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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第1話 魔女のくれる徴
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「行ったぞ、舞場さん」

 晴天に響いたよく通る声はとても冷静だった。そして声に従って構えを取る少女にもまた動揺した様子は微塵もない。彼女に迫りゆくのはちょうど人間と同じ程度の大きさをした不格好な肉の塊だった。

 長い茶色の髪に赤色をした鳥の羽根を差し、赤い衣装をまとった少女はさらに赤い二振りの短剣・カタールを手に肉塊の化け物を迎えうつ。彼女の目には化け物の弱点となる部分がはっきりと見えていた。化け物の肉色をした胴体、そのちょうど人間でいえばへそのある辺りに、どういうわけか白っぽい耳がひとつだけ生えている。付け加えて言うならば左耳だ。形の良い綺麗な耳だ。おまけに銀細工のハートをあしらった可愛らしいピアスまでついている。可愛いな、と少女は思わず呟きながらその耳を目掛けて右手のカタールを拳ごとそこに突き入れた。

 ばあん、という派手な音と共に化け物の身体が内側から弾けるようにして四散する。その内部に溜め込まれていた血と肉片が雨のように少女へと降りかかり、それでも彼女はその場で静かに目を閉じていた。

「お疲れ様、大丈夫?」

 近くで様子を見ていた亜麻色の髪の青年が少女に近付き、彼自身の手が汚れるのも厭わずに彼女の顔についた肉片を拭う。大丈夫です、と少女は頷いたが、次にぐっと顔をしかめた。

「るうかちゃん? 痛い? どこか怪我をしたの?」

 少女の名前を呼び、亜麻色の髪の青年こと落石佐羽は心配そうにその顔を覗き込む。そしてすぐにもう1人の仲間の名を呼んだ。

湖澄(こずみ)!」

 呼ばれてすぐに、先程の冷静な声の主である青年が足早に少女へと近付く。彼、清隆湖澄は長く伸ばした銀色の髪を緩やかに波打たせ、黒いコートの裾を翻しながら少女の肩に触れた。

「大丈夫か。怪我はないようだが」

「……大丈夫です」

 そう答えた少女、舞場るうかはしかし自分の身体の不調に気付いていた。もう1ヵ月半程前のことになるだろうか? 今はアッシュナークの大神殿が暫定的に統治している元・虹色の女王の領地における戦いでるうかは左肩に“天敵”の触手の一撃を受けていた。皮膚を、肉を、骨を貫き背中側から胸へと貫通したその傷は駆け付けた湖澄によってすぐに治療され、しばらく違和感はあったもののそれで落ち着いていたのだ。どんな重傷であっても治癒術はたちどころに治してしまう。湖澄のように聖者と呼ばれる者はさらに特別で、治癒術の副作用である対象の細胞異形化を引き起こすことなく安全に、そして完全にその魔法をコントロールすることができるのだ。おかげでるうかの傷も最早痕すら残っていない。

 だというのに、半月程前からその傷が時々ずきりと痛むようになっていた。それほど強い痛みというわけではない。初めにその傷を受けた時と比べれば全く気にならない程度で、しかし傷ひとつ残っていないにしては不自然な痛みなのである。そして今日に限ってはその痛みがなかなか治まらない。ずきん、ずきんとるうかの鼓動に合わせて脈打つように左肩の奥深くから痛みが伝わってくる。ついにるうかはその場にうずくまった。

「舞場さん」

 湖澄が心配そうに、しかし誤魔化しは許さないという強い語調でるうかの名を呼ぶ。るうかの友人・静稀(しずき)の兄でもある彼は未だに彼女を“舞場さん”という向こうの世界での呼び方で呼び通していた。それはきっと、彼なりのこだわりなのだろう。るうかは痛む肩を押さえ、湖澄に対して正直にその症状について伝えた。

「少し前から、この間の左肩の傷が痛むようになっているんです。なんだかこう、奥の方がずきずきと、熱を持ったような感じで」

「……」

 湖澄は眉ひとつ動かすことなく聞いていたが、少ししてから「そうか」と頷いた。

「他に何か気になる症状はあるか? どんな小さな変化でもいい。あれば教えてくれ」

「他に……」

 そう言われて改めて考えてみると、るうかにはもうひとつだけ思い当たることがあった。

「最近、朝起きた時……あ、こっちの世界でです。こっちの世界で朝起きた時にすごく身体が怠いことがあるんです。疲れているのとはちょっと違うような……なんだか身体中の骨とか関節とかがむず痒いような、そんな感じで」

「それは左肩の痛みが出てきたのと同じくらいの時期からか?」

「そうですね。同じ頃からです。毎朝っていうわけでもないんですけど」

「ちょっと、湖澄」

 横で心配そうに成り行きを見守っていた佐羽が耐えきれなくなった様子で口を開く。

「どういうこと? 何か分かるの? 傷の回復が不完全だったとか? まさか、中で化膿しているとか……そういうことはないよね?」

「それは大丈夫だ。もしそうなら舞場さんはもっと体力を奪われているだろうし、患部だけでなく全身的に熱発が生じるだろう。傷の治りそのものには問題ない」

「……んー……だったら、どうして」

「佐羽、ひとまず宿に戻るぞ。舞場さんには何より休息が必要だ」

 湖澄はそう言うとるうかの右腕をそっと掴んで彼女を立ち上がらせた。瞬間、るうかは目の前がぐるりと回転するような眩暈に襲われる。傾いたるうかの身体を湖澄と佐羽が一緒になって支えた。

「ちょっと、るうかちゃん!? 大丈夫!?」

「舞場さん、歩けるか? 吐き気はあるか」

「あ……う……」

 るうかは何か言わなければと思うが、うまく言葉が出てこない。左肩の痛みは心なしか強くなっているようだ。しかもそれはこれまでるうかの鼓動と同じペースで痛みを刻んでいたというのに、今はどういうわけかそれとは全く異なるリズムで好き勝手に蠢いているような感覚である。ず、ずん、ずきずき、ずん、ずず、ずんずん。そして時折ずるり、と肩の筋肉の中で何かが動く感触があった。

「ん……んっ」

 怖気に耐えきれず、るうかは呻く。いつしかその身体は湖澄によって抱え上げられ、しっかりと固定されていた。佐羽が彼女を守るようにその脇に立つ。

「湖澄、早くるうかちゃんを宿に!」

「ああ、分かっている。舞場さん、あと少し我慢してくれ」

 そう言うと湖澄は転移魔法を使ってその場から一瞬で宿の部屋へと飛んだ。距離にしておよそ200メートル程度と、ごく近い範囲での移動である。本来ならば転移術を使うまでもないところだが、るうかの状態を見ればその程度の距離の移動ですら負担になると考えられたのだろう。湖澄に躊躇はない。

 そして彼はそのままるうかの身体を彼女が一昨日から使っているベッドに横たえた。あ、とるうかは薄く目を開いて声を出す。

「このまま、じゃ……ベッドが汚れて」

「気にしなくていい。洗濯代なり弁償なり、そんなものは後でどうとでもなるさ」

 返り血と肉片で汚れたままの自身の格好を気にしてのるうかの発言に、湖澄は優しくそう返した。佐羽はそんな2人を少し離れたところから見つつ、何やらもごもごと悪態をついている。

「まったく、こんな時にあの馬鹿は一体どこで何をやっているのやら。るうかちゃんが辛い時くらい察して顔を出せないの? そんなこともできないくせによく彼氏だなんて言っていられるよね。ほんっと馬鹿なんだから!」

 徐々に大声になっていく悪態は当然、るうかの耳にも入っていた。それを聞いたるうかは具合が悪いながらも思わず苦笑する。佐羽が言っているのは彼の幼馴染みにして親友、あるいは悪友である槍昔頼成のことだ。るうかは今年の夏前から彼と交際していた。とは言っても大して恋人らしいことというのもしていない。たまに近場に買い物に出掛けたり、頼成が向こうの世界で独り暮らしをしている部屋に上がらせてもらって他愛もないおしゃべりをしたり。何度か部屋に泊まったこともあったが、頼成は結局一度たりともるうかに手出しをしようとはしなかった。それでお互いに充分だった。

 2人の関係が少しだけ変わったのは、夏休み前に起きたある事件が切っ掛けだった。頼成が何者かに誘拐された、というところから始まったその事件の末にるうかは向こうの世界でもその身を狙われ、それを脅威と感じた頼成はるうか達を裏切って自分を誘拐した相手……鼠色の大神官こと浅海柚橘葉(ゆきは)に協力することにしたのだった。元々彼らは、そしてるうかは柚橘葉と相対する鈍色の大魔王こと柚木阿也乃の支配下にあるようなものだった。そこから鞍替えをしたのだから、頼成はもう彼女達と共にいることはできなくなっていた。こちらの世界でも、あちらの世界でもである。

 佐羽はそんな頼成のことを信じて待つつもりでいた。彼が裏切った理由がるうかの安全を確保することにあるのならば、局面が変わってその必要がなくなればいずれ彼は帰ってくるだろう。それが佐羽の言い分だった。しかしるうかは結局我慢できずに頼成を捜し、彼との連絡手段を手に入れた。ちなみにそのことは佐羽達には伝えていない。ただ、るうかが大人しくなったことで佐羽達も何かを悟ってはいるだろう。

 現状はそんなところだった。

 そして佐羽を憤慨させている頼成の所業というのはもうひとつあった。それはこの2ヶ月程度の間にこの世界のあちらこちらで目撃されている黒い蝶である。本来ならば治癒術とそれに関わる魔法の作用によってしか発生しないはずの“天敵”を発生させる“変異原”。黒い蝶の翅の鱗粉にはその“変異原”としての作用がある。変異原は人間の細胞に作用してその遺伝子を壊し、やがて“天敵”になる異形細胞へと変化させる効力を持っているのだ。何を隠そう、その変異原の鱗粉と黒い蝶の開発に大きな役割を果たしたのが頼成らしいのである。彼は向こうの世界では近隣有数の難関校である春国大学の薬学部に通っており、化学・生物学共に精通している。鼠色の大神官はその大学で助教という立場にあるものの、専門は文系だ。よって頼成の持つ知識は彼らにとって非常に有用だったのだろう。

 黒い蝶による人間の“天敵”化はそうすぐに起こるものではない。変異原の鱗粉によってもたらされた細胞の異形化、その異形細胞が徐々に周囲の細胞を侵食して自分と同じ遺伝子を持つ異形細胞へと変えていく。それが全身に広がった時、その人間は“天敵”となる。

 ならばその途中の状態、つまりまだ異形細胞が局所に留まっているときに手段を講じれば助かる道はあった。それが湖澄や頼成の持つ“聖者の血”である。元々治癒術を扱う賢者だった彼らは、治癒術を使う度に相手の細胞を異形化させる代わりに自分の身にそれを背負い、なおかつ異形化した細胞を石に変えるという呪いを敢えてその身に受けていた。そして全身が石となった彼らを救ったのが、るうかのような勇者が持つこれまた特殊な血液だったのである。勇者の血によって石化を解かれた彼らの血液には“天敵”の細胞を死滅させて元の体細胞の増殖を促進するという効果があった。湖澄はそれと治癒術とを組み合わせた“天敵”化の特効薬を作り、黒い蝶の目撃された地域を回っては治療に当たっているのだった。

それでも今回のように“天敵”と遭遇することはある。どうやらこの町では1ヵ月程前に黒い蝶の大群が町を覆い尽くす程に出現したらしく、その結果として完全に“天敵”と化してしまった住人がいたようだった。

 るうかはベッドの上で目を閉じ、先程自らの手で葬った“天敵”のことを思う。あのピアスからしてきっとまだ若い女性だったのだろう。これから先の人生に色々な可能性があっただろうに、それをこのような形で絶たれることになり、彼女は一体どんな思いでいたのだろうか。それを考えると胸が痛む。

 やがてるうかの意識は吸い込まれるようにして闇に落ちていった。

執筆日2014/03/20

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