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 扉を開けた先にいたのは、――新田くんだった。

「ど、――どうしたの?」

 あまりに思いがけない人が来客だったので、あたしは驚きで何度も瞬いた。

 新田くんは表情を変えることなく、手にもっていた紙袋をすっと掲げた。

「これ、母さんが。……頼まれたものらしいけど。」

「頼まれたもの?」

 ぽかんとしたまま、その袋を受け取った。中を覗くと、クリアファイルが入っている。ちらりと見えるこの色とりどりのプリントは、一体何だろう?

「まぁまぁまぁ、勇くんじゃない!久しぶり。」

 お母さんが、リビングから顔をのぞかせた。気味の悪いくらい、満面の笑顔だ。新田くんは「どうも」と、軽く頭を下げた。

「元気にしてた?ウチ来てくれるの、いつぶりかしら。上がっていく?」

 お母さんの声が、いつもより高く弾んでいる。新田くんが来て、テンションが上がっているのだ。

 昔から、お母さんはゆーくんのことが好きだった。朝子と違って芯からしっかりしてるわ、なんて言って。

「いや、すぐ帰るんで。」

 新田くんが律儀に答える。あたしは紙袋からファイルを取り出して、ぎょっとした。

「――何これ、塾の案内!」

「ああ、わたしが芳子ちゃんに頼んでおいたのよ。」

 お母さんがあっさりと言った。

 芳子さんとは、新田くんのお母さんのことだ。うちのお母さんとは、お互い名前で呼び合うくらい仲が良い。よく一緒に買い物に行ったり、家を行き来したりしている。

 それにしても。

「どうして、おばさんにそんなこと頼むの!?」

 腹が立って、かぁっと顔が熱くなった。知らないところで、勝手にこんな話を進めないでほしい。私のことなのに!

「だって、あんた1人じゃ調べられないじゃない。」

 お母さんは全く悪びれず、肩をすくめた。

「芳子ちゃんのところは、勇くんの上の健くんと浩くんで、受験を経験してるでしょ?こういうのは、経験者に聞く方が早いの。」

「でも――。」

 ついさっき、あたしが自分で決めると宣言したばかりなのに。

 悔しくて、唇をかむ。芳子おばさんのプリントは、隅の余白にその塾の評判までメモしてあった。枚数は少ないけれど、それは厳選されているからだろう。見やすくて、わかりやすい。何も考えず集めたあたしの資料より、はるかに参考になることは明らかだった。

「もちろん最終的には、朝子が決めなさいよ。」

 お母さんは腕組みをして言った。

「ただ、よく知っている人の意見は参考になるから、わたしが頼んだの。ここからは、あんたが判断しなさい。」

 きっぱりそう言うと、お母さんは新田くんに向き直って、ガラリと口調を変えた。

「ありがとうね、勇くん。わざわざ持ってきてくれて。そうだ、ちょっと翔も呼んでこようかしら。」

 お母さんはくるりと踵を返し、軽い足取りで奥に戻っていった。うきうきと腕を振っている。「いや、おかまいなく」と呼び止める新田くんの声も、聞いちゃいないようだ。

 新田くんはお母さんの勢いにあてられて、少々呆然としているようだった。あたしは恥ずかしくなって、紙袋をぎゅっと抱えた。つい意識の外にあったけれど、新田くんに全部聞かれていたんだ。

「なんか……お恥ずかしいところを……。」

「いや……。」

 新田くんは数度瞬いて、ふっと笑った。

「おばさん、全然変わってねぇな。」

「残念ながらね。」

 あたしは顔をしかめてみせた。新田くんがおかしそうに、ちょっと肩を震わせた。あたしもゆるく息をはいて、肩の力を抜いた。

「本当ありがとう。実は塾のことなんか全然わからなくて、ちょっと途方にくれてたんだ。」

 素直にするりと、お礼を言うことができた。新田くんは首を振る。

「ただ届けに来ただけだから。――母さんが、お前のこと褒めてた。ちゃんと考えてるって。」

その言葉で、あ、と気付いた。

「新田くんは、夏期講習に行かないの?」

「ああ。」

 やっぱり試合もあるし、部活が忙しいんだろうか。

 一緒に行けたら、夏期講習だって楽しいだろうな、と思ったのだけれど。

「そっか……。」

 残念に思って、あたしはうつむいた。でも、仕方ない。新田くんには、野球を一番にがんばってほしい。せっかく、レギュラーになれたのだから。


 新田くんが、ためらいがちに口を開いた。

「あのさ……今日の休み時間の話だけど。」

「え?」

 あたしは顔を上げた。新田くんは首の後ろをかきながら、少し言いよどむ。

「応援の話。……もし講習とかで忙しいなら、無理して来なくてもいい。」

「え――。」

 驚いて目を瞠る。絶句するあたしに、新田くんはちょっと慌てたように手を振った。

「いや、来てほしくないわけじゃない。無理するな、って言いたいんだ。お前、生徒会の仕事だってあるんだろ。」

 新田くんはふ、と息をはいて、じっとこちらを見つめた。

「夏休みだろ、やりたいことやれよ。……今日、応援の話にあんま乗り気じゃなさそうだったから。」

 ガン、と頭を打たれたような衝撃だった。――見抜かれていた。

「ごめん、あたし――。」

「いいって。だから、暇なら応援して。それじゃ。」

 新田くんはそれで話を打ち切って、「お邪魔しました」と帰って行った。意外なほど静かな動作で、扉は閉められた。


「あら、勇くん帰っちゃったの?」

 奥から飛んできたお母さんの声を、やけに遠く感じた。呆然としたまま「うん……」と返事をして、あたしはその場にしゃがみこんだ。紙袋を抱く腕に、力がこもる。

 衝撃が抜けない。額を押さえて、深く深く息をはいた。

 あたしは最低だ。野球部の応援に乗り気じゃなかったこと、しっかりと新田くんに伝わっていたのだ。自分の不誠実さを、まざまざと示されたように感じた。

 あたしの中での優先順位が、曖昧だったせいだ。やりたいことがたくさんあるなら、しっかり整理しなきゃいけないのに。野球部の応援も、夏期講習も、古典の勉強も。生徒会の予定だって、ちゃんと把握し直さないと。

「なあに、そんなところに座りこんで。邪魔よ。」

 通り過ぎていく怪訝そうなお母さんの声に、あたしはもう何も返さなかった。ぐるぐると胸に渦巻く自己嫌悪とともに、あたしは静かに決意を新たにした。

 もっと考えて、ちゃんと決めよう。高2の夏休みは、1回きりなのだから。


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