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文化祭、めんどくさい

作者: 中崎恵里加

 

 保健室のカビ臭いシーツにぼくは包まっていた。

 今ごろ教室では、文化祭の衣装やセット作りが行われていて、忙しくも楽しい時間が流れているはずだ。


 ぼくはそこから逃げだしてきた。


 体調が優れないとウソをついてまで。

 要するにサボりだった。クラス委員長のくせにサボり。

 まったく情けないとは思うが、どうしても教室に留まれなかった。


 みんなが騒がしく作業をする中で、自分だけは出来ることがない虚しさ。

 仲間に入れず胸に穴が開いたような気がした。

 実際に胸が開いていてもおかしくない気分だった。


 教室に居場所がないことに耐えられなくなり、ぼくは不調を訴え、逃げ出してきたというわけだ。

 沈んだ気持ちを吹っ切るために寝ようと、保健室に来たけれど、眠気もないのに寝られるはずがなかった。


 寝てしまえば嫌なことを全部忘れられる気がしたのに。

 このまま数日後の文化祭まで眠りにつきたい。

 いっそ眠るように死ぬかと目を閉じようとしたときだった。



「佐野くん、いる?」



 聞き慣れた声が保健室に響いた。

 担任の鹿島先生だ。

 ぼくがいつまでも教室に戻らないから様子を見にきたのだろう。

 まったく余計な気を回してくれる。

 新米教師だから、生徒の機微に融通が利かないのかもしれない。



「佐野くん」



 白いカーテンの間から顔をのぞかせて、鹿島先生がこちらを窺う。

 その心配そうな顔を見ると泣きたくなるから今は話しかけないでほしい。



「佐野くん、大丈夫?」



 音を立てないように鹿島先生がベッド脇に寄ってくる。

 タヌキ寝入りでもしようかと考えたが、この先生には通用しないことを思いだす。

 ぼくは出来るかぎり疲れているような表情を作りながら、鹿島先生と目を合わせた。



「体調は、どう?」


「少しダルいです」


「教室に戻って来られそう?」


「今日は、無理そうです」



 鹿島先生が保健室を出ていくだろうと見込んで、精一杯、気だるそうに声を出した。

 うまく話を運べば、早退できるかもしれない。

 もはや少しでも早く学校の敷地から遠ざかりたかった。

 しかし、ぼくの演技を見破ったのか、鹿島先生はベッド脇のパイプイスに腰を下ろしたのだった。



「佐野くん、本当に体調が悪いの? もしかして……たこ焼きのこと気にしてる?」


 たこ焼き。ホームルームで文化祭の出し物にぼくが推していた屋台だった。

 最初こそはみんなが賛成してくれた。

 誰も文化祭でやりたいことなんてなかったのだろう。そういうクラスなのだ。


 でも、途中で反対意見が出た。意見だなんて、いつでも受けの姿勢を保つウチのクラスとしては、いい傾向だと思った。だからその意見を採用して、今年の文化祭はお化け屋敷をすることに決めた。



「たこ焼き屋なら来年もチャンスがあるよ。今年はお化け屋敷がんばろう?」



 しかし、お化け屋敷の準備を始めると、その面倒な作業に、一人また一人とやる気をなくしていった。

 直接、非難されていないけど、教室の雰囲気は矛先をぼくに向けられていた。作業が進むにつれて、それは色濃くなっていき、ついにぼくは孤立した。


 多数決で決めたのにぼくのせいにするな。無視するな。睨むな。文句を言うな。避けるんじゃねぇよ。


 叫んで暴れてすべてを壊してやれという邪な考えが頭をよぎった。

 しかし先生の迷惑になるだろうと、あえて抑制してやったのだ。



「別にたこ焼き屋がしたかったわけじゃないです」



 ぼくは寝返りを打って鹿島先生に背を向ける。

 鹿島先生は何も言わず、ぼくにとってはそれが逆に居心地が悪いものとなった。


 お互いに無言を貫き沈黙が続く。


 校庭から聞こえる笑い声がやけに大きく聞こえた。

 どこかのクラスが騒いでいるのだろう。のん気で羨ましい。

 文化祭の準備に飽きたのか、校庭の生徒たちが野球を始めたころ、ふいに鹿島先生が口を開いた。



「根性、見せろよ。ヤスアキ」



 ぼくの名前だった。

 授業の出席確認で呼ばれるときとは異なる、どこか親しみを覚える声色で、鹿島先生がぼくの名前を口にする。



「学校では生徒と教師の関係じゃなかったんですか」



 思わず糾弾していた。

 ぼくの言葉を軽やかにかわして鹿島先生が言う。



「保健の田村先生は休憩中だし、いいじゃない。誰も聞いてないよ」



 鹿島先生は姉の友人で、昔からよく家に遊びに来ていた。

 幼馴染と言ってもいいかもしれない。

 そんな幼馴染が担任になったものだから、常に学校生活を保護者に見られているような気恥ずかしい感覚に襲われた。

 今ではもう慣れたけれど、それなりに時間を要したのも確かだ。その苦労を一瞬で崩壊させたこの人が憎たらしい。



「学校と家では区別をハッキリしようって言ったのは先生っすよ」


「アイコお姉さんが悩み相談に乗ってあげましょう」



 しかも、相変わらず他人の話を聞かない。

 これで教師がやれているのだから世の中わからない。



「先生としてのほうがマシな気がする」



 この人には敵わない。ぼくは観念して鹿島先生を見る。

 もうすっかり先生の顔からお姉ちゃんの顔に変わっていた。



「どうしてヤスアキくんは教室に戻らないんですか?」


「気まずいだけっす」


「あれだけ、たこ焼きたこ焼き連呼してたら、ウザがられるよねぇ」


「わかってたなら、止めてくれてもいいのに」


「生徒の自主性を重んじる良い先生なんです」



 鹿島先生が拳を作り、自分の胸を叩く。

 思わず笑ってしまった。

 その自信過剰な姿は鹿島先生ではなく、ぼくの知っているアイコ姉さんだった。



「その笑顔だよ!」



 アイコ姉さんがぼくの顔を指さす。



「その笑顔がヤスアキの素敵なところだと思うな。笑って教室の扉を開いてみようよ。きっと気まずさなんてどこかに吹っ飛ぶからさ」



 教室で笑みを作れと言われても、難しい。

 きっと今の気分じゃ引きつった笑顔にしかならないだろう。



「たこ焼きなら、今度お姉さんがオゴってあげるし」


「明石焼きのほうがいいです」



 同じようなもんだろ、と言いながら、アイコ姉さんは笑った。

 ぼくも釣られて頬がゆるむ。



「もう大丈夫だね。教室で待ってるよ!」



 言うや否や保健室を飛び出して行った。

 教室が心配なんだろう。

 教師がいないとすぐに遊ぶやつらがいる。


 ぼくもそろそろ保健室から出なければいけない。

 クラス委員長として、頼りない先生のサポートだ。

 校庭で響いていた野球の音もなくなっている。

 ぼくは笑顔で、教室へと足を運んだ。


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