5.神様は賽を投げるのが大好き
春の日は強く暖かく。
強く吹く風は、けれど陽を含んで優しく。
校門には桜の花が咲いている。
八分咲きか九分咲きか、それとも満開だろうか。とにかく例年通りに美しく咲き誇っていた。
4月は始まりの季節。僕にとっても例外ではなく、今日からは二年生ということになった。
貼りだされたクラス分けをみて僕は新しい教室へと足を運んだ。新しいといっても教室の造りは同じだ。ただ僕の使う机は、一年時よりさらに汚くなっているし、ロッカーの形は違っていたりとそのまますべてが同じということはない。
軽く周りを見回してみる。数人が集まって話している姿も見受けられるが、最初の日ということもありクラス全体がどこか浮き足立っているような感じもする。
心機一転ではあっても、たいていは昨年クラスが同じだったり、元々知り合いだったりする相手と話しているんだろう。いきなり初対面の相手にコンタクトを取るよりも、元々知っている相手に接するほうを誰だって優先する。
僕が教室内の様子を伺っていると何人かと目があった。その中には去年同じクラスの人もいる。何人か片手をあげて挨拶みたいにしてきたから、僕も軽く頭を下げる。
正直をいえばクラスが変わったって、僕にとってはどうだっていい話だ。もともと深く付き合いがあった友人なんていない。きっとそれは今年も変わらない。僕に他人と深く関わろうなんて意思は無いのだ。けっして何があろうとも僕はきっと変わることが出来ないのだから。
昨日出会った白金の妖精。確かにあれはあり得ないことで、確かに心が揺らいだような出来事だった。けれどもそれだけのことで、もう関係のない話だ。これからも彼女に関わることはあるかもしれない。ただし、それは出来事のひとつでしかなくて、僕に関わっていくことではない。
教室は喧騒に包まれている。普段と同じような違うような。新しい場所ではこの浮き足だった空気が平常なのかすら判別つかない。その中で僕は一人で佇む。もちろんそういう人は僕だけじゃあ無くて、他にもちらほらと見受けられた。僕の隣に至っては未だに空のまま。そろそろ時間だけど大丈夫なのだろうかと無用な心配もしてしまう。
そうして思案にふけり、顔を伏せた僕の肩に手が置かれた。
「よう槇村」
顔を上げる。頭皮を明るい茶色に染めた軽薄そうな、どこか見覚えがある男子がそこには立っていた。少し考えてみて、そこにいたのが中学の同級生だったことを思い出した。
「久しぶりだね、田上」
田上……。下の名前は、忘れた。中学の時に同じ部活だった奴で、それなりに親しかった相手だ。
「そうだな。お前もなんかいろいろあったみたいだしな」
僕は父が鬼籍に入る頃に部活には出なくなったので、それ以降は交友は無い。だから会ったのは二年ぶりぐらいだ。二年ぶりの旧友。彼の目をひく部分はといえば――、
「チャラくなったね」
「あ?」
「見た目」
「チャラい言うなよ、垢抜けたとか言えよ、もしくは今風」
世間一般の高校生さんというのがイマイチわからないけど、実際に染色している人間も、ピアスして制服を着崩している人もこの学校には珍しくはない。
僕はごくごく普通で、メイクのひとつもなく髪を弄ることもなく生きているから、極端に言えば理解できない話だ。極端にいわなければどうでもいい話だ。
「お前は変わったけどまんまだな」
「どっちさ」
「だから、どっちもだよ。久しぶりに会ったから、前よりデカくなってるし大人っぽくはなってる。でもそのまんまお前」
それは僕のままであるということを喜べばいいのか、変われていないという部分を嘆けばいいのか。田上にはきっとどっちの意図もないだろうから、それを問う気はない。
そんな話をしているとちょうど始業のチャイムが鳴った。担任はまだ来ていないが時間の問題だろう。
「まぁ、同じクラスになったのも何かの縁だ。またよろしくな」
「うん」
言って田上は自分の席に戻っていった。変わったけどまんまと田上は言った。けれど、変わっていないのは田上の方だと思う。軽薄そうではあったが変わらず律儀。おそらくは真面目でお人好しの部分も、久しぶりにあった僕に昔と変わらず接してくれるぐらいだから変わっていないんだろう。
対する僕は、田上がいうようにほんとうに変わっていないのだろうか。彼みたいに良い部分を残して変化しているのではなくて、単に悪い部分をごまかして変化を覆い隠しているだけだと思う。
田上には悪いけれど、久しぶりにあった旧友にも僕の心は晴れることはない。それよりも劣等感のようなものが胸にある。
――ああ、彼も変わっていないのだ。
そんな嫉妬のような黒いもの。
「お前ら席につけよー!」
教室の扉を開けて担任教師と思しき人が、まだ着席していなかった数名に向けた。
そうして全ての生徒が一度着席してから、始業式がある体育館へと移動した。
/
在り来りな始業式が終わると、僕たちはまた教室に戻ってきた。
三年制学校での二年次というのは、学生から見ると一番自由で楽しい時間だろう。新入学の一年でもなく、卒業のある三年生でもない。一番自由な時期だ。期限があり、目的がないということは日々を送るのには適している。それだけ楽で、不測な事態にリソースを割く必要が減るということは僕もうれしい。
日々はただ流れていく。そうして僕はその流れに乗っていく。それでいい。それ以上のことは必要はない。
「そういうわけでお前ら、今日からこのクラスの一員だ」
教室の壇上には気が強そうな、まだ若い女性が立っている。彼女、担任である平田先生は始業式後のホームルームで開口一番そう言った。居丈高ではあるが、担任教師として間違いでも無いだろう。ただ平田先生はまだ年若い女性だ。実年齢が定かではないけれど、僕らから見たらだいぶ年上のお姉さんだが、教師という括りでみれば威厳の薄い新人でしか無い、そういう外見だ。
「とりあえず私から言いたいことは、人に迷惑をかけるな。特に『私に』だ。お前らが問題を起こすと私のところに面倒が回ってくる。既に面倒を押し付けられてるんだ、正直これ以上はもう嫌だから、それさえ守れば私は何も言わない。
繰り返すが、私に迷惑はかけるな。お前ら、それだけは胸の内にしっかりと刻んでおけ」
頼むと懇願している割には相変わらず威圧的だ。外見に合わず威圧感もある。そんなよくわからない先生を前に、なんともよくわからない空気が教室には流れていた。クラスに一人ぐらいはいるであろうお調子者の誰かも、しっかりものの誰かも特に発言をすることはない。先生はそんなことはどこ吹く風と、話を進める。
「それで、連絡事項の前にひとり紹介しなきゃならない奴がいる」
その言葉にクラスメイトたちは顔を見合わせていた。よくわからない空気から、わかりやすい空気、みなが浮き足立つという奴だ。変化への期待に対するもので、朝と同じようなものといってもいい。
先生の発言自体が、どちらかと言えばテンプレとして馴染みが深いものではある。転校生、編入生のテンプレートだ。僕の隣席は今もって空席。ここにその編入生がくるという推測は容易い。座席は男女別に分かれているから、ここに来るのも当然女子ということだ。
自分の名前以外はチェックしなかったが、もしかしたら最初からそういう風になっていて他の人は知っていたのかもしれない。相当前、小学生のときに転校生というのはあった。あの時も新学期からだったけれど、外見はおろか性別すらも覚えていない。騒いでみたところで、結局は一時的なイベントにしか過ぎないんだろう。
出席の並びの関係で隣席の逆側には席自体がない。となると僕が面倒を見たりしなければならないのだろうか。級友の、空席のついでに僕を通り過ぎる視線もあり、僕は胸中でだけ嘆息する。
「その前に言っておく、騒ぐなよ。騒いだ奴は軽く殺すからな」
無難な人であって欲しいという願いも、先生のその発言で無難ではない相手であることが確定した。釘を刺さなきゃならないような面倒な展開が待っているのが明白だ。
先生の言葉の効果があったのかないのか、ざわめきは収まった。軽く殺すってどういうことだろうとは思うものの、確かに騒がないでいてくれればありがたい。
発言を鑑みると漫画とかでしかお見かけしない、転校生は美少女とかいうものがありそうで辟易する。僕に出来るのは尖っていない人であることを祈るだけだった。
けれど――
「光石入ってこい」
先生が廊下に立っているであろう“彼女”を呼び込む。
『光石』
どこかで聞いたことがある名前だった。
まさかと思う。
あり得ないって思う。
教室の扉が開かれるとかすかな空気とともに一人の女の子が入ってくる。
ふわりという音が聞こえてきそうな空気と共に現れた彼女に、教室の空気は一変する。
誰かの息を呑む音と微かな声のようなものが聞こえる。
感嘆の吐息と漏れる驚嘆。
そこには歓声すら入る余地はない。
僕も何も言わない。けれども、それは他の人たちとは少し意味が違う。
宝石のような碧い瞳、雪みたいに白い肌の色、絹糸のような淡い金の髪。
転校生の女の子は、そういう珍しいものを持ち合わせていた。
――かわいい、きれい、うつくしい。
人により選ぶ言葉は違うけれどおおよそ、そのような賛美を送る。
転校生は、きのう僕の隣に越してきたひと。
昨日とは違って制服にその身を包んではいたけど、見間違えるはずもない特徴的な外見の彼女。
「……光石杏奈です」
緊張してこわばった表情の彼女。誰も彼もの目を引いてしまう魅力に溢れた容姿。
異国の美姫から紡がれた、流暢な日本の言葉。止まっていた時間が動き出したかのように、教室が微かにざわめきだした。彼女にしたら刺さる数十の視線はさらに強まったように感じただろう。
もともと緊張していただろうけれど、さらに彼女は萎縮する。誰だって興味本位の数十の視線を浴びせられれば、そうなってしまうだろう。かくいう僕の視線もそれに含まれているのだけど。
彼女が視線を動かして教室の中にいる級友を見回す。縋るような助けを求めるような、それとない行動。
右から左へ動かされた視線。その中で僕と目があった。
『あ』という形に微かに唇が動いた。
それから彼女の表情は少し柔らかくなった。緩やかな表情をつくろうとして、それがうまくいっていない。
それでも彼女の魅力を引き出すには充分で、はにかんでいるようにも見えるそれに教室のざわめきが一層強まった。
彼女が深く呼吸をしたがのわかった。一拍の後、言葉を紡ぐ。
「こちらの学校に今年からお世話になります。不慣れな部分もあり、お助け願うこともあると思いますが、その際には是非ご指導ご鞭撻をお願いします。このような外見をしていますが、生粋の日本人ですので気安く扱っていただけると幸いです」
一息での硬い挨拶の後に頭を垂れる。当たり前のように思えるけれど、それも日本人らしい所作だった。
「そういうわけで、いろいろ大変だろうから世話してやってくれ。じゃあ光石あそこだから席ついてな」
担任教師は言って顎で空席をしめす。ざわめきが問題にならない範疇で収まったことに安堵しているようだった。示された先はといえば予想通り僕のとなりだった。
頷いた光石さんが教卓の前から移る。その間も彼女を追う視線が消えているわけでもなく、彼女も照れたように俯きがちに歩いていた。
僕の隣までくると、なぜだか変に意識してしまい少し緊張する。
「よろしくお願いします」
席に座る時、彼女は小さく呟いた。たぶん僕以外には聞こえないくらいの微かな囁き。声色にどこか弾んだものを感じたのは僕の勘違いだろうか。
教卓の前で続く先生の言葉はすでに彼女から離れて、二年生の説明に入っていた。僕はその内容を頭に入れようと必死だった。