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同じ夜の夢は覚めない 4  作者: 雪山ユウグレ
第4話 強く脆弱な駒
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 佐羽は杖を高く掲げ、その姿勢のままるうかを見る。そして彼女と目が合った瞬間にハッと顔色を変えた。佐羽の動きが止まる。

「落石さんっ」

 るうかは止まらず、駆け出した勢いのままに佐羽の杖を彼の手から奪い取った。得物を奪われた佐羽は茫然としたようにるうかを見るが、その口からは微かな笑い声が漏れる。

「ふふっ……びっくりした? 俺が、俺も、君を裏切るんじゃないかって……」

「落石、さん……」

「裏切ったりしないよ。大丈夫だよ。だって俺は初めから……君の味方ではなかったんだから」

 酷薄な言葉がるうかの胸を刺す。るうかは佐羽の杖を握り締めながらじっと彼の目を見た。揺れる鳶色の瞳は焦点を定めずに、その視線はどこか宙をさまよっている。るうかからは彼の思いが見えない。

「俺は黄の魔王。鈍色の大魔王直属の……ゆきさんのために動く駒。道を外れてもう久しいのに、まるで夢を見ていたみたいな気分だ。君を見ていると。君や頼成を見ていると……自分がどういう存在なのかを忘れそうになったよ」

 でもね、と佐羽は囁くように告げた。

「やっぱり俺は魔王なんだ」

「だから何だっていうんですか」

 間髪入れずに言ったるうかの言葉に佐羽が訝しげに顔をしかめ、その隙にるうかはさらに言葉を続ける。

「今更何を言っているんですか。落石さんが魔王であることは嫌っていうくらいに分かっています。あんな光景を見せられたんですよ? 色々な噂だって耳にしています。外道だってことくらい私にだって分かります。私はそんなに馬鹿じゃないです」

 るうかの心臓は早鐘のように鳴っている。今も背後には阿也乃がいるのだ。そしてるうかか佐羽にかける言葉のひとつひとつに聞き耳を立てているに違いないのだ。もしも彼女が佐羽の心を動かすようなことがあれば、いつでも始末できるように。それを牽制しているのは湖澄(こずみ)であり侑衣(ゆい)であるが、果たして彼らであっても阿也乃を止められるのかどうか。それでもるうかは佐羽に対して思いをぶつける。

「私はあなたがどれだけ外道でもいいと思っています」

 は、と佐羽は毒気を抜かれたようにるうかを見る。るうかの背後で衣擦れの音がする。

「いえ、よくはありませんけど。でも、それが落石さんの全てではないと思っています」

「随分甘く見られたものだね、俺も」

「その顔で言っても説得力はありませんよ」

 るうかの告げた言葉に苦笑する佐羽は、もう魔王の表情をしてはいなかった。19歳の青年らしい不器用そうな、しかし少しは世慣れた様子の笑顔が軽やかにるうかの胸をくすぐる。そう、るうかの知っている佐羽の本当の笑顔はいつもこのような感じだった。

「敵わない。本当に敵わない……大好きだよ、るうかちゃん。ああ、勿論頼成を敵に回す気もないから手を出したりはしないけど、でも、君が好きなこの気持ちは本当なんだ。だから」

 だから、と繰り返して佐羽はゆらりと左手を掲げた。

「だからね……俺は君の味方じゃいられない。だって、君を失いたくないから」

「……っ」

 るうかも気付いていた。いつの間にか、本当に誰も動けない程の一瞬の間に阿也乃がるうかの真後ろに立って拳銃を彼女の後頭部に突き付けていたのだ。佐羽はそんなるうかを、そして阿也乃を見つめて優しげな鳶色の瞳を悲しそうに曇らせる。

「ゆきさん……お願い。彼女を殺したりしないで」

「ああ、可愛いお前の頼みなら聞いてやらないこともない。正直なところを言えば俺はとっととこの邪魔なメスガキを始末して自分のいいように事を運びたいが、多少難度が高いくらいの方がゲームは面白い。だから佐羽、そこまでるうかが大切なら俺の言う通りにしてみせろ」

「はい」

 佐羽の返事は短かった。その瞬間に湖澄が駆け、佐羽の動きを封じにかかる。しかしそれは一足遅かった。佐羽はまず迫り来る湖澄に向かって一発の衝撃魔法を放つと、彼がそれにひるんでいる隙にるうかの耳には聞こえない呪文を高らかに唱える。

「         、                !」

 佐羽を中心として深い青色をした光の波紋が辺りに広がっていく。それはるうか達を素通りして建物の壁を貫通し、どこまでも広がっていった。やがて、静かだった英雄記念館の奥の部屋からいくつもの異音が生まれてくる。

 ず、ず、と這いずる音。ぐちっ、と何かを踏み潰す音。呻き声にも似た、声にならない音。そして咀嚼音。

 ふふふ、と佐羽が笑う。

「さすがに元々意識の高い治癒術師や賢者が揃っているだけのことはあるね。共食い、している」

「一体、何を」

 侑衣が大剣を手に佐羽を睨みながら尋ねると、佐羽はにっこりと楽しそうに微笑んで彼女を見た。

「英雄達の呪いを解いてあげたんだよ。何しろ俺は魔王、呪いをかけることができるなら解くことだってできる。でも彼らの呪われた身体は本来異形化した細胞を石化することで何とか“天敵”にならずに済んでいたものだからね。さて、問題です。今この記念館の奥では一体何が起こっているでしょうか?」

 佐羽が小首を傾げながら問い掛け、阿也乃がるうかの背後で大声を立てて笑う。大魔王と魔王はこの英雄記念館において考えられる限り最悪のことをしてのけたのだ。つまり、ここで眠っていた全ての英雄……呪いをその身に受けて石化した治癒術師や賢者達の呪いを解くことによって、彼らを“天敵”へと変えたのである。

 奥の部屋から咆哮が響いてくる。大分大きくなっているね、と佐羽が他人事のように言う。ちょっと予想外かな。そう言った佐羽に阿也乃が優しい声で告げる。

「いや、むしろ好都合じゃないか。倒す数が少なくて済む」

「でも手強い敵になっちゃっているから、死人が出てもおかしくないよ。いざとなったら緑さんにも来てもらわないと」

「多少死んだっていいだろう。要は最後にこの都の連中に知らしめてやればいいだけのことだ」

 そう言うと阿也乃は突然どんとるうかの身体を佐羽の方へと突き飛ばした。不意を突かれたるうかはよろめき、その身体を佐羽が優しく抱きとめる。阿也乃が2人を睨んで笑いながら言う。

「さぁ、これからこの場の“天敵”がアッシュナークを地獄に変える。勇者るうか、それに勇者ユイ、聖者湖澄。全ての“天敵”を倒し、都を救ってみせろ。勿論佐羽も存分に力を振るえ。そうしてこの都の連中に思い知らせてやるがいい。この世界には希望があると。どれほどの残酷な事態にも必ずそれを救いに現れる救世主がいるのだと。そう見せつけてやるのさ。英雄はお前達だ」

 るうかは言葉を失って阿也乃を見上げる。彼女を抱く佐羽の腕に力がこもり、るうかは小さく身をよじった。

「そのために、そんなことのために……」

「これはゲームだからな。勝つためにはルールの中でどんな手を使ったっていい。自作自演、大いに結構。どうせゆきも同じようなことを繰り返している」

 駆け引きのないゲームなんてないだろう。そう言って阿也乃はまるで悪びれることなく堂々とその場に君臨する。その間にも奥から聞こえる呻き声と何かが這いずるずるりずるりという音が大きくなっていく。一体今何体の“天敵”がこの建物の中にいるのだろうか。そして生前の意志の欠片から“天敵”を敵と見なして捕食した個体はどれほどいるのだろうか。それによってその個体は一体どれほどの成長を遂げたのだろうか。

 るうか達はこれからその憐れな“天敵”達を倒さなければならない。石化を解かれた英雄は最早英雄などではないのだ。本能のままに人間を食らって生き延びようとする“天敵”となってしまった彼らには最早何の救いもないのだ。

 どうして、とるうかは胸の内で呻く。

 どうしてこの世界はいつもこうなのだろう。何故このような摂理でこの世界は保たれているのだろう。せっかく人の生命を救うことのできる治癒術が発達しているというのに、どうしてそれが“天敵”などという恐ろしいものを生み出してしまうのだろう。

 “天敵”など生まれなければ、人々はるうかの生まれた世界で生きるよりもずっと長く健康で生きていくことができるだろう。そのための術がこの世界にはある。しかしそれが“天敵”を生み出すという背反によって人々は常に無常な死に晒される。恐怖と怯えに負けて治癒術を忌避する者もいる。そして人々はそれでもこの世界で生きている。

 るうか達がここで“天敵”を殲滅すれば、何かが変わるだろうか? 人々は新たな英雄の誕生に喝采を送るだろうか? たとえ“天敵”が現れてもきっと誰かが救ってくれると、そう本気で信じるというのだろうか。阿也乃がそんな舞台を用意したことも知らずに、愚かにもそのようなお伽話を信じてこの世界に希望を抱くというのか。

 るうかには分からなかった。しかし、それでも戦わなければこの都は壊滅する。それだけは確かだった。

「では、健闘を祈る。何、お前達だけで勝てないとなればきちんと緑を送り込むよう手配してあるさ。心配は要らない。お前達はただ“天敵”を倒せばいい。その命を懸けて、血を浴び、肉片を身体にこびりつかせて醜くも尊く脅威に抗え。人間の敵を殲滅しろ。赤色の泥濘にまみれたおぞましい姿を衆目に晒して、自ら献身の血を垂れ流し、正真正銘の英雄としてその姿を都の連中の目に焼き付けてやれ」

 そんな言葉を残して、阿也乃は霞のようにその場から姿を消した。完全に出し抜かれた格好となった湖澄が珍しい程に激情を顕わにして、阿也乃の消えた虚空を睨みつける。その左手に握られた剣が微かに震えていた。

「……佐羽」

 湖澄が低い声で呼ぶ。佐羽はただその声を聞いて、湖澄の背中を見上げた。湖澄は振り返りもせずに吐き捨てるように言う。

「涙を流すくらいなら、どうしてあれに抗おうとしない」

「……え?」

 佐羽の戸惑った声に、るうかは彼の腕の中でその顔を見上げる。そしてその目尻から大粒の涙が音もなく流れ落ちていることに気付いて思わずその顔に手を伸ばした。

「落石、さん。ひどい顔していますよ」

「……そうなの?」

 ぼろぼろと涙を流しながら、魔王は壊れた笑みを顔に浮かべる。それはとても不格好で、歪んでいて、みっともない表情だった。その口からは乾いた笑い声が漏れ落ちる。

「あはは。ははは。もう俺、分かんないよ。なんで、こんな」

「しっかりしてください」

 るうかは佐羽の肩を掴んで彼の目を睨む。この際、彼の罪などどうでもいい。事態を切り抜けるには彼の力は不可欠なのだ。たとえ都合よく動かされただけであっても、全てが阿也乃の思うつぼでも、それをもたらしたのが佐羽による告げ口だとしても、それでも今は彼が必要なのだ。壊れている余裕など与えてはいられない。

「話は後でいくらでも聞きます。あと、思いっきり殴ります。いいですね? だから今は、何もかも忘れていいから戦ってください!」

「るうか、来たよ!」

 侑衣の鋭い声が飛び、建物の奥から大きな体躯を持った肉色の“天敵”が何体も連なるようにしてずるりずるりと這い出してくる。本能で人間を求める彼らが目指すのは建物の外だ。まずはそれを防ぎ、ここでできる限り食い止めなければならない。るうかは佐羽の身体を引き起こし、その矮躯をぎゅうと力いっぱい抱き締めた。

「お願いです、落石さん。悔やむくらいなら耐えてください。無理でも戦って、みんなを守ってください」

 それは決して彼にとって贖罪にはならない。それでもそうするより他に道はない。佐羽は分かっているよと頷いた。涙を流しながらも彼はるうかに向かってふんわりと笑いかける。

「ねぇ、るうかちゃん。もしも失敗しちゃったら、その時は俺を殺してくれる?」

「嫌です」

「分かった。じゃあ……頑張って勝とうか」

 そう言って佐羽はるうかの手から自分の杖を受け取り、構えた。

執筆日2014/04/11

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