1.泥みたいに真っ黒い
がたんがたんと音がしている。
ゆらゆらと揺られている。
闇から光へと視界がひらけて、それで僕は自分が眠っていたことに気がついた。
時速二百キロを優に超える速度で進む新幹線。週末の車内は満席というほどではないが、賑わいを見せている。
はしゃぐ子供を咎めるような女性の声も時折聞こえる。4月の最初の日曜日であるということで、春休み最後の思い出作りだろうか子供をつれた一家も見受けられた。
父親としてはたまったものではないだろうが、子どもとしては最後のおねだりであり、『終わりよければ全てよし』という総括となることだろう。
そんな車内で、僕は運良く二人掛けの自由席に一人で座ることが出来た。人ごみは苦手ではないけれど、二人やら三人やらになってしまうことは苦手だ。
その他大勢であればなにも感じないけれど、個人と特定しあうことになると、なんだか相手を意識してしまいどうにも落ち着かない。
僕が降りる駅まではあと二十分近くある。二十分というのもたいがいにして中途半端だ。三十分であれば寝直せばいい、十分であれば待てばいい。
それでは二十分であれば? 眠るには短すぎるし、待つには長すぎるとなる。
僕は旅行かばんから文庫本を取り出した。時間つぶしに持ってきたこの文庫本はとうに読み終わってしまった。内容はわかりきっているがそれでもと、もう一度ページをめくってみる。
孤島に取り残された兄妹、それから三篇の瓶詰めにされた手紙。
昭和初期に書かれたそれは旧字混じりで読みにくくもあったけれど、味でもあると思えた。僕はこむつかしい文学論なんて持ち合わせていないし、深く考えて本を読もうともしないからこの小説が何を語ろうとしたいたのかわからない。
「――悪趣味ね兄さんは」
ふいに、誰もいなかったはずの隣席からそんな言葉が聞こえた。僕はその声には何の反応も見せずにページをめくる。その間も隣からは声が聞こえる。ねちっこい、泥のような悪意が見え隠れする。
悪趣味かどうかはともかくとして、僕としても失敗したかなとは思った。重苦しい雰囲気の本は法事のあとに読むものでは無い。この本に収録されている作品はどれもこれもそんなものだ。本棚にあった本をタイトルも見ずに持ってきたことが間違いだった。
数十ページしかない掌編を最初から読み返してみても、お話はやはりよくわからない。空き瓶の中に詰められた手紙の意味も、それからとりのこされた兄妹のことも。つまらないというわけではないけど、わからないという部分が先に来てしまう。
やはりこれ以上読もうという気は起きず、その掌編だけを読んで僕は本を閉じた。
「やめるんですか? 『まだ二十分』もありますよ?」
「もう『あと二十分』だ」
ほんとうは喋りたくはないのだけど、あまりにも不快なので仕方がなく小声で答えた。さっきまで思っていのと反対のことを言ったのはちょっとした抵抗だ。
さっきまでかばんが乗っていた隣の座席は、ちょうど文庫本を取り出すときに空になり、そして今僕の隣には、コイツがいた。
長く艶のある黒髪と切れ長の目。少女そのもののでありながら、落ち着いたその佇まいはどこか大人の女を思わせる。美しくどこか冷たい印象を受ける彼女は、口数少なく表情の変化にも乏しい。実際に感情の起伏は乏しいが、もちろん感情が無いわけではない。どうだっていいことで怒ったり、笑ったり。長い付き合いだった僕はそういうところを何度も見ていた。
槇村優菜という名の誰よりも大切な、唯一の肉親だった人。それと同じ外見をしているのがコイツ。
「やっと答えてくれました」
笑みを浮かべる。どこか妖艶で同時に人を下に見ているような。優菜は絶対にしなかった嫌な表情。
「隣で口やかましく言われたら落ち着かない」
「そうですか、私は別に気になりませんけれど」
「そりゃそうだろう、お前は。僕は周りの人から、ブツクサ独り言を呟く変人と思われているんじゃないかってビクビクしてるんだけどね」
「大丈夫です、どうせ誰にも聞こえちゃいません」
「まあ、そうだろうけどさ」
確かに列車の振動や他の人の話し声の中では、僕の独り言などはほとんど気にならないだろう。
「どうでした、一周忌法要?」
「どうもこうもあるもんか。素晴らしいもんだっていう法事なんてテレビに出るような方でもなければあるわけもないだろう」
「それはそうですけど、いろいろあるでしょう。ただ疲れた。一年前は大変だったけどそれを糧に頑張ろう。もしくは……一年前を思い出してつらい。さあ答えはどれ?」
提示された答えの中には、確かに僕の思いに近いものはある。けれどそれに答えてやる義理はない。
「そうだな、『面倒くさかった』かな。叔父さん達に気を使わなきゃならないからな」
「ふぅん」
何か腹に一物あるような具合だったが僕はなにも言わない。どうせ僕の気持ちなんて気づいているんだろう。続けてコイツは言う。
「それじゃあ今の気持ちは? 法事が終わった直後に、その死んだ妹の幻覚と話している兄さんの気持ちは?」
「そいつは――」
――考える。そこには様々な感情があるが、ほとんど負の感情だ。だから全部ひっくるめてこう言うしか無い。
「最悪だ」
「……それは僥倖ですね」
どこがだろう。コイツはそんな僕の胸中お構いなしに、かばんから勝手にサンドイッチを取り出し食べだした。幻覚がサンドイッチを頬張る姿はとても不思議だ。こいつは気がついたらいたけれど、最初から今までずっと何だかよくわからない。
「なあ、ほんとお前ってなんなんだよ」
「何って?」
「何で優菜の姿形で僕を嬲るんだ。っていうかなんでお前みたいなのがいるんだよ?」
いまさらながら僕は聞いてみた。我ながらほんとうにいまさらだ。
「タイラーみたいなものじゃないですか?」
「タイラー?」
歌手だろうか、アニメだろうか、映画だろうか。僕の胸中を察したのか奴が続ける。
「どれでもいいんじゃないですか、兄さんが思ったので。ぶっちゃけどうでもいいんですよね」
「興味ないのか、自分のことなのに?」
「あるといえばあるし、無いといえば無いです。どっちにしても兄さんには言いたくありません。けれど、しいて私の意見を口にするのなら、メンヘラさんの幻覚に意味なんてあると思いますか?」
「確かに、それはそうだね」
それを認めるにやぶさかでない。自分以外には見えない死んだ人間が話しかけてくる。それが精神疾患でなかったら、フィクションでしか無い。
その割には都合のいい甘い言葉なんてかけてくれる優しい存在でないというのは、こっちとしても嬉しくもなんともないけれど。
僕らが話している間も列車は進んでいる。なんとはなしに窓の外で流れている風景に目を向けると、そろそろ見覚えがあるものが増えていた。
そうして、また自分の傍らに目を向けると僕の隣には空白があり、アイツはどこにもいなくなっていた。
「……なんだってんだか」
残された僕はひとりごちるしかない。いつも最低の今日ではあるけれど、今日もやはり最低だ。
僕は奴が勝手に広げていったサンドイッチの残りを食べる。残りとは表したけれどアイツはどこにもいないのだから、実際には僕の胃袋が消化したのだろう。そんな感覚は無いのだけれど。
傍から見れば僕の一人芝居にでもなっているのだろうか。そういえばそんな映画があった。アイツはさっきそれのことをいっていたのかもしれない。
口に運び咀嚼し飲み込む。だるくても気が重くても楽しいことなんてひとつも無くても、食事が喉を通った瞬間は自分は生きてるのだなあと実感する。自分で大げさだなあと思わないでもないけれど、ここ最近でそんな実感が得られるのはそれぐらいだ。
その他の時間はなんだかコールタールにでも漬け込まれているかのような気分だ。
これ以上妙なことを考えて、不快な現実を再認識したくはなかったので、そこで思考を止めようとする。もちろんそんな簡単に思考は止まらずに、流れ込んで来てはいるけれど、それには気付いていない体でいる。
どうせ、また夜にでもなれば、そういうドロドロした真っ暗なものが頭からつま先まで覆っていくんだから。
一人は嫌いだ。
一人の時に走るノイズは、他人がいるときのノイズの比ではない。その多大勢、自然のゆらめきや機械の稼動音。そういったものが発するノイズは自分のものじゃあないから、知ったことじゃあない。でもそれがなくなると今度は自分の中にあるノイズが聞こえてくるのだ。微かに聞こえたと思ったら気づくと、大音量となって鳴り響く。そういう意味で騒がしい車内にいるというのはまだ救いなのかもしれない。
タマゴとハムとツナのサンドイッチは、実家から出る際に叔母が作ってくれたもの。僕はそういう恩を売られる行為が苦手だった。
叔母からすれば恩を売ろうなどという気は無いだろう。けれど相手がどう思っていようと、こちらに利益が出る行為をされる以上は、相手にも利益を与えなければならないと僕は思ってしまう。
自分でいうのもなんだけど、その考え方はとてもただしいと思う。同時にただしくはあるけれど、とても面倒でもある。
到着までの残り時間はどれほどあるのか。僕は残された時間をぼうっとサンドイッチでも食べながら過ごすことに決めた。
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“何もかもがうまくいかない”
そういう風に人生は出来ている。たぶんそういう事なんだろうと思う。それを違うと否定するのは人様からすれば簡単でなことだ。けれども僕は、少なくとも僕の人生はそういうのだった。
母親は僕が物心つく前に、父親は三年前に鬼籍に入っていた。
そうして僕にとっての身内は、双子の妹の槇村優菜はただ一人となった。
兄妹二人での生活というのは大変かと思ったけれど、幸運にも思ったほど苦労は無かった。とはいえそれ相応、人並み以上の苦労は背負って僕らふたりは生きていった。
人が見たら大変でつらい生活に見えるかもしれないけど、僕らにはそうでもなかった。
苦労であって負担ではない。
不運であって不幸ではない。
そう、僕たちはあの時幸せだった。
けれども一年前。
僕らが高校に進学してすぐのある日。
優菜は事故で、唐突に、あっけなくこの世を去ってしまった。
残されたのはただひとり僕だけ。
そうしてそれからの一年間僕はただ怠惰に日々を過ごしている。
命日の一週間前、四月六日の日曜日――つまり今日、妹の一周忌法要が執り行われた。
僕は優菜の唯一の肉親ではあったけれど、まだ若い僕が喪主として取り仕切るのは敷居が高かった。そのため優菜の葬式では名前だけの喪主という形だった。実際には叔父夫妻が取り仕切って僕は形だけのお飾り。
今回も同様。僕は右向け右、左向け左と言われたとおりにやっていただけだ。
僕は叔父たち親戚のことが好きではない。叔父たちがどうということではなく、単純に人づきあいが苦手というだけだ。父の時も優菜の時も、僕はあの人達には感謝してもしきれないぐらいの恩も義理もある。けれど、それとこれとは話が別だ。
昨日から、僕はひとり一泊二日で父の実家に帰省していた。僕らというか槇村家の墓は実家の方にあった。父の生前は片手で数えるほどしか訪れたことがなかった実家には、ここ三年でその倍近い回数訪れている。
三つも四つも県を跨いだ先にあるそこで、一周忌法要がは執り行われた。ほぼ丸投げの僕が何をするわけではないのだけど、その間は気を引き締め、『大変なお手間を取らせて申し訳ありません。この恩は消して忘れません。この恩はこれかの人生で返していきます』こういう体でいた。それがどこまで伝わっていたかは不明だけど、少なくともそういうポーズは見せていた。
取り繕ったことをしていても、よく見ていればわかるという。それは大抵の場合は間違っていない。
ただ根底が間違っている、大抵の他人はそんなに深く自分のことを見ていない。
他人、血縁のそれではなく自分の近しいものではないという意味だ。あの人たちは一人になってしまった僕のことを気にしている。
それがまた恩を着せられるみたいで、僕は苦手だった。
その人達の前でこうやってグダグダした部分を表にしては、どうなることか。
再三の父の実家に越してこないかという、申し出を今日もきっぱりと断り、僕はひとり戻る。
誰もいない箱庭の残骸へ。