、るうか。私との約束を果たしに来てくれて」

 そう言って侑衣は花の咲くような笑顔を見せたのだった。

 そんな昼休みの後、るうかは授業に出る気にもなれずに1人中庭の花壇に腰を下ろしてでぼうっと空を見上げていた。これでよかったのだろうか、と彼女は意味もなく自問する。

 侑衣のノートには夢の世界での出来事ばかりが綴られていた。どうやら侑衣自身もどこかでそのノートの存在を記憶の隅に留めていたようだが、あれを読んだ彼女は一体何を感じるのだろうか。そこに書かれていることは彼女にとって失われた思い出であるはずだ。夢の中で死を自覚することは現実の死に繋がる。よってそれにまつわる記憶は残らないようになっている。侑衣は自分が夢の世界で死んだということを覚えてはいないだろう。そうなると、夢の世界で過ごしていたことも同時に忘れている可能性が高い。かつての治癒術師“るうか”のように何もかもをすっぽりと忘れてしまっていたとしてもおかしくないのだ。

 その彼女が夢の記録を読むことによって、彼女にとっての辛い記憶が蘇ったりはしないだろうか。もしもそこから彼女が自分の死の記憶を思い出すようなことになれば。あのおぞましく悲しい最期を自覚するようなことになれば、彼女は一体どうなってしまうのだろう。

 るうかの不安はそこにあった。

 侑衣との約束を果たすことは大切だったが、果たしてそれが正解だったのかどうかが分からない。もしもあのノートによって侑衣が苦しむようなことになったら、と思うとるうかはとても呑気に授業を受けてなどいられないのだった。

 溜め息をついて顔を伏せたるうかの耳に、聞き覚えのある声が届く。

「おい、何サボっていやがる」

 え、とるうかは弾かれたように顔を上げて声のした方向を見た。中庭の入り口の扉にもたれかかるようにして呆れ顔の青年が立っている。この学校のものではない制服をラフに着こなした、白銀に煌めく短髪の持ち主だ。よくよく見れば彼は制服を着崩しているのではなく、三角巾とベルトで吊って固定した左腕を覆うように淡い青色のブレザーを羽織っているのだった。

「か、ぐなさん」

 驚きのあまりにるうかは彼の名前を噛み、輝名はそれを見て小さく鼻で笑う。

「何つう顔していやがる。俺は幽霊じゃねぇぞ」

「それは分かっていますけど……どうしてうちの学校にいるんですか」

 むしろ輝名の方こそ授業はどうしたのだと問いたい。しかし仮にも年上である彼に対して、自分もサボっている身でそう問い掛けることもまた難しい。そんなことを考えていたるうかに対して彼は全く悪びれもせずに告げる。

「勿論、授業を午前で放り投げてきたに決まってるだろ。そうでもしねぇと放課後に間に合いそうになかったからな」

「あ……遠いですもんね、星央」

 彼の通うエリート私立高校の名前を出し、るうかは取り敢えず呆れた。結局輝名もサボりだというわけだ。しかし一体彼は何の目的があってるうかの通う学校までやってきたのだろうか。輝名はそんな疑問を抱くるうかの隣にどっかりと腰を下ろし、中庭を見渡した。そして彼にしては珍しく満足そうに「いい所だな」と言った。

「え、そうですか?」

「小さいが、学校の中ではいい息抜きの場所だろう。それに四方に廊下が見えるのがいい。自分がどこにいるのかを見失わずにいられる」

 そう言った輝名の目は空を見上げていた。気持ちよさそうに細められた淡い青色の瞳の、その紫がかった美しい色を見るともなしに見ながらるうかは「そうですね」と生返事を返す。正直な所、中庭の環境に思いを馳せていられるほど気楽な心境ではなかった。そんなるうかに向かって輝名は視線を向けると急に真面目くさった顔で「おい」と呼び掛ける。

「まさかお前がサボるとは思わなかったが、おかげで手間が省けた。侑衣の教室を教えろ」

「え?」

「知ってるんだろう」

「知ってますけど、授業中ですよ。3年生は午後も2コマの授業がありますから、終わるまでにはもうしばらくかかります」

「待っていられるかよ」

 言うなり輝名は威勢よく立ち上がり、いかにも偉そうに胸を張りながらるうかに命じる。

「つべこべ言わずに侑衣のところへ案内しろ!」

 突き付けられた右手の人差し指を前に、るうかは頷くより他なかったのだった。

執筆日2014/05/01

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