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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第4話 強く脆弱な駒
16/42

3

 破砕音。

 連続したそれと共に英雄記念館の天井が崩れ落ちる。佐羽の放った渾身の破壊魔法は頑強な石造りの建物を易々と打ち破り、薄暗かったそこに天からの光を降り注がせる。崩落に巻き込まれて潰れた肉塊の化け物から流れ出た血の色もまた、光に照らされて鮮やかにぬめった。しかし“天敵”はその程度では死なない。

 彼らを倒す唯一の方法は、その身体のどこかにあるかつて人間だった部分、“弱点”を打ち砕くことだ。生まれたての未熟な“天敵”であればそれが己の急所であることも知らず、隠すことや守ることをしないために倒すことは比較的易しい。しかし人間を捕食して、あるいは共食いによって成長した個体には身体の成長に見合っただけの知性も具わっている。そうなると彼らは巧妙に自分の弱点を隠し、守り、その上でさらに人間を食らおうと襲いかかってくるのだ。

 佐羽がさらに連続して破壊魔法を放つ。その合間に建物の奥から湧き出してくる“天敵”に向かってるうかと侑衣(ゆい)、2人の勇者が駆け出す。勇者の能力はその身体的な力そのものだ。打撃、瞬発力、動体視力。およそ戦闘に役立つと考えられる全ての身体能力が飛躍的に向上している彼女達にとって、基本的に動きの遅い“天敵”に肉薄することそのものはたやすい。しかし知恵をつけた彼らの弱点を探しながらその攻撃をかわし、さらに見付けた弱点を破壊するとなると単に身体能力の高さだけでどうにかなるほど簡単なことではなくなる。

 そこで重要になってくるのは連携だ。湖澄(こずみ)はるうか達の少し後ろに控えながらいくつかの強化魔法を彼女達に与える。佐羽は相変わらず牽制のための破壊魔法を放ち続ける。すでに豪奢な建物はただの廃墟だ。こうなってはもう都中にこの異常な事態が知れ渡っていることだろう。それはそれで好都合でもある。

 るうか達はここにいない輝名(かぐな)にひとつの希望を託していた。いつもいつも察しのいい彼のことだ。佐羽をこの都に呼んだ時点である程度こうなる可能性も考えに入れていたに違いない。湖澄がそう言いながらるうか達を励ます。

「あいつならきっと都の住民を避難させ、最善の方法を取るだろう」

「そうですね」

 侑衣が湖澄に答えて微かに笑った。

「カグナ様の双子の兄弟であるあなたがそう言うのなら間違いないでしょう」

「俺のことを知っていたのか」

「カグナ様から聞いています。あの方の腕を斬り、命を救った恩人だと」

「……恩人?」

 湖澄の声が揺らぐ。その間にも侑衣は迫ってきた“天敵”の1体に狙いを絞ってその弱点である一房の髪、その根元を大剣で打ち砕いた。暗赤色と朱色の混じった血と肉片が盛大に周囲を汚し、それでも侑衣は前を向いて次の獲物を探す。その瞳に迷いはない。

「恩人か。俺はそんな大層なものじゃない。ただ輝名を“天敵”にして、それをそのまま見ていることに耐えられなかったんだ。あいつにはこんな死に方をさせたくなかった」

「……君も意外とエゴイストだねぇ」

 一番後ろに陣取る佐羽がそう言ってくすくすと笑った。力ない彼の声はるうか達の不安を煽るが、彼の放つ魔法の威力はまだ衰えてはいない。彼はたとえ惰性で放つ魔法でも、その一撃で頑強な建物を破壊する程度の能力を持っている。故に彼は破壊の魔王の名をほしいままにしているのだ。そんな彼の言葉を聞いた湖澄は小さく頷いた。

「誰しも、自分の手で守れるものの数など限られている。それでもそれ以上を救いたいと足掻くことで、少しでもその可能性を広げられるなら」

 意味はある。3年前、その身を石に変えながらも阿也乃の配下である緑によって救われた彼はしばらくの間この前線から退いて隠遁していた。彼が身を寄せていたネグノスの里は、治癒術による病の平癒を拒んでただその苦痛を取り去ってもらいながら残された時間を穏やかに過ごす人々がひっそりと暮らす場所だった。湖澄はそこで、生命を助けることばかりが相手にとっての救いではないと知ったようだ。それは賢者として治癒術を行使してきた彼にとっては簡単には認められない事実であり、それでいて人間として当然の望みでもあると彼自身もよく分かっていたことだったのだろう。

 運命づけられた死が自然な時間の流れでもたらされるなら、それに抗うことは必ず苦痛を伴う。薬には副次的な作用があり、治癒術には犠牲が付きまとう。どのような道を選ぶかはその人間それぞれがじっくりと考えて判断することだ。その結果として治癒術を拒むことを選ぶ者がいることも道理だ。

 しかしそれでも。それでも湖澄は願うのだろう。

 自分の手で守れるものがあるのなら、あらん限りの力でそれを全うしようと。人が人を救うなど烏滸がましいことなのかもしれないが、それでも自分の信念のためにそうしようと。

 るうかも同じ思いだった。たとえ元は人間であった、しかも今回に限って言えば他者のためにその身を費やした治癒術師や賢者が変化した“天敵”であるとしても、彼らはすでに人間の敵である。無惨に散らされた彼らの信念のためにも、るうかはこの都の人々を守らなければならない。一度は“天敵”となりながらも何の因果か勇者として蘇った彼女にできることはそれだけだった。

 るうかの隣で大剣を振り下ろした侑衣が一瞬だけ彼女を見て、そして小さく頷いて言葉をかけてくれる。

「大丈夫だ。るうか、君は以前よりとても強くなっている。私達はこの都を守ることができる」

「……はい」

 たとえそれが鈍色の大魔王による自作自演のふざけた英雄譚となるよう仕向けられたものでも、それは戦わない理由にはならない。助けられる生命を助ける。救うことのできない“天敵”を殺す。るうか達にできることはそれしかないのだ。

 崩れた建物の奥から、そして落ちた天井の下から這い出てくる“天敵”の数は30体を超える程度だろうか。数も多いがそれぞれの個体がすでに共食いを行ってそれなりの大きさに成長している。強敵だ、とるうかは思わず身を震わせる。それでも両手に握りしめたカタールの先はぴたりと“天敵”達に向いてぶれない。戦える、とるうかは自分に言い聞かせた。

 実際、るうか達の戦いぶりは見事であると言えた。戦闘に慣れた侑衣を筆頭に、破壊が専門と言っても過言ではない佐羽、そして“二世”であり絶大な魔力と剣の腕を併せ持つ湖澄がそれぞれ全力を賭して立ち向かっているのだ。るうかも以前と比べれば大分経験を積み重ねてきており、たとえ強力な“天敵”が相手でもそう簡単には引けを取らない。初めは30体以上いた“天敵”も今はその数を半分ほどにまで減らしている。

 しかし、それは喜ぶべきことだけではなかった。るうか達を強敵と見なした“天敵”達が互いに更なる共食いを始めていたのである。種としての“天敵”という存在を守るために同胞を食らってまで己を強化する。あるいは己の身を差し出してでも種の存続のためにその犠牲となることを選ぶ。まったく動物的な思考を以て彼らは着実にその力を増していた。るうかにもよく分かる。それは生物としての彼らの本能なのだ。

 理性・道徳・倫理。生命の危機を、種の存続の危機を前にしてそれらを捨て去ることのできる彼らは間違いなく人間よりも強靭な生存能力を持っているのだろう。人間は思考する。自分の生命と社会の常識を天秤に掛けることすらする。生命よりも大切なもの、種の存続よりも重要なものがあると、ほとんど無意識のうちに思い込んでいる。

 たとえばそれは、抗いがたい程に胸の奥底から湧き上がってくる信念だ。るうかのその手で救えるものがどれだけあるかは分からない。その行為に果たして意味があるのかどうかすら、阿也乃の手の上では分かりもしない。しかしそれでも、ただ生きるために向かってくる憐れで純粋な生物を前に容赦などしていられないのである。

 ぐちっ、ぶちっ、と音を立てて“天敵”の肉にカタールを突き入れその動きを封じながら弱点を探す。そこは彼らがかつて人間であった部分の名残だ。皮肉なことに、“天敵”はその人間の細胞がないと生存できないのだという。異形化した細胞には自動的な増殖・分化のシステムが具わっていないらしい。“天敵”の全身の細胞に増殖の命令を出しているのは、わずかに残された人間の細胞なのだ。故にそれを破壊すれば“天敵”の身体を構成する細胞は増殖できず、自壊する。細胞に運命づけられた死が彼らを内から破壊するのだ。

 るうかはキラリと輝く金色の時計にカタールを突き立てた。勇者の怪力は精密に作られた文字盤を滅茶苦茶に破壊してその裏蓋を易々と貫き、そこにほんの少しだけこびりついていた人間の細胞を完全に潰し壊す。ぐぐっ、と一瞬“天敵”の身体全体が収縮し、それから大きな音を立てて破裂した。赤が散る。

 るうかはすぐに次の敵を探して視線を巡らせた。無惨に破壊された英雄記念館の跡地に血と光とが降り注ぎ、そこにぐもぐもと動く肉塊達がさまよっている。そのうちの1体が突然思い付いたように記念館の敷地の外へと向かって移動し始めた。気付いたるうかはすぐさまその後を追う。あれを街に出してはならない。

 ところがその1体が動き出したのを皮切りに、残っていた“天敵”の約半数に当たる8体がその後を、つまりるうかに向かって動き出した。るうかの先を行っていた“天敵”が振り返る。挟まれた、とるうかの心中に焦りが生まれる。彼らはすでにそれだけの戦略を練るだけの知恵を身につけていたのか。

「るうか、援護する!」

 侑衣の声が響き、“天敵”達が一瞬彼女の方に気を取られる。その間にるうかは前へと走り、敷地の外へ出ようとしていた1体を葬った。背後では侑衣がるうかを追っていた8体のうちの2体を瞬く間に打ち倒す。

「侑衣先輩、ありがとうございます!」

「奴ら、どんどん強くなっている。奥はサワネとコズミに任せて、私達はこれらを確実に仕留めよう」

「はい」

 るうかはできるだけ頼もしく聞こえるように念じながら頷いた。彼女の脳裏に、先日現実の世界で侑衣と交わした会話の断片が蘇る。「私の身に何かがあったときにこの手紙を有磯さんに届けてほしい」と言ってるうかに封筒を託した彼女はその後でこうも言っていた。


「君も勇者だからね。知っておいた方がいいことがある。でも、今それを知れば君はきっと」


 あれは一体どういう意味だったのだろうか。結局侑衣は最後までその内容を教えてはくれなかった。きっと最期まで教えないつもりなのだろう。そしてその時、るうかは自然とその意味を知るのだろう。何故だかそんな気がした。

 “天敵”が眼前に迫る。るうかは怯える心を感じながらもひとまずその胴体に神速の拳を叩き込んだ。

執筆日2014/04/11

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