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チッ、と柚橘葉の背後で輝名が隠しもせずに舌打ちをする。次の瞬間には彼はすでにるうかの目の前に移動してきていた。転移術である。そして彼はるうかを背後に庇いながら群衆に向かって叫んだ。
「怒りはもっともだ! だが、その怒りの根源を間違えるな! お前達が本当に怒りを向けるべき相手は誰だ? 黄の魔王は鈍色の大魔王に脅されて術を行使した。赤の勇者は起きてしまった事態を収拾するべく刃を振るった。それが英雄的行為でないことは認めよう。だが、お前達はこの2人に対してどうして怒りを向ける!?」
輝名の煌めく瞳が群衆を睨みつける。人々の多くは、彼が昨日の事件で“左腕”として信頼していた勇者ユイを喪ったことを知っていた。溢れんばかりだった怒りがほんのわずかに鎮まり、その頃合いを見計らって再び輝名が口を開く。
「大神官の言うことも間違ってはいない。神は人を裁きはしない。だが、お前達人間は同じ人間を裁くことができるか? お前達の中でこれまでに一度たりとも、罪と呼べるものを犯したことのない者はいるか? 勿論それは黄の魔王の所業とは比べ物にならない、小さな小さな罪だろう。だがお前達はその罪について裁きを受けたか? 言っておく。黄の魔王にしろ、赤の勇者にしろ、すでに存分な裁きを受けている。彼らがどれだけの血を流して昨日の事態を収拾させたか。都の住民に1人たりとも負傷者・死者を出さなかった彼らの戦いが簡単なものではなかったことぐらい分かるだろう。大神官の言葉だけでなく、己の内にある考えをよく見極めて、それから行動しろ。全て事態を認識した上で、それでも怒りを抑えられない者だけが残れ!」
ざわり、と群衆がうごめいた。輝名の言葉には力があったが、るうかは彼の後ろでわずかに唇を噛み締める。侑衣を亡くした彼がどのような想いでその言葉を口にしているのか、彼女には測り知ることができないのだ。恐らく今この瞬間、最も阿也乃を、そして佐羽を恨み憎んでいるのは彼であるはずなのだ。その傷を負いながら語り掛ける彼の言葉に、群衆は戸惑いを隠せない様子だった。
演壇で様子を見守っていた柚橘葉が厳かな手つきで輝名を指差す。
「大神官代行、神官カグナ。咎人を擁護するというのであれば、貴方はこの大神殿に刃向かうということになります。よろしいのですか?」
彼はひとつも動揺したところのない口調で言い、それに対して輝名もまたまとう雰囲気を変えずに言い返す。すなわち、強く煌めく瞳で柚橘葉を睨みつけながら言い放った。
「大神殿に対して反旗を翻すつもりはない。だが、大神官。てめぇの下卑た振る舞いには我慢がならない。潮時だ」
「ではカグナ、今この時を以て貴方を破門します。今後一切神官としての活動はできず、また祝福の恩恵を授かることもなりません。さあ、咎人と共にある叛逆の元神官。貴方の言葉にどれほどの価値があるでしょうか」
ふざけてやがる、と輝名は鼻で笑った。しかし彼の瞳には微塵の余裕も感じられない。るうかにも分かっている。この状況は非常によくない。ゲームで言えばほとんど“詰み”の状態だろう。実際にるうかは群衆によって周囲を取り囲まれており、輝名に庇われているとはいえいつ彼らの怒りを浴びてもおかしくない状況にある。また、この大神殿のどこかで佐羽も似たような状況に陥っているのだろう。そちらにはもしかすると湖澄が合流しているかもしれない。
群衆の中から声が聞こえた。
「……誰も裁かないなら、私達が裁くしかないでしょう」
それは本当に小さな声だったが、徐々に周囲の人々が口を開き始める。
「昨日のことは当然の報いだ」
「やっと静かに眠っていた私の夫を殺した」
「許せるはずがない。許してはいけない!」
「裏切り者の神官なんかの言うことを真に受けられるか」
「このまま魔王と勇者の皮を被った悪魔を野放しにしておけるものか!」
「殺してしまえ!」
誰かが叫んだ。その瞬間に群衆の中で怒りが暴発する。堰を切ったように溢れ出した怒りのままに、人々はるうかに向かって怒号を浴びせ、手近な物を投げつけるなどしてその思いをぶつけ始めた。飛んでくる物に関しては輝名が魔法で阻んだが、言葉は容赦なくるうかへと降り注ぐ。
「勇者のくせに、魔王とつるんでいるなんて!」
「悪魔の手先だ。“天敵”よりもずっと憎むべき存在だ!」
「人を救うために生まれたくせに!」
「お前なんかとっとと死んでしまえ! 勇者の血は万病の薬になるんだろう!?」
「そうだ、死んでその血で罪を贖え!」
「それがいい! 悪魔の勇者を血祭りに上げてやれ!」
るうかは耳を塞ぐこともせず、それらの言葉を黙って聞いていた。膨れ上がっていく怒りと聞くに堪えない罵詈雑言は留まるところを知らない。群衆は完全に混乱していた。その怒りがどこから来るのか、誰に向けるべきものなのかと問い掛けた輝名の言葉も、彼が破門を言い渡されたことによりすでにその意味を失ってしまったようだった。輝名がそっとるうかの方を振り返って言う。
「……すまねぇ。こういうことになるとは……読めなかった」
「私達のしたことは事実です。昨日のことについては何も弁解できません。でも、ここで大人しく殺されてもいられません」
るうかが言うと、輝名は一瞬だけ目を閉じて頷いた。そして再び開かれた彼の瞳には先程よりも強い光が宿る。
「逃げるぜ」
「え?」
「お前がこんな言葉を受け止める必要はねぇ。佐羽もそうだ。言っておくが、俺はお前らのことをこれっぽっちも恨んでなんかいねぇ。お前達は“一世”にいいように弄ばれただけだ」
そして俺も同じだ、と彼は苦々しい表情で言う。彼の悔恨は彼自身に向けられていた。
「侑衣を救うことのできなかった俺にできることは、お前達を守ることだけだ」
「輝名さん……」
るうかは侑衣の最期を思い出し、言葉を詰まらせる。勇者として“天敵”と戦い続けた彼女の最期は酷いものだった。どうしてそうなってしまったのか、るうかには分からない。ただ彼女の遺したノートはるうかに多くのことを教えてくれた。だから今、輝名の言葉に頷く。
「分かりました。少し、悔しいですけど……逃げましょう」
「いい子だ」
輝名は少しだけ肩をすくめてそう言うと、るうかの頭をくしゃっと撫でた。その時だった。
どおん、と大きな音がして大神殿の天井に大穴が開く。ぎょっとしてそちらに目をやったるうかは、そこに浮かぶ佐羽の姿を見て唇をわななかせた。彼はゆらゆらと揺らめく黒く巨大な翼を背中に広げ、まさしく魔王といった風情で人間達を見下ろして笑っていた。
「ははは……っ、ははははは! 馬鹿だね、馬鹿ばっかりじゃないか。俺のことはいい、俺は間違いなく魔王で、憎まれるべき外道だよ! だけどね、るうかちゃんに対して一体なんてことを言うんだよ。彼女は俺を止めようとした! 止められなかったのは彼女のせいじゃない! 俺が! 俺が石像になった英霊を“天敵”に変えた! そのまま放っておけば“天敵”はこの都の住民を、つまり君達を食い殺して息絶えただろう! だから、るうかちゃんは彼らを倒す以外になかった! 君達は誰に助けられたと思っているの!? ああ、こんな馬鹿ばかりの連中を助けるために、るうかちゃんが傷付くなんて馬鹿げているよ! もう、こんな都なんてなくなってしまえばいい!!」
「っ、落石さんっ! やめてください!」
るうかは喉も裂けよとばかりに声を張り上げ、佐羽に呼び掛けた。しかし彼にはもう彼女の声すら届いていない。怒りのためか顔を蒼白にした彼は手にした杖をゆらりと掲げ、それを群衆目掛けて降り下ろした。
爆音と共に強烈な閃光が辺りを白く染め上げる。焦げた臭いが立ち込め、るうかは身体に衝撃を感じてその場に尻餅をついた。何が起きているのか分からないまま目を閉じているるうかの手を、誰かがぐいと力強く引っ張り上げる。
「輝名、場所は!」
「……お前の蘇った部屋」
聞こえるやり取りにるうかの意識が冴える。ら、と言いかけたるうかの声をかき消すように再びの爆音が大神殿を揺らした。鼓膜がびりびりと震え、腹の奥にまで響く轟音にるうかはぐっと呻く。左肩の奥がまた痛み出していた。
「先に行く!」
輝名のものではない声が響き、次の瞬間にはもうるうかの耳には何も聞こえなくなっていた。
束の間、るうかは自分だけの夢を見る。痛む肩を抑えながら顔を上げたそこにはまだ幼い面差しを残した少女が立っていた。大丈夫? と彼女はるうかに問い掛ける。
「大丈夫」
答えたるうかに少女はうんと頷く。彼女の髪に飾られた赤い鳥の羽根がふわりと揺れた。
「大丈夫だよ。辛くない、わけじゃないけど。でも……あなたも同じ思いをしたんだよね」
同じじゃないよ、と少女は苦く笑う。私は何も知らなかっただけ。知っていて戦うあなたとは違うよ。
「同じだよ。だってあなたは私でしょ?」
そうなのかな。首を傾げる少女にるうかはそっと右手を伸ばした。
「そうだよ」
少女が笑う。花が咲いたようなその笑顔に、るうかは思わず見とれた。今の自分はそれほど綺麗に笑えはしない。それはきっと、彼女のことを忘れてしまっているからなのだろう。
「ねぇ、いつか……あなたのことを思い出せたらいいな」
そう言ったるうかに、少女はその右手を差し伸べながら頷く。そうだよね、と彼女はまた笑った。触れ合った2人の手の間に伝わる温もりは存在しない。互いに向き合いながらも、その心は決して触れ合うことができない。
「“るうか”、私も頑張る。だから大丈夫」
そう告げたるうかの前で、かつて治癒術師として夢の世界を生きた少女“るうか”は満面の笑みを残して霞のように消えていった。
執筆日2014/04/22




