2
世界の狭間に夢を見る余裕さえないまま、るうかはアッシュナークの都の地下に存在する輝名所有の秘密基地で目を覚ました。秘密基地、というのも子どもじみた呼び方だが、そう呼ぶのが最もしっくりくる場所なのである。閉山した鉱山の坑道跡にも似た木組みの柱で支えられた空間にはかなりの量の食料と水、そして武器が保管されていた。輝名の説明によれば、そこは元々対“天敵”用にと造られた住民達の避難路だったのだが、神殿による祝福の仕組みが整えられたことで街に“天敵”が出没することが減り、また稀に発生する小さな“天敵”も神殿所属の戦士などがすぐに退治することができるようになったために使われなくなったものらしい。そうして長年放置されていたそこを輝名が一通り手を加えて現在の形にしたということだった。ちなみに、通路の入り口は神殿所有の建物で覆い隠すことによって簡単には出入りできないようになっている。
「おはよう、舞場さん」
るうかの隣で寝ていた湖澄が彼女の起きた気配に気付いてかぱちりと目を開け、そう言った。彼は非常に寝起きがよく、いつもまるで見計らったかのようなタイミングで起きてくる。この分だと向こうの世界でも彼には目覚まし時計などというものは不要なのかもしれない。
そして一方、湖澄を挟んで向こう側にごろんと横になっている佐羽は恐らく蹴り飛ばしても起きないだろう様子ですやすやと寝息を立てていた。それでもるうかは彼の息遣いが穏やかであることに安堵する。
「おはようございます、湖澄さん」
そう挨拶を返して、それからるうかは一旦その部屋を出て近くの洗面所で顔を洗った。地下から汲み上げた井戸の水は冷たく、まだ少しだけとろけていた頭をはっきりと覚醒させてくれる。
今、この基地にはるうか達の他に数名の神殿所属戦士と魔術師、そして治癒術師が詰めていた。輝名は今日執り行われる鎮魂祭の行事のために大神殿に行っている。祭典で最も重要とされる“魂鎮めの祈り”という儀式が本日午前に行われるのだという。輝名はその儀式を取り仕切り、大神官代行として祭典を粛々と進めなければならない。警備はるうか達に割り振られた仕事だった。
支度を整えてこっそりと外に出たるうか達は式典の行われる大神殿へと移動する。一部の戦士・魔術師は街に残って不測の事態に備え、るうか達は人の多く集まる大神殿を警備することになっていた。
今日執り行われる“魂鎮めの祈り”というものは、輝名によればこの大神殿を含めて各地の神殿において神官として治癒術師達に祝福を授け、その代償として自らの身を“天敵”に変えて殺されていった人々の御霊を慰めるための儀式らしい。祈りごときで償えるとは思っていない、と輝名は言った。それでも都の人々がその気持ちを忘れないことが重要なのだとも言っていた。そして亡くなった神官の家族や親類がその祈りによって少しでも心安らかに生きていけるならそれに越したことはない、そう言って輝名は儀式についての説明を終えたのだった。
鼠色の大神殿にはすでに多くの人々が集まってきていた。天井近くに設けられた明り取り用の窓から差し込む光が鼠色をした神殿の中を静かに照らしている。受付を過ぎたところに広がるロビーは前回の事件後に改装され、床もすっかり新しくなっていた。以前あった大きな暖炉は壁際に移され、今日は式典のために人が集まるからとソファも全て取り払われている。そこにひしめくように集まってくる人々を見ながら、るうかは1人で所定の警備位置についた。
るうかの位置からは暖炉の手前に設けられた演壇がよく見える。そこで輝名が何か話をするのだろうか。他には特に変わったもの、つまり儀式に使うようなものは見当たらない。そういえば、とるうかは今更ながらに疑問を覚える。ここは“大神殿”の名で呼ばれており、この世界の各地にも神殿を擁する町がある。ということはそこには祀られる神がいるのだろうが、それにしてはそれらしい象徴のようなものを見たことがない。向こうの世界では例えば仏像だとか、ご神体だとか、十字架だとか、聖地の方角を示すアーチだとかといった何かしらの祈るための導きがあるものだ。そういったものがここにはない。この世界でいう神殿とは、一体どのような神を祀っているのだろうか。
ざわり、と群衆がうごめいた。開かれたままの大神殿の扉の外にも人が溢れている。それほどの多くの人々が見つめる先で、大神殿の奥へと通じる扉から灰色のローブをまとった人物が現れる。緩くパーマのかかったような灰色の髪を後ろで軽く束ねた、大人しそうな面差しの男性だ。眼鏡こそ掛けていないが、るうかはその青みがかった瞳を見てすぐに彼が誰であるかを思い出していた。
春国大学文学部助教、浅海柚橘葉。またの名を鼠色の大神官。この大神殿の神官達の頂点に立っているその人物が、ゆっくりとした足取りで演壇へと向かっていく。その後ろから白銀のフードを目深に被った輝名が柚橘葉を見張るような鋭い視線を向けながら歩いてきて、彼の斜め後ろに控えた。柚橘葉が口を開く。
「皆さん、ようこそおいでくださいました。皆さんもご存知のように、先だっての痛ましい事件を乗り越えた我々に昨日更なる苦難が訪れました。しかし危機は去り、こうして本日の式典を迎えることができたことをまずは我々の大いなる神に感謝いたしましょう」
滑らかに語られる文句はるうかの耳にすら心地良いと感じられた。さすがに大学で教鞭をとっているだけのことはあるということなのか、柚橘葉の演説には流れるようなリズムと抑揚が具わっている。
「それでは皆さん、本日この日までに我々この世界に生きる者を癒すため、その癒し手を守るためにその身を捧げた勇敢なる英霊のために祈りましょう。彼ら彼女らに安らかな眠りと神の慈愛が注がれますよう。そして彼ら彼女らの遺志が我々を守ってくださいますよう」
群衆が柚橘葉の言葉に答えて一斉に祈りの言葉を口にする。
「眠りが幸福となり、選ばれた世界に祝福を与える魂が救われますよう」
「神の御心にそぐう稀なる御霊に救済の御手がくだされますよう」
「我々の住まう世界に降る悲しみを癒す神の御使いに、役目の終わりが来たことが知らされますよう」
長く続く祈りの言葉の初めは不揃いだった。それがやがて調和のときを迎え、全ての人々の声が一塊になって大聖堂を満たしていく。るうかはそれを聞きながら周囲の様子に目を光らせていた。この一体感の中に紛れ込んだ不審なものはないか。勇者として研ぎ澄ましてきた感覚を用いて感じ取っていく。今のところ不審な動きはないようだ。
祈りの言葉が終わっても、柚橘葉は演壇から降りなかった。どうやら儀式はまだ続くらしい。その柚橘葉が一瞬、るうかの方に視線を向けた。
びくり、とるうかの身体が震える。何かが起こると直感で悟ったるうかだったが、そこから動くことはできない。まさか柚橘葉自らがここで何か事を起こすつもりなのだろうか。しかしそれは彼の背後に立つ輝名が許さないだろう。彼は“二世”として“一世”の越権行為を止める権限を持っている。“一世”は直接人間を殺すことができないというルールがある以上、柚橘葉がここでできることは限られている。
彼は一体何をしようというのか。
「皆さん、私の話をよく聞いてください」
柚橘葉はそう言って静かに、あくまで静かに語り始めた。
「昨日のことです。このアッシュナークにおけるもうひとつの聖地である英雄記念館において、とても痛ましい事件が起きました。そこは皆さんもよくご存知の通り、我々の教義とは異なる手段を以て人々を癒してきた治癒術師、そして賢者達が石の姿となって安らかに眠る場所です。そこに悪魔が降り立ちました」
ざわめく群衆を抑えるように両手を伸ばし、柚橘葉は続ける。
「我々はその咎人を知っています。皆さんも名前を耳にしたことはあるでしょう。黄の魔王・サワネ。ウォム・ボランの地下塔に本拠地を構える鈍色の大魔王の弟子にして凶悪な破壊を好むまさしく魔王たる青年です。彼が石となった英霊達の術を解いたことにより、眠っていた彼らは人間の敵となってしまったのです。そうして魔王は自らその英霊達を惨殺したのです。皆さん、この所業を一体どのように思われますか? 人間として、許されることだと思いますか?」
るうかは身体を震わせながら柚橘葉を凝視していた。彼の背後で輝名がわずかに顔をしかめている。柚橘葉は何も嘘をついておらず、そして何も間違ったことを言ってはいなかった。彼自身は答えを出すことなく、ただ群衆に向かって問い掛けたのだ。
大魔王の弟子である佐羽の自作自演の英雄行為をどう思うか。それは至極当然の問い掛けであり、るうかですらそれが許されるはずはないと認識している。しかし一方でるうかは彼がどれだけの苦しみを抱えてそれをしでかしたのかも自分の目で見て知っている。彼は最後までためらっていた。阿也乃がるうかの頭に拳銃を突きつけなければ、あるいは彼は彼女に逆らうことができたのかもしれない。
佐羽は昨日の事件の折、るうかに「自分を殺してくれるか」と尋ねた。るうかはその要求を跳ね付け、それならば仕方ないと彼は自らが“天敵”へと変えた治癒術師達をその絶大な破壊の魔法で屠っていったのだ。死を選べなかった代わりに、せめて自分のしでかしたことの始末をつけようと泣きながら戦ったのだ。それを知るるうかには彼を単純に責めることなどできない。
しかし大神殿に集まっている群衆は違った。それも当然のことだ。アッシュナークの都には石となった治癒術師達の家族なども住んでいるのかもしれない。英雄記念館に眠る家族の近くで暮らしたいと思う者もいたことだろう。そして彼らは昨日現実に“天敵”の恐怖に晒され、無事でこそあったものの不安な夜を過ごしたに違いないのだ。
ざわめきと共に群衆の怒りが膨らんでいくのが目に見えるようだった。るうかは視線を巡らせて、同じく大神殿の警備に当たっている佐羽の姿を捜す。そのタイミングを見計らったように再び柚橘葉が口を開いた。
「咎人は黄の魔王1人ではありません。彼と行動を共にする赤の勇者・ルウカも彼に従い、英霊たる人々を惨殺したのです。勇者として人々を守る役割にありながら、魔王の悪行を止めることもせず、人間の敵となった憐れな英霊達に欠片の慈悲もなく刃を振るった。そのような彼女を果たして勇者と呼んでよいものでしょうか?」
ぐるり。群衆が一斉にるうかを見た。るうかにはそのように感じられた。柚橘葉はあくまで静かな口調で、冷静な顔でるうか達を追い詰めるための言葉を口にする。
「裁くことは神の仕事ではありません。神は人間を見守り、英霊を救う存在です。人を裁き、人を救うのは人の務めなのです。皆さん、彼らを裁くのは貴方方なのです」
おおおおお、と大神殿の建物を揺らすような怒号が辺りに響き渡った。
執筆日2014/04/22




