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それから2人は車に戻り、自動販売機で買った缶ジュースをそれぞれ開けて一休みした。るうかはブラックコーヒー、頼成はミルクティーである。いちごミルクはないですね、とるうかが言うと頼成は少しだけ不満そうな顔をしながら頷いた。とはいえ、この辺りで缶入りのいちごミルクは見たことがないので仕方がない。
昼も近いということで頼成がどこかで食事をしないかと提案した。るうかも賛成し、山道を下って町へと戻ることにする。日河岸市方面へと向かう県道沿いには最近できたばかりの大きなショッピングモールがあり、たくさんの店が入っていた。そこへ行こうと頼成は言う。るうかにも異存はない。
「そういえば、私、日河岸市を出たのって初めてです」
「そうなの?」
ショッピングモールへと車を走らせる頼成がるうかの言葉に驚いた様子で聞き返す。るうかは頷き、これまでの二度の修学旅行を風邪で欠席する羽目になってしまったというエピソードを話して聞かせた。頼成は「そりゃあ勿体ねぇことをしたな」と顔をしかめて肩をすくめる。
「でもまだあるだろ、高校のが。俺は行ってないからどんなもんか分からねぇが」
「え、行ってないんですか? 風邪ですか?」
「ゆきさんから止められた。なんでも……夢で向こうの世界と繋がることができるのは日河岸市の中だけなんだそうだ」
え、と思わずるうかは頼成の横顔を凝視した。そのような話はこれまで聞いたことがなかった。
「どういう、意味ですか? 旅行先だと夢を見ても向こうの世界には行けないんですか」
「らしい。だから俺も佐羽も泊まりがけで遠出したことはない。向こうの世界が俺らの勝負の場だからな。1日くらい休ませてもらいてぇもんだが、まぁそうも言ってられなかった」
「日河岸市だけが、夢の中で向こうの世界と繋がるんですか」
「妙な話だよな」
どうやら頼成としてもこの辺りの事情はよく呑み込めていないらしい。るうかにしてみればどういうことなのかまるで理解できない。まさか市の境界に何か細工でもしてあるわけではないだろうに。しかもこの広い世界の小さな国の、そのまたひとつの県の中にある日河岸市という街だけが特別だというのか。
「一体どういうことなんでしょうか……?」
「さてな。“一世”も“二世”もその辺の仕組みについては口を閉ざしてやがる。湖澄達は知っているんだろうが、それをただの人間に教えるのはルール違反になるのかもな。大体……そもそも誰がこんな妙なことを始めたんだか」
頼成の言葉が指しているのは“一世”同士がそれぞれのフィールドとした世界を盤面としてその駒、つまり人間の数を競うゲームのことだろう。駒は両方の世界に存在しながら、どちらの世界に所属したいかを決めることができる。たとえばるうかの級友である祝は元々向こうの世界の出身だが、自らこちらの世界を選んだ。一度選択した世界を変えることはできず、その駒はもうそのフィールドで生きることしかできない。そうしてゲームが終わるとき、どちらの世界がより多くの駒に選ばれたかで勝敗が決することになる。
「……この世界のゲームの盤面は日河岸市というひとつの街だけ、っていうことなんですね」
るうかが確認するように言うと、頼成は前を見たまま頷いた。前方の信号が黄色から赤に変わり、彼はギアを落として車を停める。
「向こうの世界と比べりゃ随分狭いが、人口はそう変わらねぇのかもしれない。だが、だとしたらたとえばこの町とか、この世界にある他の場所は一体何なんだろうな。盤面にならない世界は“一世”達にとっちゃ何の意味もねぇのか、それとも……また別の解釈でもあるのか。分かんねぇとこだ」
信 号が青に変わり、頼成はするりと車を発進させる。目指すショッピングモールの空色をした建物が左手に見えてきて、るうかは駐車場の入り口を捜した。建物の端に設けられた立体駐車場に車を停める際にも頼成は危なげなく、そして綺麗に一度でバックによる駐車を決める。どうやら運転そのものには慣れているらしい。
「この車、頼成さんのなんですか?」
まさかと思いつつも尋ねたるうかに、頼成は少しだけ顔をしかめながら「いや」と答える。
「浅海柚橘葉がな。足がないと不便だろうからって……まぁ、これも見返りってやつだよ」
「……」
「軽蔑した?」
「いいえ、納得しただけです。見返りならそのまま頼成さんのものになるんですか?」
「それはちょっと、俺としては御免こうむりたいところだな。自分の車くらい自分で稼いで持ちたい」
「そういうものですか」
「俺はね。佐羽はゆきさんの車を好きに乗り回してるが」
そんなことを話しながら、2人はショッピングモールの中へと入る。駐車場から続くフロアには洋服や雑貨を売る店が並んでいた。その辺りは後でゆっくりぶらぶらすることにして、ひとまずは昼食をとるために1階へと降りる。洋食和食、中華にファストフードと様々な飲食店が軒を連ねる中、頼成が選んだのは和食がメインの定食屋だった。ボックスタイプのテーブルに案内されてメニューを渡されたるうかはそこに挿まれていた1枚の別メニュー表を見て納得する。
そこには“食後におすすめ! 季節の果物を使ったデザート各種取り揃えております”という文句と共に夏の果物をふんだんに使ったケーキやパフェ、そしてあんみつやぜんざいなどの写真が色鮮やかに並べられている。その中には頼成の好きな苺とクリームを使ったものも多くあった。メニュー表の下には小さく“期間限定”と記されており、今日はその最終日でもあったのだった。
「頼成さん、デザートが目的ですね」
るうかの指摘に、向かいに座った頼成は一瞬だけ顔を上げて口元を微妙な角度で持ち上げる。どうやらはにかんでいるようだ。そういえば以前彼はこの手の情報がたくさん載っていそうな旅行雑誌を買っていたのだったか。ここもそれで見付けた店なのかもしれない。
「いや、飯自体美味いって評判なんだぞ、ここ」
「別にいいじゃないですか、デザート目的でも。あ、私これにします」
「きのこ雑炊ね……美味そうだな。が、俺はもうちょっと腹に溜まるものを食う」
「どうぞ、ゆっくり選んでください」
和をイメージしているだろう店内は淡い色の木材を活かした柱や格子状の障子で仕切られ、和紙を用いた照明がさらに落ち着いた雰囲気を醸し出しており、ゆったりとくつろげるように造られていた。元々あまり客の回転率を上げることを目的としてはいないのだろう。その分メニューひとつひとつの単価は高めで、なおかつ季節の食材や各地の特産品の取り寄せなどを謳って付加価値をつけている。るうかはそんな店内の様子やメニュー表をのんびりと眺めながら頼成の注文が決まるのを待っていた。その時間すら、彼女にとってはとても幸せだった。
結局地域特産の豚肉をたっぷり使った豚丼と苺パフェを平らげた頼成はご機嫌だった。るうかも優しい味わいながらもきのこならではの出汁の滋味を存分に活かした雑炊に大いに満足して店を出た。腹ごしらえも済んだことだし、と2人はショッピングモールを見て回る。何か買いたいものとかあるか? と頼成が尋ねて、るうかは一度考えた後で小さな声で「クッション」と答える。
「小さめの……持ち運べるようなクッションが欲しいなって、思っていたんです」
「なら寝具・インテリアコーナー……なんでクッション?」
「ええと、それは……」
口ごもるるうかだったが、やがて正直に告白した。
「頼成さんの部屋に。あ、あのいつものアパートの方です。そこに落石さんが持ってきたっていうクッションがありますよね。あれが何となく、うらやましかったんです」
「うらやましいって」
「頼成さんの家に落石さんの居場所がある、みたいで」
言いながらるうかはひとりで赤くなっていた。と思って頼成を見上げたところ、彼もるうかに負けない程度には頬を赤らめていた。そんな彼は、しかしどこか納得のいかない様子で言う。
「……だったらどうして持ち運び可能サイズをご所望なんでしょうかね?」
「え。今度頼成さんの家に行く機会があったら持っていきたいなと思ったんですけれど」
「だったら最初から俺の部屋に置いておけばいいんじゃねぇの、それこそ佐羽みたいに。むしろあいつのをどっかにやってもいいくらいだ」
むん、と口先を尖らせて頼成は言い募る。
「今はその、あれだけど。俺の部屋にあんたの居場所なんていつだってあるに決まってるでしょうよ。もし気に入ったクッションがあって、あんたが自分の家でもそれを使いたいっていうんだったら2つ買えばいい。で、ひとつはあんたが持って帰ってもうひとつは俺の部屋に置く。それでいいんじゃないですか」
「自分の部屋に自分の趣味じゃないものが置いてあっていいんですか?」
ごく素直にそう尋ねたるうかだったが、それに対する頼成の返事は実に明快だった。
「あんたの趣味のものだったらいくらでも」
「……頼成さんって、そういうところは本当に甘いですね……」
「元々そこまでインテリアにこだわるわけでもねぇしな。佐羽のがよくてあんたのが駄目なんて、そんなわけないでしょうよ。色だって赤でもピンクでも花柄でも別に全然構わないですよ。お好きなものをどうぞ」
そう言って頼成は屈託なく笑う。2人はインテリア関係の売り場を目指して歩きながらさらに雑談を続けていった。
執筆日2014/04/17




