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ひなたの庭  作者:
一章『ご都合主義の始まり』
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8.きみみたいにきれいな女の子

 カセットコンロの上には土鍋。

 僕が下ごしらえした、先程の具材が放り込まれており、薄茶色の液体に満たされている。光石さんに借りた醤油を使った、予定通りのちゃんこ鍋だった。 湯気立つ土鍋に向かい合って僕と光石さんはそれを食べている。

「これって何鍋っていうんですか?」

「ちゃんこ鍋いうものだとは思うんだけど」

「けど?」

「ちゃんこっていうのは相撲取りの食事のことを本来言うみたいなんだよね。転じてちゃんこ鍋。だから言ってみれば力士が食べてるような鍋。でも同じ味ばっかりでもないだろうし、だからこれは醤油味の鍋としか呼べないね。僕も寄せ鍋とか水炊きとかイマイチ違いがわからない」

「そうなんですか。ウチはお鍋っていうとコンブで出汁をとって、ポン酢で食べるっていうのでしたから」

「それもなんていうんだろうね」

「そのまんまお鍋って言ってました」


 誘った時にはどうなるものかと思ったものの、僕と光石さんは至極あっさりとこうして卓を囲んでいる。

 会話もこうして非常にどうでもいいものだったけれど、とても自然なもので。

 彼女は朗らかで、孤独の影は見当たらない。

 僕のそれは無駄な気遣いでしかなかったようだけれど、それならそれでいい。

 孤独なんてものを味わう人間は少なければ少ないほどいい。僕だけが味わうのならそれでもいい。


 いつもの僕が食べる分量に少しだけ足されたちゃんこ鍋はすぐに空になった。そして残っただし汁にご飯を足して鍋の締めの雑炊。沸騰したお湯に、冷や飯を温めたもの、さらには溶いたタマゴを落とす。

 ほんの少しの間。

 その中で遠慮がちな「あの」という光石さん。鍋の中を覗いていた僕が顔を上げて光石さんをみると、神妙な顔で僕をまっすぐに見ていた。それが何だか初対面の時と重なる。

「ありがとうございました」

「どういたしまして。ついてだから気にしないでいいよ」

 僕は鍋に顔を戻して言った。まっすぐに見つめる彼女がなんだか恥ずかしい。空回りに大してそんな風にされてしまうと、なんだか照れくさい。

 土鍋の中に落としたタマゴは熱さですぐに凝固し、柔らかくなったごはんと融け合う。ここにネギでも海苔でもあれば彩りはさらに鮮やかになるだろうけど、残念ながら冷蔵庫の中にはそれは無かった。

「そうじゃないんです」

 光石さんの声に再び顔を上げる。その顔はけして、いつもの朗らかなものじゃあなくて、憂いを帯びていた。

「正直に言うと寂しかったんです」

「寂しい」

「はい。私、先日からこうやって一人で暮らすことになったじゃないですか。でもそれを知っているのって先生方を除くと槇村さんぐらいなんですよね」

「えっと……それはどうして?」

「簡単な話です。私みたいな外国人の小娘が一人で暮らしてるなんてこと知っている人は少ないほうがいいじゃないですか」

 自虐なのかジョークなのか判別がつかなく、僕は曖昧に言葉を濁した。

「私だって自分が目立つ外見をしてることぐらいは知ってます。いくら日本人だって言いはっても純日本人じゃないのは事実ですから。髪の色も肌の色も眼の色も、ぜんぶ普通じゃあ無いんです。私自身はそうは思わないんですけど、でも人から見たらきっとそうなんでしょう」

 光石さんに悲壮なものはなく、けれと諦めているわけではなく、『そういうもの』だとあるがまま受け入れているのだろう。人と違うという思いは誰にも多少はあって、僕だって悪い意味でずれているとは思う。けど彼女は違う。ほんとうにずれてしまっている。それをあるがままにというのはほんとうに凄いと思う。

「どうしてひとり暮らしなんてすることになったか聞いていい?」

 そういう言い方はしたけれど本当は少し違う。彼女は聞いて欲しいんだと思う。ご都合主義な偶然の結果だけど、事実を知る僕ならば聞いてあげることはできる。きっとそれもあって彼女は身の上話を始めたのだろうから。長くなりそうな話に僕はガスコンロの日を消した。

「そんなに複雑な理由は無いですよ。そもそもどうして私が一人で編入してきたかというと、本当は家族で戻ってくるつもりだった、だけど仕事の都合で急に私だけしか来れなくなった。それだけの理由です」

 確かにそれだけの話だ。もちろんそれは言うだけならの話だけど。

「もちろんほんとに一人ということも無いですよ。こちらに親類もいますから。でも頻繁に逢えほどには近くにはいないです。もちろん先方にも都合がありますし。あ、別に仲が悪いとかそういうことじゃないです。親戚もそうだし両親もそうだし、仲はいいほうだと思います」

「でも一人暮らしをするには学生時分は早過ぎると思うんだ。いや僕もそうだけど僕はこの前も言ったけど身内がいないからしかたがないと思うんだ。でも君は女の子。ご両親もよく許したね」

 『見た目も目立つしね』とは差別しているみたいで言いたくなかった。ただその事実はけして軽く扱えるものではない。

「そこは……ちょっとややこしい理由があるので、割愛させてもらいます。でもここに来るって決まってて手続きも済ませてそれなら私は行きたかったんです。両親も認めてくれて何にも問題ないって思いました」

 含みのある過去形。

「やっぱり一人になると寂しいですね。学校の皆さんは良くしてくれますけど、それでもこうして家に戻ってくるとものかなしくて。外は雨で部屋の中に私は一人でいて。今までそんなことなかったんですけど何だか引きずられるみたいに寂しくなっちゃいました」

 それはやっばり僕が想像していたのと同じで。僕が感じた、『ひとり』ということはあながち間違いではなかったということになるのだろう。

「……だからお礼?」

 『ひとり』から救いの手を差し伸べたことに対する。

「はい、槇村さんにお誘いいただかなかったら、ひとりで寂しくておかしくなっちゃったかもしれません」

 冗談ぽく行ってはいるけれど、冗談なんかじゃないと思う。彼女はとても強がりで我慢強い。だからたまたま過剰反応した僕だけがそれに気がついた。

 もちろん僕がこうやって彼女を誘うことがなくても、これからも彼女は上手くやれた可能性はある。今日の孤独感は一時的なホームシックだったって。

 でも、逆だって充分にありえる。

 孤独に襲われ、助けてくれる人はいない。それをいつまでも引きずってしまう。そういう可能性。

 結局なところ僕だってそうだった。父が死んだ時だって孤独を感じた。けれども優奈がいたからそれには耐えられた。次に優奈がいなくなった時には僕は耐えられなかった。今もって耐えられずただただコールタールみたいな真っ黒なものに包まれている。

 僕らがどれだけ彼女を日や花だと思ったところで彼女はそうではない。誰にだって心に暗い部分は存在する。

「いざこうやって一人になって生活してみて、思ってた以上に大変なんだってよくわかりました。もともと家のことは結構やっていたんです。家事もそうだしお金のことだって少しは。だから一人になったってそんなに大変じゃないはずだって思ってました。今になってみると調子に乗ってたんですね」

「そんな風には見えないけど」

 彼女は花みたいに咲いてはいるけど、いつだって嫋やかに落ち着いている。ちゃんと考えて行動できるように見える。

「そうですか? 私けっこう調子にのって失敗するタイプですよ。私のこと真面目で大人しいとか思ってませんか? だったら槇村さん勘違いしてらっしゃいますよ。単に不慣れでそうなってるだけです」

 真面目というか真っ直ぐで、大人しいというか奥ゆかしいというか。付け加えるとすれば弱さを表に出さない頑なさ。それは今よくわかった。

 僕に人を見る目があるかはともかく、たぶん光石さんの自己評価は間違っていると思う。有り体に言えば過小評価。そんなもの、僕が言えたことじゃないけど。

「それに嘘つきです。だって最初の最初から槇村さんには嘘ついていますから」

 最初の最初、だからそれは出会った時あるいは出会う前のこと。

 そうして彼女がついた嘘じゃないかと思うとあることが思い浮かんだ。けれどそれは今まで以上の本当のご都合主義だ。答えは聞かない。導かれる勝手な憶測、あるいは希望的観測そんなことはあるわけもないだろうと思考を打ち切る。

「うん、ぬるくなってるね」

 土鍋のなかの雑炊はやはりというかなんというか冷めていた。

「すみません長々と自分語りなんてしちゃって」

 彼女が初対面の時よりも学校での時よりも多弁だったのは、やはり寂しかったからだろうか。少しでも紛れてくれたのならそんなに嬉しいことはない。

 雑炊は冷めたとはいえ、冷えきっているわけでもなく暖かくこれもこれで美味しい。僕は恐縮している光石さんの器に勝手に雑炊を装った。

「良いから光石さんも食べなよ」

 頷くとレンゲに乗せて口に運ぶ。


 /


 そうして夕餉は終わる。あとに残るは空の土鍋と食器。宴もたけなわ。まつりの終わり。

「重ね重ねですけど、今日はありがとうございました」

「どういたしまして。さっきも言ったけどこの前のお礼みたいなものだからあまり気にしないで」

「そうですね『あまり』気にしないでおきます」

 冗談なのはわかるけど、あまりの部分を強調するのはやめて欲しかった。

 そうして笑ったあとには空白が残る。まつりのあとに残るのは寂しさだ。寂しさを紛らわすための祭りの終わりが寂しいっていう矛盾。

 それを感じているのは彼女か、それとも――

 ほんとうは僕なんかが彼女の孤独を紛らわすなんていうのもおこがましい。孤独に苛まれている僕が、孤独とは縁遠そうな彼女のことを。だから、あの日がそうであったように、幸運な奇跡はこれで終わりだ。

 でも――と思うのは僕自身のことじゃない、光石さんのことだ。彼女はきっとこれ以上ひとりになんかなりようがない。それは僕みたいな人間にだって保証できる。比喩ではあっても花であり日である彼女には、ほんとうの意味で親しい人だってできていくだろう。

 けれど彼女は今この瞬間、僕を頼ってしまっている。僕みたいな人間に支えれているという思いを抱いている。だから、そういう僕が彼女を放棄するとどうなるか。

 孤独はいつだってするりと胸に入り込む。コールタール。彼女ならそんなことにはならないって思う。だけど、彼女はきっと痩せ我慢だ。あの吐露はきっと僕だけが知る、人からすれば大した事はないかもしれない、彼女にとっては重い荷物。

 心配と同情それからほんの少しの何か、それが僕にはある。

 思考が混乱している。そうならないで欲しい、そうあって欲しい――そうであるならば。

 これから言うことはきっと、僕にとっては、今後に連なる大いなる苦痛。

 ただ、それでも、なんだかわからないけと――


「良かったらこれからも夕ごはんは一緒に食べない?」

「え?」

 そうすればこれからも、僕がいるから君は寂しくないとは言わない。だってそれじゃあ、僕のためじゃあ無くて、それは光石さんのためになってしまうから。彼女のためとはいえそれは自分の願望か何かを押し付けて、彼女といっしょにいたいんじゃないかって思えてもしまう。けっしてそんな思いは無いはずなのに。

 だから、本当の意味ともべつに、口説いてるみたいで恥ずかしくって、理由をまくし立てる。

「いや、ほらせっかく家も隣で席も隣だし、一人前より二人前のほうが割に合うし」

 僕が必死に説明する間、光石さんは何も言わなかった。沈黙が痛い。思い違いが間違いが、ネガティブがつきまとう。けれどそんな僕の考えなど関係なく、光石さんは頬を緩めた。

「こちらこそよろしくお願いします」

 明確にはっきりと彼女はそう言った。あの日と同じで太陽みたいに暖かくて眩しいものが向けられる。それを一週間たってまた見ることが出来た。それは、単純に嬉しかった。

 胸の奥にあった重いものがそれだけでなくなる。それはほんとうに眩しいもので、目を瞑ってしまいたいぐらいに遠い別のところにあるもの。そう、それはあのパズルの景色と同じような。僕の遠い過去のような。

 だからさっき思い至ったことも多分勘違いだ。もしかしてはじめてあったのは偶然なんかじゃあ無くて、僕に会いに来たんじゃないかって。

 だから、そんなご都合主義が幾つもあるわけがないんだって。もしそうだったとして、どうなる話でもない。


 ともあれ同級生でお隣さんの彼女との、お友達の関係が始まることになった。

 いったい明日からどうなるのか、自分でもまったく検討がつかず。ただ光石さんの真似をするみたいに僕も笑顔を作った。彼女みたいに華やかではなくとも、自分でもわからない何かが伝わればいいなと。

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