21/35
硫黄島決戦 上
話変わって硫黄島、
先の空襲があった翌日二月一九日、
アメリカ軍は硫黄島攻略作戦を開始した。
B29による戦略的爆撃を効率化するため、
中継飛行場を必要とする陸軍と、
沖縄攻略の布石とすることを目論む海軍の、
利害が一致したためである。
指揮官は、ホーランド・スミス中将である。
上陸前には恐ろしい程の猛烈な艦砲射撃、航空爆撃が実施された。
圧倒的な物量に物を言わせ、その激烈さたるや地形を一変させ、
巨大な穴を穿ち、丘を吹き飛ばし、
虫一匹生き残れないとアメリカ兵が思うほどであった。
これに対しての日本軍の指揮官、
栗林中将以下の勇戦奮闘については、
史実が示すとおりである。
当初アメリカ軍が五日で終わる、と目論んでいた硫黄島攻略を
一ヶ月以上に長引かせたことからも、それが伺えるだろう。
史実で栗林中将は、小笠原諸島の父島より硫黄島に司令部を移す時、
「アメリカのために、こんなところで一生涯の夢を閉じるのは残念ですが、一刻も長くここを守り、東京が少しでも長く空襲を受けないように祈っております。」との書簡を本土へ送っている。
ここ硫黄島には、林大佐の長男、林神吉大尉がいた。
千田少将率いる第二混成旅団に所属し、玉名山を守備していた。
感想・評価
辛くても、それが支えになるので、
どうぞよろしくお願い致します。




