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生徒会の集まりがないと、あたしはただの帰宅部だ。
テストが終わったから、小野くんとの古典勉強も一つの区切りがついた。あたしはもっと続けたいと思っているけれど、実際のところ、今後のことは中に浮いた状態だ。小野くんの都合はわからない。夏休みに入ってしまえば、接点もなくなってしまう。
何もない放課後は、さみしい。日が高いからいつもの夕方より明るいのに、気分はイマイチ上がらない。たぶん、ぽつんと1人だからだろう。頼子も含め、よく遊ぶ友達は皆、部活に精を出している。運動部も文化部も、夏は部活動の本番だ。こんな明るいうちから帰る子なんて、誰もいない。
あたし自身、夏休みに入れば、生徒会の集まりがある。秋の文化祭に向けて、既に実行委員会は動き出していた。各クラスも出し物の準備を始めるだろう。そうなると、生徒会の仕事は山のようにあるのだ。忙しくなるだろう。
でも、今日の帰り道は1人だ。
電車の中は、まださほど混んではいなかった。会社帰りの、スーツを着た人は見当たらない。年配の方や、小さな子連れの人がちらほら座っていて、座席も十分空きがあった。
ぼうっと窓の外に目をやっていたあたしは、ほとんど頭を空にしていた。カタンカタンと、一定のリズムを刻む電車の揺れには、そうさせる力があると思う。けれど唐突に、――ひらめいた。
がばりと立ち上がる。
周りの人からぎょっとした目で見られたけれど、すぐに駅に着いてくれたおかげで、不審がられずにすんだ。あたしはそこで途中下車した。こういう時、定期ってすばらしいと思う。ホームの階段を駆け降りる足が、軽かった。
そこは、駅前に大手の塾や予備校が立ち並ぶ街だった。通学途中にあるし、あたしも夏期講習に通うとしたら、たぶんこの駅前にあるどこかの塾になるだろう。
だったらいろいろ悩むより前に、まず下見してみようと思ったのだ。
あたしは勇んで、めぼしい予備校のビルに突撃していった。
とりあえず、エントランスに並べてあるパンフレットの類を、片っぱしから集めていく。どの塾のものにも、大きな文字で大学合格人数の実績が書かれている。実力別コース、個別指導、ビデオによる講義、人気講師による熱血授業!……ろくに目も通さず、集められるだけ全部集めた。
大量のパンフレットとおかしな達成感を抱えて、あたしはそのまま意気揚々と帰宅した。けれど、情報はただ集めればいいものじゃないということを、あたしはすぐに学ぶことになった。
「で、結局どれがいいの?」
テーブルの上には、色とりどりのパンフレットが無造作に並べられている。それを前にして、お母さんが核心をついた。
あたしはぐっと詰まり、苦しく目をそらした。
「……どれがいいんでしょう。」
「呆れた。案内もらうにも、もっと考えてもらって来なさいよ。」
正論だ。お母さんの大きなため息に、あたしは項垂れた。返す言葉もない。
「朝子は本当、しっかりしているように見えて、肝心なところでダメねぇ。」
「うるさいな。」
自分でもそう思ったので、文句にも勢いがなくなってしまう。
「あんたは長女なんだし、後の翔のためにも、ちゃんと調べてくれなきゃ。」
「翔なんか今、関係ないでしょ?」
「なんにせよ、これじゃ決まらないじゃない。」
ぴしゃりと指摘され、あたしは黙るしかなかった。
パンフレットがあまりにたくさんあって、どれがどう違うのか、どのコースをとるべきなのか、全くわからなくなってしまったのだ。いろいろ比較して参考にしようと、目についた予備校のものは全部とってきたけど、それが仇となってしまった。
一つの教科にも、レベルや単元ごとに複数の講座があるらしく、何を選べばいいのかさっぱりわからない。予備校がこんなに複雑なものだとは、思っていなかった。適当なところ通えばいいやーなんて、認識が甘かったのかもしれない。
お母さんは渋い顔をして、散らばったパンフレットを片付け始めた。それを奪うようにして、あたしもプリント束をかき集める。
「とにかく、ちゃんと決めるから。これから調べるから。」
あたしの断固たる宣言にも、お母さんは疑いの目を向けてきた。
「できるかしらねぇ。」
カチンときた。あたしが勢い込んで反論しようとした時、ふいに、軽やかな玄関のチャイム音が響いた。
「え?」
びっくりして、あたしは思わず壁にかかった時計を振り仰いだ。
こんな時間に、誰だろう?時刻は夕飯も済んだ、8時過ぎだ。来客のあるような時間じゃない。
「誰かしら。朝子、ちょっと出てきて。」
お母さんが顎先で促す。その仕草にさらにイライラしながらも、あたしは立ち上がった。